個性ってなんだろう?
どうやったら「私」の、このなんの変哲もない見た目・才能・人生が、個性的になるんだろう?
奇抜なことをしたらいいのか?
悪いことをしたらいいのか?
お金が山盛りあれば何か違うのか?
私は、何か突出した物は持ってない。
絶え間なく積み上げた努力もない。
SNSで一花咲かせようと作り上げた「個性を出していると思っていた自己紹介文」はよく考えるとみんなやりがちな内容だった。
女性は「アラサー・アラフォー」などの年齢や「◯y(子供の年齢・月齢)」を書きがちだしよく考えたら私も、隙あればアラフォーアラフォー連呼してる。
車のユーチューバーはレース活動なんて一切してなさそうな人でも、何故か高確率で「数字」か「レーシング」が入るしバイクのユーチューバーはだいたい「ライダー」がつく。
アイドルはだいたい大人数で歌って踊って誰が誰なのか・どれがどのグループなのか分からないくらい乱立してるし、雑誌に出てくる料理レシピを紹介する人の肩書きはだいたい「料理研究家」だ。
最近出てきたアーティストはやたらと「世界を壊す系」の曲を歌いがちだし、日本製の恋愛映画はだいたいどっちかが天に召される。
みんなと同じことを同じようにやろうと思う人はきっとあまり居ないだろうから、きっと皆「自分オリジナル」を作ろうとしてるし私も自分オリジナルが欲しいと思っている。
だけどカブる。
何かが誰かと同じになる。
しかたない。
「太古の昔から現在にかけての長い年月の中で、私が考えつくような内容はもうすでに誰かが考えついてやってしまっているんじゃないかな」と思うもん。
「完全オリジナル」なんて編み出せる訳もなければ、誰かが考えた「アラサー」「アラフォー」みたいな使いやすいキャッチーな言葉や内容を拝借しながら「自分オリジナルっぽいもの」を作り出す方が楽だし簡単だし、むしろ「そうするしかできない」とも思ってしまう。
他の人が作った「型」や「言葉」を拝借して「私オリジナル」を名乗ってもいいのだろうか。
オリジナルってなんだろう。
完全パクリじゃなければ、一部分だけでも改造すればそれはオリジナルなんだろうか。
個性ってどうやったら出せるんだろう?
どうやったら「私もなかなかやるじゃない」って私自身に思ってもらうことができるんだろう?
「何もない日々・平凡な自分や毎日にも感謝だよ」
なんて。
それは確かにそうだけど「今日も何もなかったから平和だなぁ感謝!」「動ける体に感謝!」「今日も大したことはできなかったけど平凡な自分に感謝!」「呼吸ができる酸素に感謝!」…ってやってて。
日々ひたすら感謝して「嫌なことも学びだよ感謝!」「嫌いなあの人は実は自分をうつしてる写鏡なのよ感謝!」「愚痴を言ってくれるのは私を頼ってくれてる証拠だから感謝!」って、きちんと向き合うべきもの・ダッシュで逃げるべき相手にも感謝で目隠しをして結局逃げ遅れる。
「ネガティブは悪いものだからダメ、ポジティブじゃなきゃ!」って疲れた自分を奮い立たせてね。
そんなもん向かう先はゲームオーバーだし「感謝」で無意味に自分を甘やかして目眩ししてる間に、現状維持どころか劣化して・何もしないまま年を重ねていくだけな気がしてしまう。
でもこういう、今書いている内容もきっと、もうすでに誰かがもっとわかりやすい文章で書いているんだろう。
「私がブログを書いたって、きっと誰かの二番煎じどころか百番煎じ・千番煎じなんだろうな」
…だからといってブログを書くのが無駄だとか辞めたいとか思ってる訳じゃないし、ただ単に自分の「書きたい欲」を放出するべく書いてるから今後も書くけどきっとそれは「オリジナルっぽい物」だろう。
「個性」ってホントなんだろう?
私の身の回りでは「個性的な人」は「あの人は仕方ないから」と何をやっても許されて、「無個性」な私は同じことをしても許されないし個性的な人がやらかした「とばっちり」が飛んできて後片付けばかりやらされた。
今考えても意味がわからない。
「個性」があれば「許される」イメージ。
「個性」があれば皆から「凄いと思ってもらえる」イメージ。
「個性」があれば「認められる」イメージ。
…どうやったら「個性」が出るのか一切わからないけど、とりあえず語尾に何か「ゲヒョウ」とか付けてみるか。
「分かったでゲヒョウ!」
「それはできかねますゲヒョウ!」
「ありゲヒョウ!!(ありがとう)」
…やっぱ人間、普通が一番かなと思います。