ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

「なんかこれすでに見たことある話だな」が情報収集の邪魔をする。

ビジネス系の本を読んでいる時に「あ、これどこかで読んだことある話だな」と思ったり、家事の情報を読んでいる時に「テレビで見たことあるな」と思ったり。

 

小説を読んでいても「あ、コレはきっとこの後こうなってああなってそうなるぞ…」なんてことがパッと頭の中に浮かんでくる。

 

そんなことが頭をよぎった瞬間に集中力が途切れてしまい、頭の中では上記のような違う事を考えながら目だけは本の文字を追いかけている。

 

つまり「読書をしている風だけど頭の中には情報が入っていない」状態である。

 

10代20代の頃はこんなこと考えたりすることが無かったし、どんな情報も新鮮で真新しくて「こんなこと考えてるひとがいるなんてすごい」と素直に感動できたものだ。

 

それが今では「実践を伴わない・知ってるだけの経験値」が情報収集の邪魔をする。

 

年を重ねていろんな知識や経験がついて、インターネットも普及して「美味しい情報が美味しい所だけ」いくらでも無料でつまみ食いし放題の世の中で知識だけがフクフクと肥え太ってしまったように思う。

 

…いや、どちらかといえば「私の経験自体は大したことなくて・インターネットや本・テレビの知識で世界を知った気になっている」が正解なのかもしれない。

 

だって様々な有益情報が取り放題なんだから、その手に入れた情報をきっちり実践していれば、平日の日中に引きこもってこうやってアフィリエイトなんかもしないでぽちぽちと気が向いたときだけブログを書いてる女になんてなっていない。人生経験値なんてあったもんじゃない。

 

それなのに「あれも知ってる」「これも聞いたことある」「コレもどこかでみたことがある」なんて思ってしまう自分がうっとおしい。

 

自分で言うのもなんだけど、インターネットのおかげで私は色んな事を知っている方だと思う。

 

だけどその知識は私の血肉にはなっていない。

 

「知ってる」と「実践してる」は天と地ほどの差があることも理解しているはずなのだけれど、実際に実践して前に進んでいくのは一歩ですらもおっくうだ。

そして「世の中を知った気になっている自分」も嫌だけど「動くのもおっくう」になっている自分はもっといやだなあと思う。

 

せっかくの人生。情報収集してるこの瞬間ですらも人生なのだから、読んだ情報はきちんと血肉にしたいもの。

 

最近まで「なんだか、本を読んでいてもいまいち記憶に残らないな」と思っていたのだが、自分がどんな状態でインターネットの記事を見たり本を読んだりしているのかを自ら観察してると「実際自分が経験したわけでもない・どこからか得た情報で分かったつもりになっている」ことが邪魔をしており「知ってるから読まなくていいや」「もう分かっているから大丈夫」につながっていることが分かった。

 

なので対策として

 

「頭の中で違う事を考え始めたらいったん読書をやめて落ち着く」

 

「知っていると感じたことが今実際自分の生活でどれだけ実践できているかを考える」

 

「目だけで文字を追いかけて頭に入ってこなくなったらストレッチや短時間の昼寝などして気分を変えてから情報収集を再開する」

 

「目だけで文字を追いかけ始めたあたりまでさかのぼって、自分の調子を整えて読み直す」

 

みたいな事をして「いまいち記憶に残らなかったけど気が付いたら情報を読み終わってる」「読み終わった本の目次をみても何の話だったのかひとつも思い出せない」という不毛な情報収集を無くす努力を始めて見たところ「なんでもっと早くやらなかったんだろう?」と思うくらい不思議な充実感を得ることに成功しております。

 

これで少しでもリアルが充実し始めたらいいなあ。