私はとにかく「愚痴を吐き出すカウンセラー」みたいな役割を担わされていた。
家庭でもそう。学生時代も、社会人になっても同じ。
皆が私に誰かの愚痴を吐く。
「誰それ?」と思わず聞きたくなるようなどこの誰なのかもあんまり良く分からない人の愚痴を延々と聞かされることもあるけれど、相手はもう「愚痴を吐くことにしか興味が無い」といった様子なので口をはさむこともできず、結局誰なのか良く分からない人の事をさも良く知っているようなふりをしながら最後まで話を聞き続けるようなこともあった。
愚痴というのは吐き出すと、その場で多少はスッキリするものの、後で「ああいう愚痴の言い方は良くなかったかな」とか「この愚痴がもしも本人の耳に入ってしまったらどうしよう」とか余計な事に思考が回ってしまって後々苦しんだり後悔したりしなきゃいけないので私は基本的に言わないようにしている。
人の口に戸は立てられぬって言いますしね。
どれだけ信頼している人でも裏では誰とどう繋がってどこで何をしゃべっているのかなんてわからないわけですし。
まあそれを痛感したのが自分の親でね。
信頼を置きすぎて日頃言わないような愚痴とか文句とか、夫婦生活の悩みとかをずっと相談してたりしたんですけど。
ある日ふと思いましたよね。
「私が相談している色んな内容や愚痴を、兄弟夫婦や親の兄弟が来たときとかに面白おかしく話してるんじゃないかな?」って。
そう思った理由というのが、兄弟や親戚の愚痴やら裏話やらを「ここだけの話なんだけど…」って頻繁に私に教えてくれていたんですよ。
最初はゴシップが楽しくて「へーそうなんだあ!」って聞いてた私も相当性格が悪いですけれど、でもそれがあまりに度重なると「いつも誰かの悪口言ってんな」って思えてきちゃって。
「ここだけ」の話が毎回あるんですよ。
「ここだけ」って大体個数にして「1個だけ」とか「その場だけ」みたいな…なんかこう「希少価値のある話」みたいなニュアンスじゃないですか。
「ここだけ」が何個あんねん?てくらい「ここだけ・ここだけ」言うてくるから。
んでね、私も内心「まーたそういう暗い話かよー」なんて思いながらも「親の話をしっかりと聞いてあげるのも親孝行のひとつだよね」なんて思ってまして。
というのが、我が家は基本的に「恩着せがましい」といいますか。
「〇〇をしてやったんだから感謝しろ」「お前がここまで立派に成長できたのは親が稼いでいるおかげだ」みたいなことをね。夕食の席で毎度毎度叩き込まれる系の家でして。
もちろん他の家族も皆ニコニコしながらその話を聞いてるんですよ。
「お酒が入っているんだから仕方ないの。黙って聞いてあげなさい。」
「あなたが無事に大きくなったから嬉しくて言っているのよ。ちゃんと聞いてあげなさい」
今思えば他の家族は皆作り笑いだったんでしょう。
それでも基本的には「お酒が入っている人は何をしても何を言っても仕方が無いんだから許してあげなさい」スタンスだったので、耳にタコが出来過ぎてたこ焼きが100人前焼けそうなくらい何回も何回も、なんっっっかいも聞いたような話も「さも初めて聞くような態度」で聴かせていただいて「毎回感謝の言葉を述べる」事を強いられていました。
こうして私の頭には「家族親族お世話になった人の言う事はしっかり聞いて、できることをして、恩を返していかないといけない」
って刷り込まれ続けていたんですね。
その一番古い記憶が小学校の高学年あたりだから、そのあたりからすでに毒されていたんでしょう。
そしてそれと同時に「自分は家族親族いろんな人に迷惑をかけお金も出させてのうのうと過ごしてきたんだ」という意識も芽生え、それがじわりじわりと成長していきました。
不思議な物で、誰もそんな事を言っていないというのに
「お前にはこれだけの事をしてやった」「アレもコレも買ってやったし〇〇にも連れて行ってやった」
と言われれば言われるほど「私はそれだけ迷惑をかけた」みたいな負の感情が生まれて行くんです。
そして「私は皆に迷惑をかけている」「私に対してこれ以上お金を使わせるようなことがあってはいけない」「家にお金なんて無さそうだしわがままなんて言っちゃいけない」なんて自分の首を自分で締め上げるような思想で胸がいっぱいになってしまうのです。
さらにそんな自分を「こんなネガティブな事ばかり考えているから私はダメなんだ」「兄弟みたいにあかるく生きて行くのが正しいんだ」「何故私は明るい人間になれないんだ」なんて苦しめながらも「こんなダメな自分を支え続けてくれる身内だからこそ石にかじりついてでも親祖父母兄弟親族を大切にして恩を返していかなきゃいけないんだ」って思っていました。
そしてそのテンションで会社の同僚やらなんやらの人たちにも接してしまうから、とにかく「相談されて愚痴を吐かれて私はカウンセラーに徹するしかない」人間関係ばかりが発生します。
その状況で私はどうなるか。
全ての相談や愚痴を、家に帰ってもずーっと考え続けて解決策を考えます。
でも自分の事じゃないから解決策なんて出てきません。
それでもまるで自分がその苦しみを味わっているかのように、詳細に愚痴の内容が頭の中で再現されて止まりません。
そして疲弊しながらなんとか解決策っぽいアイデアをひねり出し、次の愚痴の機会で相手に伝えます。
相手はその「私が夜も寝ずに考えた渾身のアイデア」を軽く受け流して、次の愚痴を話し始めます。
そして私はまた眠れない夜を過ごすのです。
「愚痴を吐く人は解決策なんか求めていなくて聞いてほしいだけなんだ」というのはなんとなくわかってはいましたが、私はその「愚痴を吐く人たちが苦しむことが自分の事の様に悲しくて」なんとかうまくいってほしいと思ってしまっていたのです。
こういう対人関係を繰り返し、人と話すことに疲れて気持ちがうまくコントロールできなくなり。すべてが嫌になって全部放り出して逃げ出すということになってしまったのですが、今の環境に身を置いて思ったのはあの環境も私も異常だったということ。
今の環境に、あれだけネットリ・グチグチと人の悪口を執拗に言い続ける人は居ません。
本当に「あの人達はなんだったんだろうか」と思ってしまいます。
顔を合わせれば誰かのゴシップ・誰かの愚痴や失敗談。
きっと「今日はいい天気だね」みたいなノリの「話題の一環」だったのでしょうが、それでも他に話す話題は無かったんでしょうかね。
20代の頃の私に教えてあげたかった事。
それは「いつでもどこでもすべての人に、誠心誠意対応しようとするな」です。
私はカウンセラーでもコンシェルジュでも無いですから。
面倒な相手は血縁が濃い相手だろうとうまく受け流して。
私の顔を見れば愚痴ばかり吐いてくる人には嫌われても良いからとにかく逃げて。
受けた恩は全部きちんと返そうなんて無理なんだから気負わずに。
人のためにいくら頭をひねってアイデアを出しても、結局その人が納得して実行してくれることなんて無いし、他人は思うように動いてくれないんだから自分だって他人の思うように動こうと下手に空気読みまくったりしなくていい。
助ければ助けるほど「感謝してくれる」タイプの人もいれば「やってもらえると思ったら余計に調子に乗ってどんどん助けを求め続けてくる人(無償で)」もいますからちゃんと相手がどんな人なのかもチェックして。
会う人会う人全員に気を遣い過ぎなくていい。
他人よりも、まずは自分の人生をきちんと回していくのが先決なんですよ多分。
私の場合明らかに「自分の人生が思ったようにうまく回っていない」のに「他人を手助けすることばかり考えて」いましたからね。そんなもん、自分も他人もダメになるわ。
あー本当に、なんで貴重な青春☆トキメキを謳歌できる一番良い年代に他人の事ばかりしてたんだろうなあ私…もったいない。
でもほら。最近やっと、自己肯定感みたいなものが上がってきましたからね。
以前は「子供もできないのに専業主婦で家にいるなんて私なんて義両親に悪口言われてるんだろうなあ」とか「働きに出ないでダメな嫁だよなあ」とかそんな事ばかり考えてて義両親の会話してる声とか聞こえてきたら「私の悪口言ってたらどうしよう!?」とか考えてずっとビクビクしてたんですけど。
今では「まあ何をどうあがいても私は結局よそから来たヤツで宇宙人みたいなモンだろうから完全に私という人間を理解してもらうのは無理でしょ、私自身も私という人間が良く分からないし。まあいいや、スコーン焼こーっと!」みたいなノリになってきてまして。(開き直ったとも言う)
20代の頃の私はなんかこう「みんなに私を分かってもらおう!」「好きになってもらおう」「仲良くしよう」「できることは全部してあげよう!」みたいな思考を隠し持った「恩着せがましい人になりたくないけどサポートはしまくりたい」人間だったので、今のように「まあしょうがないしとりあえず自分の事やっとくかー」みたいな考え方ができるようになったのは凄く良かったと思います本当に。
今の環境に居る家族や親族身の回りの人が基本的に「べらべら喋らないで、自分のやるべきことをマイペースにこなしていく」タイプばかりなので自然と自分もそれに染まっていったのかもしれません。
そう思うと環境も大事だな。
「なんか、プライベートのハズなのに他人のことばかり考えたり振り回されたりして疲れる」っていう人はもしかしたら私の状況や性格と通じるものがあるかもしれないので、いったん「他人の事」はポイッと放り投げて、まずは自分の為に過ごす時間を持ってもらえたりしたらいいなあと思います。