ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

私はジーパンを買いに行きたい。

私はとってもジーパンを買いに行きたい。

 

なぜなら、今履いているジーパンは履いて歩いているだけで、いつの間にやら社会の窓が全開になってしまうからだ。

 

全開になる前に気づけば半開きで済む。

 

換気が大切な今の時期、やはりこちらの窓も換気が必要と言うことだろうかと思いながら日々気をつけてこまめに窓を閉めている。

 

しかし、それなりの年齢の人間が社会の窓を開いたり閉じたりしている姿は美しくないのでは…とも思う。

 

ジーパンのファスナーを上げる姿は、ともすれば股間周りをいじくっているようにしか見えない。

 

店の中で急にズボンのファスナーを上げ始める人がいたら、ちょっとビックリして二度見三度見する人もいるだろう。

 

そうおもうとちょっとヤダな。

 

だけど今の時期、気軽にジーパンなんか買いに行けない。

 

ウイルスがー…とか言ってる時に、試着なんてするのは気まずい。

 

それに試着したところで「ちょっと苦しいな」と思ってるジーパンを店員さんに「履いていれば伸びますよー」と言われて。

 

断るのも申し訳なくて「ならば履いて伸ばそう」と思って買ったジーパンは履いてたら苦しいしなかなか伸びないしもはや「履ける地獄」だったので古着買取に売り飛ばしてしまった。

 

つまり試着したところでジーパンの良し悪しは分からない。

 

実際そのジーパンを履き、日常生活を送ってみるまでは「ちょうど良いか悪いか」「しっくりくるのかこないのか」わからないのだと思う。

 

かといって通販はちょっとなあ…。

サイズとか数値とか書かれてても測るのめんどくさい…ていうか測るたびに数値違うし訳がわからない。

 

1人でうまく計測はできないし、かと言って誰かに図ってもらって数値を見られてしまうのはもっと嫌だ。

 

あ。

 

私が「ジーパン」「ジーパン」連呼してるのを「いやいや、パンツでしょ」なんて鼻で笑ったやつ。許さない。社会の窓が開いてしまう呪いをかけたからな。地味に困れ。

 

そもそもだけど「パンツ」は「パンツ」でしょ?

 

服屋の店員さんがイントネーション変えて「パンツ」っておしゃれに言うけれど、私の頭の中には紳士物のパンツが浮かんでるから。

 

ガウチョ」とか「スカーチョ」とかさあ、さも「今流行ってます」みたいなノリで店に溢れてたこともあったけれど。

 

ああいう、どこでどう流行ってたのかわかんない馴染みもない用語を、さも流行ってるかのように連呼して。

 

古い呼び名で呼んでる人を「今の流行りを知らないなんて古臭っ!」なんて鼻で笑う「謎の流行」本当にやめてほしい。

 

高校生時代、プリントを急に「レジュメ」とか言い出したりね。

 

まあレジュメについては「社会に出た時にレジュメと言われても困らないように」という判断だったのだろうけど。

 

つい先日まで「プリント1枚目を〜…」とか言ってた教師が何の説明もなく突然「レジュメ」「レジュメ」言い出すもんだから私の頭の中には「ジャノメ」しか浮かばなくて混乱したわ。

あの雨の歌に出てくるやつ。

 

そんで、ジャノメが何のことか未だに分からないけど。ミシンかな?(調べる気ゼロ)

 

いやマジで。

ガウチョ」「スカーチョ」とか言われてもさあ、新手のカンチョウかなと思ったもん。

最近あまり聞かなくなったけど。

 

本当さあ。

どこで流行ってるのかいまいちよく分からないものを「みんな知ってて当たり前のトレンドな流行です!」みたいに言って、勝手に「常識」とやらを塗り替えないでほしいよね。

 

普通の「常識」でさえも全部把握しきれていないのに覚えるべきことを増やすな。

 

流石にタピオカとかAKB(神7あたりまで)は流行と言われても差し支えない。

老若男女楽しんだりしてる姿を見たりしてたから「なるほど!」ってなるけど。

 

一時期異常に名前聞いてたNizi◯とかさぁ…老若男女問わず流行ってる?

恋するフォーチュンクッキー超えるくらいみんなに親しまれてる歌ある?

 

Nizi◯知ってるの流行についていけてる「アンテナが敏感な人」とか「若い世代の人」とか、なんかこう「情報を取りに行く力がある人」だけだと思うんだけどなぁ。

 

流行!って言うならば「情報を取りに行ける人もいけない人もある程度認知しているもの」にしてほしい。

 

そうじゃないならせめて「10代の流行です!」とか「80代で流行ってます!」とか「一体どこで流行ってるのか」を明らかにして欲しいなぁと大それたことを思います。

 

「流行!」って言われるたびに「どこでやねん!」て思ってますからねこっちは。

 

まぁ、あくまで個人的な思いですけどね。

 

というわけで、ごちゃごちゃ考えていたら面倒くさくなってきてしまったのでジーパンの調達は断念して。

 

とりあえずもうしばらくは社会の窓を開閉しながら暮らしたいと思います。

 

 

 

 

20代の頃の私に教えてあげたかった事。

私はとにかく「愚痴を吐き出すカウンセラー」みたいな役割を担わされていた。

 

家庭でもそう。学生時代も、社会人になっても同じ。

皆が私に誰かの愚痴を吐く。

 

「誰それ?」と思わず聞きたくなるようなどこの誰なのかもあんまり良く分からない人の愚痴を延々と聞かされることもあるけれど、相手はもう「愚痴を吐くことにしか興味が無い」といった様子なので口をはさむこともできず、結局誰なのか良く分からない人の事をさも良く知っているようなふりをしながら最後まで話を聞き続けるようなこともあった。

 

愚痴というのは吐き出すと、その場で多少はスッキリするものの、後で「ああいう愚痴の言い方は良くなかったかな」とか「この愚痴がもしも本人の耳に入ってしまったらどうしよう」とか余計な事に思考が回ってしまって後々苦しんだり後悔したりしなきゃいけないので私は基本的に言わないようにしている。

 

人の口に戸は立てられぬって言いますしね。

 

どれだけ信頼している人でも裏では誰とどう繋がってどこで何をしゃべっているのかなんてわからないわけですし。

 

まあそれを痛感したのが自分の親でね。

信頼を置きすぎて日頃言わないような愚痴とか文句とか、夫婦生活の悩みとかをずっと相談してたりしたんですけど。

 

ある日ふと思いましたよね。

「私が相談している色んな内容や愚痴を、兄弟夫婦や親の兄弟が来たときとかに面白おかしく話してるんじゃないかな?」って。

 

そう思った理由というのが、兄弟や親戚の愚痴やら裏話やらを「ここだけの話なんだけど…」って頻繁に私に教えてくれていたんですよ。

 

最初はゴシップが楽しくて「へーそうなんだあ!」って聞いてた私も相当性格が悪いですけれど、でもそれがあまりに度重なると「いつも誰かの悪口言ってんな」って思えてきちゃって。

 

「ここだけ」の話が毎回あるんですよ。

「ここだけ」って大体個数にして「1個だけ」とか「その場だけ」みたいな…なんかこう「希少価値のある話」みたいなニュアンスじゃないですか。

 

「ここだけ」が何個あんねん?てくらい「ここだけ・ここだけ」言うてくるから。

 

んでね、私も内心「まーたそういう暗い話かよー」なんて思いながらも「親の話をしっかりと聞いてあげるのも親孝行のひとつだよね」なんて思ってまして。

 

というのが、我が家は基本的に「恩着せがましい」といいますか。

 

「〇〇をしてやったんだから感謝しろ」「お前がここまで立派に成長できたのは親が稼いでいるおかげだ」みたいなことをね。夕食の席で毎度毎度叩き込まれる系の家でして。

 

もちろん他の家族も皆ニコニコしながらその話を聞いてるんですよ。

 

「お酒が入っているんだから仕方ないの。黙って聞いてあげなさい。」

「あなたが無事に大きくなったから嬉しくて言っているのよ。ちゃんと聞いてあげなさい」

 

今思えば他の家族は皆作り笑いだったんでしょう。

 

それでも基本的には「お酒が入っている人は何をしても何を言っても仕方が無いんだから許してあげなさい」スタンスだったので、耳にタコが出来過ぎてたこ焼きが100人前焼けそうなくらい何回も何回も、なんっっっかいも聞いたような話も「さも初めて聞くような態度」で聴かせていただいて「毎回感謝の言葉を述べる」事を強いられていました。

 

こうして私の頭には「家族親族お世話になった人の言う事はしっかり聞いて、できることをして、恩を返していかないといけない」

 

って刷り込まれ続けていたんですね。

その一番古い記憶が小学校の高学年あたりだから、そのあたりからすでに毒されていたんでしょう。

 

そしてそれと同時に「自分は家族親族いろんな人に迷惑をかけお金も出させてのうのうと過ごしてきたんだ」という意識も芽生え、それがじわりじわりと成長していきました。

 

不思議な物で、誰もそんな事を言っていないというのに

 

「お前にはこれだけの事をしてやった」「アレもコレも買ってやったし〇〇にも連れて行ってやった」

 

と言われれば言われるほど「私はそれだけ迷惑をかけた」みたいな負の感情が生まれて行くんです。

 

そして「私は皆に迷惑をかけている」「私に対してこれ以上お金を使わせるようなことがあってはいけない」「家にお金なんて無さそうだしわがままなんて言っちゃいけない」なんて自分の首を自分で締め上げるような思想で胸がいっぱいになってしまうのです。

 

さらにそんな自分を「こんなネガティブな事ばかり考えているから私はダメなんだ」「兄弟みたいにあかるく生きて行くのが正しいんだ」「何故私は明るい人間になれないんだ」なんて苦しめながらも「こんなダメな自分を支え続けてくれる身内だからこそ石にかじりついてでも親祖父母兄弟親族を大切にして恩を返していかなきゃいけないんだ」って思っていました。

 

そしてそのテンションで会社の同僚やらなんやらの人たちにも接してしまうから、とにかく「相談されて愚痴を吐かれて私はカウンセラーに徹するしかない」人間関係ばかりが発生します。

 

その状況で私はどうなるか。

 

全ての相談や愚痴を、家に帰ってもずーっと考え続けて解決策を考えます。

でも自分の事じゃないから解決策なんて出てきません。

それでもまるで自分がその苦しみを味わっているかのように、詳細に愚痴の内容が頭の中で再現されて止まりません。

 

そして疲弊しながらなんとか解決策っぽいアイデアをひねり出し、次の愚痴の機会で相手に伝えます。

 

相手はその「私が夜も寝ずに考えた渾身のアイデア」を軽く受け流して、次の愚痴を話し始めます。

 

そして私はまた眠れない夜を過ごすのです。

 

「愚痴を吐く人は解決策なんか求めていなくて聞いてほしいだけなんだ」というのはなんとなくわかってはいましたが、私はその「愚痴を吐く人たちが苦しむことが自分の事の様に悲しくて」なんとかうまくいってほしいと思ってしまっていたのです。

 

 

こういう対人関係を繰り返し、人と話すことに疲れて気持ちがうまくコントロールできなくなり。すべてが嫌になって全部放り出して逃げ出すということになってしまったのですが、今の環境に身を置いて思ったのはあの環境も私も異常だったということ。

 

今の環境に、あれだけネットリ・グチグチと人の悪口を執拗に言い続ける人は居ません。

本当に「あの人達はなんだったんだろうか」と思ってしまいます。

顔を合わせれば誰かのゴシップ・誰かの愚痴や失敗談。

 

きっと「今日はいい天気だね」みたいなノリの「話題の一環」だったのでしょうが、それでも他に話す話題は無かったんでしょうかね。

 

20代の頃の私に教えてあげたかった事。

それは「いつでもどこでもすべての人に、誠心誠意対応しようとするな」です。

 

私はカウンセラーでもコンシェルジュでも無いですから。

 

面倒な相手は血縁が濃い相手だろうとうまく受け流して。

 

私の顔を見れば愚痴ばかり吐いてくる人には嫌われても良いからとにかく逃げて。

 

受けた恩は全部きちんと返そうなんて無理なんだから気負わずに。

 

人のためにいくら頭をひねってアイデアを出しても、結局その人が納得して実行してくれることなんて無いし、他人は思うように動いてくれないんだから自分だって他人の思うように動こうと下手に空気読みまくったりしなくていい。

 

助ければ助けるほど「感謝してくれる」タイプの人もいれば「やってもらえると思ったら余計に調子に乗ってどんどん助けを求め続けてくる人(無償で)」もいますからちゃんと相手がどんな人なのかもチェックして。

 

会う人会う人全員に気を遣い過ぎなくていい。

 

 

 

他人よりも、まずは自分の人生をきちんと回していくのが先決なんですよ多分。

 

私の場合明らかに「自分の人生が思ったようにうまく回っていない」のに「他人を手助けすることばかり考えて」いましたからね。そんなもん、自分も他人もダメになるわ。

 

あー本当に、なんで貴重な青春☆トキメキを謳歌できる一番良い年代に他人の事ばかりしてたんだろうなあ私…もったいない。

 

でもほら。最近やっと、自己肯定感みたいなものが上がってきましたからね。

 

以前は「子供もできないのに専業主婦で家にいるなんて私なんて義両親に悪口言われてるんだろうなあ」とか「働きに出ないでダメな嫁だよなあ」とかそんな事ばかり考えてて義両親の会話してる声とか聞こえてきたら「私の悪口言ってたらどうしよう!?」とか考えてずっとビクビクしてたんですけど。

 

今では「まあ何をどうあがいても私は結局よそから来たヤツで宇宙人みたいなモンだろうから完全に私という人間を理解してもらうのは無理でしょ、私自身も私という人間が良く分からないし。まあいいや、スコーン焼こーっと!」みたいなノリになってきてまして。(開き直ったとも言う)

 

20代の頃の私はなんかこう「みんなに私を分かってもらおう!」「好きになってもらおう」「仲良くしよう」「できることは全部してあげよう!」みたいな思考を隠し持った「恩着せがましい人になりたくないけどサポートはしまくりたい」人間だったので、今のように「まあしょうがないしとりあえず自分の事やっとくかー」みたいな考え方ができるようになったのは凄く良かったと思います本当に。

 

今の環境に居る家族や親族身の回りの人が基本的に「べらべら喋らないで、自分のやるべきことをマイペースにこなしていく」タイプばかりなので自然と自分もそれに染まっていったのかもしれません。

 

そう思うと環境も大事だな。

 

 

「なんか、プライベートのハズなのに他人のことばかり考えたり振り回されたりして疲れる」っていう人はもしかしたら私の状況や性格と通じるものがあるかもしれないので、いったん「他人の事」はポイッと放り投げて、まずは自分の為に過ごす時間を持ってもらえたりしたらいいなあと思います。

 

ディズニーのアラジン実写版で泣いた話。

以前、金曜ロードショーで放送された際に録画しておいた「アラジン」。

それを、暇を持て余した朝のひとときに視聴することにした。

 

私は、ディズニーにはあまり興味を持っておらず詳しくもない。

どっちかというとピンクのトラ(?)が走り回ったり黒白の猫と茶色いネズミが追いかけっこしたり灰色のウサギがビョンビョンしている系列が好きでそちらばかり見ていたタイプ。

 

そんな人間なのになぜかアラジンだけは好きで、アニメ版は良く視聴していた。

ホールニューワールドも大好きで結婚式にBGMとして使おうかと思ったけれど、その曲が流れ出した瞬間に1人で号泣する予感しかしなかったのでやめた。

それぐらい、何故かアラジンが好き。

 

とはいえ、アラジンのアニメ版はよく観たし話の流れも分かっているわけで…。

 

それを実写版にされたからって、ストーリーも一緒だろうし大体アニメを実写版にしたらイニシャル〇しかりドラゴンボ〇ルしかり、なんかこう「全然別モノ」になってて興ざめしたりするんだよなあ。

 

うっかりTIMEみたいに棒読みしちゃうタイプの人が混ざっていたりするとさあ…

 

「えっ!めっちゃ棒読みじゃん誰この人!?」からの、ネットで声優を調べて「ああ…本職の声優さんじゃなくてA〇Bの人かあ…」からの「次はなんて棒読みするんだろう?」からの「うわっ、やっぱり棒読み!何回聞いても棒読み!!」みたいな。

 

「違和感に目がいっちゃって、肝心のストーリー全然覚えてない」みたいな、残念なことになっちゃうから嫌なんだよなあ。

 

ぶつくさと考えながら、怖い物見たさでアラジンを再生する。

 

「さあ、実写版のアラジンは…大丈夫なのか???」

 

そんな失礼な事を考えながらテレビを観始めてつかの間、まだ映画のオープニングだというのになぜか感極まってきた。眉間にシワが寄る。

 

そして海のシーン。もう、海を観ただけで何故か泣きそうだ。

 

見覚えのある顔。

「あっ!アレ!あのあのあの…メンインブラックの人!」

めちゃめちゃ見覚えがありすぎるくらいの人物なのに名前が出てこない。

これが「年を重ねる」ということなのかと、違う意味で泣きそうだ。

 

そして、彼が子供たちに向かって歌う。やめて。泣く泣く。もう私泣きそう。

 

まだ序盤も序盤。

「ア~ラビアンナ~~~イ!」しか言ってない段階だというのに、私は涙を流してしまった。

 

ダメだ。前がかすんで映画が観れない。

 

慌ててティッシュで涙をぬぐって眉間にしわを寄せながら目に力を入れて涙を堪える。

なんとか映画視聴を再開できた。

 

世の中は広いので、まだ「これからアラジン実写版を観るんだ!」という人もいるだろうからネタバレになりそうな内容は一応伏せておく。

 

しかし私は、アラジンを見て泣き・ジャスミンを見て泣き・ジャファーを見て泣いた。

もはや何がどうなって私は泣いているのか、自分の事なのに良く分からなかった。

 

 

アラジンの世界観が好きで感動したのか。

 

アニメの世界が超絶綺麗な現実として作り上げられているからその凄さに感動したのか。

 

出てくるキャラクターたちが「アニメの世界を現実にしたらこうなるんだろうな」と心底納得できる人たち(出演人物も声も)で固められていて何一つ違和感が無かったからなのか。

 

年齢を重ねたことにより涙腺が弱ってしまったのか。

 

 

…わからない。だけどもう、本当にマジでアラジン実写版凄いよ。

私の中で「2021年上半期の心に残ったものランキング第一位」だよマジで。

 

ちなみにこの映画を視聴しながら最後までウルウルしていた私は、エンディングで登場人物たちが陽気に踊っているシーンで大号泣してました。

 

 

…我ながら、感動系の映画を観た時どころではない泣きっぷり。

ほんとに「アラジンを映画館で観なくて良かったなあ」と思いました。

 

 

 

お小遣いを積み立て続けていたけど、とある金額を境に増えなくなっていた件

月々、一定の金額をお小遣い積み立てとして貯金し続けている。

 

「何円達成する」とか「何に使う」とかの目標は特にないけれど「月々のお小遣いじゃ変えないちょっと高い物だけどどうしても欲しい物」が現れた時に使おうと思っている。

 

そのお小遣い積み立てが、とある金額を境に一切増えなくなった。

むしろじわじわと減っている。使った記憶は無い。

それがもう、1年くらい続いている。

 

お給料日にお金の配分をして振り分ける。

その際にお小遣い積み立て用の口座にもキッチリと入金している。

 

毎月確実に一定の金額を入金して…アレ?

 

入金した後に謎の引き出しされたお金がある。

それも毎回。口座にお金を入金した数日後に1回か2回の引き出し。

時には入金した金額以上の金額を引き出してあって、貯金が切り崩されていたりする。

 

だ、誰だこんなことをするやつは…!

 

その「謎の引き落とし」があった日、私は何をしていたのか…と日記帳を漁ると、私は銀行を併設しているお店でお買い物を楽しんでいた。

 

日記には、買ったものがずらりと書き並べられており「ちょっとお高いコーヒー豆」だの「印が無い店のシャツ」だのが値段と共に記載されていた。

 

そう「お金を引き出していた謎の人物」は間違いなく私である。

 

ついでに他の「お金が引き出された日」も日記と照らし合わせながらチェックしてみたら、全部何かしらのお店に行ってお金を引き出して「いつもよりちょっと豪華なお買い物」を楽しんでいた。

 

…ぜんっぜん、覚えてないんですけど???

 

というか、いくらお金を貯蓄用に入金してもすぐに切り崩して使っていればそりゃあ貯まる訳がないわなあ。

 

お給料でお金を手にし、キッチリと用途に合わせて振り分けて。

「今月も、キッチリ貯金したから…ちょっとだけ、欲しい物買っちゃおうかな」なんて。

 

家計をやりくりし切ったつもりになって、ついつい気が大きくなってしまったのは…認めよう。

 

そしてその「ちょっとだけ、欲しい物買っちゃおうかな」と高過ぎず安過ぎず絶妙な値段の物を1つ購入したら、そこでもう財布のひもと理性がダルンダルンに緩んじゃって。

 

「買うつもりは全くなかったけれど視界に入ったために急に欲しくなってしまったもの」も2つ3つと買っていって結局想定していた予算を遥かに超える金額を使ってしまったのも…認めよう。

 

悔しいが、認めたくはないが、私がやったと信じたくないが…貯金を使い込んでいたのは間違いなく…クッ…

 

くああああああ!!!!

 

なんで貯金切り崩してまでお買い物したの私ーーー!!?

 

今となっては何買ったのか日記見ないと全然思い出せない記憶に一切残らない買い物ぉおおおおーーー!!!ムナシイッ!!!!!

 

全然記憶に残らない買い物にお金使う位ならそれ貯めて、コロナが完全収束したら旅行とか行こうよーーー!!!成城石井のある県行こうよー!!!!

 

ああああ…。

 

 

まあ、記憶には残っていないにしろその「買い物を楽しんでいるひとときを楽しく過ごして何かを手に入れた」ってのは間違いないからすべてが無駄ではないしダメな事ではないと思うけれど、今よく考えたらちょっと後悔してるし、貯金が一定の金額から増えて行かないなあというのはちょっと前から気付いていたのだから、早めに反省して行動を改めればよかったなあと思いました。

 

今後は

 

①記憶に残らないお金の使い方は極力避ける。

②貯金用の口座からお金を引き出しまくらない。

③「ちょっとだけ豪華な買い物」を何回もしない。

④お店でみた瞬間に欲しくなった物をその場の勢いで買わない。

⑤何をするにもいったん冷静になる。

⑥店員さんに進められたからといって気を遣って買わない。

⑦お金の使い方が乱れてきたなあと思ったら早急に反省会を開催する。

 

…などに気を付けて、気が大きくならないように冷静さを保ちながら買い物をしていきたいと思います。

 

家の外周を囲うように設置された溝を大掃除して、チョウバエを激減させた話。

以前、蟻についてブログを書いた。

そして立て続けに今度はチョウバエの話。

 

「アンタ…虫の話好きだね?」なんて誤解されたらかなわないので先に声を大にして行っておく。

 

「私は虫のこと好きじゃない」

 

蜘蛛だけは何をどう頑張っても天地がひっくり返っても姿を見るだけでも嫌だけれど、それ以外の虫はGでも蛾でも百足でも、ちょっとビックリするけれど家から追い出したり倒したりという何らかの対応はできる程度の認識。

 

むしろ「好きでは無いからこそ、姿を見なくて済むように事前対応する」といった感じなのである。

 

さあ、そんな虫が好きではない私。

部屋にいると目の前を小さな虫が飛ぶ・飛ぶ・飛ぶ。

 

うっとおしくて追い払っても、空中でカーブを描いて私の眼前に舞い戻ってくる。

追い払っては戻ってきて、叩き潰そうとしては逃げられて、また私の顔の前をプーンプーンと気持ちよさそうに飛ぶ小さな虫。

 

何とか手で叩き潰して退治して、一息ついてたら次の虫が飛んでくる。

倒してはまた現れて、それを倒してもまた現れて…小さな虫は無限に湧いてくる。

 

「どうなってんだこれは」

 

さすがにイライラして、部屋の中を見渡し「虫が入ってきそうな場所・湧いていそうな場所」を探すも特に「ここだ!」という場所は見当たらない。

 

 

諦めて一匹ずつ手当たり次第に倒していくことにしたのだけれど、これが本当にキリがない。どこからともなく無限に湧いてきて何の嫌がらせなのかと思う。

 

しかもこの小さな虫たち、食卓にご飯を並べたらその中に不意に飛び込んできたりするから本当に油断できない。

 

私はついに「おばあちゃんの家で食卓を覆うようにカバーするネットみたいなやつ」を手にし、食卓にかけるようになった。

もう令和も3年になったというのに、食卓の雰囲気は昭和になってしまった。

 

日々うんざりしながら過ごす。

 

嬉しい時も悲しい時も、リコカツを観てハラハラと心揺さぶられて苦しんでいる時も目の前には小さな虫が飛び、唐突に私を現実に戻す。

 

「なんでこんな、部屋も虫だらけ風呂も虫だらけで日々過ごさないといけないのか」なんて不満ばかりが募ってくる。

そう、風呂場も虫が入り放題でいつも入浴しようと風呂の蓋を開けたら水面には小さな虫や蚊のような虫がプカプカと浮いているのである。毎日虫が一番風呂に漬かってる。

 

「あー…イライラする」

 

洗濯機も屋外に置いてあるタイプの家なので、ある日洗濯機を回しながら座り込む。

ふと溝の中に目をやると、色んな小さな生命がうごめいているし何よりも溝の壁や石の部分に小さな虫がびっしりと引っ付き歩き回っている。

 

「…こ、これ…部屋の中を飛び回ってる虫じゃん!!」

 

特徴的な形。ネットで調べたら「チョウバエ」というらしい。蝶に謝れコンニャロー。

そんな「諸悪の根源」が、家の外周を囲うように設置されたオープンな溝(蓋なんて無い)の周りに大量発生していたのだ。

 

「そりゃあ、これだけ発生していればいくらでも家の中に入って来るよね…」

 

すごく納得して怒りも冷めた。というか溝の中に完成されていた生態系が気持ち悪すぎてドン引きした。

 

出来れば私1人で対処したくないと思うくらい気持ち悪いし面倒くさいし憂鬱だなーと思ったけれど、コレをキッチリ掃除できるくらいの暇人は私しかいないから私がやるしかない。

 

まずは汚れてもいい服に着替えて防水手袋と長靴を装備した。

そして溝の端っこまで水道ホースをのばしてホウキも用意。

 

ホースから勢いよく水を流しながらその流れを押し出すようにホウキをかけて、溝の中を掃除していった。

 

水の中をうねうねと動く赤い大きめのイトミミズや虫、大量の髪の毛などありとあらゆる気持ち悪いものが現れるしヘドロみたいな悪臭が凄かったけれど、ホースとホウキを装備した私に死角なし!

容赦なく溝の中を掃除していった。

 

溝の最後のあたりになると汚れや泥などが大量にあつまり、さすがにコレを押し流しきってしまうのは地域の環境によろしくないかなあと思ったのでビニールを用意してその中に溝の中から掻き出した汚れや泥を入れていった。結構な大量だし、ずっと「ピチピチ・パチパチ」と何か動くようなはじけるような音がして止まらない。

 

不気味過ぎるので泥は家から遠く離れた場所に運んでそこで乾燥させることにしたが、乾燥2日目にしてチョウバエなどが大量発生。

ビニールの中は世にも恐ろしい状態になっていた。家から離れた場所を選んで本当に良かったと思った。

 

そんなこんなで私の溝掃除は完了。

 

溝の横を通るときに頻繁に飛んでいた小さな虫たちは日を追うごとに減少した。

何よりも「部屋の中をあれだけ飛んでいた虫が出てこなくなった!!」

 

時折1匹だけ飛んでいたりするものの、倒してしまえばその後出てくることはほぼ無いし静かにリコカツも視聴できる。

 

今回の件で私が編み出したチョウバエ退治方法は

 

①発生源を探す。(水のある汚そうな所探す)

②発生源を全力で掃除する。(虫が湧きそうな気候の時期は定期的に)

 

…です!

 

ついでに待ち伏せ効果のあるスプレーなんかをかけておくともっと良いかもしれません。

部屋の中に蟻が行列を作っていた時の話。(私なりの蟻退治と蟻対策)

夜中に目が覚めて、用を足して飲み物を用意して部屋に戻った。

 

部屋を煌々と照らす蛍光灯では無く、しんみりとオレンジ色の光を放つ電球の方の照明を点けて何となく床を見ると黒い点々がうごめいている。

 

「…なんじゃこりゃあ」

 

嫌な予感がして蛍光灯のスイッチに手を伸ばし、蛍光灯の強烈な光でガツンと室内を照らすと…

 

蟻たちが行列を作って室内を縦断しようとしていた。

 

「うおおおおおお!!?」

 

思わず男性のような声が出る。

何故なら、蟻たちの大名行列は私達が布団を引いているその下を経由していたのだ。

部屋が狭くベッドが置けないため、床に布団を敷いて寝るスタイルが完全にあだとなった。

 

「こ…これじゃあ布団が蟻まみれになってしまう!!」

 

何としても蟻を殲滅する必要があるが、時間にして深夜1時。

そんな時間に掃除機で蟻を吸い込むわけにはいかない。

 

かといってこのまま放置していて眠れる訳もない。

 

出来れば掃除機で蟻を吸引して生け捕りにし(サイクロン掃除機なので生け捕りにできる)外に放り出し、できるだけころさずに対応したいところではあるものの、義両親も寝ているし音を立てることはできない。

 

蟻退治用のスプレーなんて無い。

でもゴキブリ退治やハチ退治用のスプレーなんてかけてたら部屋がベタベタになって深夜に掃除までしなきゃいけなくなる。

 

仕方がないのでブレーキクリーナーという車などのパーツ洗浄に使うスプレーを持ってきて、起きてきた夫と共に部屋を換気しながら蟻たちにスプレーしていく。

(ブレーキクリーナーの悪い使い方なのでマネしないように)

 

ブレーキクリーナーを大量に噴射するとすごい有毒そうだし蟻たちも噴射時に起こる風で吹っ飛んでしまうので、ごく軽くスプレーを押し蟻1匹にかかる程度の範囲で噴射する。

 

大量の蟻にチビチビとブレーキクリーナーをかけていく。

部屋に行列を作っている蟻を倒しきったら今度は布団を引っぺがして布団の下の蟻たちを殲滅していく。

 

内職のような、地道な作業。

 

しかし倒しても倒しても次々と蟻が湧いてくる。

 

しかもよく見ると蟻の行列は部屋の外まで伸びている。

 

できるだけ殺生はしたくなかったけれど、とにかく蟻を倒し続けた。

 

ブレーキクリーナーはすぐに乾いてくれるので、部屋の掃除はとりあえずしなくても大丈夫そうだ。

 

ちょっと安心していると部屋の隅に私の大嫌いなアイツが居た。

蜘蛛だ。

 

どういうことだ。蟻退治だけでいっぱいいっぱいだというのに。

なぜこのタイミングでこの蜘蛛は現れたのか。

夫はたった今、出勤の為に蟻退治から離脱してしまったというのに。

 

まさか蟻退治はただの雑魚戦で、本当のボス戦はこの蜘蛛だったというのか。

蜘蛛が大嫌いで姿を見るだけで飛び上がって、そのあと段ボールや紙袋に書かれていたりする「米」とか「水」っていう字まで蜘蛛に見えて怯えてしまうこの私が…

 

蜘蛛と一対一で戦わねばならないのか。

 

蜘蛛を見た瞬間ドッと嫌な汗をかき蟻を倒す手が止まってしまっていたが、もう窮鼠猫を噛む状態でやけっぱち精神の私は必死で蜘蛛を倒した。

 

 

蟻を退治し続けて蜘蛛まで退治し必死でナキガラを片づけ、ようやくひと段落ついたのは夜中の3時を回っていた。

 

…すっっっごい疲れた!!

 

布団を元に戻して倒れこむように寝た。

 

 

 

…蟻退治を済ませてからどれくらい経った頃だろうか。

 

腕がかゆい。

 

ついでに足もかゆい。

 

チクチクするようなかゆみがある。

 

オカシイと思って起きて電気をつける。

布団の下を通って枕元をかすめるように蟻の行列が伸びていた。

 

私が寝ていた布団の中にも蟻が2,3匹いた。

私はこいつらにかじられたのか。

 

寝起きに蟻退治を始める元気は無かったので用を足して朝ご飯を済ませて一通りの家事を終わらせてから蟻と向き合った。

 

正直うんざりしていた。

 

寝ている間に蟻にたかられるとは思っていなかったし、朝食を用意して部屋に戻り蟻の行列を避けたところに座って朝食を摂っていたら行列からはぐれた蟻に足の指をかじられたのである。こんな不愉快極まりない朝のひとときがあるだろうか。

 

考えれば考えるほどイライラした。

「もし移住する日が来たら、1階は車庫の物件にしてやるからな!!!」

 

布団を1枚ずつ、バサバサとふるって布団にたかっている蟻を振り落とす。

 

そして布団は安全な場所へ移動させ、私が放置している間に数を増した蟻の行列の出所を探る。

 

どうやら、家の角っこの木の継ぎ目にある隙間から発生しているようだ。

 

その木の継ぎ目にアクセスできるように家具を移動。

 

家具を置いていた場所は髪の毛やペットの毛・ホコリなどが積もって酷い有様になっていたのでついでに掃除機をかける。

 

「ふはははは!!もう家族は皆起きているからダイ〇ンが使えるんだよ蟻ども!!」

 

ハウスダストと一緒に蟻も吸引しまくる。

蟻は慌てて逃げ始めるけれど、その動きよりも人間の方が早い。

 

「人間の恐ろしさを教え込んでくれるわーハハハハ!!!!」

 

片っ端から〇イソンで蟻を生け捕りにしていく。

透明なタンクの中でアワアワとうごめく蟻。

 

通常サイクロン掃除機は中でゴミが回転するけれど、ハウスダストでいっぱいの為ゴミは回っていない。蟻も回転で苦しむことは無さそう。

 

あとで逃がしてやるからなぁ!待ってろよハハハハ!!!

 

 

目につく限りの蟻を片っ端から生け捕りにしたら、隙間に木工用ボンドを流し込む。

そして表面の凹凸を指でならす。

 

隙間をふさいだら家具を戻す。

そして急いで家の周囲の地面を確認して、蟻の行列が無いかどうかチェック。

案の定、蟻が入って生きていた場所付近に行列ができていたのでここは容赦なく待ち伏せ効果のある殺虫剤をスプレーした。

 

そして部屋に戻って中央に陣取り、生き残ってパラパラと現れる蟻たちを生け捕り。

 

ある程度蟻が出てこなくなったら生け捕りにした蟻たちを屋外の遠い場所に開放した。

解放された蟻たちは「ひどい目にあった!」と言わんばかりにワラワラと逃げて行く。

 

 

こうして蟻を退治して対策も行ったところ、蟻が部屋に登場することは今のところ無くなった。

 

 

今回の件で私が編み出した蟻退治方法は

 

①目に見える蟻は片っ端からダイソ〇で生け捕り。(もしくは殺虫剤)

②蟻の出所を探って、その場所をふさぐ。

③家の外周もチェックして殺虫剤をまいたり対策する。

④蟻をじっとみていると気持ち悪くなったりイラついてきたりするので「巻き散らかしたごま塩」を掃除するんだくらいのテンションで冷静に対処する。

 

…上記の4つかなあと思います。

あと、家具を動かして床や壁がハウスダストや蜘蛛の巣で汚れていたらついでに掃除するとなんだか気持ちがスッキリしました。

 

私はブレーキクリーナーと木工用ボンドと虫こないアースの網戸や窓にまける殺虫剤を活用しましたが、ちゃんと蟻専用スプレーも調達しておこうかなあと思います。

 

家族が部屋に転がっているだけで行動力が70パーセントダウンのGW。

ゴールデンウイークですね。

我が家は食材が尽きない限りは自宅籠りの構えです。

 

とはいえ、今日も平日と変わらず洗濯掃除をサクサク済ませてー…

 

と思ってたら、起床早々テレビをつけて観始める夫。

 

掃除機をかけるから場所を移動してほしいと言うとすぐに動いてくれたんだけど、掃除機が終わると元の場所に戻ってゴロンと転がる。

 

磁石にでも吸い寄せられてんのかってくらい、スムーズにスーッと元の位置に戻っていくのホント面白いわーとか思いながら家事を片付けていくんだけど。

 

いつもなら部屋に1人だからサクサク家事済ませて自分のやりたい事に取り掛かることができるのに、部屋に1人転がってる人がいるだけで家事の効率はだだ下がりだし、自分のやりたい事に取り掛かる気分にもなれない。

 

かと言って、日頃一生懸命働いてくれてる人がやっとの思いで連休を迎えたと言うのに家事に巻き込むつもりもないしなあ。

 

まぁ、ゆっくり休んでくれたらいいよ。

 

そんな寛大な気持ちになってたら夫のヤツ、獄激辛ペヤングのカレー味も入ってるやつ食べて、飲むヨーグルト1パックどころか連休を想定して買ってた豆乳も全滅。

 

飲み物を買いに行くミッションが発生したし(今日はもう意地でも行かないけど)、しかもペヤングは食べきれずに残して後片付けは私。

 

…いや、いいよ。私も一口もらったけど一口で「このペヤングは食べちゃダメだ」って思ったし、食べ進めて具合が悪くなっても良くないから。

 

だけどさあ、前も激辛系ペヤング買ってきて食べては残してたじゃん?なぜまた買ってきた?

そしてこんな物を買ってくるならばなぜ辛さを中和できる飲み物を買ってこない?

おかげで私のお楽しみ豆乳が無くなったんだが?買いに行かねばならぬのだが?

 

…あーもー!ムシャクシャするぅぅぅー!

 

私はムシャクシャしてるのにヤツはスマホつつきながら寝落ちしてるー!スマホの画面つきっぱなしで上向きに置いてあるー!画面光ってるのすっげぇ気になる画面消したいけどプライバシー的に勝手に触るのもよろしくなーーい!

 

あぁー!ムシャクシャするぅぅぅー!

 

いつも1人でサクサク動いてるから、そのペースが乱されまくってストレスたまるぅぅぅ!

とりあえずその光ってるスマホの画面をなんとかしてくれー!(怒)

 

亭主元気で留守がいいって言葉、今までは「酷いな」って思ってたけど今ならちょっとわかる気がする!

 

だって余計な思考や雑念が生まれるし相手のペースで掻き乱されるし「あれやりたいなぁ…でも音がするし今は夫が寝てるから無理か」「コレやりたい…けど途中で起きて夫に見られたらヤダなあ」とか思ってやりたい事できないもん。いつもより明らかに行動力ダウン。

 

大人が1人部屋に転がってるだけなのにね?

 

まぁ、夫のゴールデンウイークは数日しかないからウイークじゃないし、私のやりたいことはまぁ…夫の休日が終わってからでも…いっか?

 

でもなんかムシャクシャするから、夫のスマホを中身見ないようにしながらパーンッ!て裏返してやった私なのでした。