ぼんやりしているとふと過去の事を思い出して。
今はかなり精神的にも肉体的にも楽になったなあ…って。
私の家族は明るく楽しく優しく良い人たちの集まりだと思っていた。
皆、何かをしてあげたら「有難う!マナちゃんがいてくれて本当にたすかっているんだよ」なんて、これでもかと言わんばかりにたっぷりのお礼の言葉を返してくれた。
だけど、なんだかしんどい。
家族なのに…しんどいと思ってしまうなんて私はなんて冷たい人間なんだろう。
皆あったかくて優しくて正直で…そんな中で私だけネガティブで疑い深くて。
周りの家族に合わせて「良い子」のフリをしてみるものの、そんな自分が気持ち悪くて。
みんなが「大丈夫、うまくいくよ!」とポジティブな言葉をかけあっている時には私も一緒にポジティブな言葉をかけて作り笑いをしていたけれど、心の中では「いやいや、どう考えてもやばいだろ」なんて思ってしまう時もあった。
結局その時の結果はうまくいかなくて散々な結果になったけれど、なんとか言葉を紡ぎ出して丸め込んで「次に生かそうよ」なんて言ってその場をごまかした。
私はほとんど関係が無い状況でも、トラブルになりそうなものは察知できてしまったし当事者でもないのに尻ぬぐいなんてしょっちゅうやっていた。他人の悩みや苦しみだってさんざん聞いてきた。
皆私を「良い子」だと言って、私が何かすれば「崇め奉らんばかりの感謝の言葉」を述べた。
そんな皆を何とか助けたかった。
良くないことが起こった時には次はうまく解決できるようにアドバイスも全力で送った。
とにかく「良い子」でいられるように努めて「周りの人が誰もしんどい顔したり悲しい気持ちにならないように」と自分よりも他人を無償で優先して守り続けてきた。
他人を優先したり良い子で居続けることはなんだか苦しくて、ずっと「気持ちのどこかが暗い感じ」がしていた。楽しいはずのお出かけや行事の時もずっと気持ちのどこかが暗くて重くて何かを警戒していて、「全力でその場を楽しむ」なんてことは皆無だった。
ずーっと他人の為に全力。
だけどいつまでたっても「トラブルが起きる→解決する→感謝する→ハッピーエンド」で終わらない。
ずっと「トラブルが起きる→解決する→感謝される→次のトラブルを持ち込まれる」の繰り返し。何時まで経っても「次」「はい、次」と新しいタイプのトラブルが持ち込まれる。
さすがに私も自分の家庭が出来たころ、家族や周りが巻き起こすトラブルを解決しながら自分の家庭内のことも回していくという大谷選手もドン引きの二刀流生活が辛くなってきた。
あまりにつらいのでなんでこんなに次から次へとトラブルが起きるのかよくよく観察してみると、トラブル源は先の事を全然考えていない人ばかりだった。
「よく考えずに人をまるっと信じたり喧嘩を売るような言葉を言ってしまったり」など「コレをやってしまうとどうなるのか」をまるで考えていない。
私の「コレはやめておいた方が良い」と言う「今後のトラブル回避法」をあっさり無視して「案の定」な予想できたトラブルを巻き起こす。
そこで「きちんと反省」したり「謝罪したり」「何が悪かったのか原因の究明」とか「上手に考えて・立ち回って」くれればそれ以上トラブルが悪化するようなことは無いんだけど、見事にトラブルが最大限悪化するような一手を繰り出す。
そしてトラブルが最大限悪化して、どう考えても自分が悪いのに私に「トラブルが悪化した愚痴」「相手の文句」などを訴えて「全力で被害者面」してくるのである。
「さすがにコレは私もヤバイかもしれない」と思って全力で解決を目指したり・助けてもらえそうな人にアドバイスをもらったりしながらなんとかギリギリトラブルを解決する。
するとその原因を作った人は大地を揺るがさんばかりの感謝を述べる。
けれど数日後に、不機嫌な顔しながらまた新しいトラブルを私のもとに運び込んで全力で愚痴を言い始めるのである。
永遠に続くのかと思わせるくらい、この繰り返し。しんどい。
もともと私に人助けをいくらでもできるスキルやキャパシティなんか無い。
ネガティブを最大限生かして、原因を作った人や迷惑を被った相手方の様子や言葉や状況の説明なんかから一つ一つピースを拾って集めて組み合わせてそこから最悪の状況を想定して、どうやったらこの難解なパズルがばらばらの粉々にならずに見た目だけでも何とか丸く組みあがってくれるのかを考えて行動したりアドバイスしたりしているだけなのだ。
段々腹が立ってきた。
私がこんなに一生懸命アンタらのことを考えているのに、アンタらはケラケラしながら無限にトラブルや愚痴の原因を巻き起こしてこちらに全部投げてくる。
「マナちゃんがいてくれて本当にたすかっているんだよ」なんて言いながら。
そもそもこちらはこんなに全力で、トラブルを回避できるであろう逃げ道までアドバイスしているというのにあいつらは何一つ聞いてないし覚える気もないらしい。
返事だけはやたらと元気が良いし「確かに!」「本当にそうよね」なんて立派な相槌をかましてきていたくせに。
トラブルを起こしてそれをこちらに投げて愚痴ってちょっとスッキリして、そうこうしてたら誰かがそのトラブルを解決してくれてるから何も学ばない。
真正面からトラブルにぶち当たりに行く人間に、私が人生や自分の守るべき家庭の時間を費やしてまで付き合い続ける義務があるんだろうか。
どう考えても「周りの事を考えているようで考えてない」「ポジティブの意味を間違っている」「人の話を聞いていない」「トラブルについて自分で考えて解決まで持っていけない」「私の話は覚える気もないのに、良く分からない繋がりの人間が持ってくるマルチなお話は即信用」「何がどうあろうが自分が被害者」「トラブルは誰かに尻ぬぐいしてもらおうという甘え」…こんな負の考えを持っているような人とは家族とはいえつながり続ける気力も体力も無い。
そりゃあ「有難う」って感謝されれば悪い気もしないし「まあ、お礼言ってくれたし」「困ったらまあ、また助けてあげようかな」なんて甘い気持ちも湧くし、困った時に頼られたら「私が守ってあげなきゃ」なんて使命感にも駆られたりしたけれど、さすがに疲れてしまったわ。
有難う、有難うって感謝の言葉を口にしながらどんどんトラブルや雑用を押し付けてくるような人は「家族だから」「仲がいいから」「関係が悪くなったら困るから」なんて言いながら曖昧にズルズル助け続けないでそっと離れる勇気が必要。
「困っている人がいる、だから助ける」は一見美しいけれど、そこから「今回助けてくれたから、次もこの人に助けてもらおう」と「1つあげると2つ目、3つ目…と無限に持っていき続けようとする相手」は避けるべきだなって。(命がかかっていたら話は変わるけど)
なんだかんだ自分に言い訳をして「あの人はほんとは良い人だから…」と、なんとかギリギリ保ち続ける人間関係。
それは自分にとっても「相手をただひたすら助け続ける」というしんどい関係にしかならないし(そういう奴は基本こちらの助けになってはくれない)、相手にとっても「自分で失敗してそこから学ぶ」機会を奪い続けることになってしまうから。
助けるなら「そこから依存が始まらない・自分で考えて動く能力がある人」かどうかを確認して助ける。
そして自分も助けてもらう機会があったら感謝を忘れず「相手に依存はしない・自分で考えて反省して改善する」人間でありたいと思う。
最後に、環境を変えて感じたことだけれど、あのころに苦しんでいたようなトラブルを今私の周りにいる人は一切持ち込んでこない。
少し寂しいくらい私に依存する人間がいなくて、皆自力で自分の事をやっている。
最初はつまらなく感じた時もあったけれど「私たちに深く立ち入らず・適度な距離を保ちながらも各々が自分の事を自分たちで解決していく」この環境おおかげで、私も自分の為に時間や気力やお金を使っていくことを覚えられたしそのおかげで以前よりも多くの事ができるようになった。
そもそも、ちゃんとした大人はそんな、週に2つも3つもトラブルを起こしたり愚痴を巻き散らかすようなことは無いんだなっていうのも学びだった。
まともな大人は「娘」「孫」「同僚」「友達」…そんな相手にトラブル解決を求めたりなんかしない。
自分はほとんどトラブルなんか起こさないのに、周りの人間が起こしたトラブルの尻ぬぐいばかりして気が休まらない人は「自分が依存されていないか」「他人を助ける事に依存していないか」よく考えて、もしそのまま人生の大切な時間を他人のために浪費するのが嫌だなと思った場合には「依存相手から徐々に手を引く」「自分の為に時間を使う事を覚える」「できることなら楽な環境を探して移る」など何らかの対策をしてみてはどうだろうかと思います。