ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

お菓子のダラダラ食いが止まらない。

なんとなくフラリと入ったコンビニで買ったスイーツ。

 

スーパーで買ったスナック菓子。

 

体にはあまり良くないと知りながらも、ついつい手持ち無沙汰の時間を作って手を伸ばしてしまう。

 

 

暇になったら「あ、お菓子食べようかな。」

 

忙しく作業してても「これだけ頑張ったんだから一旦休憩しようかな。ついでにコーヒーでも淹れよう。」

 

ダラダラしていても「せっかくダラダラしてるんだからお菓子もダラダラ食べちゃおう♪」

 

 

だらしがないという自覚はあるし、お菓子を食べるために作業を中断してしまうと そこからもう集中力が戻らなくて作業を再開することを先送りにしてしまったり休憩がてら電源をつけたスマホにダラダラと夢中になってしまったりするのは目に見えている。

 

だけど どうしてもやってしまう「おやつ休憩」。

おやつ休憩を取らないといけないほどの作業なんてこなしてないのに。

 

私がこうしてダラダラと怠惰に過ごしている間にもどんどん前に進んだり活躍したり技能を磨いたりする人はものすごいたくさんいるんだろうな。

 

そう思うとわけのわからない焦りがうまれるけど、こんな時ばかり「人は人、自分は自分だし。自分のペースでいけばいいじゃん。」という考えが頭に浮かんで、ダラダラする自分を嫌悪しつつも止められないという状況をごまかしてしまう。

 

食べ物もそう。

お金の使い方もそう。

他にも色々な所でだらしない私。

 

「私だってちゃんと本気出せば本当はすごいんだぞ!」という気持ちも正直あるけれど、最後に「ちゃんと本気を出した」のはいつだっただろうか、思い出すこともできない。

 

私の本気はとうの昔に錆び付いていて、いざ「ちゃんと本気を出そう!」と思った時にひとかけらの本気も出てこないのではないか?

 

二十代入ったあたりから「いつか本気を出して変わろう、いつか、いつか…」とやってるうちにもう三十代も中盤。変わるどころか退化してないか?

 

このままじゃまずいと広げたノートに「人生でやりたいこと」を書き出して行こうとしても、上っ面の目標ばかりしかでてこない。

 

心から本当に望んでいるような事が、本気の夢や叶えたい希望が、私には何もない。

 

そもそも「ハイハイ、世の中ってこんなもんよね」と。大した体験もしてない狭い世界しか知らないくせに「悟ったように生きて」、チャンスがあっても「わたしにはまだ無理ですぅ」とか言って逃げて、そうやって過ごしてきたツケなのか、私は世の中をきっと全然わかってないしチャンスだって棒に振ってきたしお金や時間もいっぱいムダにしてしまっている。

 

「変えたいなら本気で取り組まないと」というのはわかってるつもりだけど、私の本気は3日も続かない。

 

毎日安全がわかっている範囲で「のみ」生活して危険は犯さないしチャレンジなんて気まぐれに一瞬やってみて即終了。

 

ただネットに繋げられる環境で文書を書けばいいだけのブログ更新ですらマメに続けることはできない。

 

お金を貯めなきゃとわかっていてもコンビニやカフェ通いが止まらないし、ちょっとお高いお菓子だって容赦なく買っちゃう。

 

気がついたら「お高いご飯屋さん」で普通に食事できるレベルの出費に気づいてびっくりしては「ちまちましたものに何度もお金使うよりも良いもの食べれば良かったな」と後悔。

 

お菓子だってダラダラ食べちゃうし時間だってスマホ片手にあっという間に数時間。内容は何一つ実にならないただのネットサーフィン。

 

物だけじゃなくて心も断捨離できたらいいのに。

いらない「ダラダラした気持ち」や「自分への甘さ」なんてゴミ袋にグルグルにまとめてぶん投げて捨ててやるのに。

 

本当、30歳過ぎて何やってるんだろうか私。

 

「自分が大人になったら…」なんて正直想像もしてなかったし将来の夢なんて「本当どうでもいいし」なんて思いながら「目標地点を何一つ定める事なく」親・先生の意見やその時の流れ・ノリなんかにゆるゆると流されて生きてきて今この状態。

 

リア充を「いいなぁ、楽しそうだなあ」と指をくわえて見ながら相手の持っているものに腹を立てたり嫉妬したり、焦ったり。

 

ダラダラ過ごしてなんとなく人生を浪費してる場合じゃないはずなのに。

お金も時間も若さもダラダラ垂れ流して、昨日と似たような今日を保守してる。

 

 

そんなこんなでもう令和元年も半分以上終わって。

このままじゃ、今年も何もしないまま「メリークリスマス」からの「あけおめ」になってしまう。

 

今年こそは…というか今月…いや。「今日こそは」からでいい。

 

「私はこれをやったぞ!」と。

 

「少しだけど、変わったぞ!」と。

 

そう思えるような過ごし方をしたい!

 

まず、「今日今すぐから、お腹も減ってないのに訳の分からない間食をするのをやめよう!」

お金を貯めたいと思っているはずなのについついコンビニとか寄っちゃってスイーツ買っちゃう人の脳内での独り言。

度々ブログにも書いている通り、お金を貯めて行こうと思っている。

 

ニュースでも「消費税増税が10月から開始でうんぬんかんぬん…」「老後にもらえる年金が減ってしまってうんぬんかんぬん…」などとお金に関する不安が垂れ流されていて、将来どうなっているのかなんて全然想像もつかないけれど、なんとなく不安な気持ちになってしまう。

 

「老後が不安だから」とかそういう理由でお金を貯めようとしているわけでは全くなくて、ただ単に「あ、これをやりたいぞ!」と思った時に躊躇することなくやりたいことに手を出せるようなお金を持っておきたいと思っているだけだ。

 

 

 

…なーんてことを語ってはみるものの、実際にお金がたまっていくペースはカメの歩みよりも遅い。カメどころかナマケモノにも勝てないかもしれない。

 

日常を過ごしていくための生活費に月々のカード払い、税金などの様々な支払い…気が付いたらなかなかの高額になっていて。

「ちりも積もれば山もりの請求☆」である。

 

そしてやめられない「ちょっとコンビニ」。

いつ行っても何かしらの「新作のスイーツ」やら「ホットスナック」、ちょっと珍しい「アイス系」など様々な商品が目白押し。

 

最近時々「賞味期限が近かったりして安くなっている食べ物」とかあったりするものの基本的にスーパーに比べてお値段は高め。

だけどいつでもお店が開いている便利さと、真新しい物がたくさん陳列されている楽しさの魔力についつい引き寄せられてしまう。

 

 

基本的に「スーパーに行ったらそれ以上散財する前に家に帰る」とスローガンを掲げている私だが、コンビニが見えてくると「…あ、コンビニ!」とついつい目を奪われてしまう。

 

そして心の中で始まる葛藤。

 

「あー!コンビニだ!!なんか面白い物あるかなあ?」

「いやいや、でもコンビニって基本的に高いし別に今スイーツとかいらないし…」

「でも珍しい物とかあるかも!」

「たった今スーパーに寄ったばかりだしなあ。でも、おにぎり一個くらいなら買って帰ってお昼ご飯にしてもいいんじゃない?(ツナマヨおにぎりー!!!!)」

「でも家に帰ったら白米冷凍してあるしなあ…本当はコンビニに今用事無い…」

「できるだけお金はつかいたくないんだよな…」

「だけど、生活の中に「楽しみ」って必要じゃん!!?

「…うーん、つべこべ考えるよりも、ちょっと入って商品だけ見てみよっか♪」

 

 

そうして「お金は使いたくない気持ちはあるものの、何か面白い物ないかなー?ちょっと商品を見て楽しむくらいいいよね♪」という複雑な気持ちのままコンビニへ入店する私。

 

 

「あー、店内に入っちゃった…お店に入ったからには何か買って帰らないといけないよねえ。」

「うわー、スーパーだったら100円以下の値段で売られてる板チョコなのにコンビニってやっぱ高いなー。これが定価ってやつか。」

「うわっ、なにこれめっちゃおいしそうなスイーツが新発売してるじゃん!…ええっ、結構値段高いな!だけどこんなのケーキ屋さんだったらもっと高いんだからお得っちゃあ お得かあ」

「おにぎりだけじゃさみしいから、レジ横のコロッケも買おうかな、サクサクでおいしいし…うひょー♪」

「ケーキ屋よりも安いスイーツだし、いくらかお金が浮くからその分でコンビニコーヒーも注文しちゃお♪」

 

 

当初はおにぎりだけ買ってお店を出るはずが楽しくなっちゃって、気が付いたらおにぎり+お菓子にスイーツ・コロッケ果てはコンビニコーヒーまで購入することに…

 

レジに並んでお会計されていく商品たちを見ながら「あああ、ちょっと買いすぎちゃったな」と反省して後悔するも後の祭り。

 

そして「1000円を超える合計金額」に愕然。

 

帰りの車を運転しながら「あああああ…お金また使っちゃった…」と自己嫌悪しながらコロッケの入った小袋を開封してコロッケをひとかじりする。サクサクしててめちゃめちゃおいしい。コンビニコーヒーも一口ゴクリ。鼻に抜けるコーヒーの風味が素晴らしい!!

 

車内に広がるコーヒーの香りの中で深呼吸しながら、今購入した商品たちの中で「本当に欲しかった商品」って何個あるだろう?と考えてみると全部無くても困らない物。

 

お菓子はスーパーで買ってあるし昼ごはんは家に白米とおかずののこりがあるしコロッケも絶対食べたかったわけじゃないしコーヒー豆は自宅に山盛りのストックがある。

 

スイーツも正直最近あまり「生クリームがしゃぶりたくて仕方ない!」みたいな「病的に求める」ことも無くなったし、どちらかというと「世間の流行の味をちょっと試してみたいから買ってみる」という感覚。

こってりとした甘みとクリームが結構しんどくなってきたお年頃。

 

「お金を浪費したくない、貯めたい!」と思っているのについつい自分に甘くしちゃって気が付いたら「浪費してるどころか栄養価皆無の食卓をエンジョイ」しちゃっている私って本当にダメだなあと反省。

 

ションボリしながら家に帰り、部屋でスイーツを開封する。

見た目にも麗しく盛り付けられた艶やかなスイーツが私の沈んだ心を元気づけてくれる気がする。

 

スイーツ「マナちゃん!!人生には楽しみが必要だよ!!うふふふっ♪」

 

私「そ、そうだよね!!お金は使わなきゃ回らないって時々耳にするもんね!?」

 

スイーツ・私「人生、楽しまなきゃ!!」

 

 

 

あーーーー!スイーツ、おーーーーーいしーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!

食べきれていない食材や調味料がいっぱい。

ウチの冷蔵庫は やたらと不便。

 

冷やしたいものを入れるスペースがなかったり、取り出したいものがある時は手前のものをひたすら左右によけまくったり外に一旦よけたりしないといけなかったり。

 

「なんか不便だなー、なんでだろうな。でも考えるのめんどくさいし。物をうまく寄せればなんとか冷やせるし取り出せるしまぁこのままでも問題はないかなあ…。」

 

そんな風に思いながらなんとか日々を乗り切ってきて、よく考えたらもう数年経過していました。

 

「なんか不便だけど…まぁなんとかなるか」という考えだったのですが、それが最近イライラに変わってきて「あぁもう!またゴチャゴチャしてる!また物を寄せないと牛乳出せないじゃん めんどくせぇ!(内心イライラ)」と。

 

冷蔵庫を開けるたびに一瞬でイラついてしまうようになりました。

 

「くそー!冷蔵庫が古いからダメなんだ!新しいのを買えば解決するはず!でもそんなもん今ポンと買ってる場合じゃねえ!5月の支払い凄まじくて6月の今もまだ不安だし、夏の終わりには車の車検と保険が…あー!くそー!これも全部冷蔵庫が古いから…(以下省略)」

 

何度も何度もイラついて。流石にこれはダメだし、冷蔵庫の古さの問題でも無いような気がすると思って。

 

冷蔵庫を開けて、落ち着いて眺めてみる。

 

すると、過去に面白半分で購入した珍しい調味料や、美味しくて「食べきってしまうのがもったいない!」と出し惜しみしてたお菓子やチーズ、梅干しなどが結構な量隠れていました。

 

「えー!こんな物があったんだー!?」と忘れてしまっていた物まで。

 

そりゃあ、冷蔵庫もパンパンになるわ。

しかも冷蔵庫は義母と共用な上に、お互いが自由に買い物して食材を冷蔵庫に入れるスタイルなのでダブり買いもしょっちゅう。

しかもどちらも頻繁に食材買いに行くタイプで買い物回数は多め。

 

私が半分にカットされたキャベツを購入した日に義母も半分にカットされたキャベツを買ってきてて、冷蔵庫の野菜室でひと玉にフュージョンした日にはなんとも言えない感動がありました。

 

…しかしそんな感動よりもイライラのほうが多いので、これは対策を考えなくては。

 

てな訳で考え出した対策!

 

1、今冷蔵庫にある食材や調味料をどんどん使い切って片付ける。使い切った調味料(珍しいやつとか変わったやつ)はすぐに買い足しせずに必要な時に購入するか、ネットで代替えレシピを検索して自作する!(コチュジャンとか、ネットで検索したら代替えレシピ出てくるんですよ!ホントにビックリ!マジスゴイ!レシピ考えた人天才すぎる!公開してくださって感謝!!!)

 

2、義母とかぶらないような物か、かぶってもすぐに使い切ってしまうような食材(醤油や砂糖、味噌などのさしすせそ調味料やキャベツ白菜もやしとうふなどの使い回し放題の野菜など)を主に購入する。

 

3、購入した食材をある程度使い切ってから買い足ししに行く。まだまだ食材があるのに大量に買い足ししない。特売に踊らされない。必要な物が出た場合は必要な物だけ購入して速攻で帰宅する。

 

4、遊びに出たついでにふらりとスーパーに入らない。用もないのに暇つぶしに行かない。

暇をつぶすなら雑貨屋とか文具屋とかカフェに行って本気で暇を潰して楽しむ。

 

5、あってもなくてもどっちでもいいようなものは買わない。

 

大まかにはこれくらい?

これらを念頭におきながら食材管理をするように心がけて、自分が買いだめしてしまっている大量の物達を減らしていきたいとおもいます!

 

 

年始に掲げた目標を確認してみた。

元旦にノートに書いた「今年の抱負」。

 

2019年も半分近くが過ぎつつあるのでここらでひとつ抱負を確認してみた。

 

知らない間にいつの間にか達成していた抱負が2割。

 

残りの8割の抱負が未達成。

 

…あと半年くらいで残り8割の抱負を全部達成させるの?

 

そう思うと気が重くなった。

できないことはないけれど、めんどくさい。

 

あれ?

でも、めんどくさいって思うということは?

半年近く経っても未達成のまま平気で忘れて暮らしていけるっていうことは?

 

 

…もしかして、無理矢理達成させなくてもいいんじゃない?

 

 

そう思って、今の私が「この抱負は是非とも達成させたい!」と思うものだけに赤いボールペンで◯をつけてみたらほんの数個しか◯が付かなかった。

 

ほとんどが「特にいらない」「その時の気分」で掲げた抱負だった。

 

必要なものは放っておいても達成してる。

かといって「必要なのにうっかり忘れてる」ものもあるから、定期的に目標や進む方向は見直しをして「目標の断捨離」もした方がいいんだなぁと思いました。

 

「私は馬鹿だから…」と言い出す人。

似たようなめんどくさいことをやたらと繰り返す人がいる。

 

やたらと余計なお世話ばかり焼いてくる人が居る。

 

良かれと思ってやっている事なのだろうけど、周囲からは「うっとおしいな」と言われたり思われたりしている人もいる。

 

トラブルを起こしておきながら「えっ、なんでこんなことになっているのか分んない」とか言いながらキョトンとしている人もいる。

 

彼らは皆「自分は正しい」し「良かれと思ってやってあげているのに」と言いたげで、「自分の善意を受け取れない相手に問題がある」といった様子。

 

周りの人が大人だったり優しかったりするから「あなたの〇〇にちょっと困っているから控えてもらえますか」などと忠告などしないで、肝心な点に対して突っ込まずに黙って見守ってくれている。

 

しかし相手が悪いと陰で「あの人…うっとおしいけどなんなの?」「あまり話をしたくないよね」などと言われている。

 

 

本人は完全に「善意」しかない。

 

周りからは「邪魔」でしかない。

 

なんとも皮肉な状況。

 

 

こういう人は大体自分から「私は馬鹿だから分からない」とか言い始める。

 

誰かから責められたり、強い言葉を投げつけられたり窮地に追い詰められると「私は馬鹿だから…。」

 

何かを失敗したり、うまくいかない流れになってきたときにも「私は馬鹿だから…。」

 

自分のやらかした行動や発言のせいで相手の顔色が曇っても「私は馬鹿だから…。」

 

その人が積み重ねた行動が大きなトラブルにつながっても「私は馬鹿だから…。」

 

 

この世の中に完全なる馬鹿はそうそういないと私は思うが、私が出会った人間関係の中だけでもこういう「私は馬鹿なんです」と言い出す人はやたらと多くいて、何故か特に40代から上の女性に多かった。

「えっ何?この年代から上の人は自分を馬鹿だと思い込まされるような洗脳でも受けてんのかな???」と思うくらいに。

 

配偶者や一緒にいる人に「お前は馬鹿だから」とでも言われるのだろうか。

それとも幼少期から育ってきた家庭環境・人間関係の中で「お前は馬鹿だから」とでも言われてきたのだろうか。

純粋な気持ちを持っていればいるほど、相手の言葉を信じる心があればあるほど、他人の評価を「自分はそうなんだな」と受け止めてしまう気持ちは大いに分かる。

 

私自身も周りの評価を「自分はそういう人間なんだな」と思って生きてきたし、私の母だって何かを失敗したりうっかりしたら事あるごとに父から「お前は…!だからお前は馬鹿なんだ!!」と言われていたので、なにかあるといつも「お母さんは馬鹿だから良く分からないのよー」と言っていた。

 

 

しかし今なら思う。

「お前は馬鹿だ」とののしる人は、「その相手のどこが馬鹿だと感じて、何が問題で、どうしたら改善できたり再発を防止したりできるのか」をきちんと言葉を尽くして伝えない。ただただ「お前は馬鹿だから」としか言わない。

 

言われた方も「お前は馬鹿だ」としか言われないから、自分のどこをどう改善するべきなのか・何がまずかったのか・どうしたら良くなるのかが分からない。

だから繰り返す。似たような失敗を。

 

そしてなんども「お前は馬鹿だ」と言われ続けると、次第にその言葉に慣れてくる。

 

そして最終的に「はいはい、私はどうせ何をどうしたって馬鹿なんですよ」みたいなあきらめにも似たような表情で「私は馬鹿だから」と言い出すようになるのではないか…と。

 

 

私からすると頭ごなしに「お前は馬鹿だ」としか言えなくて「どこをどのように感じてそういう風に思ったのか・どう直してほしいのかを伝えられない・伝えようともしない」人も十分馬鹿だし失礼だと思う。

 

相手を非難したり注意したりするのなら、せめて「そう思った根拠」くらい一言伝えてもよいのではないか?

そんな「相手に対するちょっとした言葉」すらも伝えられないくせに手軽に「お前は馬鹿」とか言うんじゃねーよと思ってしまう。

 

 

さらに怖いのが、その「私は馬鹿だから」が隠れ蓑になってしまう事。

 

 

①「自分は馬鹿だから…」と思っている人(以下 馬鹿だから人)が日々失言や失敗を積み重ねる →

 

②周囲の人間が不満を募らせる(だけど黙っている) →

 

③積み重ねられた失敗や失言を発端にトラブルが発生する →

 

④立ち込める不穏な空気・誰かが割を食わされたり対応してくれたりして事なきを得る →

 

⑤責められそうになる馬鹿だから人の必殺技「私は馬鹿だから…」発動!! 

 

⑥それ以上責められず、あきらめる周囲 →

 

⑦責められず良く分からないままなんとなく穏便に済んでホッとする馬鹿だから人 →

 

⑧トラブルの原因がいまいちわかっていない馬鹿だから人、再び「日々失言や失敗を積み重ねはじめる」 → 

 

⑨以下無限ループ…みたいな。

 

 

自分から積極的に「私は馬鹿だから…」を使って「その言葉の後ろに身を隠す」ことにより、「それ以上責められない」「何も言われなくなる」「自分で自分の事を分かっている感じが演出できる」「その話をさっさと切り上げることができる」「深く考えなくて済む」「反省しているアピールもできる」「責任を回避できる」「学ばなくて済む」と様々な利点もあるし楽ができるのである。

 

 

「馬鹿だから」にはさらに言葉が続くと思う。

 

馬鹿だから… 「しかたないでしょ」

 

馬鹿だから… 「あなたの方が理解してよ」

 

馬鹿だから… 「考えたくないの」

 

馬鹿だから… 「やりたくない

 

馬鹿だから… 「変わりたくない」

 

 

…馬鹿であれば、すべて許される?

 

 

これは本当にそうだと思うけれど、もし私が事あるごとに「私は馬鹿なので…」と口にしているとおそらく周りにいる人たち(特に年下の人たち)に「もう30も過ぎてんのに何言ってんだよ」と思われる事請け合いだと思うし、自分の行動は成功よりも失敗がまだまだ多いけどできる限りの責任は自分で取っていきたいしまだまだ学ぶこともいっぱいあるしリア充にもなっていきたいし「自分、馬鹿ですので…」などと自分で自分にレッテルを貼ってあきらめて立ち止まってしまいたくない。

 

良いことも・悪いことも・ムカつくことも・爆笑したことも気分の上がり下がりも。

ブログに書いたり人に話したりしながらまだまだ生きて経験を増やしていきたいから。

「自分は馬鹿だから、もうしょうがないよね」なんて笑いながら生きていきたくは無い。

 

 

…そういえば、これも「馬鹿だから人たち」と関わってきて思ったことなんだけど、本当に馬鹿で何一つ成し遂げてない人なんて誰一人いなかった。

 

むしろ「すごくきめ細やかな仕事してたり」「裏方を一生懸命にこなしていたり」「子供を立派に育て上げていたり」「日々の生活をきちんとこなしていたり」する。

 

これは推測なんだけど、もしかしてその「すごさ」を誰も言葉にしてほめてくれなかったのでは…?

 

私の世代あたりからじわじわ時代が変わってきた感じがあったけど、そこから上の年代の人は昭和ドストライク世代っぽいから「女が家事子育てあたりまえ」「男が女を褒めるなんてほとんどない」「女は一歩下がって付いてこい」みたいな?「台所に男が入るもんじゃない」みたいな?そういう「これが当たり前!!(ジャジャーン!!←効果音)みたいな?

 

「台所に男が入るもんじゃない」っていうのは私も幼少期に聞いたことがあって、本当に家の男性陣は入ろうともしなかった。食卓の前に座ったまま「おーい!!氷!!」とか「おーい!!醤油!!」とか自分が欲しい物を大きい声で叫んでて、女性陣が料理をつくる傍ら、小走りで食卓まで届けるっていう状態。親戚男性陣も来客のくせに同様に叫んでたな。「おーい!!マナ!!氷!!」って私はお前の妻じゃねえ!!

 

あかちゃんかよ!?って思いながら巻き込まれてたけど。「ばぶー!ミルク!!」「ばぶー!!だっこ!!」みたいな。

あかちゃんなら許せるしむしろ喜んで仕えますマスター!!みたいになるけどおっさん連中は…おめーら足生えてんだから冷蔵庫まで歩けや!!運動しろ!!

そんなんだから腹がビール太りでガンガン出て固太りして健康診断引っかかりまくったりしてんだろーが!不健康自慢すんな…つーか毎度毎度千鳥足になって前後不覚になるほど酒飲むんじゃねーわ!!妻に肩借りながら帰るな!!そんな酒臭い口で嫁に向かって「お前は馬鹿だから」とかほざくんじゃねえ!おめーらが転がしまくってる空き缶、口にぶち込むぞ!!

 

…今はどうなってるのか知らないけど多分変わってないでしょう。

私の頭の中では、こういう不細工なお酒の飲み方する人の方がよっぽど馬鹿。

逆にスマートにお酒を嗜むことが出来る人って素敵だなと思うし、自分が必要だと思う「お酒に入れる氷」とかを自力で用意できる男の人を見るとものすごくビックリします。未だに。

 

「ええっ…冷蔵後から氷、取り出せるんだ!!!?」

 

「ええっ!?電子レンジでチン、自分でできるの???」

 

「食事が終わった食器がシンクに置かれて、しかも水かけてある!!!」

 

…環境って怖いですよね。

話はそれたけど、「自分は馬鹿だから」と言っちゃう人ってとてつもなく自信が無いのかなあ…と思います。

 

本当は結構すごかったりするのに、そこを誰にも褒めてもらえてない。

配偶者もテレなのか負けた気がするのかプライドなのか褒めたり認めようとしない。

良いのか悪いのか分からない。自分で自分を認めることもできない。

その環境にいるからその環境に合わせてやっていくしかない。

 

…認めてくれる人や話を聞いてくれる人、自分の存在ややっていることを肯定してくれる人って本当に重要。そういう人が誰もいなくて「自分で自分をほめたりできない」性格だと誰でもいいから誰かに認めてほしくなって「余計なお世話を焼き始めたり」「余計な口をはさんでしまったり」暴走を始めてしまうのではないだろうか。

 

世の中に「すべてにおいて賢い人」なんてきっといなくて「すべてにおいて馬鹿」もきっといないと思うから、自分を馬鹿だと卑下してあきらめるような生き方する人が1人でも減ってくれたらいいのになあと思います。

 

 

 

ホールイン・椀(虫嫌いな方は読んじゃダメなヤツです…)

昨日のこと。

夕飯を作ってテーブルに並べた。

 

部屋には小さな虫がグルグルと飛んでいる…

 

…と思った瞬間に私の目の前で、私の分の味噌汁の中へ飛び込んで行った。

 

「…はぁ!?」

 

思わず声が出る。

呆気にとられて固まっている私の目の前で、虫は少しもがいた後に天に召されたのか動かなくなって味噌汁の中で浮いた。

 

味噌汁を新しく交換しようにも残りは無いしせっかく出汁を取った具沢山味噌汁…捨てるのも勿体ない。

 

仕方なく虫を箸ですくってティッシュにくるんでゴミ箱に捨てて一応手を合わせる。

 

虫入りの味噌汁は幼少期から度々出会う機会があったので幸か不幸かあまり気にならない。

 

さあ、ゴミ箱にティッシュを捨て終わって私の味噌汁の前に戻ると…今度は大きめの蚊のような虫が浮いていた。

 

「…はあぁ!??」

 

虫はあまり気にならないとは言ったけど流石に限度がある!こんなデカイ虫は結構嫌だぞオイ!?

 

というか、私がティッシュを捨てに行ったほんの一瞬の間によく飛び込めたな!?

 

なんで私の味噌汁だけ虫に集中的に狙われるのか…他のみんなも同じメニュー・同じ味噌汁なのに。

 

気持ち悪さと勿体なさを天秤にかけて熟考した結果勿体なさが勝ったので、またもや虫をすくってティッシュにくるんで捨てた。

 

気持ち悪さは残るが仕方がない。

虫のことは忘れていざ食事タイム!

 

味噌汁を口に運ぶと、それまでの出来事がなかったことにできるくらい美味しい。

 

…これもネットにレシピを披露してくださる料理の神々のおかげ。

 

そんなことを考えながら食べ進めていると、目の前にまたもや小さな虫がクルクルと螺旋を描くように降りてきて、そのまま私の味噌汁の中へチャプンと入っていった。

 

「?!!!???!!?」

 

あまりにビックリして言葉が出なかった。

えっ?何!?私、味噌汁を虫に狙われるような事なんかしたっけ!?

ていうかこんなことある!?こんな連続で味噌汁に虫が飛び込んでくるような事、ある!?

 

それなりの広い空間でご飯を食べているから、虫が自由に飛べる面積は十分すぎるほどある。

それなのにあえて味噌汁の上という狭い空間を選んで飛び、部屋の面積に対して本当に小さな面積であるお椀に入った味噌汁にわざわざ飛び込んでくる。

 

…ど、どういうこと???

 

広大な面積の土地の中から針の穴の様な小さな場所へ「イン」する…ゴルフで言うならまさに「ホールインワン。」

 

ホールインワンを1回起こすだけでもものすごい事だと聞いたことがあるが、それが連続3回で起こったと考えたら…もしや私は今世界を揺るがす程の幸運の持ち主でなのでは…?

 

以前、めんつゆトラップというコバエを捕まえられる手作り装置を作ったけどコバエでも種族が違うのかめんつゆの種類がお気に召さなかったのか、イマイチ効果が出なくて容器の中でめんつゆと水と洗剤が合わさったものが腐っていくだけだったけど、味噌汁トラップにしたらジャンジャン虫が捕まえられるのではないか?

 

そんなどうでもいい「虫の事」ばかりを考えながら食事してたらせっかくの食事もイマイチ楽しめず。

 

今日はベ◯プをしっかり焚きながら、美味しく夕食を食べたいと思います。

最近の お金持ちになるために系の本 について思ったこと。

先日本屋さんに立ち寄って「お金持ちになるために系」の本を買った。

 

パラパラと立ち読みしてなんとなく面白そうだから買ってみた。

 

私は今までお金に無頓着だったりやたらとケチケチ切り詰めたり本やネットの影響で一瞬上手にお金が使えるようになっては元に戻ってみたり。

 

気分やその時のマネー事情によってデタラメなお金の使い方をしながら生きてきた。

 

残金がなぜかいつもギリギリで内心いつも「お金がなくなったらどうしよう!」とハラハラしているくせに「お金が全てじゃないから!」などとのたまいながらコンビニやカフェに足繁く通ったりしていた。

 

ちょこちょことコンビニやカフェ・買い物に出かけるのが一番マズイと頭ではわかっているのにどうしても出かけたくなって外出し、その時は「消費だ!」と思ってお金を使うものの家に帰って冷静になると「これは…浪費だ…!」と愕然とする事も未だに多い。

 

自分なりに家計に向き合った結果、今は貯金は少しだけ貯まってきた。不思議なことにいつも同じくらいの金額をキープしている。しかし決してそこから増えはしない。

 

毎月お給料が入っているはずなのに…いったいどういう事なのだろうかと5月分の貯金総額を集計しながら首をひねる。

過去、月々の貯金総額と照らし合わせるとずーーーっとほぼ横ばいの数字。

私たちは「この値段がお似合いの夫婦なのだろうか」と思ったりもする。

 

私たち夫婦はこのお値段?…それは嫌だ!

 

私は「まだまだ勉強が必要だな」と思って度々ネットや本の力を借りる。

今回本屋さんに立ち寄ったのもその一環で、手に取った本に勝手に期待を寄せる。

 

家に帰って本を開いて早速読み始める。

「この著者はいったいどういう風に考えたり行動したりしてきたんだろう?」

 

読み進めてみるものの全然「おおっ!」と思うような事がなかった…私にとっては。

むしろ「またこの手の本かよ…」とガッカリしてしまった。

 

「いやいや、今現在お金でヒーヒー言ってる分際で何を偉そうに著者に不満を抱いてるのか?」「著者のように稼げてもいないくせに」と我ながら思いつつも、どうしても残念な気持ちが拭えないのでここで発散させてほしい。

 

私は「著者がどうやって気づいて考えて動いて変わっていったのか」のような内容を知りたかった。

自分のような「普通の人目線」から変わって行く様子を知りたかった。

 

しかしそういう記述は少なめで、ほぼ「お金持ちの◯◯さんはこういう風に考えています!」「海外の有名な◯◯氏はこういう風に行動しています!」と著名な他人の紹介ばかりなのだ。

 

最近こういう「いろんな著名人の行動・考え方の一端をまとめた本」が本当に多い。

 

そういう人に興味があれば、何冊も出ているそういう人の自伝をちゃんと買って何度も読み込むから別にあなたが紹介しなくても良いんだよ…。

 

私は「あなたがどうしたのか」を知りたくて「あなたに興味があって」本を買ったんだよ…あなたの話を聞かせてよ…頼むから。

 

巻末にずらりと並ぶ「参照した本のリスト」を見ながら最近の「まとめブーム」にため息が出る。

 

他人が書き上げた文章、他人が撮った動画、他人が書いたイラスト…まとめればそれなりのボリュームにもなるし知らなかった物もまとめて知る事ができる。

 

確かに、見ていると楽しくていくらでも見ていられるけど。

 

言葉にできないけど何かが足りないような気がいつもしているし何かが寂しい。なんだろうこの気持ち。

 

そしてまとめることによって全部同じ様に見えてしまうのは私だけなのだろうか。

 

一つ一つが楽しい動画だって、まとめて垂れ流せばだんだん飽きてきてつまらなくなってくるのも私だけなのだろうか。

 

そういう理由でテレビの「衝撃映像◯◯連発!」みたいなY◯uTube総集編みたいなやつを一切見なくなったのも私だけなのだろうか。

 

本の話に戻すと、確かに「本当に稼いでいる有名な人」の行動や考え方を端折って簡潔に書いてくれているのは分かりやすくてすごく良いし「へー、こんな人いるんだー」と思うし実際学びもある。

 

だけど「投資家の◯◯さんはー…」「Z◯Z◯の◯◯さんはー」と延々と紹介が続くと「あー…またこういうまとめ系の本かー」とジワジワ興味が無くなり「買ってしまったから勿体ないし一応最後まで読んでおくか」という貧乏根性読書になってしまう。

 

…って我ながらどこから目線で語ってるの?と思いつつも、最近の「情報源のまとめブーム」にちょっとウンザリしている気持ちを吐き出してしまいました。

 

さあ、私も人の事言ってないで勉強しよっと!