ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

スゥイフトのCMにでてくる青いスーツの二人組について考えてみた。

私にはずーっと気になっているCMがある。スゥイフトという車のCMだ。

 

ウェーーーーー!!みたいな曲に合わせて青いスーツを着た男女二人組がリズミカルに登場して会話。その後車で軽快に走行しているという内容だ。

 

その会話があまりにも気になってしまい、ずーっと喉の奥に魚の骨が引っかかっているような気分が続いている。

 

どんな会話なのか。そのざっくりとした内容と私の気持ちを書き綴ろう。

 

 

TV:ウェーーーーー!!(曲)(リズミカルに登場する男女二人)

女性:どこ行く?

男性:キミのいけないところまで☆

(私:だからどこ行くんだよ!!?)

 

女性:はあ!?いいから鍵ちょうだい!

(私:はあ!?あれだけリズミカルに登場しときながら、行先も決まって無ければ運転する人間に車の鍵も渡してないのかよ!!?なんだこの男!!?)

 

男性と女性:レッツ!ウィーフィッ☆

(私:なにが?!!!!!!???(混乱))

 

 

ちなみにこれは良く目にするショートバージョンなのだが、運よくロングバージョンを視聴する機会に恵まれた。私の混乱が解消するような展開を期待して視聴したが大して新たな情報を得ることが出来ず私の記憶にも残ることは無かった。

そして最近ではショートバージョンをさらにショートにしたCMが流れており、目にするたびに「短っ!!」と驚いてしまう。

 

CMよりも青いスーツの男女二人が気になって仕方ない。

会話の内容からしてこの二人は「カップル」的な間柄ではないかと私は想像した。

きょうだい だったら「キミ」とか言わないんじゃないだろうか。海外ならありえるかもしれないが日本向けのCMだし。私もその周りも相手に「キミ」なんていう人間は観たことが無い。ド田舎だからだろうか。分からない。

 

とりあえずこの二人組はカップルだと勝手に仮定する。

 

そしてさらに会話から想像するに女性の方が少し立場か性格が強め。

男性の方が陽気であまり深く考えない性格といったところだろうか。

 

女性はきっと、なんでもバリバリこなす姐さん的な人。

男性はきっと、待ち合わせ時間になっても待ち合わせ場所に来ないし連絡つかないから家まで迎えに行ったらボサボサ頭で「今目が覚めたよ」とか言い出しそうなタイプとみた。

ほらよくいるじゃない。集合時刻に家を出発するような人。「ごめんごめん、今起きたのよー」とか言いながら悪びれもせずに「今から行くわー」みたいな。

こっちも「そうなんだー、いいよいいよのんびり待ってる」とかにこやかに言うけど心の中では全然何一つ良くないしすでにさんざん待ちながら連絡つくまで時間つぶしまくってたのに、オメーがこっちに到着するまでさらに数十分どうしろっつーんだ馬鹿野郎とか思うやつ。

 

そんで相手が到着して「ごめんごめんー」っていうから「全然いいよ大して待ってないからー」なんていっちゃう。ほんとは全然良くないしもうすでに待ち疲れてるし本音的には帰りたい。だけど合流したからには作り笑いでイライラを噛みころしながらそこからの時間を気分を転換させながら楽しく頑張るみたいなね。

 

なんかそういう展開を何個も何個も作ってきそうな青スーツ男性。ああいやだいやだ。

私なら最初の「どこ行く?」みたいなときに「キミのいけないところまで☆」とか言われたらノーリアクションでそいつほったらかしてソロドライブ始めるわ。

 

…………あぁ!!

 

だから女性に鍵渡してなかったのか!!!?置いて行かれたら困るから!!なるほど予想外の策士じゃん青スーツ男!!!

 

CMの謎が少しとけた気がして満足。次からは今よりもすこし生暖かい目でスゥイフトのCMを視聴することができそうです。

 

 

 

ハラスメントハラスメント言うのもハラスメントにならないのかな。

ニュースで「文章に使う 、 や 。 が怖い」という内容を特集していた。

若い世代の人たちは句読点が怖いらしく、どうやら「マルハラ」というらしい。

 

句読点が怖い。それは何となく理解できるし、私も誰かに文字を打って連絡をする時には句読点よりも絵文字などを使って柔らかな印象になるように文章を綴って送信してきた。

 

しかし、この特集を見ていると「絵文字を多用するのはおじさん」「赤いビックリマークやクエスチョンマークはなんたら…」「〇〇を使えば△△」とフリップにたくさん書き出されていて何をやってもだいたいアウトな状態。

 

 

「…じゃあ何を使ったら若い世代に違和感を抱かせずに意思疎通がとれるの?」

 

 

もちろんこんなことばかり言う若い人ばかりではないのも理解しているし昭和世代に適応してくれる若い人もいるだろう。テレビが面白おかしく極端に特集しているかもという可能性はある。しかしこんなにあれもこれもアウトみたいに言われると、正直「文章1つでめんどくせえな、なんでなにもかも若い世代に合わせにゃならんのよ」と思ってしまった。

 

内容が相手にきちんと伝わるように・無駄に威圧感や不快感を与えたりしないようにと当たり前のことを気をつけながら書き綴った文章なら絵文字を何個使っていようがビックリマークが使ってあろうがなんでも良いではないか。それでああだこうだいいたくなるのは単純に相手が苦手とか嫌いとか良い関係性ができてないだけじゃないのか。

 

昔から続いてる嫌な事や無駄な事・お金がかかるだけの事、何となくやってることなんてどんどんなくしたり改善したりしたらいいと思う。

私が新卒で入社した会社の上司なんて女性のお尻に軽くタッチしながら挨拶してくる人がいて、今なら間違いなくセクハラなのにあの当時は皆「アレがあの人の挨拶なんだから我慢しなさい」というのが社内の常識になっていて誰も声を上げなかった。私も一応ニコニコしながら挨拶してたんだけど心の中では「ヒトのケツ触んなや!きしょくわるいな!」ってイライラしてた。ああいう「明らかにセクハラな行為」や怒鳴ったり威圧したりのパワハラなんかはどんどんみんなで大騒ぎして無くなっていけばいいと思う。

 

しかし「若い人は〇〇やってます!」「コレをやってしまったらハラスメントおじさん!残念若い子に嫌われます!」みたいな「謎ハラスメント」にいちいち怯えて合わせて行かなきゃいけないんだろうか。

 

普通に生きているだけでも考えることややることがいっぱいあるのに、更に若い人に必要以上に取り入っていくようなことまでしなきゃいけないんだろうか。

 

新しい世代の新しい常識に合わせるのが当たり前というのも、世代間のパワハラにならないんだろうか。

 

そしてなんでもかんでも新しい「ハラスメント」が出来て、どんどん「あ、それハラスメントですよ」「ソレ、〇〇ハラですよ」ってなっていったら暮らしにくくならないだろうか。

 

一時「プレミアム」がすごいと流行った時期があった。

今は何でもかんでもちょっとしたおやつにまで「プレミアム」の称号がついておりスーパーを一周すれば物凄い量のプレミアムに会える。本当にプレミアムなら何故どこのスーパーにも商品が陳列されているのか。なぜ大量生産できるのか。そして実際は何がどこまでプレミアムなのか。味なのか・材料なのか・それとも他の要素がプレミアムなのか、よくわからない「プレミアム」が大量に並び、プレミアムの価値は明らかに暴落している。

 

そんな「なんでもかんでもプレミアム」みたいに「なんでもかんでもハラスメント」にしたらハラスメントの重みが軽くなってしまわないだろうか。たとえばとても深刻な事態に陥って「ハラスメントですよ!」と怒っても、ハラスメントの重みが軽くなってしまえば「ハラスメント?大したことないじゃん?」なんて軽く受け流されてしまいかねない。

 

あれも「ハラスメント」これも「ハラスメント」といろんなハラスメントを作っては面白おかしく世の中をややこしくするテレビは「ハラスメントでみんなを脅かすハラスメント罪」だし、ハラスメントとは本当に困って苦しんでいる人の心の重さを代弁してくれる重みのあることばであってほしいと思う私なのでした。

 

 

 

 

ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?とか言いながら…

超久しぶりにブログを書こうと思った。

 

パソコンの電源を入れてしばらく待つ。

いろんなものが動いたり表示されたりしていく画面を眺めながらちまちま処理してパソコンが落ち着いたら「はてぶろ」と入力。

 

開いたはてぶろの画面には「ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?」という文字がでかでかと表示されていた。

 

「…こんなタイトル掲げて結構経過しているけれど、私のリアルは充実しているのだろうか。」

 

今までの自分の歴史を思い出してみる。

「…うん、20代中盤からずっと似たような暮らしを送ってるな。」

 

住む場所は変わったけれど、相変わらず夫優先・ペット優先。

そこに義理の家族の優先も加わった。(義理の家族とはお互い深い相談はしなくてもなんとなく空気を読みながらほどほどの距離感を保っているような気がするのでとても平和ではあるけれど。)

 

相変わらず、実家の家族から逃げた先でも自分より周りのペースに合わせる暮らしを送っている。

 

相変わらずスマホゲームやネットサーフィンで時間が溶けている。

 

相変わらず、貯金が増えない心配をしたり食材の調達を効率的にするべく予定や予算を組んだりポイントデーを気にし続けている。

 

相変わらず、子供は出来なくて。年を重ねた分あきらめというか落ち着きというか。20代の頃の様に子連れの若いお母さんを見て発狂したり保育園児のお散歩を見て泣きそうになったり一切しなくなってほのぼのみられるようになってきた。

 

相変わらず、義理の実家の一部屋に生活サイクルの違う夫のペースに合わせながら猫とぎゅうぎゅうに暮らしている。

 

…他にも色々、書き出していけば「不本意ではあるけれど続けている状況」はいくらでも出てくる。

 

調子の良い時はここに「でも、平和にのんびり暮らせているからありがたいことじゃないか!コストも低いし!」という分厚い心のフィルターをかけているからなんとかやっていける。

 

しかし調子の悪い時には「私はこの毎日を、死ぬまでずーっと続けていくのかな」と悲しい気持ちになる。

心の奥底にはすごく大きくて重い「明日から頑張ろう」と「だってしかたがないじゃない」が鎮座していて、一念発起して行動を起こしても三日も経たないうちに坊主になってしまう。

 

本当は、綺麗なお家に住んで夫婦お互い趣味を楽しみながら自分のペースで暮らしたい。綺麗なトイレに綺麗なお風呂。他人の物音を気にせずゆったり暮らしたい。

 

本当は、お金の心配したって・いくら支払い予測の計算したってお金が増えたりしないのは分かっているからそんなの気にするよりも楽しくお金使って毎日を過ごしたい。

 

全部自分の行動の結果。

種もまかずに収穫だけ待ってるような暮らしの結果。

毎日コツコツを積み上げられない結果。

 

そしてこういう「自分の願望をかなえる」面では全然頑張れないのに、他人のトラブル解決や手出し口出しには自分でも驚くほどの力を発揮できるから我ながら驚いてしまう。

どうやら私の目は私に向いて無くて、他人の方に向いてしまっているらしい。

 

実際「自分と他人どちらに力を注いでいますか?」と聞かれたら迷わず「他人!」と答えられる。

 

しかし他人は他人の考え方ややり方がある。私のやり方とはちがう。私のやり方が正しいかも分からないしやるかやらないかは相手次第。

 

「私が全責任をとる!!」と全身全霊で自分だけ動かずに相手に任せる必要があるし、そうやって他人に対して色々気づいたり差し伸べられる目や手を、まずは自分にちゃんと向けてあげて「良いとこ・改善が必要なとこ」をしっかり見て。

他人の為に、お呼びもかかっていないのに勝手に走り出そうとしている自分がいたらドロップキックで蹴り飛ばしてでも止める。

 

まずは「今の自分のリアルを充実させる」を自分自身に掲げて過ごしていかなきゃマジでヤバイと心底思っている。

 

 

 

 

 

 

お掃除系の本を図書館で借りてきた。

あと1ヶ月も経てばほぼ年末。

しかし寒いと分かりきっている時期に大掃除などしたくない。

 

そしていつもやっている「自分なりの掃除」ではあまり部屋が綺麗になった気がしないし、どうせやるなら「いつもと一味違った部屋」にしたいじゃないか。

 

…というわけで図書館から本を数冊借りてきた。全部掃除関係の本だ。

 

行動に移す前にまずは基本となる掃除の知識を手に入れよう。

ウキウキしながら本に目を通していくが、結論から言うとあまり参考にならなかった。

 

どの本も「新しめの住宅」を基準にしており、さらには物が全て自分の思い通りに動かせる「核家族」をベースにしている。昭和の頃に建てられた義理の実家で義理の家族と同居中の私がこんな好き勝手に掃除できるわけもない。

 

本:「服はたたまずにクローゼットに収納すればたたむ手間がいらないよ⭐︎」

私:「ふざけんな昭和の建物にそんな小洒落たもんがあるわけないだろうが」

 

本:「掃除も自動化!ルンバに任せて時短しよっ⭐︎」

私:「段差だらけの昭和な家でルンバがまともに走るわけがないだろ!どこの家もバリアフリーだと思うなよ現代人め」

 

本:「使ってないものは全部捨ててゆとりの空間作ろうよ、お金も貯まっちゃうかもネ♪」

私:「明らかに使ってないものだらけだけど義理の家族のものは捨てるどころか勝手に動かすことさえままならねぇよ!同居なめてんのか」

 

本:「お風呂の道具は全部風呂がまに入れて漂白しちゃお!ピッカピカになるよぉ⭐︎」

私:「排水は風呂桶で手動かき出し仕様な五右衛門風呂なんで勘弁してください…」

 

 

…いやもうマジでなんなん掃除の本全然参考にならへんわ!図書館の本じゃなかったら破り捨てるところだったわ!

前も似たようなこと書いた気がするけど、現代人はみんな綺麗な新しい家にお住まいなの!?昭和式の家なんて誰もすんでないの!?

 

ホント「サンキ◯!」も「レタスクラ◯」もなにもかも、どいつもこいつも綺麗な家で頑なに斜め下とか向いてコーヒータイムする画像ばっかり出してきやがるし、掃除の本は掃除の本でクローゼットクローゼットやかましい!無いわそんなもん!!羨ましい!!!

 

 

…はー。もうやめだやめだ。

本はさっさと返却して、普通に掃除しよう。

いつもと違ったことしようとしないで、今の私にできる範囲である程度スッキリできたらいいわ。

 

あーあ。誰か「昭和の家で義理の家族と同居でも快適な空間を作る方法」とか考えてくれないかなあ。

私とは合わないな…と思ってしまう相手の家に高確率で置いてある物。

「この人、なんか合わないなー!」と思ってしまう相手は誰にでも1人はいるもの。

 

それをうまいことヒラリヒラリとかわしてうまい事やり過ごすのが社会人…らしいけれど、私はうまいことかわすことが出来ないので苦笑い・嘘笑い・愛想笑いで相手になんとか合わせたりおだてたりしながらギリギリやり過ごしてストレスをコツコツためていき・最終的に大爆発したり全部嫌になってすべて放り捨ててしまうタイプ。

 

そんな「大体の人にはなんとかギリギリ話を合わせることができる」私でも「いやマジでこの人は合わないわ」と思い距離を取りたくなる相手がいる。

 

「怒りの沸点が異様に低い・感情的な相手」である。

 

この人たちは「なんでそんなことで怒るのか?」と不思議になるような状況で怒りはじめたりイライラしたり八つ当たりをしてきたりする。

 

その怒り方を分かりやすく言うならば「赤信号はとまらないといけない」と言われて「そんなところに信号がある方が悪い!」と怒り出す…みたいな感じだろうか。

つまりは「一般的な理論・常識と言われるものや説明」が通用しない感じ。

 

自分がお腹が減ったからと周囲の関係ない人にイライラをまき散らしたり。

 

ちょっと長い説明をしようとしたら途端にイライラし始めて「訳が分からないから簡潔に言え・なんならお前がやれ」と怒り出したり。

 

自分の恋愛がうまくいかないからと私を呼びだし、過去の私の失態を意地悪く延々掘り返して馬鹿扱いして私が謝るとご機嫌になったり。

 

明らかに間違った情報を語っているのでこれはマズいと思いコッソリ正しいと思われる情報を提供しようとしたら途端に不機嫌になり私にたいして人格攻撃を仕掛けてきたりする。

 

そして自分が明らかに大き目な失敗をしてしまった時にフォローや次のトラブルを回避するための提案をしようとしたら「私の事…そんな風に思っていたのね、ひどい」みたいな事を言い出してものすごい被害者面をし始めたりもする。

 

 

この手の人たちは「やたらと感情的」うえに「妙に意地が悪い」のである。

ついでに言うなら「人に対しては色々言う」のに「自分は動きたくない・責任取りたくない」のに、その割には余計な事はきっちりとする。

 

私は基本的に「いい人オーラ」という名の「何を言ってもこいつなら大丈夫」みたいなゴミオーラが出ているらしく、こういう人間の標的にされやすいし何度もサンドバック役やカウンセラー役を仰せつかった。

 

そして「コントロールなんてできるわけもない他人」に対してそこまでどうこう言うつもりもないわたしは「言い返さずにとにかく相手に喋らせる」ため、友達のほとんどいないと思われる彼らからはたいそう重宝された。

 

あるとき、相手の家に呼ばれ長時間愚痴や相談をバシバシとぶつけられつつ集中知力が完全に途切れた私が棚の下に何となく目をやれば「半透明の容器に白い紙のような蓋」がされた「湿気をとるゾウさん的なヤツ」がいた。

 

最初は「あー、あの湿気とるやつかー」と思ったのだけれどよくよく考えてみればそこは昭和の家。こんな古い家の気密性ゼロ隙間風ビュービューの家の棚の下なんかに置いたところで湿気なんか無限に入って来るのは確実で・その時座っていたカーペットもすこししっとりしてる気がしなくもなかった。

 

せめて「タンスの中」とか「気密性の良い家やクローゼット」とかに入れて使うのならば効果があるのだろうけれど、この使い方で湿気を取るもなにも無くない?

例えば「カール」という湿気やすいおやつをお皿に盛りつけて、その横にシリカゲルをそっと置いたとして、カールは湿気ないのだろうか?普通に湿気ると思う。

だけどきっと彼女たちは「カールが湿気る訳無い!シリカゲルが近くにあるじゃん!」とガチギレで答え、私からの反論は一切許さないだろう。

 

そんな事を考えながらも集中力の切れた私はうっかりと「湿気をとるゾウさん的なヤツ」置いてるんだねと口にしてしまった。とたんに相手はイライラして「なんか悪い!!?」と怒り始めた。ああ怖いもう帰りたい。

 

そういえば実家も「湿気をとるゾウさん的なヤツ」が置いてあって母はゾウさんを信仰していた。普段は優しいけれど沸点が低く感情的で理論が伝わる相手では無かった。

 

ちょっと苦手な親戚の家にも「湿気をとるゾウさん的なヤツ」はあったし、苦手な同僚や友人の家にも。私が苦手とする相手の家には高確率…というかことごとく置いてあった。

 

そしてその使い方に共通していたのが「棚の下などに雑に置く」である。

いったい何を湿気から守っているのか。私には分からない。本当に棚を湿気から守りたいのならその稼働してるプチプラ加湿器を止めた方が早いと思う。(なぜかゾウさんと共に加湿器が共存してる確率が高かった)

 

彼らの「ゾウさん」はホコリをかぶっていても・水が満タンになっていても気が付いてもらえない。

それどころか何故か「安めの加湿器」がゾウさんと一緒に稼働しているのでゾウさんはたまったものではないだろう。

 

しかしそれに少しでも触れるような事を他人が口にすると彼らはイライラし始めたり「こんなもの効果無いのは分かっているけれど云々…」と自分のゾウさん信仰エピソード(というなの妙な言い訳じみたもの)を長々語りだしたりする。どっちにしても面倒臭いので触らぬ神に祟りなし。ゾウさんを見つけても見て見ぬふりを決め込むに限るのである。

 

というわけで私の中で「湿気をとるゾウさん的なヤツを信仰しつつも雑に使う人には理論や長い話は通じない確率が高い」という「別に欲しくもない経験則」を得てしまった。

 

ちなみに今住まわせてもらっている義理の実家にもあり、使用状況も同じ。唯一の救いとしては加湿器が無い。

信仰者は1人。普段は穏やかだけれど過去のゾウさん信仰者と似た部分を感じるところがあるのでべったりし過ぎないように適度な距離感でお互いに過ごしておりいたって平和である。

 

「湿気をとるゾウさん的なヤツ」を悪いとは思わないし何の恨みも無い。そして信仰している人がみんな嫌なやつだなんて決めつけたいわけでも無い。

 

だけど「ゾウさん信仰者」には高確率で妙に振り回されたり大変な目に合わされているので、あくまで私の場合だけれどこれからもゾウさんを信仰する人とは適度な距離を保って生きていきたいと思う。

 

 

「なんかこれすでに見たことある話だな」が情報収集の邪魔をする。

ビジネス系の本を読んでいる時に「あ、これどこかで読んだことある話だな」と思ったり、家事の情報を読んでいる時に「テレビで見たことあるな」と思ったり。

 

小説を読んでいても「あ、コレはきっとこの後こうなってああなってそうなるぞ…」なんてことがパッと頭の中に浮かんでくる。

 

そんなことが頭をよぎった瞬間に集中力が途切れてしまい、頭の中では上記のような違う事を考えながら目だけは本の文字を追いかけている。

 

つまり「読書をしている風だけど頭の中には情報が入っていない」状態である。

 

10代20代の頃はこんなこと考えたりすることが無かったし、どんな情報も新鮮で真新しくて「こんなこと考えてるひとがいるなんてすごい」と素直に感動できたものだ。

 

それが今では「実践を伴わない・知ってるだけの経験値」が情報収集の邪魔をする。

 

年を重ねていろんな知識や経験がついて、インターネットも普及して「美味しい情報が美味しい所だけ」いくらでも無料でつまみ食いし放題の世の中で知識だけがフクフクと肥え太ってしまったように思う。

 

…いや、どちらかといえば「私の経験自体は大したことなくて・インターネットや本・テレビの知識で世界を知った気になっている」が正解なのかもしれない。

 

だって様々な有益情報が取り放題なんだから、その手に入れた情報をきっちり実践していれば、平日の日中に引きこもってこうやってアフィリエイトなんかもしないでぽちぽちと気が向いたときだけブログを書いてる女になんてなっていない。人生経験値なんてあったもんじゃない。

 

それなのに「あれも知ってる」「これも聞いたことある」「コレもどこかでみたことがある」なんて思ってしまう自分がうっとおしい。

 

自分で言うのもなんだけど、インターネットのおかげで私は色んな事を知っている方だと思う。

 

だけどその知識は私の血肉にはなっていない。

 

「知ってる」と「実践してる」は天と地ほどの差があることも理解しているはずなのだけれど、実際に実践して前に進んでいくのは一歩ですらもおっくうだ。

そして「世の中を知った気になっている自分」も嫌だけど「動くのもおっくう」になっている自分はもっといやだなあと思う。

 

せっかくの人生。情報収集してるこの瞬間ですらも人生なのだから、読んだ情報はきちんと血肉にしたいもの。

 

最近まで「なんだか、本を読んでいてもいまいち記憶に残らないな」と思っていたのだが、自分がどんな状態でインターネットの記事を見たり本を読んだりしているのかを自ら観察してると「実際自分が経験したわけでもない・どこからか得た情報で分かったつもりになっている」ことが邪魔をしており「知ってるから読まなくていいや」「もう分かっているから大丈夫」につながっていることが分かった。

 

なので対策として

 

「頭の中で違う事を考え始めたらいったん読書をやめて落ち着く」

 

「知っていると感じたことが今実際自分の生活でどれだけ実践できているかを考える」

 

「目だけで文字を追いかけて頭に入ってこなくなったらストレッチや短時間の昼寝などして気分を変えてから情報収集を再開する」

 

「目だけで文字を追いかけ始めたあたりまでさかのぼって、自分の調子を整えて読み直す」

 

みたいな事をして「いまいち記憶に残らなかったけど気が付いたら情報を読み終わってる」「読み終わった本の目次をみても何の話だったのかひとつも思い出せない」という不毛な情報収集を無くす努力を始めて見たところ「なんでもっと早くやらなかったんだろう?」と思うくらい不思議な充実感を得ることに成功しております。

 

これで少しでもリアルが充実し始めたらいいなあ。

 

 

ミタゾノさんを視聴した話。

私、あまりドラマは観ないんです。

 

でもなぜかミタゾノさんは観ちゃう。(あと相棒と科捜研の女

それも呼吸を忘れてんじゃないかってほど呆然としながら観ちゃう。

マジですごいよねあの物語。

 

 

第一話でミタゾノさんが「スケールアップもダウンも致しておりません。」みたいなこと言ってた気がするけど明らかにスケールがアップしてる気がする。

なんかもう、最初から最後まで全開・全速力って感じで。

 

一話の松本まりかさんもすっごかったけど、他に出てくる人物も濃すぎるってくらい濃すぎて。ずっと「ひええええぇ」ってなりながら観てた。田舎の悪いとこ全部煮詰めて超濃厚にして出してきた感じで、私も田舎暮らしだけど田舎が怖くなった。

割と好き勝手やってたけど、今一度気を引き締めて暮らそうって何故か改心した。

 

第二話なんて、オープンマリッジとか言い出してどういう内容なのかを知ったら私まで依頼者の女性と一緒に具合が悪くなるかと思った。なんなんオープンマリッジって初めて聞いたわ。そんなの言い出したらなんでもアリの世の中になるじゃん。浮気や不倫としっかり区別して清く正しく使い分けられる人間なんていないだろそんなの。

 

LGBTにQとやらがあることすら最近ようやく知ってやっとこさアップデートしたばかりなのに、新しく覚えること多いな…って。だれがそんな新しい価値観生み出してるのか知んないけどやめてほんとについていけない。どこかに「新しい価値観クリエイター」みたいなヤツがいるの?

 

性別について苦しい思いをしている人を救ったり理解するために色々変わっていくのは良いと思うけど、それに乗っかって「新しい価値観だー!」っつってなんでもアリになっていくのはどうなの皆ついて行けるの?旦那さんが「俺、今日からオープンマリッジだからマジで」とか言い出して女の子とガンガン会い始めたら嫌じゃないの?私も対抗してイケメンと遊びまわるぞーって対抗できるの?私は出来ないよ…多分名前を呼び間違えまくって相手に速攻嫌われそう。

 

しかし価値観ねえ…。新しい価値観を理解するべき!世の中変わるべき!めざせ新時代!日本は古い!って言うのはよく耳にするけれど「新しい価値観を理解することができない人」「理解するのに時間がかかる人」みたいな人も「理解」される世の中であってほしいよね。

なんか「理解できない人・考え方が古い人はダメ」みたいな感じがあるからさ。

「あなたはこの価値観あわないのねー」「私は新しい価値観がしっくりくるわー」みたいな。人それぞれでいいじゃんね。

 

とはいえ色々凄いな世の中。すごい事教えてくれるよねミタゾノさん。

不倫の〇や✕の境界線も学ぶことができたし今後もしかしたら私の人生の役に立つかも…ってそれは困るけどね!

 

それにしても、このストーリーを生み出している人がこの世の中に存在するってことが恐ろしいよね。どんな生活してたらこんな超特濃ゴシップをずっとみせられているかのような、最初から最後まで開いた口がふさがらないようなストーリーを考え出せるのか…。

 

はあ、次のミタゾノさんは録画したやつを観ることになるんだけど超楽しみ。