ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

プラスチック削減したいのかしたくないのかどっちなんだい。

家族用にコンビニで昼食用のお弁当を買った。

 

ぱっと見た感じ量が少ない感じがしたけど、いろんなものの値段が上がっているから仕方ないよなあと思いながら買った。

 

家に帰って昼食を済ませて、とりあえず食器類を洗った。

 

ついでにコンビニ弁当の容器も洗っておこうかと手に取ると、どうやら底が2重容器になっているようで2つに分かれた。

 

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写真の黒い容器とその下にある茶色い容器が重なって上げ底するシステム?

 

これを見て私は、プラスチック削減なんて結局見せかけみたいな物なのかも知れないなぁと思った。

 

だっていちばん底部分にあたる茶色い容器はとてつもなくガッチリとしていてゴツい。

素材の違いなどあるかもしれないけど、我々が一生懸命削減しているビニール袋何枚分だろうか。

 

そしてこのコンビニはパスタを買ってもプラスチック削減のためにプラスチックのフォークではなく割り箸を渡すとか聞いたこともあるし、他のコンビニでもプラスチックスプーンの持ち手部分を肉抜きしてプラスチックを少しでも削減しようとしていたりする。

 

そう言う努力をしている割には、弁当容器にはプラスチックをふんだんに使ってガッチガチに上げ底しまくっていたりする。

 

果たしてプラスチック削減をしたいのか・したくないのか。どっちなんだい。

 

 

環境を守るためにプラスチック削減しようと言うのはわかるし協力したいとも思う。

 

しかし「一方では削減しているのに、違うところではガンガン使っている」というダブルスタンダード的な状況を目の当たりにしてしまうと、こちらも協力するつもりが無くなってしまう。

 

そもそも弁当容器なんて高級弁当でもない限り2重タイプじゃなかった気がするし、コンビニもスーパーも普通に1重で販売していたではないか。1重で済んでたものならば1重で良いではないか。

 

量が増えたから頑丈さを確保するために2重になったとかなら分かるけど明らかに量は少ないし総重量も軽そうだ。2重にする意味は何なのだろうか。

 

小さな心がけでも少しずつ積み重ねていけば塵も積もれば山となるかも知れない。

できるなら一生懸命積み重ねているものが無駄にならないようにして欲しいし、プラスチック削減を推し進めた偉い人達には途中で意味や効果もきちんと検証して無意味なら方向転換したりもっと効果的な方法を探したりしながら、ただ単に「ビニール袋・ストロー・プラスチックカップやプラスチックカトラリーを削減しよう!」だけで終わらないようにして欲しいなぁと思う。

 

 

拝啓 義理のお母様へ。

この度は家族のコロナウイルス感染に対しまして、多大なるご協力を頂きまして誠に有難うございました。

 

おかげさまで感染していた家族は無事に回復し、テレビを見てゲラゲラ笑うくらいに回復致しております。

 

 

他の家族にウイルスが移らなくて本当に良かった。ほっと胸を撫で下ろしているところでございます。

 

ところで丸味◯の麻婆茄子の素がキッチンに置かれているのですが、これは今日は麻婆茄子を作れということで宜しいでしょうか。

 

冷蔵庫には立派な茄子が3本とパプリカ・しめじが置かれていたのは記憶しておりますので、これは通常の麻婆茄子ではなくパッケージ裏のアレンジメニューの方を作れという事でしょうか。

 

 

しかし、麻婆豆腐ならまだしも麻婆茄子はあなたの息子様のウケが非常に悪うございます。

 

夕食時に提供すれば、若干嫌そうな顔をしながら「…茄子。」とおっしゃいますし気分によっては茄子だけ残されます。

 

ついでに言うならあれは3〜4人用などと書いてありますが我々の夕食のメインにするにはなんとも中途半端な量であり他に何か料理を作らざるを得ません。

 

日によってお肉をすでに解凍していたり違う料理の下拵えをしている場合もありますので、ご自分の気分次第であのような「◯◯の素系」をポンと置かれても困ってしまいます。

 

ああいう「◯◯の素系」はお肉も少なく、ちょっと野菜の量が多くなれば途端に薄味になり量も微妙で、私としては「簡単に調理できるはずなのになんか扱いづらくてあんまり好きじゃないもの」でございます。

 

なので、なんとか使い切ってほっとしているのにすぐにまた買い足してストックするのはできればご勘弁願いたいところです。

 

私は「◯◯の素」を楽しく使い切っているわけではなく、台所にポンと置かれている◯◯の素を見て「ああ、これを作れってことか」と晩御飯の予定を変更して無理やり作っているだけでございます。

 

楽でありがたく使っていると言うよりも予定変更がめんどくさい・パッケージ裏面の作り方をいちいち見るのが面倒くさい・料理の提供をした時に夫が嫌な顔をするのが面倒くさいの三重苦で、実際は無理矢理使い切っていると言うのが実情でございます。

 

「◯◯の素」を使った料理を食べたいのなら、どうかあなたさまがお昼ご飯に作り・旦那様と美味しく召し上がられてみてはどうかと思います。

 

 

そもそもあなたは月一回くらいのノリで病院に通い「高血圧」とかなんかそっち系のお薬を3つほど毎朝飲んでおられるご様子ですが、ああいった◯◯の素は大丈夫なのでしょうか?

 

朝の菓子パンとバナナみたいな食事、時には野菜ジュースを毎朝飲まれていることもありましたがお医者様推奨なのでしょうか?

チルド餃子もやたらと買ってこられて作らされる印象がございます。味も付属のタレも大変味が濃いのですが大丈夫でしょうか?

 

その割には赤飯の素を「3合炊きでは味が濃いから4合炊きで作れ」とおっしゃいます。塩分に気をつけられているのかいないのか混乱してしまいます。

そして味が薄かったら味塩をかけようとのことですがなんか精神的に面倒くさいのでできればメーカーが推奨している分量で作らせていただけませんか。

 

赤飯の素じゃなく小豆を炊いて煮汁を用意して「これで赤飯を作ってくれ」とおっしゃるときもありますが、なぜか毎回「2回に分けて」「いつもより1合多く炊く」という「2日続けて赤飯生活」となります。それもお気づきではないかもしれませんが月1回くらいのノリで割と頻繁に赤飯デーがございます。

 

「嫌なら白ごはん炊いてくれたらいいよ」と逃げ道を用意してくださるのは嬉しいんですけど、炊いて用意された小豆と汁を見ると、正直嫌とは言えません。

 

炊き込みご飯は何度あっても美味しいものですが、赤飯はそこまで頻繁に食べたいものではございませんしやはりこちらも家族へのウケが悪いので、どうかそちらのお昼ご飯の際に赤飯を炊いて楽しんで頂くか、せめて1日分だけの小豆を炊いてくださいませ。2日連続赤飯は不思議な辛さがございます。

 

余談ではございますが、火の扱いにはお互いくれぐれも注意しましょう。

 

焼き芋を「コンロに焼き芋鍋」で作るのはかまいませんしトロリと柔らかな焼き芋を食べさせていただけて大変至福にございます。

 

しかしガスコンロが自動で火を消し散々ピーピー言っているのに2階に居られ音に気づいてなかったり、下手したらコンロに火がついているのに家の外の遠く離れた場所をテクテク歩いておられる場面を頻繁に目にします。

 

ガスコンロの自動消化機能もきっと万能ではございませんしセンサーはタイマーではございませんので、どうかガスコンロで火を使っている時にはきちんと近くで、せめてセンサーのピーピー音が聞こえる範囲までの移動でお願い致します。

 

ちなみにセンサーはきちんと解除するまで定期的に鳴り続ける為、私はすごく気になってしまいます。どうかセンサーが鳴り始めたら早めの解除をお願いします。

 

最後に、野菜の購入ペースの話なのですが今冷蔵庫の野菜室には大玉のトマトが7つに立派な茄子が3本・きゅうりもたっぷりございます。野菜室が夏モードとなっており大変驚きました。

 

今の時期にこんなりっぱな大玉トマト。

 

一体どこへ買い物に行かれているのでしょうか。車でお出かけしているものと存じておりましたが、もしやあの車はタイムマシンであり・時空を超えて夏の世界線へ買い物にでも行っておられるのでしょうか。

 

しかし夏野菜は美味しいものですが体を冷やすと申しますし、この免疫が大切な時期に体を冷やしてる場合じゃないと思いますので夏野菜は何卒ほどほどのお買い上げでお願いしたいところです。

 

ついでに今1玉目の白菜を使い切ろうと頑張っているところですが、気がついたら隣にもう1玉並んでいました。まだ1玉目が半分くらいありますので、そこまでスピード感を持って対応しなくても大丈夫だと思います。

 

あなたは基本卵やブロッコリーを茹でる・焼く系の料理で昼食を済ませておられます。

と言うことは野菜の消費をメインで行うのは私となります。私は野菜が痛む前になんとか使い切らねばならないといつも頭を抱えております。

 

物資の価格が高騰している今の時代にはいろんなものを買ってきていただけるのは大変ありがたい事なのですが、皮を剥くだけでも大変な小さめ里芋は調理が大変ですしやたらと皮がゴツいカボチャ4分の1個は翌日野菜室を開けるともう一つ増えて2分の1個になっていたりします。分身の術でしょうか。

 

カボチャは長持ちしそうな見た目をしていますが、割とすぐにタネの部分にカビがきます。

気がついたらタネの部分だけでも先に取るように心がけていますが、それを忘れて数日経つとすぐにカビます。ついでにこれも家族のウケが悪いのでできればそこまでお買い上げ頂かなくても良いと思うのですがいかがでしょうか。

 

日曜以外は大体買い物に出かけられておられるようなので、そんなに毎日野菜のストックをお買い上げ頂かなくても、その日食べる分だけの購入で大丈夫だと思います。

 

私も買い物に行ける手段を持ってありますので、もし足りないものがあれば責任を持って買って参りますよ。

 

むしろそれだけ買い物してなぜ家計が火の車にならないのか、そのコツだけでも教えていただきたい所存です。

 

 

長々と私の言い分ばかり書き連ねてしまいましたし、失礼な言い回しが多々あった事は大変申し訳ございません。

 

しかし、なんだかんだで私は実家にいた時よりもはるかに気楽に過ごさせていただいております。あの頃よりも元気になったし夫との喧嘩も格段に減りました。今までだったら手をつけなかったであろう様々なことをちゃんと自分の頭で考えながらやってみるということもできるようになってきました。

 

そういう過ごし方ができるようになったのも、あなた方義理のご両親が自分たちのやり方や考え方を押し付けたり強制することなく・私たちの意思を尊重して好きなように行動させてくれるからです。多分私の祖母タイプの義理母だったら自分の意思を持つことを諦めるかノイローゼになりながら戦うかの2択だったので、私はあなた方の暮らすこの家に嫁ぐことができて本当に幸運だったと心から思います。

 

いろんなことに挑戦してみるようになったとは言えまだまだ出来ない事も多い私ではございますが、麻婆茄子の素を「めんどくさい」と思わずに上手くアレンジして使ったり2日間赤飯が続いても飽きないように2日目の赤飯には甘栗むいちゃいましたを混ぜたりと「文句ばかり言わずにどうやったらお互いもっと良くなるか考えてみる」事への挑戦も始めましたので、色々と文句のような内容も書き連ねてしまいましたがどうか今後も暖かく…いや、生温かくても・別に暖かくなくてもいいので気が向いた時にでも見守って頂ければ幸いでございます。

 

それでは、お互いコロナやインフルに気をつけながら過ごしてまいりましょう。今日の晩御飯は麻婆茄子です。

 

        マナより

 

 

 

 

自分の感じたことを隠さない。

私、ブログとかでやりがちなんですけど

 

「あ、この内容でブログに書きたいなー!」とか「どこかに吐き出してスッキリしたいなー!」と思うことがあってはてぶろに新規作成でガーーーッと記事を書いた後。

 

「…せっかく書いたけど、万が一にもこの記事が回り回って本人の目にはいったらどうしよう」とか考えちゃって結局記事を削除するっていう。

 

なんというか「ネガティブなことは書いちゃいけない」みたいな?

 

「人のこととか悪口陰口になるようなこととかをあまり書いちゃいけない」みたいな?

 

「ポジティブじゃない受け止め方をしてしまう自分は良くない」みたいな?

 

だれも「ネガティブなことをブログに書いてはいけません」なんて言ってないのに自分で自分を添削して、ダメな部分が多かったら誰かに聞いてほしいようなことだってばっさり捨てちゃう。

 

どこかで「ネガティブなことは悪いこと。人前で堂々とできないことや言えないことはするべきじゃない。」みたいな感じの正義の縛りみたいなのが埋め込まれてる。

 

だから友達にさえも愚痴とか一切言えないし、夫にもよっぽど追い詰められて爆発するまで感じたことを吐き出せない。爆発ギリギリまで笑顔で対応。

 

昨日の義父の話のブログだって、載せようかそれとも削除しようか悩みに悩んで。

 

んで「なんでこんなに悩んでるんだ私?」ってところに辿り着いた。

 

 

もちろん誰かのことをズタボロに悪く言ったり人格を攻撃したりするのはダメだと思うんだけど、そうじゃなくて自分が自分以外の人間に対して感じたことをそこまで正義か悪か考えて、良いものでなければ蓋をしてしまう必要あるのかな?と。

 

私がそういうふうに思ったんだからいいじゃん。

 

自分の思ったことを書く場所なんだから好きなように書いたらいいじゃん。

 

よくわからない何かに気をつかって、自分の感じたことに蓋をして隠して。

 

それが積み重なってどこかで爆発するよりは、吐き出していい場所で惜しみなく出してスッキリすればいいじゃない。

 

 

だからブログの記事をアップロードした。

 

謎の罪悪感はあったし万が一本人にこんなこと書いてるのバレたら気まずいなとも思ったけれど、元々私はゴチャゴチャ深刻に考えすぎるところがあるし自分で自分にタブーを作りまくってしまうからもっと気楽にシンプルに「私がそう思ったからやった。」に方向を転換していこうと思う。

 

 

ていうか落ち着いて考えたら、こんなブログ界の末端の末端の大末端で記事を書いたり書かなかったり、ほとんど更新してないようなブログの記事が本人に届くのはほぼありえないじゃん!

 

好きにやろーっと。

 

 

心が狭くなっている私。

今日、家事をしながらコロナにかかった家族を看病してドタバタやっている私に義父が「アイツ(感染した家族)の様子はどうだ?」と聞いてきた。

 

ぼちぼち治りつつありますよというと、義父は自分の身の回りにもコロナに感染する人が多いという話をしてくれた。

 

そして「1週間くらい経過したらもうコロナは移らないらしいぞ」という話をしてくれたのだがそこが引っかかってしまった。

 

確かに会社を休むのも1週間くらいだし、そのくらい時間が経過すればもう大丈夫なのかもしれない。

 

だけど「それを誰が言ったのか」は教えてくれなかった。

 

誰がそういったの?お医者さんなの?有識者なの?それともその辺の知り合いなの?

 

テレビでは「感染しても1週間経過すればコロナは周りに一切移りませんので皆さん安心してください」なんて言っていないと思う。

 

「検査キットで確認してみて陰性だったらひとまず大丈夫」とか言うのならわかるんだけど「一週間くらい経てばもう移らない」って本当なの?1週間経ったとはいえ、一応しばらくは注意したほうが良くない?ご近所の高齢者にこんなヤバイウイルス撒いたらワクチンしててもヤバそうだけどな?

 

感染したらかなり大変なことになるかもしれないコロナウイルスに感染した人を、今私は1人で看病している。

 

看病相手が大人だから食事の用意や頼まれたものの買い出しや消毒くらいしかしなくて済んではいるけれど、それでも3食の療養食を用意してペットの世話もして家事も普段通りまわして…数日しか経ってないけど割と気を張って疲れているところに、そういう「誰がどこでどう言ったのか良く分からない話」をされて。

 

もしその言葉を信じて「1週間たったからもう大丈夫だ」と今まで通り感染してた家族と接して万が一にも私が感染したら?義父は私を助けてくれるんだろうか。

 

分かってる。ただの世間話だって。

もしかしたらドタバタしてる私を気遣って話しかけてくれてるのかもしれないし。

 

だけど今そういう事を言われると「一週間経過したらいつも通りにしろってことなのか!?」「早く隔離するのやめてやれってことなのか?

」と悪く受け取ってしまう程度にはネガティブになっている。

 

先日のブログで「ストレスでいっぱいにならないのがポイント☆」みたいな事を書いたんだけどね。ストレスで爆発は無いんだけどおおらか~な余裕はさすがに無いよね。

 

今でも少しでも喉がピリピリしたら「まさか私も感染したのかな」って不安になるし夜寝てる時でも喉がちょっとイガイガした気がしたら「やっぱり私も感染してて発症しようとしてるのかな」とビクビクして、イマイチぐっすりと眠れない。

 

なにより、今感染している家族といつも通りに接したら一番に感染するのは私。

 

いちばん距離があって関りが薄くて感染した家族の看病どころか顔も合わせてなくて感染しない可能性が最も高いのは義父。

 

一緒に前線に降りてきてくれて協力してくれているのならまだしも、自分は安全なところから・自分が言いたいことがあるときだけやってきて自分の伝えたい事だけ伝えてまた安全なところに帰っていくのはちょっとずるいんじゃないだろうか…と思ってしまった。

 

「普段現場がドタバタしててもシレーッと素通りの、現場をあんまり分かってない上司が、ふと気まぐれに謎の助言をくれる」みたいなのは現場は求めてないんですよマジで。求めてるのは労いの言葉か一緒に協力してくれる即戦力です。謎のありがたいお言葉なんかいらんのじゃい。

 

 

…自分で笑えるくらい、心が狭くなっている私。

 

ブログに吐き出したらかなりスッキリしたし頭の中も整理できたので、今日は久しぶりに酎ハイでも飲んで早めにたっぷりと眠ろうと思う。

 

 

 

 

 

メガネが曇ってキレそう。

呼吸。

 

それは生きていく上で欠かせない、体のシステム。

 

 

マスク。

 

それはこのコロナ世界で生きていく上で欠かせないであろう装備アイテム。

 

 

メガネ。

 

それは超ド近眼な私が人並みの生活を送るために欠かせない、もはや体の一部と言っても過言ではない大切なもの。

 

 

…呼吸・マスク・メガネ。

 

3つ全てが「順調な人間生活」を送るために必要なものだというのに、この3つが揃ってしまうと全てがめちゃくちゃになってしまう。

 

 

呼吸をすればマスクから蒸気(呼吸)が噴き出す。

 

その蒸気でメガネが曇る。

 

メガネが曇って焦って呼吸が乱れる。

 

乱れた呼吸のせいでマスクから噴き出す蒸気が増える。

 

さらにメガネが曇って視界がどんどんホワイトアウトしていく。

 

 

もはや無限地獄。

 

 

歩くこともままならない。

私は今、スーパーの前にいるというのに。

 

 

マスクにはきちんと鼻当てが付いている「メガネの人のために生まれたようなマスク」を採用している。

 

もちろん曇り止めもきちんと施している。

 

 

しかし、最初は頑張ってくれていた曇り止めもすぐに「水がベチャッとついたような親水状態」に変化し「撥水剤のかかっていない車の、雨の日のフロントガラス」みたいな視界になる。

 

イライラしながらすぐに曇り止めを施すも、5分もたたないうちに親水状態に逆戻り。

 

仕方がないのでメガネを外してフリフリと振る。スーパーの前でメガネをフリフリするのは恥ずかしいけれど背に腹はかえられぬ。

 

しばらくフリフリすると、なんとかメガネの曇りが薄くなるのですかさず装着。

 

視界が確保されているうちに車へ急ぐが「コロナのせいでこんな謎の苦しみを味合わないといけないことにかなりムカムカした。

 

第8波じゃねぇんだよ!

さっさと滅びろやコロナウイルス!いつまで居座るつもりだよ!!

お陰でこっちは買い物ひとつ済ませるだけなのに視界がホワイトアウトだぞ!?

北海道とか住んでるんなら仕方ないけどここは西日本ぞ!!?雪なんてほぼ降らない地域だっつーのになんでホワイトアウトに苦しまなきゃならないの!?

 

 

…あーもう腹が立つ!

メガネかけてるのに普通に買い物してるおじいさんとかなんなの呼吸してないの!?

 

メガネなんて関係ない裸眼の人とかなんなの幼少期に1人でゲームに熱中したり日が暮れるまで漫画読んだりして目玉を酷使してなかったの!?ファミコンてしってる???

 

どうせスポーツ少年団とか入って外で仲間とさわやかな朝でも流してて近眼と縁がなかったんだろ畜生リア充キイイイイイィ!!!!!!

 

 

メガネの曇りひとつでこんなにむしゃくしゃするなんて、私きっと疲れてる。早く寝よう。

 

めざ〇し8のテーマソングをまともに聞いてみた。

基本的に朝、ニュースは観ない…のですがあまりにも観なさすぎると世間の事を割と知らないことになりかねないので時折観るようにしているのですが。

 

めざま〇8見ていると、超深刻なニュースや悪質な事件が放送された直後にテーマソングで「いつだって だーいじょうぶ♪ このせかいは だーんすほーるっ♪」みたいなやつが流れてくるんですよ。

 

「何一つ大丈夫なニュースじゃ無かったけど!!!?」

 

って、いつも反射的に思ってしまって疲れてしまうのであまりめざまし〇は観たくないんです。でも、他の番組もちょっとなあ…ってわけで消去法で結局〇ざまし8を観るっていう。

 

単純にニュース知るだけならスマホ使ってネットで調べりゃいいんですけど、そしたらその間に手が止まってしまって家事が進まない。結局ニュース垂れ流しが楽。だけどテーマソングがちょっとなあ…って感じで。

 

うたってる曲自体はハッピーな感じで好きだし、たしかこの人たちってウォンテッドとか歌ってる人じゃなかったっけな?あまり詳しくは無いけど曲は好きな物がちょこちょととあって。

 

嫌じゃないけどめざまし〇で何回も聞いて耳にタコができそうなのと、曲の使用シーンがなんか気になってしまう。

(ちなみにめざましテレビの方の わすれっないで いーっつーでーも の方は全然気にならない不思議。)

 

 

いやでも本当に曲や歌ってる人は何も悪くない。

どっちかといえばそういう、杉下右〇さんでも気にならないような微細な細かいことが気になってしまう悪い癖がある私がオカシイわけで。

でも、まじで、ほんとうに、曲自体は良いし好きなはずなのになんか嫌。

 

め〇まし8観て、曲が流れるたびになんかモヤッとしてしまう。

いやだなーなんかいやだなーっていう気持ちだけが蓄積されていく。

 

そこでふと気が付いて。「そういえばこの曲をまともに聞いたことないな」って。

 

だってああいう番組って、基本的にサビの一部分くらいしか流さないじゃないですか。

んでこっちも、しょっちゅうサビの一部分ばかり聞かされてちょっとうんざりしたりしつつもその曲を知った気になるじゃないですか。

 

そんで興味があったり更に知りたくなったりしたら自力で調べるけれどそこまでの情熱は無いから調べない。結果「しょっちゅう耳にしてうんざりしてるけど詳しくは知らない状態」が完成してしまう。

 

アナ雪のときもそうでした。友人たちで集まって「あの曲しつこい」「うっとおしい」とか文句言いながらも結局誰一人アナ雪観てないっていう。

誰も何も知らないのによくそこまで文句言えたよな…っていう。

 

まぁ、もう11月だしもう数か月耐え抜けば違う曲になるのはわかっているんですけど、その数か月の間にモヤモヤが蓄積され続けるのはいやなので、一度原点に返って敵を知ってみようと思いまして。

 

スマホを取り出してうろおぼえのアーティスト名を入力し検索をかけ、ミュージックビデオを探し出して視聴。(ぐりーんあっぷる でも検索に引っかかるもんですねぇ)

 

 

…………。

 

 

なんやこれ、普通にめっちゃええ歌やん。

ミュージックビデオもなんかキラキラして楽しげで良いやん。

 

あれですよ。話したこと無いけど何となくキライだと思ってた人とまともに話してみたら普通にイイ人で、その後あまりキライって思わなくなったみたいな。

そんな感じで苦手意識が払拭されました。むしろ好きになった。

 

やっぱ、良く知らないけどなんとなく嫌うのってよくないもんですね。

これでめざまし〇もモヤモヤせずに観ることができそうです。

 

 

褒めて感謝して依存してくるタイプの人。

ぼんやりしているとふと過去の事を思い出して。

今はかなり精神的にも肉体的にも楽になったなあ…って。

 

 

私の家族は明るく楽しく優しく良い人たちの集まりだと思っていた。

皆、何かをしてあげたら「有難う!マナちゃんがいてくれて本当にたすかっているんだよ」なんて、これでもかと言わんばかりにたっぷりのお礼の言葉を返してくれた。

 

だけど、なんだかしんどい。

家族なのに…しんどいと思ってしまうなんて私はなんて冷たい人間なんだろう。

 

皆あったかくて優しくて正直で…そんな中で私だけネガティブで疑い深くて。

周りの家族に合わせて「良い子」のフリをしてみるものの、そんな自分が気持ち悪くて。

 

みんなが「大丈夫、うまくいくよ!」とポジティブな言葉をかけあっている時には私も一緒にポジティブな言葉をかけて作り笑いをしていたけれど、心の中では「いやいや、どう考えてもやばいだろ」なんて思ってしまう時もあった。

 

結局その時の結果はうまくいかなくて散々な結果になったけれど、なんとか言葉を紡ぎ出して丸め込んで「次に生かそうよ」なんて言ってその場をごまかした。

 

私はほとんど関係が無い状況でも、トラブルになりそうなものは察知できてしまったし当事者でもないのに尻ぬぐいなんてしょっちゅうやっていた。他人の悩みや苦しみだってさんざん聞いてきた。

 

皆私を「良い子」だと言って、私が何かすれば「崇め奉らんばかりの感謝の言葉」を述べた。

そんな皆を何とか助けたかった。

良くないことが起こった時には次はうまく解決できるようにアドバイスも全力で送った。

とにかく「良い子」でいられるように努めて「周りの人が誰もしんどい顔したり悲しい気持ちにならないように」と自分よりも他人を無償で優先して守り続けてきた。

 

他人を優先したり良い子で居続けることはなんだか苦しくて、ずっと「気持ちのどこかが暗い感じ」がしていた。楽しいはずのお出かけや行事の時もずっと気持ちのどこかが暗くて重くて何かを警戒していて、「全力でその場を楽しむ」なんてことは皆無だった。

 

ずーっと他人の為に全力。

だけどいつまでたっても「トラブルが起きる→解決する→感謝する→ハッピーエンド」で終わらない。

 

ずっと「トラブルが起きる→解決する→感謝される→次のトラブルを持ち込まれる」の繰り返し。何時まで経っても「次」「はい、次」と新しいタイプのトラブルが持ち込まれる。

 

さすがに私も自分の家庭が出来たころ、家族や周りが巻き起こすトラブルを解決しながら自分の家庭内のことも回していくという大谷選手もドン引きの二刀流生活が辛くなってきた。

 

あまりにつらいのでなんでこんなに次から次へとトラブルが起きるのかよくよく観察してみると、トラブル源は先の事を全然考えていない人ばかりだった。

 

「よく考えずに人をまるっと信じたり喧嘩を売るような言葉を言ってしまったり」など「コレをやってしまうとどうなるのか」をまるで考えていない。

私の「コレはやめておいた方が良い」と言う「今後のトラブル回避法」をあっさり無視して「案の定」な予想できたトラブルを巻き起こす。

 

そこで「きちんと反省」したり「謝罪したり」「何が悪かったのか原因の究明」とか「上手に考えて・立ち回って」くれればそれ以上トラブルが悪化するようなことは無いんだけど、見事にトラブルが最大限悪化するような一手を繰り出す。

 

そしてトラブルが最大限悪化して、どう考えても自分が悪いのに私に「トラブルが悪化した愚痴」「相手の文句」などを訴えて「全力で被害者面」してくるのである。

 

「さすがにコレは私もヤバイかもしれない」と思って全力で解決を目指したり・助けてもらえそうな人にアドバイスをもらったりしながらなんとかギリギリトラブルを解決する。

 

するとその原因を作った人は大地を揺るがさんばかりの感謝を述べる。

 

けれど数日後に、不機嫌な顔しながらまた新しいトラブルを私のもとに運び込んで全力で愚痴を言い始めるのである。

 

 

永遠に続くのかと思わせるくらい、この繰り返し。しんどい。

 

もともと私に人助けをいくらでもできるスキルやキャパシティなんか無い。

 

ネガティブを最大限生かして、原因を作った人や迷惑を被った相手方の様子や言葉や状況の説明なんかから一つ一つピースを拾って集めて組み合わせてそこから最悪の状況を想定して、どうやったらこの難解なパズルがばらばらの粉々にならずに見た目だけでも何とか丸く組みあがってくれるのかを考えて行動したりアドバイスしたりしているだけなのだ。

 

段々腹が立ってきた。

私がこんなに一生懸命アンタらのことを考えているのに、アンタらはケラケラしながら無限にトラブルや愚痴の原因を巻き起こしてこちらに全部投げてくる。

 

「マナちゃんがいてくれて本当にたすかっているんだよ」なんて言いながら。

 

そもそもこちらはこんなに全力で、トラブルを回避できるであろう逃げ道までアドバイスしているというのにあいつらは何一つ聞いてないし覚える気もないらしい。

返事だけはやたらと元気が良いし「確かに!」「本当にそうよね」なんて立派な相槌をかましてきていたくせに。

 

トラブルを起こしてそれをこちらに投げて愚痴ってちょっとスッキリして、そうこうしてたら誰かがそのトラブルを解決してくれてるから何も学ばない。

 

真正面からトラブルにぶち当たりに行く人間に、私が人生や自分の守るべき家庭の時間を費やしてまで付き合い続ける義務があるんだろうか。

 

どう考えても「周りの事を考えているようで考えてない」「ポジティブの意味を間違っている」「人の話を聞いていない」「トラブルについて自分で考えて解決まで持っていけない」「私の話は覚える気もないのに、良く分からない繋がりの人間が持ってくるマルチなお話は即信用」「何がどうあろうが自分が被害者」「トラブルは誰かに尻ぬぐいしてもらおうという甘え」…こんな負の考えを持っているような人とは家族とはいえつながり続ける気力も体力も無い。

 

そりゃあ「有難う」って感謝されれば悪い気もしないし「まあ、お礼言ってくれたし」「困ったらまあ、また助けてあげようかな」なんて甘い気持ちも湧くし、困った時に頼られたら「私が守ってあげなきゃ」なんて使命感にも駆られたりしたけれど、さすがに疲れてしまったわ。

 

有難う、有難うって感謝の言葉を口にしながらどんどんトラブルや雑用を押し付けてくるような人は「家族だから」「仲がいいから」「関係が悪くなったら困るから」なんて言いながら曖昧にズルズル助け続けないでそっと離れる勇気が必要。

 

「困っている人がいる、だから助ける」は一見美しいけれど、そこから「今回助けてくれたから、次もこの人に助けてもらおう」と「1つあげると2つ目、3つ目…と無限に持っていき続けようとする相手」は避けるべきだなって。(命がかかっていたら話は変わるけど)

 

なんだかんだ自分に言い訳をして「あの人はほんとは良い人だから…」と、なんとかギリギリ保ち続ける人間関係。

 

それは自分にとっても「相手をただひたすら助け続ける」というしんどい関係にしかならないし(そういう奴は基本こちらの助けになってはくれない)、相手にとっても「自分で失敗してそこから学ぶ」機会を奪い続けることになってしまうから。

 

助けるなら「そこから依存が始まらない・自分で考えて動く能力がある人」かどうかを確認して助ける。

そして自分も助けてもらう機会があったら感謝を忘れず「相手に依存はしない・自分で考えて反省して改善する」人間でありたいと思う。

 

最後に、環境を変えて感じたことだけれど、あのころに苦しんでいたようなトラブルを今私の周りにいる人は一切持ち込んでこない。

 

少し寂しいくらい私に依存する人間がいなくて、皆自力で自分の事をやっている。

 

最初はつまらなく感じた時もあったけれど「私たちに深く立ち入らず・適度な距離を保ちながらも各々が自分の事を自分たちで解決していく」この環境おおかげで、私も自分の為に時間や気力やお金を使っていくことを覚えられたしそのおかげで以前よりも多くの事ができるようになった。

 

そもそも、ちゃんとした大人はそんな、週に2つも3つもトラブルを起こしたり愚痴を巻き散らかすようなことは無いんだなっていうのも学びだった。

 

まともな大人は「娘」「孫」「同僚」「友達」…そんな相手にトラブル解決を求めたりなんかしない。

 

自分はほとんどトラブルなんか起こさないのに、周りの人間が起こしたトラブルの尻ぬぐいばかりして気が休まらない人は「自分が依存されていないか」「他人を助ける事に依存していないか」よく考えて、もしそのまま人生の大切な時間を他人のために浪費するのが嫌だなと思った場合には「依存相手から徐々に手を引く」「自分の為に時間を使う事を覚える」「できることなら楽な環境を探して移る」など何らかの対策をしてみてはどうだろうかと思います。