ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

うわすべり読書

本やインターネットで文章を読んでいるとちょいちょいあるんだけど。

 

ふと「あっ…この人◯◯さんみたいなキャラだな」とか「うわっ、これめっちゃアイツじゃん…」みたいに他人を連想してしまって、そこからその連想した人との思い出やらなんやらを芋づる式に思い出してしまって。

 

体の方はまだ読書を続けているんだけど、頭の中が完全に「思い出し作業」をやっちゃって。

 

その結果、本やネットの記事自体は読み終わっているのに内容があまり頭に残ってなくて「あれ?どんな話でしたっけ???」「むしろ、私コレ読んだっけ??」ってなっちゃう…みたいな。

 

文章だけがどこかにうわすべりしていく感じ?

 

伝わるかなあ、この状況。

 

えっ?そんなになるの、私だけ???

 

 

…集中できてないからこんなことになるのか、それとも私の性格や頭脳の問題なのか。

 

みんな、文章を読んでる時に「知り合いの誰かと文章に描かれた人物」をついつい紐付けて考えてしまったり、「これ、アイツじゃん!」ってなった時にどうするんだろうか。

 

気にせず読み続けるのか、私と同じように頭の中で思い出を引っ張り出してしまうのか…?

 

 

 

 

リアルを充実させるべく本を「読んでいるのに読めてない」のは非常にもったいないし二度手間・三度手間になってしまうので、早いところ改善していきたいと思います。

 

呪いの呪文「アナタハ オカアサンヲ タスケテクレルカラ ホントウニ タスカルワ」

はい!!

 

最近ご近所さんと会話する機会がありまして、その時に「娘がねー!物凄く助けてくれるしなんでも言い合えるしお婿さんも良く働いてくれるから助かってるのよー!」と何度も何度も繰り返すのを耳にしてから数日。未だ気持ちがザワザワし続けているので吐き出し記事を書きます!前にも似たような事書いた気がしなくも無いけど…気にせず行きます!

 

※ご注意①:このご近所さんはとても感じが良いマダムで悪意も何もなく普通に楽しく喋ってくれただけであり、私が過去の親子関係をしつこく引きずっていて勝手に被害妄想に近い物を膨らませてしまっているだけなのでマダムは微塵も悪くないです。

 

※ご注意②:親子関係が良好な人や暗い話は遠慮したい人・記事を読み進めてちょっとでも「はぁ?」ってなった人は速攻で他のまともな方が書いたブログに飛んで目と心を清めてください。

私のモヤモヤであなたの大切な時間に悪影響を与えたくないので…。

 

…では、いきます!!

 

 

 

 

気付いたら小学校高学年の頃にはすでに言われていた。

 

「マナちゃんはなんでも一人でやってくれるからとても助かってるわー」

 

「お母さんを助けてくれるから本当に助かるわあ」

 

「あなたは我慢強いから偉い」

 

などという褒め言葉。

褒められるのが嬉しくてどんどん自分の事は自分やったし、そのたびに褒めてもらえて。

それがまた嬉しくて「ああ、私でも親の役に立ててるんだなあ」ってじんわり幸せを感じて頭の中で褒めてもらった現場を何回も反芻したりして「もっといろいろできるようになりたいしもっと母を助けたい。」と思って。

 

「マナは幼少期から自分の着替えは自分で取り出してちゃんと着替えてたのよ」なんて聞けば、その当時の記憶なんかありゃしないけどなんだかムズムズ嬉しくて。

 

母が好きで役に立ちたくて助けてあげたくて守ってあげたくて。

できることをやって、困ってそうなら駆けつけて、何も言われなくても表情やしぐさやちょっとした言葉の端々から「私はどうしてあげたらいいか」を読み取って行動して。

また喜ばれて感謝されて「今よりもっと役に立つぞ」と静かに闘志を燃やして。

 

友達も少なくてやりたいこともゲームくらいしかなかった私は、気持ち悪がられるかもしれないけど社会人になっても買い物・ランチと頻繁に母と行動していた。

行きたいと言われたお店があれば喜んで運転して連れて行って、時々稼いだお給料でご馳走すれば喜んでくれて。「アッシーとメッシー」を二刀流で行っていた。

 

それをいつまでやってたと思う?

うふふふふ、30歳過ぎてもやってた。だってそれが私の普通だったんだもの。

結婚して夫が居るのに私の心の中では「母が一番大切!!」

父も「マナ、母さんをよろしく頼むわ」って毎度毎度私に言ってくるものだから「私が母を助けてあげないと誰が助けてくれるの!?」状態だったし、母が喜んでくれたり私を認めてくれたり褒めてくれたりする嬉しさは夫が言ってくれる優しい言葉よりもはるかに価値があった。

 

自分の仕事をゴリゴリにこなして、夫との暮らしも手を抜かずしっかりこなし。

同僚の愚痴系女子会にもできる限り参加して関係を保ちつつ数少ない友人のお誘いにも参加しつつ、常に母を心配して気遣って私にできることを探していた。

体以上に心が忙しいけど充実した日々だった。

 

 

それでも時折「なんか変だな?」と思うことはあった。

夫も時折「マナの家族…変じゃない?」とか言ってきた。

自分でもうっすらと何か変だなあしんどいなあと思っているのに、それでも夫の言葉に耳を貸さずに「私の家族を馬鹿にするな!」と本気で喧嘩をしたりした。

 

今思えば本当によく離婚されなかったなと…。

私が旦那の立場なら「ダメだこいつ」って速攻切り捨てたと思う。

結婚してるのに時間ある限り実家に入り浸ってんだから。家事とかちゃんとこなしてくれてもアウトでしょうマジで。

 

 

ヤバイまた超長文ブログになってしまう…!

この前のも6000文字超えたので反省して短くしようと思ってるのに…!!

(読む人が大変だものね)

 

…ひとまず、以下の内容に心当たりがある人は速攻で母親との関係性を見直して適度な距離をとったり対策を練ったりしよう!

放っておくとリア充どころか普通から色々と遠ざかってしまいます!

 

 

●物心つく頃(多分その前からやられてるよ!)から「あなたはお母さんを助けてくれるから本当に助かるわ」系の言葉を事あるごとに刷り込まれ続けてきた。

 

●確かに「助けてあげて喜ぶ顔は嬉しい」し「助けてあげたい気持ちはある」けれど、本気で心の底から「この人を助けてあげたい」という気持ちよりも「助けてあげなきゃいけないし他に頼りになる人間がいないから私がやるしかない」と思っている。

 

●母と兄弟がお金などをコソコソやり取りしていてそれを見た時とか、事あるごとに「お父さんには内緒よ(言わないでね)」と言われてそれを守り、自分は何も悪くないのに常に隠し事をする羽目に陥ってきた。

 

●「お金が無くて今困ってるのよー」と自分にだけ言われる。(他の兄弟には何も言わないし下手したら〇〇にいるからーとか言いつつお金を握らせている)

 

●「私がやらないと誰かやる!?」と自分を奮い立たせて、自分の生活と合わせて母親の生活などを心配し、困っていそうな気配を一瞬でも感じたらアルソック並みの速度で駆けつけて話を聞いたり解決に奔走してしまう。

 

●無意識で「娘は母親を助けるものだ」と信じてしまっている。

 

●幼少期などに母親と父親が喧嘩している場面や祖母vs母みたいな場面を目撃してしまい、必要以上に「仲良くしてほしい」と思っておどけたり聞き役になったり両親の顔色を伺ってきた。

ちょっとでも不穏な空気を感じたら速攻で身を挺してクッション役に徹してきた。

 

●兄弟親族にお金をたかってくる人間がいて何回も小銭をせびられ困っているのに母に相談しても「それはダメだねぇ、ちゃんと怒っておくね」といいながら結局何もしてくれないどころか「(その兄弟親族)にもいい所があるから…」や「(その兄弟親族)も今は頑張っているから」などと訳の分からない理由で肩を持たれる。(そのくせ娘にはきちんとすることを求められるし怒りそうな人に告げ口しないように口止めをされる。)

 

● 「お母さん馬鹿だからわからないー」みたいなことを言われて「じゃあ私が助けてあげなきゃ」ってなってる。

 

●成人してもう相当経ってるのに「外出先」や「誰と遊ぶか」などを親に報告していて自分の友人知人関係の話や愚痴を母親に聞いてもらっているし母親の愚痴も全力で受け止めている。

 

●暇なときにはついフラフラと実家に行ってしまう。

 

●暇なときには「なんか面白い話無いかなー」とネットで炎上しそうな記事を探したりネガティブな話を求める。「〇〇さんが幸せそう」という話を聞けば「へー」って普通の顔をしながら心の底では焦ったりアラ探しを始めたり批判したりして「〇〇さんはまだ独り身らしいよ」と聞けば「へー」って普通の顔をしながら心の中でほくそ笑んだり「私より下がいるわ」と最低な安心の仕方をしたり、情報にブルンブルン振り回されて一喜一憂し過ぎる。

 

●会話の内容は大体「父親・祖父母や兄弟親戚、ご近所さんの愚痴話。

 

●両親や祖父母から「ああしろ」「こうしろ」と指示を出されまくる人生を送ってきており、他人に何か言われたら無条件に従って遂行してしまう。

 

●「あれっ、なんか変だな」と思っても「まあ、そんなに重大なことじゃないし…」と訳の分からないポジティブ変換でスルーしてしまう。

 

●普段は大黒柱面している父親が、都合の悪い話が出た瞬間に話を終わらせてしまったり煙草吸いに逃げたりして母の話を受け止めようとしない。下手したら「母さんの面倒をよろしく頼むわ」と丸投げされている。

 

●相手の表情・過去の言動や現在の状況などが一気に頭で自動計算されて、相手が何を欲しているか・どうしてあげたら相手にとって最高に都合が良いかが大体分かってしまう。(その自動計算は自分で制御できない。)

 

 

 

よく考えて?

 

「母親がそうなってしまっているのは本当にあなたのせいで、あなたに責任ある?」

 

本当に心を落ち着けて、情とか義務とか一回どこかにブン投げて。

祭り上げて信仰してしまっている母親も、周りの人と同じ「人間」ランクまで一回落として。

 

「母親も、みんなと同じ1人の人間」として見た時に、「いやこれ、どう考えても私が責任もって面倒見ないといけない問題じゃなくね?母親が勝手に選んでやってることじゃん!」ってなる問題、多いから。マジで。

 

私の場合は金銭問題とかそうでした。

「マナちゃん、お金が無くてこまってるのよ」という母を本気で心配して何か大きなことをする時には夫に了承を得てお金を渡したりしてましたが、落ち着いて考えたら通信販売しまくるお金やギャンブルにかけて溶かすお金はあったんです。

 

多分今でも兄弟にコッソリお金握らせてると思うし。

それだって「兄弟はこんなにお金の使い方が荒くてー」とか「滞納したお金を立て替えててー」とか「お父さんには内緒だけどー」とか言いながらいかにも被害者ヅラしながら愚痴をこぼしてきたらするんだけど、結局母親本人が自分で選んでお金を動かしてるだけだから。

 

他に兄弟がいるのにそちらには何も言わず「あっちは嫁さん(旦那さん)も他人だし下手にあれこれ言いづらいのよねー」とか言いながら「でも娘のあなたは助けてくれるよね?」と全部こちらにぶん投げてくる。

 

んで都合のいい時には「あなたは嫁いだ身だからこの話には関わらなくて大丈夫よ」と一見優し気な言葉で跳ね飛ばされ押し出され他人扱い。

何かをする権利やお金、決定権などの大切なものはちゃっかり他の兄弟へ渡り。

 

そしてまた何かに困れば呪いの呪文。

 

「アナタハ オカアサンヲ タスケテクレルカラ ホントウニ タスカルワ」

 

…いやいや、馬鹿か。

よく見たらアンタ、元気に歩き回れる体と通販しまくれるお金と車と…いろんな物ちゃんと持ってるし使えるじゃん。

 

そもそも父親元気に生きてるのに、そこを素通りして娘に全部投げてくるのどうなのよ?

自分の夫とちゃんと向かい合って話したり、自分で考えるのがめんどくさいだけでしょ?都合の悪いこと言われたくなくて、怒られたりとかの波風立てたりしたくないだけでしょ?

 

母親であるあなたのパートナーは、あなたの夫である父親です。娘の私じゃありません。

 

父親も父親で「母さんの面倒をよろしく」じゃねーわ!毎日ちゃんと夜には家に帰ってきて2時間も3時間もバカみたいに長い晩酌する時間はあるくせに、自分が選んだパートナーの話を聞く時間は、本当に無いのか!?都合の悪い話が出た瞬間話をぶった切って煙草吸いに逃げやがって、タバコライター灰皿全部廃棄するぞオラァ!!

 

私だって、私のパートナーは夫なんだよ。その生活があるんだよ。楽しいけど大変な時だってある、それを自分たちでしっかり話して解決していくんだよ。そうやって普通の日常を大切に生きていきたいんだよ私は。元気な人のお世話を全力でやってる暇ないんだよ。

 

「あなたはお母さんを助けてくれる」って本当に何回も何回も耳が腐りそうなほど聞かされて自分でもそう思ってきたけど。

コンビニのトイレと一緒でしょ?「キレイに使ってくれてありがとう!」みたいなやつでしょ??

 

自分が困ったときにいつも助けてほしいけど、その「確実に助けてくれる」保障なんてないから事前に「お母さんは、娘のあなたを(助けてくれる人)として評価してるから、ちゃんと助けてくれるよね?大丈夫よね?わかってる??(チラッ)」て釘さして来てるんじゃん。何本も何本も。

 

言っとくけど、本当に助ける気あったらそんな何本も釘さして来なくても勝手に気付いて考えて助けるから!

 

実際、ちゃんと関係ができてたら釘なんて一本もいらんから!!

自分の不安を勝手に釘に変換して娘の心にばっかりしつこく打ち込むのやめろ!!

やるんなら他の兄弟にもやれ!そもそもまず、自分のパートナーにやれや!!

回りくどくコントロールしようとするんじゃねぇ!

 

困ってるならその都度要件をストレートに言ってくれ!! 

「本当になんでも言えるのよー」はそういうことだろ??

 

「困ってるのよー(チラッ)」で「察してくれること」を期待するな!!

 

 

それぞれ自分の生活を大切にしようよ。

あなたがやるべきことを自分で考えてきちんとやってみて、あなたのパートナーである父親や私よりも近くに住んで頻繁に会っている兄弟親族に相談してもどうにもならなくて「一人じゃ厳しいなあ」ってことがぽつぽつ出始めた時が、初めて娘の出番だと思うよ。

 

言いやすいから・都合いいから・余計な事は黙っていてくれるから・頼みやすいからとかの安易なメリットで娘に毎度毎度なんでもかんでもブン投げて。

 

こっちが必死で解決したら、いつもと同じ顔でニッコニコしながら「ああ、やっぱり娘は頼りになるわ!なんでも言い合えて助け合える!!ありがとう!!」っていうの、今考えると反吐がでます。

 

なんでも言い合えてないから。本当に言いたいこと、こちらは言ってないから。

感謝の念を伝えながら、また兄弟の愚痴をこぼしだすんじゃない。

ああ、また始まった…「困ってるのよ…(チラッ)」てやつ。

 

どうせぶん投げてくるなら娘の私じゃないとどうにもならないことにしてくれ。

あんたの持ってくる案件のほぼ全部、私がやるべきことではないぞ。父親に投げれば即解決する案件だ。

 

あまりにも安易に「娘は母親を助けるもの」と信じ切ってしまっている人が多すぎる!

娘にだって生活はあるし、娘は母親を助けるために生まれてきたわけじゃない。

 

介護が必要とか緊急じゃないどころか、健康な体もそこそこなお金もペットと触れ合う時間もあって周りの人間も元気なのに。

 

これだけコンビニやらスーパーやらがあって、その上通信販売もできて。注文すればほぼ速攻で発送された上にヤマトさんやらサガワさんやらが重い米袋だろうがデッカいボトルの飲料だろうが車のタイヤやホイールだろうが小走りで家まで担いで持ってきてくれて。

 

「消費税がー」とか「野菜高騰ー」とか色々あるけど結局物は飽和状態なくらい溢れててきめ細やかなサービスも良く見ればいっぱいあって。

 

洗濯掃除だって基本機械がやってくれるし、本気出せばルンバを駆けずり回らせて機械に食器洗いやってもらう事だってできちゃう世の中だよ?

数回通販や不要な買い物を我慢すれば買えちゃうんじゃない?

 

ほら、「娘に助けてもらわないと立ち行かないこと」ってそんないっぱいあるのかな?

 

いろんなところでいろんな情報も受け取れるし、自分の従来のやり方に固執さえしなければどんどん楽で快適になるよ?

 

人付き合いだってあなた次第だよ。

いくら私が「その対応はトラブルの引き金になるから絶対やめた方がいい」と1日がかりで説得しても、翌日にあなたが忠告フル無視でやらかしたらそりゃあ大丈夫なものもダメになるよ。

 

「トラブル起きた!助けて!相手がおかしいの!」

いやいや、被害者ヅラしてるけど原因ちゃんとわかってますか?

 

結局娘の話なんて聞いてなくて何回でも聞き直してそれでも忘れて。そのくせ、兄弟の言ったことやギャンブル用語は一発で暗記できるんだから。

 

あ!そういえば、我が家は「コードレス掃除機なんて…」とさんざんバカにしてたけどコードレスのダイソン導入してみたら、いちいちコンセント探したりコードが届かなくなって違うコンセントに差し替えたり引っ張りすぎてコードが引っこ抜けてまた差し直しに行ったりとかのゴミみたいな手間が無くなって掃除が恐ろしく快適になってダイソン様に頭が上がりません。

 

ゴミ吸ってるだけなのに、謎の白い粉まで吸えてて恐怖を感じるくらい吸引力も申し分ないし紙パックもいらないから楽だし…ってあぁまた話が脱線しちゃった。

 

 

…結局私は人と距離をとるのが下手でつぶれてしまって未だ回復中だけど。

誰かに対してふと感じた「あれっ?」「なんか変じゃない?」という直感みたいなものは本当の本当に大切なサインだと思うので、ここまで読んで下さったあなたもどうか見逃さずに!

 

私のような失敗を犯さずに、周りの人間とほど良い距離を保ちながらリアルを充実させて…!

 

皆で「呪い」をといて!心に刺さった釘をどんどん抜いて行きましょう!!

 

あとね…ダイソン、最高!!

 

 

 

【私よ!よく読め!】なぜ私は、いちいち他人の言動に日常をかき乱されてしまうんだろう。

●愚痴や噂話に、あまり乗っからないように・でも会話をぶった切る勇気はないし嫌われたくはないので当たり障りなく相槌を打って相手の話だけをひたすら聞いていたらどんどん愚痴や噂話が出てきて、数時間経つとしんどくて頭も回らなくなってきて。

 

なんとか話を切り上げて逃げ帰ってもまた「また会いたいんだけど」「ランチしようよ!」などと言ってすぐに誘われ、また愚痴を聞かされるのは御免だと思って断っても「じゃあ○日ならどう?」「毎日毎日そんなに忙しいわけないじゃん、暇な日いつ?」などと言われて結局こちらが折れて「…じゃあ、○○日だったら会える…かも。」みたいな感じで丸め込まれて、また会いに行く羽目になってしまってゲッソリ。

 

 

 

 

●「今何をしてるの?」「以前勤めていた仕事はどうしてるの?」「旦那さんとはどう?」「実家の○○は今どうしてるの?」などと、放っておいてくれたらいいようなことや話したくない内容を平気でガンガン聞いて来られて、私が仕方なしに答えた内容をしっかり覚えていてまた時間を経て再会した時に同じような質問をしてこられてゲンナリ

(でもこう言うことを聞いてくる相手は「自分の聞かれたくない事」とかは喋らない)

 

 

 

 

●私が「やりたくないからそっと放置」していた内容を直接連絡してきて「やってくれ」と。

「ちょっとそれは、私はやりたくないんだ」と断ったのに、数日置いてまたすぐに「この前断られた内容なんだけど、できればやってくれたらいいんだけど」とやんわりにみせかけつつ結局やらせようとしてきてグッタリ…。

 

 

 

 

…その時はなんとか乗り切るものの、しんどい!

 

 

車で出かけた時なんて、なんとか車に乗り込んで帰宅する瞬間から頭の中で「あの時○○って言ったのはマズかったな、また会った時に追求されたら嫌だな」「私の言動はどう思われただろうか」「あの人の言っていた○○は大丈夫だろうか、一応覚えていて何かあったらフォローしよう」「あの人は幸せそうだ、それに比べて私は無職の子無しで惨めだ」と脳内がフル回転。

 

運転中だしこりゃ危ねぇ!と思ってなんとか思考を運転オンリーに切り替えようとしても信号待ちとか真っ直ぐ走るだけの暇な道に入った途端に思考が再燃そして爆発。止まらない。

 

「いやいや、他人は私のことなんていちいち覚えて気にしてなんてないわ」となんとか誤魔化そうとしても止まらない暴走思考。

 

「良かったこと楽しかったこと」なんて秒で吹っ飛び「あの時あの人の引っかかった言動や思考・自分がやってしまったであろう失敗や失言・今度どう逃げるか」など「マイナス方向の思考」で頭が満タンになる。

 

そういえば、運転中のよそ見やスマホ、飲酒運転並みに「悩み運転」も危ないと思う。だって体は「運転」という行為をしてるのに脳みその中は「運転に使う一部」を残して、あとはよその世界にぶっ飛んで運転以外のことで稼働してるんだから。

「気づいたら家にたどり着いて車庫入れまできっちり済ませてるけど、よく考えたらどこをどう通って帰ってきたっけ?」みたいな時とか最悪に危険だと思うから運転だけは集中してやらないと…。

 

 

…話が逸れたので戻す。

まぁそんなこんなで「会う・喋る・携帯電話経由の連絡などの他人からの接触」で私はどうなるか。

 

「ずーーーーーーっと考えて悩んで気づいたら1日が終わってる」のです。

 

いくら風呂に塩持って入って体を清めても。

夫に話を聞いてもらっても。

トイレにこもっている時も。

料理で白菜きざんでる時も。

インターネットでスピリチュアルな対応や「○○してくる相手の心理」を検索してそのことについて記載されているページを読み漁っても。

ポジティブな時に日記へ写し書きした「何かを読んでいてふと目に留まった言葉や名言」を読み返しても。

 

何をやってても頭の中に「ネガティブに感じた出来事」が浮かんで、「未来に起こるであろうネガティブな事」が浮かんで、でもこんなこと考えたら「引き寄せの法則とやらでえらい目にあうぞ」となんとか切り替えようとしてみるけどそんなにサッパリ切り替えられなくて…とウダウダグズグズ。

 

気づいたら布団に入っていていつのまにか寝ていて、また次の日が来ていて。

 

 

ああ、私は「アレをしておけ・コレをやってくれ・あの人には挨拶して頭を下げておけ・愚痴を聞いてくれ・トラブル発生助けてくれ・あの人はああ言う人だから仕方ないんだお前が我慢してくれ理解してくれ」などと、やればやるほど・従えば従うほど私の人生にガンガン入り込んできて「コイツはなんでもやってくれるし怒らないし都合がいいぞ」状態で扱ってくる人達の中での生活が長過ぎたから、そういうタイプの人ばっかりが集まってくるんだなぁと自分で自分が嫌になり。

 

 

「もういやだ!今後は毅然とした対応をしよう!」と気持ちを変えてもまた「人に嫌われたくない」という気持ちが働き始めて「誰にでもいい顔してできることはなんでもやってキツイ返事や不快な態度は一切しないように相手の顔色を伺い機嫌をそこねないようにする自分に逆戻り」…。

 

 

いやだな、めんどうだな、なんで○○さんなら何も言われないのに私は言われるのだろう、私は放っておいて欲しいのに…。

 

 

グズグズ考えながら寝て。

今朝目覚めてふと思った。

 

「私が 必要以上に丁寧な対応をしようとするから相手がつけあがる」んじゃん。…と。

 

 

 

嫌なら「嫌」だけでいい。

無理なら「無理」だけでいい。

関わりたくなかったら「関わらない」だけでいい。

 

 

 

それだけでいいのに「角が立たないように」「マナーだから」「社会人として」「○○してもらった義理があるしなあ」などと理由をつけて「うまく断ろう」としてしまう。

 

「きっと相手も空気を読んで分かってくれる」と信じて、優しい言葉を使って当たり障りがないように嫌われないようにオブラートに何重にも包んで。

 

結果、包みすぎたオブラートの厚みが凄すぎて肝心の言葉が効果を発揮してくれない。

かろうじて「断りたい」ことが伝わったとしても「結局何が言いたいのかよくわからない伝わり方をしてしまっている」ので「じゃあ○○は?」とか代案を出されたりする事になる。

 

相手の顔色や言いたいことを察知し慣れている人なら伝わるものの、そんな感度が高い人間は私の体感的に稀な存在。

 

こちらが発する「渾身の断り文句」も、きっとほとんどの相手は「なんか無理な感じがしなくもないけど出来ないことはなさそうじゃね?日時を変えて誘うとかすればどうにかなるでしょ。」みたいにしかとらえてもらえてないと思う。

 

そして日時を変えてなんとかしようとしてくる相手がいて「えええ断ったのにしつこいんだけど何こいつありえない」と悩んだりドン引きしたり怒りに震えつつまたネチネチ対策を練りつつ過去のことを思い出してアレもコレもムカつくあああああなんで私はこんなに他人に振り回されないといけないんだもう嫌だあああとブログに記事をアップする私…みたいな不幸な図が生まれる。

 

 

 

冷静に考えたら、30代前半にもなってなんでいちいち他人の言った事やした事でネガティブな感情にならないといけないのか。

 

この前お正月が来て「あけおめ」したと思ったらいつのまにか年末が近づいてきて「メリクリ」して…というハイスピードで流れていく日常の貴重な1日を「他人の言動に悩んで過ごして一日終わってた」「気づいたら悩みながら1週間経ってしまった」みたいな過ごし方で消費してしまうなんて本当に馬鹿げている。

 

このままグダグタと悩みながら日々を過ごして、いつかこの世からいなくなる時も「ああ、○○さんに○○しろって言われてしんどいなあ。」とか思うのだろうか。元気におばあさんになるまで生きられたとして「若くて元気だった30代、なんで他人のことをあんなに気にしてたんだろう…なんでもっと自分のために時間や心や脳を使わなかったんだろう」と嘆くのだろうか。

 

よく考えたら「30過ぎても親兄弟祖父母親戚、まわりの人間の顔色を伺っていうことを聞いていい子で居続けて、産み育ててもらった恩を少しでも返していきたいと出来る限りの事をしようとしすぎて、過去のブログにある通り失敗して荒れて。学生時代は仕方ないとしても成人してからの10年以上、ピッチピチの20代をものすごく勿体無い使い方したなぁ私」と後悔していたはずなのに。40代になったら後悔しそうな過ごし方を、また30代でもしようとしてる。

 

 

親兄弟祖父母親戚が何をしようとどうあろうと何かを従わせようとか顔色がどうであろうが本来私には関係がないし産み育ててくれた恩義は何かで返しきれるものではないし返さないといけないものではない。血が繋がっていようが他人だろうが合わない相手はどう頑張っても合わないし無理に合わせようとしてもどこかで歪んで後々爆発する地雷になって、耐えれば耐えるほど地雷が増えて辺り一面地雷原になって一歩踏み外せば大爆発が連鎖して辺り一面焼け野原だ。

 

友達や知り合いが何かを誘ってこようが愚痴や相談を投げかけてこようがどんな態度であろうが、こちらもきっと、私がなんとかしないといけないものではない。

たまたま私がそこに居て、相手にとって都合のいい応対をするから投げかけられるだけであり、私がいなかったらきっと、違う人がターゲットになるだけ。相手は私じゃなくても誰でもいいのよ。

 

 

 

「できるならやったらいいし、できないなら・やりたくないならやらない」でいい。

 

 

無理な時は「無理だからごめんね」と断る。

それを「やらない時には、なんやかんや当たり障りが無さそうな理由を言う」が当たり前の社会だからと、プライベートにもそれを適用するからややこしくなる。

 

プライベートでなにかを断ったりしても「理由を言わないといけない決まり」なんてない。

そもそも理由を言わされるような相手に答えたところで「それなら仕方ないね。」と引き下がってくれる相手なんてほぼいない。

「じゃあ違う案ならどうよ?」と代案を出して来られるだけだ。

そうなるとこちらも、しどろもどろしつつも必死で言い訳したり謎の病のフリをしたり果ては身内の命の危機など「倫理的にどうなのよ的嘘」をつかないといけなくなってくる。めんどくせぇ。

 

 

もう、シンプルにいこう。

 

「できるならとっととやる。無理なら無理と言う。理由を言われたら簡潔に答える。」

 

…それでしつこく食い下がられたら?

これも私の体感的にだけど、断っても断っても何故か食い下がってくる奴はだいたいヤベぇ奴。どんな美男美女でも、どんないい奴に見えても、どんな仲よくても。

 

その時はなんとかなっても、だいたい「あぁ…なるほど、こういう風にヤベぇのか。確かに変だなぁとは薄々感じてたわ。」ってなる。…え?そんな事が起きてるの私だけ?いやいや、あなたも気づいてナイだけかもよ…ヒャヒャヒャ(嫌な笑い)

 

まぁ、あくまで「私は」な対応だけど、食い下がってくる人からはなるべく逃げるようにしています。

前はいちいち相手して「ゴチャゴチャやるのを楽しんでた」けどね。もうマジ無理まじ卍。(よくわからずに卍って言ってみたけど、こんなもんホントに言ってる人いたのかな…?)

 

もーーーね!

まとめとしては、「いちいち他人の言動を気にして悩んで対策練って、ゴチャゴチャやって伝わらなかったら振り回されたりして悩んで…みたいな学生時代みたいな事を20代もやって30代もやりつつあって、このまま40歳…50歳って命続く限り、事あるごとに繰り返していく人生って…どうよ!?」って思って!

 

本気で大好きな相手や一生付き合っていきたい相手ならともかく、今もし会えなくなったとしても「あー、そうなんだぁそれはしかたないなあ」としか思えない相手(私が冷たい!?)を想って、人生の貴重な日々がネガティブに染まって気づいたら終わるの、ホントにバッカみたいだなと思って!

 

だけどそういう風に「スパーッ!」と割り切れた日が来たと思ったら「あぁやっぱり私が悪かったんだ」とか「私より大変な人がいるから私の悩みなんて悩むべきほどのことでもないからこんな事で悩んでいる私はダメな人間でだから無職で子供も出来ないんだ…」みたいにグダグタやっちゃう日々に戻って…それを繰り返して。

 

 

バカかー!

私!!バカなのかー!?

 

何回も繰り返して「失敗だったな」と思う人生の使い方をまた繰り返すのかー!?

 

他人のことを必死で考えて体力気力と時間を費やしてる暇があったら夕食の献立でも考えてろー!!

 

そんなにその相手は大切かー!?

一生仲良くしていきたい相手なのかー!?

 

あの時私が誰かに対して行った行動の良し悪しをグダグダ考えてて楽しいかー!?

 

今後相手がどう対応してくるのか、ビクビク怯えて幸せかー!?

 

「何かをしたくない時、断りたい時」にそんなにあれやこれや理由付けが必要なのかー!?

必死でつけた長ったらしい理由の、辻褄が合わなくなってないかー!?

 

私よ!人間関係でブルンブルン振り回されて「なんで私ばかりこんな目にあうんだ」と苦しくて、被害者気分になったらこのブログを読め!

 

もう一回言うぞ、【私よ!よく読め!】

 

そしてゴチャゴチャ考えるな!お前はそんなに賢くないぞ!

 

だからシンプルにいけ!昔のドラクエの主人公になれ!

 

「はい」か「いいえ」だ!!

 

うまくやろうとするな!もう一度言うが「お前はそんなに賢くない!!」

 

そしてそのシンプルな回答を理解してくれない相手はだいたいヤベぇから、そーっと後ろに下がって距離を取れ!そして程よい距離をあけてダッシュで逃げろ!!

 

ヤベぇ奴は獣と変わらないから、隙を見せたら人生台無しにされるぞ!獣の目の前に無策でプラプラ出て行くなんて死ににいくようなもんだ!すぐやめろ!せめて防御魔法を学べ!

 

こちらの攻撃は無効化されるから無駄だ!

防御と逃走に徹して、とにかく逃げろ!!

 

逃げおおせて、一息ついて、また人と関わりたくなったら違う人間と関われ!地球にはいっぱい人がいるから!そいつだけじゃないから!!

 

今回はたまたま人間の皮を被った獣に当たっただけだ!

まともな人間もちゃんといるぞ!

 

そして、余計な相手なんかで頭を一杯にしてないで、そんな自分を分かってくれたり支えてくれたり助けてくれる人間で頭を満たせ!

そんな人誰もいないように見えても、よーーーく探せばだいたい誰かいるぞ!

敵に見えるけど実は味方だった…みたいなややこしい奴もいるから見逃すな!!

 

でも、「やべぇこれマジ誰もいない」と感じたらその環境からは全力でにげろ!留まってもゆるゆるとボコられるだけだ!!逃げろ!!

 

 

いいか私!

 

他人のために必死でゴチャゴチャやったところで一切の時給は発生しないしお前の人生は1ミリも前進しないし下手したらつけ上られてお前はどんどん「何を言っても怒らない、何をしてもいい奴」になって相手の奴隷みたいになって時間や思考を相手の為に捧げていく羽目に陥るぞ!

 

散々奴隷として酷い目にあって「もう奴隷にはなりたくない」って泣いて、バチッと目を覚ましたはずなのにまた奴隷になりに行こうとしているぞ!?

 

いい加減ちゃんと目を覚ませ!

 

付き合う相手をちゃんと選べ!

義理や過去の付き合いとかそんなゴチャゴチャは関係ない!そいつと居たいの?居たくないの!?

 

そして最後に、フラフラ生きるな!

目標も何もないなら「何もない日常」を全力で楽しんで堪能しろ!

ホントは、よくわからない相手に時間や気力も体力を捧げてる場合じゃねぇぞ!?

よく探せ!意外と「自分のためにやらなきゃいけない事」があるぞ!!

 

「とくになにもない」じゃねぇ!「ちゃんと探せ!!」

 

 

 

 

…恐ろしく長くなったし、似たような事何回も言ってるだけのブログになったけど、最近色々あって気づいたことなどを書き出したりしてみました。

 

似たような事に何回もハマってしまうので…。

 

自分自身、気持ちが落ちたり人に対して疲れたりした時に何回もこのブログ記事を読み返して自分で自分をビンタしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思ったこと。

小学校の頃、運動会の練習として集団でひたすら校庭を行進している時にふと目にとまった「私たちが右足左足揃えて行進とか、こんなにどうでもいい事を必死でやらなければならない時に、外の道路を車で走っていく大人の人」がものすごく羨ましくて仕方なかった。

 

中学校で少し校則が厳しくなって、スカート丈を短くしている人がいるやらお菓子のゴミが発見されたとかそんな他人のやらかしたどうでもいい事でいちいち学年全員が体育館に集められて連帯責任でひたすら怒られて、時には膝をつかされて床に沿うように広がったスカート丈を採寸されたり面倒な目にあいながら「さっさと大人になりたいな…大人になればうるさく注意してくる人がいないだろうし」と思っていた。

 

高校でも同じく。

比較的自由な校風だったが、校則を破った人が増えてくると学年全員が一部屋に集められて注意を受け、部屋を出る時に一人ずつ服装を確認された。

 

本当だったら違うことができたであろう数十分。

 

校則を破ってチェックに引っかかった人を見ながら「こんな校則一つ守れない奴のせいで、全然違反してない私たちの時間まで無駄になったじゃん…。髪染めたければ学校卒業してからやればいいし、そんなにスカート短くしたければ家帰ってからマイクロミニでも履いとけよ!学校でやるな!こっちまで巻き込むな!」とムカムカしては「さっさと大人になって、こんな他人がやった事で連帯責任になってガタガタ注意されない生活がしたいなあ…。」とか思っていた。

 

学生は、学費がかかって親に迷惑がかかる。

「この学校はやりたい事を探せるから!」と適当な言いながら、本当は親にふわっと言われた「私立はお金かかるから市立に言ってくれたらいいなぁ」だけを最優先で考えて選んだこの高校。

愛着や思い入れなんか全くなくて「市立とはいえお金かかるから早く卒業したい!」その一心だった。

 

親にできるだけお金の負担をかけたくなかったのもあり、さっさと卒業して仕事に就いて自分で稼ぎたかった。

 

さっさと卒業したかったから授業とかも好きなとこだけ聞いて苦手なところは適当に流していたので、大嫌いな数学では赤点を取ったこともあるけど「数式なんて日常生活のどこで使うの?いらなくない?」とか思っていたし、大半の授業は「なんかやらなきゃいけないからやる」感じでほぼ興味が無かった。

 

服装が真面目で素行も真面目。

勉強はそこそこなのに、パッと見の真面目さだけで教師からの評価は悪くなく、懇談などではやたらと褒められたが「私は真面目しか取り柄ないから、他に言える事がないんだろうなぁ…親との空間じゃ先生も何か言わないといけないだろうし」と思っていて褒められても嬉しくなくて、でも喜ばなきゃいけないと思って表情だけは笑顔にして「ありがとうございます♪」とか言っていた。

 

規則・校則は固く守った。

そんなこんなで学校を卒業した。

涙は一粒も出た事がなく、隣で号泣するリア充女子に引いてしまっていた。

 

そういえば就職を考える時期。

就職活動といってもやりたい職種なんか考えたこともない。というか今思えば「ちゃんと自分の頭で考えようとしなかった」だけなのだけど、私は「社会経験が豊富だから考えてほしい」と言いながら親の意見に従った。

適当に持って帰った求人情報のコピーを見せて選んでもらった。

 

もともと「あれをしろ、こうしたほうがいい、これをすれば間違いない」などと指示を出したい系の親だったので、ちゃんと意見を仰いだほうが喜ばれるし親孝行になると思っていた。

 

そんな感じで選んだ職場に無事就職。

親には喜んでもらえて応援やアドバイスをたくさんもらった。

言われた事はきちんと守って、会社でもきちんと働いて評価も「真面目でいい子!」とのことだった。

 

しかし時折「私は何やってるんだろう?」と思うようになって5年少々経過し、苦手な人にニコニコしたり誰に対してもいい子でいようとしすぎて軽くバカにされるようになったりうまく愚痴吐き場にされたりするようになって、私生活でもなんだか苦しくなった。

 

「真面目に一生懸命生きてる素直で清貧だけどいつもにこやかな人」でいるようにしておけば幸せになれるのかと思っていたけど苦しくなるだけで、ベルトコンベアの上を流れてくる部品のようにいつまでたっても同じような「仕事で終わる日々」が流れ続けてくるだけで、一向に幸せになれる気配がない。

 

月々お給料を稼いでいるはずなのに貯金なんてありゃしないし旅行なんて夢のまた夢だった。

 

私は折れるように退職した。

「真面目なお前が急にどうした?」と上司や事務の人たちに物凄く心配されたが「具合が悪い」ことを理由にした。みんな納得してくれたうえ、使ってなかった有給を全部使わせてくれた。有り難かった。

 

「私がやらなきゃ誰が代わりをやるの?」と思ってゴリゴリに仕事をして、愚痴を聞いたりサポートしたり慰めたり。仕事も日常もフル回転で基本的に他人のことばかりして、他人のことばかり考えていたし、他人からの評価が自分の価値だと思っていたから、他人に何かあれば全力でできることをやったし他人が私の陰口を言っているような気配が一瞬でもすれば死ぬ気で相手の懐に飛び込んでいってフォローしたり相手をいい気分にするようなことを言ったりした。そしてその場がうまく収まっても「あの人もしかして私のこと嫌なのかな…」とグルグル考えて死ぬほど落ち込んだ。

 

 

 

…いろいろあって今の生活を手に入れて落ち着いた人達の中で落ち着いて生きる事が出来るようになった今、自分のためにトーストにベーコンと卵乗っけて焼いたりコーヒーいれたりする事が嬉しいと感じる。

 

学生時代もこんな感じで自然に生まれてくる自分の気持ちを大切にすれば良かったし、「さっさと大人になりたい」とかどうなるか分かりもしない未来や嫌な面ばかり見てないで「その時の自分のやりたい事や進みたい方向」なんかを自分の頭でちゃんと一生懸命考えたら良かった。

 

「こうすれば親が楽かも?」「親が喜んでくれるかも!」などと親の目や気持ちばかりを伺わずに、周りの人の目に怯えずに、その時に自分がやるべき事をきちんと全力で堪能して「全部私がやった」と思える日々を過ごせば良かった。

 

ゲームばっかりやってる場合じゃなかった。

きちんと考える時間は長過ぎるくらいあったんだ。

私はほぼ全部ゲームに浪費して、その経験は今に何一つ活きていない。

 

学校を卒業する時に隣で号泣していたリア充女子と一緒に涙を流せるくらい。

カッコつけたり捻くれたりせずに、もっと一生懸命その時間を生きたら良かったなぁ…。

思えば、彼女たちの方がよっぽど笑顔でよっぽど楽しそうでよっぽど真剣にその瞬間を過ごしていた。

 

時には話しかけてくれることもあったのに、自分に無い雰囲気を持った彼女たちを避けて、同じ学校出身の人や自分と似たような雰囲気の人とばかり一緒に過ごしていた。

 

なにもかもが消化試合で変化や新しいものは怖いからできる限り言い訳を並べて避けて逃げて、それでも何か決めなきゃいけない場面では他人の力を頼ったり誰かが手を差し伸べてくれるのをじっと待った。

 

お陰で大きな失敗はした事がほとんど無いけど、その分いろんな経験も受け流してしまった。

周囲の評価やかかるお金に怯えてばかり。

 

あの日行進の練習をしながら見えた、校外の道路を駆け抜ける車に乗った「なんでも自由が利く大人」に私もなっていたはずなのに、全然自由じゃなかったしなんなら自分で自分をがんじがらめにした挙句に、自分を放り投げて他人中心に生きていた。

 

学生時代に仲よかったけど、大人になって10年以上会ってなくて誕生日プレゼント送り合うだけの友人や年に1回も合わない女子会メンバー、年賀状で近況を知るだけの友人の顔色を伺って「お祝い事!?贈り物しなきゃ」とか「プレゼント何にしようか」とか、相手の顔も思い出せない関係なのに必死で考えたり、過去に関わった人と同じ誕生日のナンバープレートの車を見ただけで「まさか、あの人になにかあったのかな」とか「これはなにかのサインなのだろうか」とかいちいち考えてしまったり。

 

大人になりたくて、自由になりたかったはずなのに過去にすがって他人の評価を気にしてよく分からない何かに怯えてご機嫌を取ろうと右往左往。

 

「気付き」というのはその瞬間じゃなくて大体後になってやってくる。

日々がルーティンになってくるとつい「今、生きてる事」を忘れて有り難みを忘れるどころか忙しさに疲れたりイライラして「もっといい生活を目指さなきゃ」とまた分かりもしない未来に期待して頼ってしまう。「いい生活」になるためのなんの行動もしてないのに。

 

今、校外の道路を車で走る自由な大人の立場。

髪を染めようがスカートを短く履こうがお菓子を食べようが自己責任で自由。

 

自分は何をしたら楽しくて、何に向いているのかをきちんと考えるべき時期に周りの目ばかり気にしてきちんと考えてこなくて、今もよくわからなくて「特に何も…」って感じで、日々の生活が落ち着いてなんとなく生きる感じになっている。

 

無事に迎えた2019年。

夢中で没頭してしまう何かを、小さなことでもいいから探しまくっていきたいと思います。

あと、現実的にお金もうまくつかえるように考えていきます。コツコツいくぞ。

 

 

 

自分が自分でやっていると思う リア充ブロック②なんでもかんでも感謝し過ぎた。

以前書いた「自分が自分でやっていると思うリア充ブロック①」から結構間が空いてしまいましたが、本日は「その②」を書いていきたいと思います。

 

 

私は小さいころから「感謝をする」ことをゴリゴリに刷り込まれてきた。

事あるごとに「感謝、感謝」「ありがたい、本当にありがたい」などの感謝のセリフを家族の誰かが口から発射。

ちょっと私が何か役に立つようなことをしたら「お前は本当によくできる子だ、ありがたいありがたい。」と感謝をしてくれた。

 

自分のいる環境がそんな言葉にあふれていると、私も感謝するようになっていった。

 

「財布のお札を入れるところからなぜか10円が出てきた」みたいな些細な事から「出かけた先で見ず知らずの人に親切にしてもらった」ことまで様々な場面で感謝した。

 

学生時代にも、夕食時に飲酒で機嫌のよくなった父が「お前らがこうやってご飯を食べられて学校に通えるのも、(自分を指さしながら)儂が!毎日働いているからだぞ!!」と言ってくるのにも感謝し、心の中で「この恩は私にできることを全力でやって返していかなきゃ」と思った。

 

社会人になっても、同僚や先輩が「一緒にご飯を食べようよ」と誘ってくれれば「私なんかを誘ってくれるなんて、なんてありがたい!!ぜひともご一緒させてください!!」と飛んでいった。

 

結婚しても「夫は稼いできてくれるありがたい人だから」とひたすら感謝した。

その当時私も働いていて、どちらかというと私の方が仕事量が多かったのだが家に帰ったらテレビをつけてドカッと座り込み趣味の番組を見始めて何一つ手伝ってくれない夫を横目に、必死で晩御飯を作り、テレビを見ながらのながら食べで味気なく無くなった晩御飯を嘆く暇も無いまま洗い物をしてお風呂を沸かし、夫を先に入浴させたら自分が入浴して、夜のうちに洗濯物を洗って干し、まだダラダラとテレビを見ている夫を寝床へと急かす日々を送っていた。

 

気が付いたら「心から感謝をしてありがたいと思う」よりも「感謝をしなければならない」という心境になっていた。

 

どんな理不尽なことがあっても「それは自分を成長させてくれるから感謝」

ちょっと「は?」と思うようなことを言われても「どんな相手も仲良く大切に感謝」

自分がつぶれそうで誰かに助けてほしくても「神が与えてくれた試練だから感謝」

 

 

何においても「感謝。」

とにかく「感謝。」

ていうか「感謝」しないと悪い事が起きてしまう。

 

…もはや強迫観念みたいな物があって、うまく伝わり切らないかもしれないけどとにかく「感謝しなければならない」という心境になっていた。

 

感謝をすることによって、確かに物事や人付き合いはうまくいっていた。

しかし「すごく満足できてうまくいっていた」のではなく、「可もなく不可もなく」物事が収まっていたように思う。

 

理不尽なふるまいをする相手が来ても「感謝」の気持ちをもって対応していたら何となく平和にその場は収まるし、むしろ逆に気に入られて妙に仲良くなる事が多発した。

 

「は?」と思うようなことを言われても「感謝」の気持ちを優先するとなんだかだんだん「その内容にも一理あるかもしれない」と思えてきて、相手の話を素直に聞こうとすることができた。

 

自分がつぶれそうなときでも「感謝」と思って、トラブルに正面から突っ込んでいってできる限りのことをしたら不思議と丸く収まった。

 

しかしそれは「心から感謝できる物事の収まり方」ではなく、「自分の身を犠牲にすることによってなんとなく得られた平和に見えるような状況」であった。

 

結局「感謝」でごまかして耐え忍ぶ状況に自分を追い込む結果となり「相手はうまくいっていてニコニコしている」けど自分は相手に合わせてニコニコしながらも「心の奥にモヤモヤがたまり続ける状況」となっていた。

 

それでも「感謝」をし続けて生きていくうちに私は、「こいつには何を言っても怒らない」「なんでもやってくれる」「頼みやすくて聞きやすい」「便利」とただのつかいっぱしりみたいな立場に落ちていき、周りの「はっきり断れる人」「用事を頼みづらいオーラが出ている人」「自分中心の人」の人の方が重宝されていることに気づいた。

 

それでも、自分で作り上げてしまった「つかいっぱしりキャラ」はなかなか変更できない。

それどころか体の芯にそのキャラがしみ込んでしまって「私にできることある?」「なんでもするよ!」と、反射的に自らつかいっぱしられてしまう。

 

自分でも馬鹿だなと思っていたし、もちろん苦しかったし、口内炎や胃痛に毎日のように悩まされたし、最終的にはご飯が食べられなくなったし、今の自分がぬくぬくと生きていられるのは「誰か」が頑張ってくれているおかげだと思うと自分のために冷暖房なんてつけようと思わなかったし「朝食や夕食も控えたら食費の節約になるかな?」と思ってお茶だけで朝食や夕食を済ませるようになったりもした。

 

気付けば6㎏体重が落ちて、白米のにおいをかいだだけで吐きそうになった。

白米を一口だけ食べてご馳走様をする日々が続いてさすがに自分で健康状態がヤバイことを悟って、泣きながら無理やりご飯を胃袋に突っ込んでひたすら吐き気に耐える日々を続けた。

 

それでもそんな日々に感謝していた。

もはや「人のわがまま」「愚痴の相談」「褒め言葉の強要」「用事の依頼」「イライラの解消」「お金の相談」「他人のフォロー」などに振り回されて「私が1人で片づけて当たり前の家事」「私が我慢して相手に合わせる」「いい人で居ないといけない」「髪の毛が異常に抜ける」のが日常になって、食べられないご飯は一緒にいる人が「え?くれるなんてラッキー」みたいな感じで食べていた。

(私、食べてきてお腹いっぱいだからとか嘘をついて食べてもらっていた。)

 

今思えば、感謝のしようなんてひとかけらもない。ていうか状況を冷静に見て自分のふるまいを変更していくべき場面だった。

それなのに「感謝!ぜーんぶ感謝!!」で目隠ししてしまって、きちんと目の前の出来事を把握しようともせず「感謝してればうまくいくはずなのになんかくるしいなーしんどいなー」とどこかのんきだった。

 

そんなとき、相変わらず「感謝」を掲げる人たちがトラブルに巻き込まれた。

私もガッツリ巻き込まれて状況を見ていたら、口では「感謝」とかのたまいながら批判や陰口全開でそこには感謝の欠片も見えなかった。

 

さらによくよく見ていたら「感謝!」「ありがとう」と言いながら、すぐに次の用事を頼んできたり「コレ絶対本当にありがとうって思ってなくない?ありがとうって唱えて褒めておけば相手は言うこと聞いてくれると思ってないか?」と疑うような出来事も起きた。

 

そもそも、親身になって私が必死に動いたり状況を打開できる言葉を伝えても相手は「盛大に感謝するだけして」すぐに忘れて「それやったらヤバイ」と伝えたはずの行動をサラッとしてしまい状況が最悪になったり。

 

それどころか全然どうでもいいテレビのしょうもない生活情報みたいなのや他の人の言った一言はしっかり記憶していたり。

 

さんざん巻き込まれて苦しんだ末に追い詰められてしまい「感謝しなきゃ」という気持ちをぶん投げて、「感謝しなかった分、罰が当たって死ぬならもうそれでもいいや」と文字通り自分の身を投げ捨てるような行動をとってしまった。今まで気づき上げてきた「いい人キャラ」や「信頼」も全部ぶち壊すような行動もした。

 

その結果、私は死ななかった。

 

自分でもびっくりして、なんだか感動してしまって思わず「私、よくまだ生きてるなー!!」と、とある街中で大きな声で独り言を言ってしまった。

あれだけ怖かった人の目が一気にこちらを見たけど、不思議となんともなかった。

 

いままで何回も思ってきた「偽の感謝」じゃなくて、本当にこころの底からメラメラと湧き上がってくるような「感謝」だった。

 

あれだけ「感謝」「感謝」と唱えまくって生きてきたのに今までこんな感情は感じたことなかった。なんだか空も飛べそうなパワーが湧き上がってくる。

 

本当に「これまでの感謝は感謝してなかった。」と気付いた。

だけど、もうこんな自分を粗末にするようなことは二度としないし、いろいろあったけどなんだかんだで生きていられる自分とちゃんと向き合って生きていくと決意した。

 

感謝感謝と自分に嘘をついてごまかしていた「感謝フィルター」を外す努力を始めた。

自分の本音としては「仲良くなりたくない相手」との飲み会やお誘いは理由を付けて断った。

 

どうせ行ったところで「その人の職場の誰か分からない相手の愚痴を延々と聞かされて恋愛について知ったように語られて、私が頼んだ飲食物が毎回毎回一口頂戴であっちやこっちやにたらいまわしされてメンバーのだ液まみれになって自分の手元に帰ってきてそれを嫌な顔もできずに食べなきゃいけない苦行」にしかならない。

無理やり話を振られて仕方なしに私の話を始めると、とたんに静かになったり上げ足をとられたり批判されたりするからひたすら「相槌マシーン」になるしかないし。

うん、もう自分に嘘つかない。行きたくないから行かない!

 

そしていかに身近な人であっても「感謝するべき」か「しないべき」かをきちんと判断するようにした。

 

「親には感謝するべき」と思って一生懸命聞いていた「お前らがこうして生きていられるのは儂が働いているから…云々」みたいなやつもまともに聞かないようにした。

よく考えたらもう数十回は同じ話をされているし、母も「お父さんはね、嬉しいからアンタたちに言いたくなっちゃうのよ」じゃねーよ!

 

そう言うことを言われ続けたから「自分のために冷暖房」すら「両親のお金の負担になりたくない」とつけられなくなったしご飯代を浮かせようと置いてある食材も手を付けなくなったし進路も親の負担にならないところを…ってなったし。

 

そもそも数回言えばもう身に染みるような話なのに、数十回聞かされてんだぞ?

そうやって放置するからこっちは何回も何回もそういう話を聞かされて、さらに酒も入ってるもんだから昔の、これまた何十回も聞かされた苦労話に発展していって聞かされて。数時間は拘束されて大変なんだぞ?

言われる方の気持ちなんて一切考えてない。それもどうなのよ?

 

 

「全部私が勝手にやったこと」だし今更遅すぎるけど「もう昔の事だから今更言っちゃダメ」って思ってたけど、よく考えたらなんで勝手に時効???

一定の期間が過ぎたらもう「昔の事」でも吐き出しちゃだめなの???

なんなのこの「自分が勝手に決めた時効」みたいな。自分で自分の首絞めるみたいな。

 

ダメダメダメ。また変な自分の決め事みたいなのあったわ。やめようコレ。

「吐きたくなったら吐き出すし、忘れてたらそのままでいいし、思い出したら思い出したでいいし」って。さらに自分を自由にすることにしよう。

 

 

気付いたら四千文字超えてきたし内容もわけわからなくなってきたけど、何でもかんでも感謝し過ぎると自分がしんどくなってしまうし「感謝」でマヒしてしまって目の前の出来事が冷静に受け止められなくなってしまう。

 

自分がモヤモヤした気持ちになったり、本当は嫌だなと思っているのに「感謝!」って思った瞬間に感謝するべき対象になってしまうので感謝の使いどころは本当に間違っちゃいけない。

 

しんどいならしんどいなりに、嫌なら嫌なりに、楽しいなら楽しいなりに…。

 

私もまだまだ「感謝するべき」や「いい人で居るべき」が反射的に出てきて冷静な判断が出来なくなる時があるけど、自分の気持ちが今どうなのかっていうことを大切にしながら、うまくいかないなと思ったら「上手に気持ちをもっていく情報を提示してくれている人」の情報にお世話になりながらコツコツ進んで行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

完璧に「頭を空っぽにする時間」を作ってみた結果。

私は色々と考えすぎてしまう性格。

料理をしていても、トイレにこもっていても、お風呂で洗顔していても、絶えず脳内に色んな事が浮かんできて、それについて考えてしまう。

 

考え尽くしたら「スッキリ☆それでおしまい」ならいいのだけど、どんどん膨らんでいく思考に終わりは見えないし、今度は全然違うことを考え始めたりして大体収集が付かなくなる。というか大抵いつも何か思考してしまって、時には一人で疲れることもある。

 

脳のメモリーをフル回転させ続けているので、時には思考をゼロにして脳をクリアにしてみたらスッキリして考えることも変わったりして「リア充」につながってくるのではないか?

 

…というわけで「絶対に何も考えない時間」をあえて作ってみることにした。

世にいう「瞑想」というやつだろうか。

 

いきなり「脳内の思考完全ゼロ」を無限に達成できるような気がしないので「まずはスマートフォンでタイマーを5分間かける。そしてその間一切の考え事をしない!」というルールを作ってみた。

 

床の上にとりあえず座禅っぽい物を組んで座ってみる。

そしてスマートフォンで5分間のタイマーをセットし、スタート!!!

 

目を閉じて「とにかく何も考えない事」に集中していく。

 

「そう、私は大仏…私は大仏…修行中の大仏…

 

 

 

……そういや大仏の髪型ってグリングリンしてるよなあ」

 

なんという、どうでもいいことが脳にポンと浮かんできてしまったのか。

思考ゼロ計画、速攻で失敗!!…である。

 

そして、確か大仏様のグリングリンしている髪型のようなものは髪では無いというのを結構前にバラエティ番組で見た気がするが忘れた。詳しくは後でネット検索しよう。

 

…って余計な事考えるのは もういい!リトライだ!リトライしよう。最初からきちんとやり直そう!!

 

微妙に進んだタイマーを5分にセットし直して、座禅っぽい物も自分なりにきっちりと組みなおして再挑戦をする。

 

タイマーのスタートボタンを押して目を閉じる。

 

「…なんか私、めちゃめちゃ顎と肩に力入ってるなあ。姿勢ももしかしたらめちゃくちゃ悪いかもしれない。」

 

…思考ゼロ計画、再び速攻で失敗!!今度も1分も もたなかった。

 

1日24時間あるうちの たった5分!たった5分すらも「思考ゼロ」で居る時間を作ることができないなんて…60秒×5で300秒。ほんの300秒も自分の思考を制御することができないなんて…!そんなに難しい事じゃないのに…!!

 

自分の不甲斐なさに悲しみがこみ上げてくる…けど、こんなことをやっていたらいつまでたっても「思考ゼロで5分」は達成できない。

 

「ちょっとでも何か考えたらアウト」っていうのはいきなり厳しすぎるのだろうか。

というわけで「少々だったら思考してもいい」というルールに変更してみた。

 

その代わり「何を考えたのか」5分後に思い出せるだけ思い出してノートに書きだしてみることにした。

 

セットしたタイマーを起動させてじっと座禅っぽい体制で「できる限り」考え事をしないように専念する。

 

 

 

…さて、その結果についてであるが 詳細は省き、結果のみ申し上げると「少々どころではなく、めちゃめちゃ考え事をしてしまっていた。」

つまり、思考ゼロ計画は大失敗に終わったのである。

 

ちなみに、何を考えていたのか。ノートに書きだされた内容を一部披露しよう。

 

・右の鼻のあたりがかゆい。

・めっちゃお腹が鳴ってる…お腹減った。

・そういや年越しそば作るのどうしよう?

・なんか肩こり酷いな。

・呼吸って意外と結構音がする。

・最近のお坊さん、髪がふさふさしてる人多い。

 

…などなど。我ながら酷いものである。

 

 

今回はこんな具合に終わってしまった「思考ゼロ計画」。

うまくできるようになればリア充に近づけるかもしれない?ので、これに懲りずに再び挑戦してみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

自分以外の事に頭を使いすぎている。

お風呂上がり、ドライヤーをしていてふと気付いた。

 

「私、なんでこんなに人のことばっかり考えてるんだろう。」

 

自分の髪の毛を乾かしながら、頭の中は「以前友人にお祝いとして郵送したアイテムは喜んでもらえたのかなあ」とか「もっと実用的なアイテムの方が良かったかなあ」とかグルグルグルグル考えていたのだ。

 

ちなみに、友人にお祝いを送ったのは昨年の12月。

一年も前だ。

 

そういえばお風呂に入ってるときも過去の出来事を思い出していた。

 

その当時の現場に居ると錯覚するくらいに詳細に状況を思い出しつつ「あの場面で、こういう風に言ったらどうなっていたか」を脳内で妄想して広げていく。髪の毛をシャンプーしながら。

 

そういえば料理をしているときも思い出していたし、洗車をしながらも過去の出来事を妄想していた。

 

何故だろうか。暇を持て余した脳味噌が、悩みを見つけてきて自動再生してくるのだろうか。

 

いや、もしかして「何かをしながら過去の回想をするシステム」を搭載しているのは私だけなのだろうか。

 

どうせ自動再生するんなから、過去の嫌な思い出やあの時あの人はどう思っただろうかとかそんな今更どうしようもない事じゃなくて、自分が嬉しい気分になった事とかどんな事をしたら楽しく過ごせたかとか「思い出すだけでテンションあがる内容」にしてほしい。

 

過去に嬉しかった事や幸せを感じたような出来事は思い出をひねり出してもなかなか出てこないのに、嫌だった事や後悔してることはスラスラスラスラいくらでも出てくる。

 

我ながら、脳味噌のバランスがよろしくないなぁと思う。

脳味噌の容量の9割くらいが「過去の思い出系」に偏っているんじゃないだろうか。

 

脳の中で「あの人にああ言われた」「この人にこうされた」とかを詳細に回想し、そこから自分の理想ストーリーを付け足して相手をやり込めたりスカッとするストーリーを作り上げたとしても、過去に上手に立ち回れなかったり後悔する結果になってしまった事は変えようがない。

 

なのに「過去の回想」が止まらない。

完全に無駄なのに。

 

でも、今日ふと気付かずにいたらこの先もずーっとこの脳味噌の使い方をしていたんだろうなと思うと結構怖い。

 

「過去のこと」や「あの人はどういう気持ちだっただろう等の推測」とかに脳味噌の容量を持っていかれないように。

 

ちゃんと、「自分の幸せ」に脳味噌を使っていくように改善していきたいと思う。