ほんとにやりたい事があるけれど、とりかかるのが面倒くさい。
時折妙にやる気が湧いていきなり取り掛かって熱中してある程度進めてみるもののすぐにそのやる気は冷める。
そして「この前ある程度進めたし、まあ今日はいっか」「やる気出せばまたいつでもできるし」なんて一時の成果で妙な自信をつけてはそこで中断・放置・先送りする。
せっかく自由時間が確保できても、よくよく考えたら今しなくても良いであろう事に精を出して体力・精神を使い果たして自由時間終了。
やりたい事をやらなきゃと思いながら行う「今やらなくてもいい事」はなんであんなに楽しくて捗るんだろう。
なんで「やりたい事」ってこんなに取り掛かるのが難しくて・めんどくさくて・怖いんだろう。
「やりたいやりたい言いながら、取り掛からないのは結局やりたくない事なのよ」とも聞くけれど、じゃあ「このやりたい事、結局やらないだろうから私の中から断捨離しちゃおうよ」と自分自身を説得してみると「それはさみしい」と返ってくる。
「じゃあ、やるの?」
「それは…また時間とやる気があるときに…」
「結局やる気無いんじゃん、レッツ断捨離」
「それはちょっと…。」
キッパリハッキリバッサリしてる私の内側に、ズルズルグズグズダラダラしてる自分が居る。
しかもズルズル側の私の方が比率が遥かに多い。
本来の私はズルズルグズグズダラダラしてる奴で、キッパリハッキリバッサリした仮面を被ってるだけなのかもしれない。
だから不満があってもズルズル現状維持したいしグズグズと同じこと繰り返すしダラダラとスマホやテレビで時間をつぶし、人の役に立つふりしながら他人のカウンセラーになったりして時間を潰しているのかもしれない。
どうでもいい、明日の・将来の・未来の役に何一つ立たないどうでも事ばっかりしてる。
無駄なことなんて何一つないらしいけれど、横になってスマホゲームの既にクリアしたステージをひたすら周回させながらお尻ボリボリ掻いてる時間は間違いのひとつも無い「無駄」だと思う。
今までと同じ事を繰り返しても同じ日々が続くだけだしなんならだんだん悪くなって歳もとって身動きが取れなくなるかもしれないから、今自由なうちに「なんだか怖くてきちんとやり通さなかったやりたい事」を気が済むまでやっていかなきゃと。
どうでもいい事にかける時間を減らして、後悔しないように時間を使おうと思う。