ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

私が選挙について思う事からの自分語り。

選挙。

 

私にとっては なんか良く分からないけどまあ何となく投票だけはしとくか みたいなものです。

 

とはいえこれでも選挙への取り組みに関して私の中ではマシになった方で、実家にいたころには祖父母や両親の言いなりになって何も考えずに投票していました。

 

アラフォーの今でも詳しい事は良く分からないけれど、私なりに選挙について思う事や考え方についてまとめていきたいと思います。

 

 

選挙について思う事その①:みんな、どこの誰???

選挙だーってなったあたりから急に湧いてくる立候補者。もうすでに有名で名前を聞いたことがある人やその子孫の方なら「あーなんか聞いたことあるな」ってなるし、街頭演説とかやってて見たことある人だったら「あーみたことあるな」ってなる。ポスターはキメ顔で撮影してる率が高いから実際に本人見てもあんまりピンとこないけど何となく名前だけは刷り込まれる。だけど正直言うとマジ「誰?」状態。

だって知り合いでも無いしどんな人かも知らないし、選挙の時だけワーッて湧いてきて選挙期間が終わったら見かけることすらない。普段どこで何やってるの?どんな人なの?こちらから情報を取りに行くことも全然ないからまったく分からない。

 

 

選挙について思う事その②:家族や会社からの圧がすげえ。

我が家は祖父母が「〇〇さん(立候補者)にはお世話になっているから投票しろ」とかめちゃめちゃ言ってきてた。「困った時には〇〇さんが助けてくれるから」とか。

だから私の両親とかも言いなりになってなにも考えずに投票してた。「そんなにお世話になってるんなら!」っつってもう言いなりよ。

 

だけどね、お世話になっているっていう割には挨拶に行ったり来たりしてんの一切見たこと無いし、近隣トラブルが起こった時に祖母が「いざとなったらうちには〇〇さんがついてるから」みたいなこと言ってたけど結局一切助けてくれることは無かった。

なんなの?「うちのバックには怖い人が付いてるぞ」みたいなやつ。虎の威を借る狐みたいなやつ。勝手に威を借りられて虎もビックリしてそうだけど大丈夫なの?ていうか「嘘コネクション」マジでだせぇからやめてほしいんだけど?

 

んで、会社は会社で「取引先が〇〇さん応援しているからお前も〇〇さんを応援しろ」みたいなこと言い出して、ほぼ強制的に「応援してる人が書く名簿」に名前書かされる。全然応援してない候補者を強制的に応援させられる。これってパワハラじゃねえの?それとも田舎企業しかこういうことやってないの?ていうか候補者の人も応援してない人間が応援してるふりしてくるの嫌じゃないの?数さえ集まればいいの?

有名な候補者やその子孫が選挙に通ってしまうのは、この謎の圧力かかった組織票のせいじゃね?あんだけ色々〇〇ハラって言う割にはこの圧力は問題にならないのね。

 

周りにも「家族が言う人に投票した」とか「会社に言われたからしょうがない」って人多かった。選挙=誰かが指示してきた人に仕方なく投票しに行く行事 みたいな。そりゃ投票しに行かなくなるのもしかたないよ。なんかめんどくせえもん。

 

そういや名簿に名前書いたらさ。次の選挙の時にダイレクトメールとか届く。いらん。マジでいらん。即廃棄。ていうかエコとかええの?紙めっちゃ配ってくるやん。自己紹介状みたいなやつに名刺。たまに2回目・3回目と同じのが手に入る。だからいらんて。まじでエコエコ言いながらめちゃめちゃダイレクトメール送ってくれてカタログもガンガンつけてくるフェリシ〇くらい意味が分からないんだけど世の中大丈夫?

 

 

 

選挙について思う事その③:そのスローガン、どうやって実現するの?

選挙の時期になると新聞に立候補者の人が「私はコレを実現します」みたいなスローガンを書いてる。

大きな党の人のを読んでると、マジで耳障りの良い目標ばっかりで具体的にどうすんのか一切書かれてない。こんなの会社とかで提出した日には「おめえコレどうやって実現する気じゃあ!!」「もっと具体的に何をどうすんのか書けボケェ」っって即フルボッコにされそうな感じなのにそれでよく新聞に載せたな???

逆にどこにも所属してない人なんかは目標を掲げて、その下とかに小さい字で補足をしっかり書いてたりする。そうそう、そういう具体性が欲しいんだよこっちはね。

フワーッと小綺麗な夢を追っかける人と〇〇と〇〇をこのようにして夢を追います!って具体的に夢を追っかける人なら具体的な人を応援するでしょ。たとえ実現が不可能だとしても。

 

 

選挙について思う事その④:パパはおうちにいますか?

いや、マジでコレ。デカい党の人普通に言ってくる率が高い。

「家主の方はお家にいらっしゃいますか?」って。玄関に現れたと思ったら出合い頭に。それも子供に見える訳が無い巨体アラフォーの私に。嘘だろ???ってなる。こっちも大人なんで普通に爽やか対応するけど。

 

送り付けてくるハガキにも家主の名前しか書いてないし、表に家主が居た日には嬉しそうに挨拶を交わしてる。マジ家主しか見えてねえ…私たちは透明人間?おかしいな。ついさっきまで人間として生活してたはずなんだけどな?まあ分かりやすくて助かるよ、お前に私の一票は入れぬ。…だけどこんな人たちが選挙に通っちゃうんだよ。みんな、有名な議員の名前とか党とかに騙されずに本人のやってること見ようぜ。挨拶して一言かわすだけでもなんとなーくだけど人柄が見える。まあマジで一生懸命頑張ってるデカい党の人もいるだろうし全員じゃないけど。「あなたは眼中にないんですよねー」って雰囲気とかなんかしっくりこない感じとかあったら誰が投票しろと圧力をかけてきても投票したらダメ。

ちなみに身軽に動ける立候補者の人は送ってくるハガキに家族みんなのなまえがあったりして皆に対して訴えかけてくる感じがある。だから私は一生懸命頑張る人を応援する。

 

 

そんな感じで私なりに思う事書いてみた。ほぼ愚痴みたいなものに近い。テヘヘ。

 

選挙って投票所に行くのからして面倒くささしかないんだけど、でも自分の意志を通す練習になるから。なにも考えずに祖父母や両親の言うとおりにしか動けなかった自分が初めて彼らの言うことに反抗したのが実は選挙。

その時も祖母から「〇〇さんにはお世話になってるからアンタも〇〇さんに投票して!わかったね!?」って強く言われて。最初は言う事聞いておこうか…と思ったんだけど、ずっと・ずーっと「お前はいい子で聞き分けがあるからこちらの言う事を理解して言う事をきいてくれるよな???」という圧が凄い中生きてきて、もうオバサンと言われてもおかしくないくらいのいい大人になる年齢なのに聞き分けの良い子を演じ続けてる自分に違和感を感じてて。

 

祖母の「〇〇さんに投票しなさい!」に対してニコニコしながら「うん、わかったー」って返事はしたものの一瞬ムカッとした自分がいて。

 

「あれっ、今わたしムカついた???なんで???」みたいな。

 

そんでじっくり考えた。私っていい歳なのに自分の意思もほぼ無くて「相手の言う事聞いとけばいっかー」「自分で考えなくてもいいから楽だしー」「コレも親孝行・祖父母孝行ー」「嫌な事も私が我慢しとけば丸く収まるー」みたいな仮面をかぶってはいるけど実際は「なんでそんなことまでいちいち指示されなきゃいけない?」「なんで私の好きなようにやらせてくれない?」って気持ちも奥底にあるなあってことに気が付いて。

 

ドッキドキしながらも平静を装って投票行って、祖母の言った人じゃない人に投票したよね。

 

もちろん祖母の「〇〇さんに投票してくれたよね!?」にはできる限りの笑顔で「うん!」って答えたけど。もう内心はバクバクしてた。

「祖母の言った人に投票してないのバレたらどうしよう!!?」って気が気じゃなかった。嘘ついた自分に罪悪感も感じたし家族に申し訳ない気持ちが凄かった。

 

だけど、私が誰に投票したかなんて最後までバレることなんかなかった。

結局祖父母が応援してた人が選挙には通っていたけど。

 

そこで私は「嘘をつく=悪い事・罰せられる事」じゃなくて「嘘をつく=自分を守る」っていう場合もあるんだなってことを学んだし、もう大人なのに他人の指示通り生きる人生って変だしつまらないなって思った。私は誰がなんと言ったって誰にに投票したって自由だし親や祖父母の目を気にしないでどこに行ったって良かったんだ。両親祖父母の言う正解と私の正解ってきっと違う。

 

私は「育ててもらった恩を返さなきゃ」と思って自分の意志より両親祖父母の言う事を優先して、彼らが言うとおりに生きて高校も就職先も結婚式でさえも言うとおりにした。だけどそれをずっと続けたところで産み育ててくれた恩って返せるものなの?

 

そもそも恩って返さなきゃいけないものなの?

 

酔っぱらった父親が「今お前や兄弟が元気に生きていられるのは儂が一生懸命働いたおかげだからな!」と毎晩のようにすり込んできてたから、それに引っ張られてしまっていたのかもしれない。「恩を返さなきゃ!」と。

 

ていうか父も母も自分の両親に対して恩を返している様子はないし、私の兄弟も親に恩を返すどころかトラブルを持ち込みまくって好きにやっている。

自分の本音をギリギリ締め上げて「恩を返さなきゃ」「いい子でいなきゃ」「皆を助けなきゃ」と苦しんでいるのは自分だけ。

兄弟にお金がかかるからお前はお金がかからないようにしてくれと言われ続けたからご飯を食べないようにしていたらだんだんご飯が欲しくなくなって、あっという間に5キロ体重が落ちてそれでもご飯が食べられなくて、それどころか食べたら吐くようになってしまうまで勝手に追い込まれて行ったのは私だけ。

 

皆のことは私が守るよ。

だけど、私の事は…だれが守ってくれるの???

 

手がかからない子を演じ過ぎて、いつの間にかだれも私を心配しなくなってた。

「この子は手がかからないから助かる」というのは幼少期からめちゃくちゃ言われまくったけど、それを続けてしまうと「この子は放っておいて大丈夫」になりそのうち誰も気にしなくなってしまう。関わってくるのは皆が私に用事を頼みたいときか愚痴を聞かせたい時くらい。

 

ああ、私は透明人間みたいなもんになってしまったな…なんてちょっとかなしくなったけれど、よく考えたら逆に好都合で。どんどん透明になって好き勝手してやろうと思った。

あれだけ他人の為に動いて相手を守る気持ちがあったんだから、それを全部自分と自分が本当に守りたいものに向けよう。だって祖父母も両親もわたしよりずっと大人で仮に私が居なくなったって自分たちで普通に毎日を暮らしていけるんだから。私が守ろうと・助けようとしなくたっていい。他人に向けてた目や力を全部自分の為に使う。

 

 

そう決めたら気分は最強。

選挙なんかもう、最初あれだけバクバクしたのが嘘みたいに年を重ねるごとに好き勝手投票するようになった。最初は誰にどう投票していいもんなのか分からなかったから面白そうな名前とか党に投票してて。そしたらだんだん「誰が実際なんなのか」とか気になり始めてそこで初めて新聞の選挙関連情報というものに目を通すようになった。

 

「新聞の選挙情報なんて面倒くさくて良く分からないだろうなー」と思っていたけど予想外に読めたし知らない情報もたくさん手に入ってそこで初めて新聞も良いもんなんだなと知った。

 

 

そして色々あって今に至るけど、若いころの自分より今の自分の方が好きと言える人生を送れるようになってて、選挙も相変わらず詳しい事は良く分からないけど自分なりに投票だけは行ってる。

 

投票なんて行かないよという人に「投票に行こうぜ」なんて訴えたいわけじゃない。

私は、もし自分と同じように何も考えずに周りの圧に流されて「応援する気がない候補者に投票」させられている人に「もしかして大切なあなたの人生、誰かの言いなりで送ってないかい?」「納得してるなら全然大丈夫だけど、どこかにモヤモヤを抱えてるなら何かしら行動してみないかい?」って囁きたいだけ。

 

だって「何となく」とか「仕方ない」にまみれた人生から目が覚めるのは一日でも早い方がいいから。

 

 

初めて5800円の黒字になった家計管理方法。

世の中に様々な種類がある家計管理方法。

私も雑誌やインターネットで色んな家計管理方法を検索しては試し、いつの間にか自己流に崩れてそこから管理がいい加減になってきて挫折するというのを繰り返してきました。

 

その家計管理方法を編み出した人の言う事をキッチリと守り続けることが出来れば私も成功できたのでしょうけれど、どうにもこうにも守り続けることが出来ない。

 

 

止まらない、お金が足りなくなったらちょこっとお金をおろすための銀行通い。

 

止まらない、必要な物を買うだけのはずが予定外の物まで購入してしまうスーパー通い。

 

止まってほしい、夫による今すぐ使わないけれどあったら便利だなという言い訳のインターネットショッピング。

 

 

生活情報系の雑誌の家計管理方法の記事を読んでは、そのお家の総収入の高さに愕然として。

 

「私は働けるのに・子供いるわけでも無いのに家に居るからこんなにお金が無いんだ。荒れ地を開拓している場合じゃないのかも…。」と自分を責めたり、急に副業しなきゃ・私も働かなきゃと焦りはじめたり。

 

貯金しているはずなのに増えない貯金額。

 

どんどん増えるクレジットカードの請求に青ざめて。

 

夜に夫とお金の話なんてしようものなら喧嘩に発展。

 

無駄遣いなんてしてないはずなのに、なんでこんなにお金がたまらないの?

必要な物しか買ってないよ私。なんでこんなにカード請求がすさまじいの?なんで毎月軽々14万とか請求が来るの?

 

無理だよこんなの!

家計管理なんて私やりたくないよ!!

 

でも夫に家計管理を任せようものならすぐ趣味に使われてしまうことは明らかなので私がなんとかするしかない。

 

「アラフォーにもなって貯金ほぼ無しは悲しいからマジでなんとかしなきゃ!!!」

 

そう思って、ブログにあれこれ書きながら色々挑戦したけど挫折して。

 

色々考えながら「他人のやり方を参考にするからだめなんじゃないか?」と思って。

 

人によって収入どころか給料日も請求日も締め日も違う。

家族構成も必要な物も何もかも違う。

 

それなのに無理やり誰かが考えた枠にはめ込もうとしているから難しい。

 

他の人がどうやっているかよりも、自分の家の今の家計はどうなっているのかをもう一度きっちりと考えてみる。

 

今月いくら収入があって、今月中にどれくらいの支払いがあるのか。

特別な出費は?ガソリン代は?いくら残ってどれくらい食費や日用品に使えそう?

 

適当な紙でもスマホアプリでもいいからひと月分の収入と出費の予定をざっくり見積もって全部入力する。その時点で赤字になっても気にしない。

 

その後暮らしながら買い物した金額を入力しつつ、最初に見積もった金額も正式な物が分かり次第入力する。出費があったらとにかくすぐに記入・入力。後に回すと絶対に忘れるし、覚えていても妙に面倒くさくなってしまうのでとにかくお金の移動は即記入・入力を心掛ける。

 

「それが出来ないから・面倒くさいから続かないんじゃん」と私も思っていたし、なんならめんどうな記入をしなくて済むように一か月予算を決めてその中で過ごし家計簿なんて一切つけないみたいな方法もやってみたけど、自分が何にどうお金を使っているのかを把握しないと簡単に予算オーバーして大赤字になるので歯を食いしばって家計と向き合うことにした。

 

そうして一か月の見積もりをして支出のデータを取りながら、入力時にレシートにざっと目をとおす。自分は今日の買い物で何を買ったんだろう。レシートを見ただけでは思い出せない物も頑張って思い出してみたりする。家で冷静にレシートを観ていると「なんでこんなの買ったんだろう?」と思うものもある。その気づきが大切で、次の買い物の時に「前コレ買ったけど微妙だったから今回はやめておこう」なんてストッパーになってくれたりする。

 

クレジットカードの請求もネットで予定金額とか分かり次第さっさと入力してしまう。

 

我が家はクレジットカートの管理だけは何故か夫が行っており詳細は報告されない。

いつも引き落とし日前になけなしの貯金を切り崩して残高を多めに調整し、震えながら引き落としを待って・その後記帳しに行って引き落とし金額に青ざめながらも無事に引き落としが完了してホッとしていた。

 

しかし毎月毎月銀行を駆けずり回ったりクレジットカード請求額におびえたりなんとも心臓に悪いしストレスもたまるので、クレジットカード関連を聖域にするのはやめた。

 

毎月明細が分かりそうな時期に夫に金額を聞くことにしたし、あまりに引き落とし金額が多すぎる時には明細を見せてもらうことにした。

 

そしたら夫がめちゃめちゃETCカード使いまくっていることが発覚。仕事でショートカットするために使い込んでいたらしいのだが、それを私にずっと黙っていたのが許せなかったので夫のお小遣いを1万円へらしてやった。仕事の為とはいえ許せぬ!成敗じゃ!!!

 

 

そうやって、いろんな事を明るみに出しながら一か月の終わりにはどのくらい赤字になったか。それともお金が残ったのかを知る。まずはきちんと知るだけでいい。

いくらお金をもらって、いくら支出の予定があって、いくら生活に使って、残りはどのくらいあるのか。特に残りはどのくらいあるのかを常に把握しておく。その時点で赤字なら出費をできる限り必要最低限にする。

 

クレジットカードの請求で大赤字になっていても、食費が思ったよりかかっていても焦らない。今ここで知らなきゃずっと大赤字をたたき出しながら残高の増えない貯金通帳を不思議に思いながら暮らしていくところだったんだから。ここで気が付けて良かったんだよ本当に。

 

こんな感じでとにかく自分の家計がどうなっているのかを知りながら、特に必要なかったものや今は使っていないもの・買ってみたけど納得できなかったものなどをそぎ落としていく。失敗は次にいかす。

 

とにかく毎月、自分の家計をしりながらコツコツ暮らし続けて行って、ずーっと大赤字だった家計が今月ついに5800円の黒字になりました。

小さな金額かもしれないけれど、今まで家計を管理してきてお給料の範囲内で暮らしきれたのは初めて。私の中では大成功。

 

私はこんな感じで大赤字家計管理の闇の中に一筋の光が見えてきたけれど、とにかくどんな方法であれひと月のお給料の範囲内で暮らしきることが出来る方法を編み出せたらひとまず大成功だと思う。面倒くさくてもだるくても、そこをひとつ踏ん張って。「だって仕方ないじゃん」とあきらめない。

 

それができるようになれば「貯蓄できる家計」に変わっていける足がかりになるはず。

 

3月がどうなるのかは分からないけれど、4月・5月の自動車税に少しでも備えたいからできる範囲で自分の家計の把握を続けていきたいと思います。

 

 

怒るの疲れるから。自分のコンディションをこまめに把握して怒る回数を減らす試み。

私には1か月に一度物凄くイライラして夫と大喧嘩する習性がある。

 

今まで普通に受け流せていたはずの事たちが、実は受け流せておらず。

それどころか積もりに積もっており、大喧嘩の際には「あの時言われたあの言葉を未だに根に持ち恨んでいる」だの「これからは改善すると約束していたアレもコレも全部改善されること無く以前の状態に戻ってしまっている」だの「かなり過去に起こった内容」まで自分の口から飛び出してくる。

 

怒っている本人も「よくそんな昔の事覚えてるな私」とビックリである。

 

さすがにもう年齢的に良い大人なので、人相変わるくらい激怒して怒鳴り散らかすという子供っぽい怒り方からは路線を変更した…いや。違う。年齢とか子供っぽいとかいうよりも、どちらかというとそこまで怒鳴って激怒し続ける体力がなくなった。

 

怒れば怒るほど・怒鳴れば怒鳴るほどに頭に血が上るのかフワーッとしてくる。酸素も足りない気がしてくる。もうちょっと頑張って怒ればパタリと倒れそうである。

 

あぶない。非常にあぶない。

私の体調的にもよろしく無いし、1人怒り狂って勝手に倒れて病院送りにでもなろうもんなら今後一生笑われるかもしれない。怒るたびに「また倒れるぞ」ってにやにやされるかもしれないし、だいぶん下火になったとはいえコロナ関連で忙しいであろうお医者さんに「怒りすぎて倒れました」なんて言ってお手間を取らせるわけにはいかない。

 

そんなことを考えながら、私の激怒スタイルは「怒って怒鳴り散らかす」スタイルから「言いたい事をキッチリまとめてとにかく冷静に詰めていく」スタイルに変更した。

 

実際、怒鳴ったって相手には「怒ってる」事しか伝わらない。

怒れば怒るほど言葉にまとまりは無くなるし、普段思ってもいないようなひどい言葉が出て来たりするし過去の古い話まで蒸し返してしまったりする。

色々と言い過ぎた結果、相手には「私が何をどうしてほしいのか」が伝わっていなかったりもするし、怒るとアドレナリンなんかがでてくるのかもう止まらない。相手の話を冷静に聞くことがほぼ不可能になり自分の言い分だけをぶつける形になってしまう。

 

だからこそ、喧嘩することによって自分が何を相手に伝えたいのかを考えるようにした。

 

話がややこしくなるから、たとえ不完全燃焼だとしても過去のいざこざや恨みつらみは引っ張り出してこない。あくまで、今現在起きている問題について話し合って対策を練る。

 

物に当たったり悪い機嫌を振りまいて感情で相手を怯えさせたりコントロールしようとしないよう心掛ける。不機嫌の巻き散らかしをやってしまったら自分をコントロールできるように「その場から離れる」「時間を置く」等少しでも楽になるような改善策を考える。(怒りに任せて投げた家具を、怒りが冷めてからいそいそと自分で拾いに行く姿は己のことながら結構イタイ。本当やめよう。)

 

そして相手はこちらの言い分に対して何をどう思っているのかも「怒っているは私なのだからイニシアチブはこちらにある!相手に弁解の余地など無い!!」などと頑なにならずに、右から左に受け流すだけでもいいので聞く。言い分の揚げ足を取って怒ったり話を遮ったりせずに頑張って聞く。頑張れ耐えろ耐えるんだ。自分のターンが来たら一斉攻撃で撃破だ!!それまで耐えしのぶんだ頑張れ!

 

「察してくれる」「分かってくれるはず」みたいな妙な期待を相手に押し付けていないか。自分の言っていることは少しは相手の為になるのか。ひとりよがりになっていないか…。

 

 

「いちいちこんなこと考えながら生活していられるか!!」

「会社じゃあるまいし細かいルール作るんじゃねえ!」

「なんでこっちばっかりこんなゴチャゴチャ考えて我慢しなきゃいけねーんだ!」

 

…そりゃそうですそのとおり。

私だって常にこれだけの事を考えて生活なんてできませんし、もうどうにもならない怒りが湧いてきてしまったら理屈じゃ止まりません。

 

だから「怒って怒りを発散したいのか」「相手と問題を解決したいのか」みたいに「今自分は何を求めているのか」をベースに考えます。

 

どうにもイライラして止まらなくて、周りの悪いとこばっかり見えてきてしまう時には喧嘩…も仕方ない。

だけどその喧嘩ほんとに自分が望んでるのか。もしかしたら自分の体調的な物や精神的な物が影響していないか。

 

私の場合は生理前1週間あたりに周りの人に足りない所や悪い所なんかが目につき始めてイライラが募ってくるという習性があることが分かってきており、喧嘩をしてしまうのもそのあたり。なのでイライラの種を集め始めた自分にいち早く気が付けば違うご機嫌の取り方を試せます。

 

今のところ一番効果があったのが「運動する」でした。それもジム行くとか特別な運動じゃなくて縄跳び持って外で二重飛び10回達成したら終わりみたいな「一瞬全力で頑張る系」のやつ。縄跳び全然できないし10回達成できなくても疲れたら速攻でやめる。10分もかからず終わるし、そのあと部屋でゴロリと横になって伸びをすればイライラはどっか行って至福のひととき。その後の精神状態も妙に安定しています。

 

「お出かけ」「カフェ」とかも一時しのぎにはなるんですけど、結局家帰ったら何も変わってない同じ状況がまっているんですよね。ストレス発散しちゃえと買い物して買い過ぎた時には「お金使いすぎちゃった…」なんてもう一つストレスを抱える羽目になったりもします。

 

まあこんな感じでゴチャゴチャ考えながら色々と試行錯誤した結果「自分の精神・身体のコンディションをこまめに把握する」ことと「そのコンディションを整えたり改善したりできる技を身に着けておく」ことが「怒る回数を減らす」ということに関してはかなり有効じゃないかなあと思います。

 

ニュースの手のひら返しが凄すぎる件。

サッカー、すごいことになってますね。

 

私はニュースでどう言う結果になったのか見るくらいなんですけど、そのニュースが何ともまあ感情的で見ていて疲れてしまうのです。

 

最初ドイツ(?)に勝った時には「歴史を変えたぞ日本!」「サムライブルー!」「感動で涙が止まらない!!」みたいな感じでチーム関係者の家族とかにまで取材してコメントを求め大騒ぎだった。

 

それなのに次の試合で負けたら「よその国では日本チームの監督は素質がないと報道されている」みたいなネガティブなニュースをガンガン流して。

 

散々マイナスな言葉を流しておきながら、その次の試合で勝利したら「ウオオオオニッポォォン!」「サムライブルゥゥゥーー!」「いよっ!監督の名采配!」と褒め称えて「実は選手同士で幼少期にこんな絆がありました」「こう言う少年とこんな約束してました」みたいな美談をいろんなところから見つけてきてガンガン流す。

 

見ていてすごく怖い。

 

頼むからちょっと落ち着いて欲しい。

 

NHKを見習って「今日起こったニュースや知っておくべきことを落ち着いて報道」して欲しいと思ってしまう。

 

スポーツで自分の国が勝っているのは、特にそのスポーツを応援してない人間から見てもすごいなぁと思う。

 

だけどニュースまで感情的になってサッカー一色になった挙句にめちゃめちゃ褒め称えたと思ったら結果が悪かった時には貶し、そしてまた良い結果が出た時には褒めちぎって。

 

そうやって意見をコロコロ変えて手のひらをグルングルン回すような人たちの言うようなことを、私は信用したくないなぁと思ってしまう。

 

テレビだしスポンサーとかそういう関係もあるだろうから仕方ないのだろうけど。

 

なんかもうちょっと、ニュースの人たちには落ち着いて欲しい。最近すごく、そう思う私なのでした。

 

プラスチック削減したいのかしたくないのかどっちなんだい。

家族用にコンビニで昼食用のお弁当を買った。

 

ぱっと見た感じ量が少ない感じがしたけど、いろんなものの値段が上がっているから仕方ないよなあと思いながら買った。

 

家に帰って昼食を済ませて、とりあえず食器類を洗った。

 

ついでにコンビニ弁当の容器も洗っておこうかと手に取ると、どうやら底が2重容器になっているようで2つに分かれた。

 

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写真の黒い容器とその下にある茶色い容器が重なって上げ底するシステム?

 

これを見て私は、プラスチック削減なんて結局見せかけみたいな物なのかも知れないなぁと思った。

 

だっていちばん底部分にあたる茶色い容器はとてつもなくガッチリとしていてゴツい。

素材の違いなどあるかもしれないけど、我々が一生懸命削減しているビニール袋何枚分だろうか。

 

そしてこのコンビニはパスタを買ってもプラスチック削減のためにプラスチックのフォークではなく割り箸を渡すとか聞いたこともあるし、他のコンビニでもプラスチックスプーンの持ち手部分を肉抜きしてプラスチックを少しでも削減しようとしていたりする。

 

そう言う努力をしている割には、弁当容器にはプラスチックをふんだんに使ってガッチガチに上げ底しまくっていたりする。

 

果たしてプラスチック削減をしたいのか・したくないのか。どっちなんだい。

 

 

環境を守るためにプラスチック削減しようと言うのはわかるし協力したいとも思う。

 

しかし「一方では削減しているのに、違うところではガンガン使っている」というダブルスタンダード的な状況を目の当たりにしてしまうと、こちらも協力するつもりが無くなってしまう。

 

そもそも弁当容器なんて高級弁当でもない限り2重タイプじゃなかった気がするし、コンビニもスーパーも普通に1重で販売していたではないか。1重で済んでたものならば1重で良いではないか。

 

量が増えたから頑丈さを確保するために2重になったとかなら分かるけど明らかに量は少ないし総重量も軽そうだ。2重にする意味は何なのだろうか。

 

小さな心がけでも少しずつ積み重ねていけば塵も積もれば山となるかも知れない。

できるなら一生懸命積み重ねているものが無駄にならないようにして欲しいし、プラスチック削減を推し進めた偉い人達には途中で意味や効果もきちんと検証して無意味なら方向転換したりもっと効果的な方法を探したりしながら、ただ単に「ビニール袋・ストロー・プラスチックカップやプラスチックカトラリーを削減しよう!」だけで終わらないようにして欲しいなぁと思う。

 

 

拝啓 義理のお母様へ。

この度は家族のコロナウイルス感染に対しまして、多大なるご協力を頂きまして誠に有難うございました。

 

おかげさまで感染していた家族は無事に回復し、テレビを見てゲラゲラ笑うくらいに回復致しております。

 

 

他の家族にウイルスが移らなくて本当に良かった。ほっと胸を撫で下ろしているところでございます。

 

ところで丸味◯の麻婆茄子の素がキッチンに置かれているのですが、これは今日は麻婆茄子を作れということで宜しいでしょうか。

 

冷蔵庫には立派な茄子が3本とパプリカ・しめじが置かれていたのは記憶しておりますので、これは通常の麻婆茄子ではなくパッケージ裏のアレンジメニューの方を作れという事でしょうか。

 

 

しかし、麻婆豆腐ならまだしも麻婆茄子はあなたの息子様のウケが非常に悪うございます。

 

夕食時に提供すれば、若干嫌そうな顔をしながら「…茄子。」とおっしゃいますし気分によっては茄子だけ残されます。

 

ついでに言うならあれは3〜4人用などと書いてありますが我々の夕食のメインにするにはなんとも中途半端な量であり他に何か料理を作らざるを得ません。

 

日によってお肉をすでに解凍していたり違う料理の下拵えをしている場合もありますので、ご自分の気分次第であのような「◯◯の素系」をポンと置かれても困ってしまいます。

 

ああいう「◯◯の素系」はお肉も少なく、ちょっと野菜の量が多くなれば途端に薄味になり量も微妙で、私としては「簡単に調理できるはずなのになんか扱いづらくてあんまり好きじゃないもの」でございます。

 

なので、なんとか使い切ってほっとしているのにすぐにまた買い足してストックするのはできればご勘弁願いたいところです。

 

私は「◯◯の素」を楽しく使い切っているわけではなく、台所にポンと置かれている◯◯の素を見て「ああ、これを作れってことか」と晩御飯の予定を変更して無理やり作っているだけでございます。

 

楽でありがたく使っていると言うよりも予定変更がめんどくさい・パッケージ裏面の作り方をいちいち見るのが面倒くさい・料理の提供をした時に夫が嫌な顔をするのが面倒くさいの三重苦で、実際は無理矢理使い切っていると言うのが実情でございます。

 

「◯◯の素」を使った料理を食べたいのなら、どうかあなたさまがお昼ご飯に作り・旦那様と美味しく召し上がられてみてはどうかと思います。

 

 

そもそもあなたは月一回くらいのノリで病院に通い「高血圧」とかなんかそっち系のお薬を3つほど毎朝飲んでおられるご様子ですが、ああいった◯◯の素は大丈夫なのでしょうか?

 

朝の菓子パンとバナナみたいな食事、時には野菜ジュースを毎朝飲まれていることもありましたがお医者様推奨なのでしょうか?

チルド餃子もやたらと買ってこられて作らされる印象がございます。味も付属のタレも大変味が濃いのですが大丈夫でしょうか?

 

その割には赤飯の素を「3合炊きでは味が濃いから4合炊きで作れ」とおっしゃいます。塩分に気をつけられているのかいないのか混乱してしまいます。

そして味が薄かったら味塩をかけようとのことですがなんか精神的に面倒くさいのでできればメーカーが推奨している分量で作らせていただけませんか。

 

赤飯の素じゃなく小豆を炊いて煮汁を用意して「これで赤飯を作ってくれ」とおっしゃるときもありますが、なぜか毎回「2回に分けて」「いつもより1合多く炊く」という「2日続けて赤飯生活」となります。それもお気づきではないかもしれませんが月1回くらいのノリで割と頻繁に赤飯デーがございます。

 

「嫌なら白ごはん炊いてくれたらいいよ」と逃げ道を用意してくださるのは嬉しいんですけど、炊いて用意された小豆と汁を見ると、正直嫌とは言えません。

 

炊き込みご飯は何度あっても美味しいものですが、赤飯はそこまで頻繁に食べたいものではございませんしやはりこちらも家族へのウケが悪いので、どうかそちらのお昼ご飯の際に赤飯を炊いて楽しんで頂くか、せめて1日分だけの小豆を炊いてくださいませ。2日連続赤飯は不思議な辛さがございます。

 

余談ではございますが、火の扱いにはお互いくれぐれも注意しましょう。

 

焼き芋を「コンロに焼き芋鍋」で作るのはかまいませんしトロリと柔らかな焼き芋を食べさせていただけて大変至福にございます。

 

しかしガスコンロが自動で火を消し散々ピーピー言っているのに2階に居られ音に気づいてなかったり、下手したらコンロに火がついているのに家の外の遠く離れた場所をテクテク歩いておられる場面を頻繁に目にします。

 

ガスコンロの自動消化機能もきっと万能ではございませんしセンサーはタイマーではございませんので、どうかガスコンロで火を使っている時にはきちんと近くで、せめてセンサーのピーピー音が聞こえる範囲までの移動でお願い致します。

 

ちなみにセンサーはきちんと解除するまで定期的に鳴り続ける為、私はすごく気になってしまいます。どうかセンサーが鳴り始めたら早めの解除をお願いします。

 

最後に、野菜の購入ペースの話なのですが今冷蔵庫の野菜室には大玉のトマトが7つに立派な茄子が3本・きゅうりもたっぷりございます。野菜室が夏モードとなっており大変驚きました。

 

今の時期にこんなりっぱな大玉トマト。

 

一体どこへ買い物に行かれているのでしょうか。車でお出かけしているものと存じておりましたが、もしやあの車はタイムマシンであり・時空を超えて夏の世界線へ買い物にでも行っておられるのでしょうか。

 

しかし夏野菜は美味しいものですが体を冷やすと申しますし、この免疫が大切な時期に体を冷やしてる場合じゃないと思いますので夏野菜は何卒ほどほどのお買い上げでお願いしたいところです。

 

ついでに今1玉目の白菜を使い切ろうと頑張っているところですが、気がついたら隣にもう1玉並んでいました。まだ1玉目が半分くらいありますので、そこまでスピード感を持って対応しなくても大丈夫だと思います。

 

あなたは基本卵やブロッコリーを茹でる・焼く系の料理で昼食を済ませておられます。

と言うことは野菜の消費をメインで行うのは私となります。私は野菜が痛む前になんとか使い切らねばならないといつも頭を抱えております。

 

物資の価格が高騰している今の時代にはいろんなものを買ってきていただけるのは大変ありがたい事なのですが、皮を剥くだけでも大変な小さめ里芋は調理が大変ですしやたらと皮がゴツいカボチャ4分の1個は翌日野菜室を開けるともう一つ増えて2分の1個になっていたりします。分身の術でしょうか。

 

カボチャは長持ちしそうな見た目をしていますが、割とすぐにタネの部分にカビがきます。

気がついたらタネの部分だけでも先に取るように心がけていますが、それを忘れて数日経つとすぐにカビます。ついでにこれも家族のウケが悪いのでできればそこまでお買い上げ頂かなくても良いと思うのですがいかがでしょうか。

 

日曜以外は大体買い物に出かけられておられるようなので、そんなに毎日野菜のストックをお買い上げ頂かなくても、その日食べる分だけの購入で大丈夫だと思います。

 

私も買い物に行ける手段を持ってありますので、もし足りないものがあれば責任を持って買って参りますよ。

 

むしろそれだけ買い物してなぜ家計が火の車にならないのか、そのコツだけでも教えていただきたい所存です。

 

 

長々と私の言い分ばかり書き連ねてしまいましたし、失礼な言い回しが多々あった事は大変申し訳ございません。

 

しかし、なんだかんだで私は実家にいた時よりもはるかに気楽に過ごさせていただいております。あの頃よりも元気になったし夫との喧嘩も格段に減りました。今までだったら手をつけなかったであろう様々なことをちゃんと自分の頭で考えながらやってみるということもできるようになってきました。

 

そういう過ごし方ができるようになったのも、あなた方義理のご両親が自分たちのやり方や考え方を押し付けたり強制することなく・私たちの意思を尊重して好きなように行動させてくれるからです。多分私の祖母タイプの義理母だったら自分の意思を持つことを諦めるかノイローゼになりながら戦うかの2択だったので、私はあなた方の暮らすこの家に嫁ぐことができて本当に幸運だったと心から思います。

 

いろんなことに挑戦してみるようになったとは言えまだまだ出来ない事も多い私ではございますが、麻婆茄子の素を「めんどくさい」と思わずに上手くアレンジして使ったり2日間赤飯が続いても飽きないように2日目の赤飯には甘栗むいちゃいましたを混ぜたりと「文句ばかり言わずにどうやったらお互いもっと良くなるか考えてみる」事への挑戦も始めましたので、色々と文句のような内容も書き連ねてしまいましたがどうか今後も暖かく…いや、生温かくても・別に暖かくなくてもいいので気が向いた時にでも見守って頂ければ幸いでございます。

 

それでは、お互いコロナやインフルに気をつけながら過ごしてまいりましょう。今日の晩御飯は麻婆茄子です。

 

        マナより

 

 

 

 

自分の感じたことを隠さない。

私、ブログとかでやりがちなんですけど

 

「あ、この内容でブログに書きたいなー!」とか「どこかに吐き出してスッキリしたいなー!」と思うことがあってはてぶろに新規作成でガーーーッと記事を書いた後。

 

「…せっかく書いたけど、万が一にもこの記事が回り回って本人の目にはいったらどうしよう」とか考えちゃって結局記事を削除するっていう。

 

なんというか「ネガティブなことは書いちゃいけない」みたいな?

 

「人のこととか悪口陰口になるようなこととかをあまり書いちゃいけない」みたいな?

 

「ポジティブじゃない受け止め方をしてしまう自分は良くない」みたいな?

 

だれも「ネガティブなことをブログに書いてはいけません」なんて言ってないのに自分で自分を添削して、ダメな部分が多かったら誰かに聞いてほしいようなことだってばっさり捨てちゃう。

 

どこかで「ネガティブなことは悪いこと。人前で堂々とできないことや言えないことはするべきじゃない。」みたいな感じの正義の縛りみたいなのが埋め込まれてる。

 

だから友達にさえも愚痴とか一切言えないし、夫にもよっぽど追い詰められて爆発するまで感じたことを吐き出せない。爆発ギリギリまで笑顔で対応。

 

昨日の義父の話のブログだって、載せようかそれとも削除しようか悩みに悩んで。

 

んで「なんでこんなに悩んでるんだ私?」ってところに辿り着いた。

 

 

もちろん誰かのことをズタボロに悪く言ったり人格を攻撃したりするのはダメだと思うんだけど、そうじゃなくて自分が自分以外の人間に対して感じたことをそこまで正義か悪か考えて、良いものでなければ蓋をしてしまう必要あるのかな?と。

 

私がそういうふうに思ったんだからいいじゃん。

 

自分の思ったことを書く場所なんだから好きなように書いたらいいじゃん。

 

よくわからない何かに気をつかって、自分の感じたことに蓋をして隠して。

 

それが積み重なってどこかで爆発するよりは、吐き出していい場所で惜しみなく出してスッキリすればいいじゃない。

 

 

だからブログの記事をアップロードした。

 

謎の罪悪感はあったし万が一本人にこんなこと書いてるのバレたら気まずいなとも思ったけれど、元々私はゴチャゴチャ深刻に考えすぎるところがあるし自分で自分にタブーを作りまくってしまうからもっと気楽にシンプルに「私がそう思ったからやった。」に方向を転換していこうと思う。

 

 

ていうか落ち着いて考えたら、こんなブログ界の末端の末端の大末端で記事を書いたり書かなかったり、ほとんど更新してないようなブログの記事が本人に届くのはほぼありえないじゃん!

 

好きにやろーっと。