先日、ある方と会話をしていたところ「あ!ぜひとも、この方に あなたのここが素晴らしい という旨をお伝えしたい!」と瞬間的に思い立った。
そして
「あなたの◯◯という部分が素晴らしいなぁと思いました!」
…と伝えた。
その後、言葉を続けて「それに比べて私は◯◯がまだまだなので…。」みたいな事を言った。
私の中ではごく自然な出来事。
相手の方は「そんな事ないですよ」とフォローしてくださり、その後も和やかに会話をしてその場を後にした。
誰かと会って会話した後に頭の中で「あれはああ言えばよかった・こう言えばよかった」と反省会をしてしまうのはいつものことだけど、この時はいつもよりなんだかモヤモヤしていた。
なににモヤモヤしてるんだろう?この違和感は何?とじっくり考えてみた結果、先程「自分が続けた言葉」に行き着いた。
相手に素晴らしさを伝えるためにわざわざ「自分という存在」を貶めた。
そんな褒め方をされても、相手は「褒められて嬉しい」よりも「えっ、そんなことないってフォローしなきゃ」という気持ちが働いて全然嬉しくないだろう。下手したら「コイツめんどくせぇ…」「ネガティブ系の人?」とか思われてもおかしくない。
それに「自分で発した言葉」だけどなんだか自分自身が傷ついた気もする。
「ああ、私は◯◯がまだまだなんだ…ションボリ」って。
よくよく考えてみたら他人に対して、ずーっと同じような褒め方や伝え方をしてきた。
誰かに何かを頼みたいときも「◯◯は私なんかにはうまくできないからお願いできるかな?」
誰かを褒めたいときも「あなたの◯◯が凄いですよ!△△なんて全然ダメなのに」
何かに挑戦しようとしたときも「私なんかにうまくできるかわからないから、失敗するかもしれないけどとりあえずやってみるわ」
…みたいな。
何気なく言ってしまっている言葉だけど、文章にしてみるとすごく回りくどくて言い訳がましくて気持ち悪いなぁ。
だいたい貶めるのは自分自身だけど、他にも「褒めたい対象よりも立場が下な人(と私が勝手に認識している人)」とかを引き合いに出してしまう。
そして「あなたよりも「下」の人間はこんなに苦しんでいる、それに比べてあなたははるかに「上」であり素晴らしい!」と持ち上げる。
なんでこんな気持ちの悪い癖がついてしまったのか、これもじっくり考えてみたらやっぱり親に行き着いて…なんだかショック。
「また親かよ!どんだけ親好きやねん私!!」
もはや自分で自分をツッコむしかない。
小さな頃から「兄弟は◯◯がダメだ!それに比べてお前は凄いぞ!」とかしょっちゅう言われてたし、大人になって手料理とか作っても「母親の料理なんて失敗したら酷いもんなのにそれに比べてお前の料理はものすごく美味しいぞ!」みたいな。
父親が延々と「パートナーである母親」の過去の失敗をほじくり返しまくってディスり、娘の私を持ち上げる…みたいな。
そんな親の行動を、私は無意識の領域までインプットしてこの年齢まで違和感1つなく同じことをし続けていたのか。
前までの環境なら「私が私を貶めて相手を持ち上げる」と「相手も相手自身を貶めて私を持ち上げ返してくれる」という謎のやりとりが成立していた。
(時々他人を貶めて、その人の陰口で盛り上がったりとかもあり。)
…というよりも、あの場ではそういうやりとりができないと「クソ真面目すぎる、つまらない、話が盛り上がらない、腹を割って話せない人間」と認定されてしまっていた。
しかし今の環境で私が私自身を貶めると、まず周りの人が「えっ…そ、そんなことないけど…どしたのアナタ、大丈夫?」みたいな妙な空気になる。
まぁそのおかげで「自分のおかしい癖」が自覚できた訳だからありがたい事なのかもしれない。
私にとってはどちらの世界が正解なのか分からない。
だけど、人が人の悪口や陰口・勝手な憶測を言い合って人の不幸を酒の肴にケラケラと笑っていた以前の環境よりも、それぞれが自分の事で忙しくてあまり干渉し合わないけど要所要所でサラッと助け合っている今の環境のほうが生きて行きやすいので私は今自分が生きている環境に順応していきたい。
時折以前の癖なのか「あー!誰かのダメなところとか陰口をたらくふ喋って、自分はまだマシな方だと思いたいー!」と口が疼きだす「意地の悪さが溢れる瞬間」があるけど、周りがそんな空気全くないから毒気が抜かれて落ち着くことができる。
(その後「私なんて嫌な奴なんだろぉぉぉうがぁぁぁぁ!!」と転げ回りながら苦しんで反省もできる)
まだまだ「心の毒抜き」が私には必要みたいだし、おかしな癖もあるかもしれないから、じっくり自分自身を観察していきたい。
まずは、「他人を褒める時は、何かを貶めたり条件をつけて相手の素晴らしさを伝える」んじゃなくて「あなたのこういうところが素敵ですよ」とサラリと綺麗に褒められるように練習していきたいと思います。