ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

夫に「先回り奉仕」をしてはいけない。

面倒見の良い人だったらきっと無意識にやっちゃってますよね?

 

「ほらコレやらなきゃいけないって言ってたから先にやっといたよ」

「あれ欲しいって言ってたから買うように手配しといたよ(自腹)」

「きっと困ると思っていたから準備しといたよ」

 

…みたいな「先回りして相手の要件や要望を叶えてあげる」アレです。

 

私も例にもれず幼少期から兄弟通り越して親や祖父母にまで「喜ばれるであろう事」を先回りしてやっていたんですね。

 

最初は単純に「褒められて嬉しい」という理由でしたが、それがだんだん歪んで「必要とされる人になりたい」「私が居ないと困るくらい重要な人と思われたい」みたいな。

「壊れた承認欲求」みたいな。自分で書いてて怖いんですけど。

 

まあそうやって幼少期から積み上げてきた「先回り奉仕」の技術。

それがいまだに抜けてなくてですねー。

 

お母さんが子供に対してやってあげるのはサポートであるし良い事だと思うのですが、それを20代の私は大の大人である夫にまで発揮しちゃいまして。

 

アラームが鳴っても起きれない・脱いだ服は散らかしたまま・私が家事をしててもゴロゴロスマホアプリで漫画やYouTubeで知らん顔、趣味の道具も床の上収納。(要は床の上に置きっぱなし)

 

その他にも色々酷く…見事「家事を全くする気の無い、仕事と趣味はめちゃくちゃデキるのに身の回りの事は幼児レベル」な大人の男を作り上げてしまいました。

 

…あー!本当に「今の私の頭脳」で20代の夫との生活やり直してぇー!!!

今なら絶対甘やかさないし、こんなダメ人間にしないのに!!!

 

それもこれも、愛情とはき違えて私が夫の身の回りの世話を全部一手に引き受けてあれやこれやとお世話を焼きまくってきた結果なのです。

いや、愛情というかそれこそ「私を必要としてほしい」というゆがんだ承認欲求の結果なのかもしれません。

 

毎日夫を起こして365日毎日朝から夜まで世話を焼き、暇があれば飲み物を淹れて飲み終わって放置されたままのカップを片づけて。

 

脱ぎ散らかされた仕事着やら靴下やらの「抜け殻」を目の前にしては「今日もあなたの抜け殻を全部集めなきゃ♪」と拾い集め…

 

…ってやってられるかー!!!!ふざけんなオラア私ゃ西野カ〇か!!!他人の抜け殻集めなんてやってられっか!!自分の抜け殻くらいきちんと洗濯籠に入れんかコラァ!!!目の前にカゴが用意してあんのになんでカゴまであと2歩くらいのところに抜け殻放置しとんじゃ一日中装備してたマスク絨毯に転がしてんじゃねえ!ふざけんなコラァーーーーーー!!!

 

もうブチ切れましてね。20代とっくに終わってからですけど。

逆に良くそこまで堪えてたな自分、忍耐力やべえなと。

 

だけどこの暮らし方をずっと続けてくのは無理だし自分の精神もすり減るし。

私のゆがんだ承認欲求も「あれ?なんで私自分のことほったらかして他人の事に駆けずり回って時間とお金使って気を配って精神すり減らしてたんだろう?愚痴を聞かされたり望んでない事やらされたり、私には何もメリット無いのに??」って気づいてからは「他人を気持ちよくさせるために必死で頑張るよりもまず自分の快適さを優先しよう」っていう方向にシフトしておりまして。

 

だって自分が満身創痍なのに人のために頑張れる訳が無いですもん。

 

てなわけでね、夫の事を「自分の事は自分でやってもらう」方向で誘導するように努めておるわけです。

 

一気にアレもコレも変えるのは無理なので、夫の様子を見ながら少しずつ。

雑用を何もかも私がこなすのではなく、頼めそうな物からぼちぼち夫に頼む。

 

頼んだからには夫に任せて、私のやり方を押し付けない。

私の好みじゃない仕上がりになったものは、ばれないようにシレッと私好みに手直し。

(家の事に無頓着な夫は、手直しとか全然気づいてない。)

 

まあ、仕事が大変そうだから家事をやらせようとか思ってなくて「抜け殻をきちんと洗濯籠に入れる」とか「床の上に行き倒れるように寝て起こしても起こしても起きない」のをやめてもらうとか、ごく簡単な内容ばかりだけど。

 

でもごく簡単だからこそ「私が毎日やっていると私にストレスが蓄積される」し、私がやればやるほど夫は「あ、やってくれるんなら楽ちんだし放っておこう」みたいになってどんどんなにもしなくなるどころか「あなたがやってくれるんでしょ?」っていう感じで完全に私の事をアテにするようになってしまう。

 

まだギリギリ、私の意見を聞いてくれる耳と思考の柔軟性はあるだろうから。

いまから少しずつでも「自分の身の回りの事は自分でできるように」日々誘導中。

間違っても先回りで「お風呂の着替えの用意」とかしない。(困ってたら手を貸すくらいで。)

 

 

以前は夫の「欲しいと言っている物」とかも片っ端から「買ったらいいよ」とか、行きたいと言っている所も「〇〇行きたいとか言ってたじゃん、行く?」とか先回りして要望かなえようとして、私が言い出したもんだからお金は全額家計から出すみたいなことになってて。

「結局は夫の稼ぎで生活してるんだから、夫の欲しい物とか叶えなきゃね」なんて勘違いしながら物を買って。

 

月末のクレジットカードの代金請求で青ざめることも多々あったのだけれど。

 

先回りして「夫の欲しい物」や「行きたい場所」とかを叶えようとすることをやめて「お小遣いがあるんだから欲しい物は自力でなんとなしてもらおう」と考える。

 

そして「夫の要望・希望」とか考えるよりも自分がどうやったら気楽に暮らせるか?

時間・気力・体力・お金…どう使ったら自分が居心地の良い毎日をすごせるか?

他人を優先しがちな生き方をしてきたからこそ、今こそ「自分を優先」する練習もする。

 

隠さずに本音を言うならば、私としては「私が先回りで奉仕した分」を相手が気づいてくれて「普段頑張ってくれているから今日はお返しするよ」みたいな。

 

「私の頑張りを認めてくれたり」「時にはお返しをしてくれたり」というリターンを求めて「先回りで奉仕」している部分もあったんだけど。

 

現実では「こちらが頑張れば頑張るほど相手は増長してしまい面倒な事はこちらに全部無言で押し付けてくる」とか「えっ?そんな一生懸命やってたの?なんで??」みたいに全然こちらの頑張りに気づいてないとか。相手の「欲しい物」を買って要望を叶えれば叶えるほど、つぎの欲しい物が湧いてくるとか。(んで、買ったものは床の上収納)

 

他人の要望なんで叶えても叶えてもきりが無いし愚痴なんてどれだけ聞いても疲れるだけで何も変わらないし、頑張れば頑張るほど「あ、やってくれるんだこの人って便利ー!」ってなってこちらが頑張るのが当たり前になってしまう。そのくせに「頑張りに気づいてくれる人はほとんどいない」し「頑張りに対してお返ししてくれる人だっていない」。

 

「しんどいなら言ってくれないと気づかない」「そんな風に思っているなんて知らなかった」世の中案外そんな人ばっか。

 

ならば私もそんなに「頑張らなくてよくない?」。

先回りして相手の都合が良いように動き回るのをやめる。

先回りして用意したり・自腹を切ったり・提案したりするのをやめる。

 

先回り奉仕をするなら自分に対して行おう。

 

自分を蔑ろにしてきた歴史が長ければ長いほど、他人の要望とかどうしたら喜ばれるのかは察知できるのに自分の要望になると何も頭に浮かばないし察知もできない。

私も「欲しい物」「やりたい事」ほとんど何も浮かばないけれど、自分の中の真っ白な大海原に稀に光るものが引っかかるときがある。

 

そんな時こそ「何が引っかかった!?」「限定コーヒー!!?よし買いに行こう!」みたいに「奉仕力を発揮」するべきだと思う。