ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

リア充じゃない自分を思い知らされた現実 ③健康

※ご注意

この記事は不妊とか治療などの内容が含まれますので、そういう話を聞くだけで苦しくなってしまう方や単語も見たくない方などは速やかに他の方のブログへ避難してくださいませ…!

 

 

では本題に移ります。

 

 

私は基本的に健康だ。

幼少期はしょっちゅう風邪をこじらせたりしていたけど、成長するにつれてほとんど風邪をひくことも・調子を崩すことも無くなった。

あまりに健康な為学校や会社を休みたいのに休める理由が無く、それでもどうしても学校に行きたくない・会社を休みたいなどと思った時には正直言って仮病を使った。

 

普段素行が真面目…に見える人間が仮病を使うと、ものすごい速度で納得・心配される。

私の嘘はいつも驚くほどあっさり通用して、毎回ものすごく心配された。

 

嘘をつくと罪悪感がものすごく湧いてきて苦しかったけど、それを超えるくらい 今日は学校に・会社に「行きたくない!!」 という気持ちがあったため嘘をつき通した。

 

休んで何をするのか。

ゲームではない。ただ転がって部屋の天井をじーっと見たり、手のひらのしわをじーっとみたりして過ごす。1人になると心から安心してホッとできるのだ。

 

自分はきっと周りからみるとそこに存在して生きているように見えるだろうけど、私からすれば自分が今ここにいるという現実味が無い。

耳鳴りがするくらい静かな部屋に寝転がって手のひらをじーっと見ていると、だんだん「あ、私の手ってこういう風な形なんだ」とか「爪ってこういう形をしてるんだ」とか落ち着いて観察ができて「ああ、私って今ここで転がって手のひらを見ているんだな」とかの「自分が今ここにちゃんと存在しているんだな」と思えるのである。

 

私という存在が今どういう状態で、全人類がノミネートされたランキングがあるとしたら一体どのあたりに居るのだろうか…とか1人で考えることが好きだった。

だけど、そういうことを考えつつも「自分自身」については良く分からなかった。

 

どうして、ただ生きているだけなのに こんなにしんどいのか。

どうして、同じように目・鼻・口が付いていて細胞やら水やらでつくられた体という形を持っているだけなのに、周りの人は楽しそうで自分の周りだけ灰色なのか。

どうして、食べたらすぐ消化されて排泄して、またすぐ食べて消化されて排泄して…を延々と繰り返して生きていかなきゃいけないんだろう。

 

どうして?どうして??どうして???

 

日々どうでもいい疑問で頭がいっぱいだった。

 

そんな中「自然系の食生活」みたいな「添加物や合成甘味料やフッ素加工のフライパンや合成洗剤などの経皮毒みたいなものを生活から排除する系」の情報を手に入れた。

さらに同時期に「1日1食で健康」やら「粗食」やらの情報を手に入れた。

全部インターネット経由で得た情報であり、火のついたように熱中して情報を次から次へと検索して読み漁った。

 

それ系の情報のひとつひとつが私の心にクリーンヒットして、できることからどんどん取り入れた。

 

ご飯は糖質の塊だから避けなきゃいけない。

パンもパスタも体へは毒だから避けなきゃいけない。

お肉は体に悪いから避けなきゃいけない。

魚は水銀が含まれるから避けなきゃいけない。

外国産は農薬がものすごいから避けなきゃいけない。

市販のシャンプーは色んな薬品が経費毒になるから避けなきゃいけない。

 

いけない。いけない。いけないだらけ。

なるべく国産の食べ物を探すが大体お値段高めになっており、量も少なめ。

しかも本当に確実に「国産」かどうかは業者の良心次第で真実は分からない。

それでも購入して「これで健康になれるんだ」とほくそ笑んだ。

 

気付けば「マテ茶はアフリカ原産だから水銀が…」「コーヒーも…」とか、調べれば調べるほどどんどん食べられるものが減ってきた。

だんだん「何も食べられないじゃねーか!!」とイライラしてきて時々避けてきたものも買ったりしたけど、そうして買った「避けてきた物」を使う時には「…ああ、これをつかってしまったら不健康になる…!」とかなり嫌々使うことになりストレスだった。

 

最終的に私一人の時には食事をせずに安心できる緑茶を飲んで過ごすことになった。

添加物・糖質・毒になるもの…食べなければ最初から体に入ることは無い。

体重があっという間に5キロ落ちた。しかし健康的に落ちた体重ではないので体調がいつもなんだか悪かった。

 

そういう生活を過ごしてきたからか、結婚しても全然妊娠しなかった。

1年経った頃は「ああ、まだこれからだよね」とのんびり思っていた。

しかし母や祖母は私が結婚したらすぐに子供を産む期待の圧力をぐいぐいとかけてきていて、「さあファーストシューズはこれをはかせろ」となにもないうちから靴をプレゼントしてきたり「生まれたらこれを着させろ、高くていいものだから!!」と古くて汚いシミだらけの新生児服を渡してきたり「早く授かるように!」と神社参拝に引っ張ってきたり、「妊娠菌をもらいに行こう!」とか訳わからない言葉を言い出して赤ちゃん用品のお店に引きずられて行ったり、お守りやお札をしょっちゅう渡してきたりガサガサガサガサしていた。

 

そうしながら2年ちょっと経ったあたりでもまだ子供は出来ず。

母親に不妊治療を進められた。

どうやら勝手に産婦人科の先生にメールを送って相談していたらしく、その病院の先生がとても腕が立ついい先生で優しくてすごくいいのよ!!と鼻息荒く教えてくれた。

 

「…なんでこんな健康なのに病院に?」

 

本音ではそう思っていたが、母の勢いに押されてしぶしぶ向かった。

初回は手続きをして診察カードを発行したり診察を受けたり相談したり。

男の先生でとても優し気に「大丈夫ですよすぐ妊娠できますよ」と言ってくれたりしたのでとりあえず通ってみることにした。

 

通うごとに待ち時間の長さがしんどくなった。

毎回次の予約時間を登録しているはずなのに、予約時間は平気で1時間・2時間と過ぎていく。

待合室の椅子には暗い顔をして座って下を向いてうつむいている人やスマートフォンをいじくっている人が大半で、照明が暗いこともありなんとも陰鬱な雰囲気だった。

 

やっと自分の診察の順番になって診察を受ける。

突然何の説明もなく注射を受けて「はい、待合室にお戻りください」と言われて速攻で戻される。この一瞬の注射のために数時間も待たないといけないのか…とビックリしつつもさらに今度は診断を受けるために待ち時間を過ごすこともあった。

 

大体毎回薬が処方される。何故か薬が嫌いな私からしたら地獄である。

健康なのに、注射・薬漬けになって頻繁な病院通い。

それも、「一体今回はいくらかかるのか…」とお会計の時までびくびくしながらの通院。心理的にも金銭的にもつらかったが「親に早く子供を見せたい」とか思いながらなんとか耐え抜いた。

 

どうやら妊娠しない原因は不明らしくて、夫にも異常はない。

2人とも元気だし、タイミングが合えば何とかなりそうとのことだったけど、結局数か月通ってもタイミングは合わなかったらしく子供は出来なかった。

1年が立つ頃には初めての人工授精にもトライしてみたけど結局ダメだった。

 

そうこうしている私と同時期に結婚した人たちは、結婚後にすぐに妊娠していた。

私より年下の人・同級生たちはどんどん子供が生まれていく。

母親は「負担に思わなくていいけど、マナちゃんも早く!マイペースでね♪」と安心させるとみせかけながらせっついてくる。

私も早く何とかしなきゃと焦った。

「どんどん周りに置いて行かれてしまう!」

「あの子は子供ができないみたいだね…とかご近所さんに笑われたくない!」

「早く母親に子供を見せなきゃいけないんだ!!」

 

苦しんでいるけど苦しんでいるのを周りに見せたくなくて平気な振りをした。

だいぶん苦しかったけど兄弟のお嫁さんの結婚・出産も祝った。

友達たちの結婚も「すぐ妊娠して私を追い越していくんじゃないか」と内心死ぬほど不安でモヤモヤしていたけど笑顔を繕ってお祝いした。案の定すぐみんな妊娠したけど。

 

周りの人の結婚報告が怖い。

妊娠・出産の報告も怖い。

年賀状だって本当は怖いし微塵も欲しくないしこんな慣習さっさと無くなれと思う。

そもそも、なんで私だけこんな目に合わなきゃいけないの?

 

だけど、そういうのをこらえてでも「周りの人の幸せを祝える人じゃないといけない」という、誰に言われたかどこで見たかもわからないルールが私をぐるぐるに縛り上げる。

 

何も悪いこともしてないしただただ周りの人のためにできることをやってきただけなのに、子供がいないだけでネットの「こなし」だのなんだのの煽り文句を見るたびに自分が罵倒されている気がして心が辛くなる。

ショッピングモールで子連れの若いお母さんを見るだけでうらやましくて心がズキズキするし、子供がいっぱいいてにぎやかなフードコートをみるだけで「ああ、私も子供がいたらこの中に入ってみたいな」とも思う。

 

少子化だからかそういう系の内容のネットニュースを見るたびに「社会貢献できなくてごめんなさい」と思うし自分から傷つくようなニュースを見に行ってしまったりもする。得体のしれない苦しさがずっと心の中に渦を巻いている。

 

今まで健康に生きてきて、月々訪れる女性のシステムも怖いくらいきちんとやってきている。

誰にも手間をかけさせないように自分でできることは自分でこなして、助けてもらった人はきちんと覚えておいてチャンスがあれば恩返しをしたり、助けを求める人にはできる限りのフォローをしてきた。

小さな嘘や些細な悪いことはしたかもしれないけど、大きな悪い事は一切していないし清く正しく嘘をつかずに精いっぱい生きてきたつもりだ。

 

それなのに子供ができないだけであっというまに「不健康でかわいそうな人だから目の前で子供の話はしないようにしなきゃね」みたいな状態まで落ちてしまった。

 

だけどどうしようもない。自分の体の事だけど自分で子供ができるように制御することもできない。お金をポンと払ってポンと解決できるような内容でもない。

ただただ黙って通院するしかなくて待ち時間を何時間も待つしかなくて薬漬けになるしかなくて注射とかも受けるしかなくて診察台でまな板の上に乗った鯉の様に診察を受けるしかなくて、それでもちゃんと妊娠できるかは確定ではない。

 

あまりに気持ちが落ち込み過ぎてイライラしたり不安定になって夫に八つ当たりする日が続く。肉体的も精神も金銭もじわじわと削られて行っているのが分かる。

 

周りの人が当たり前にできることが、私はなぜかいつまでたってもできない。

「私はダメな人間なんだ」「大丈夫と言われたけれど、きっと体のどこかが病気なんだ」と常に心の中に自分への不信感や苛立ちや不安があった。

その間にも続く「母親・祖母からの期待の重圧」には無理矢理笑顔を振り絞って答えた。

ご近所さんも「アンタの兄弟の子供、もう生まれた?」とかそういう話をどんどん聞き出そうと近寄ってくる。

何もかもがうっとおしくて放っておいてほしかったけど無碍にあしらうこともできなかった。いつの間にか顔に張り付いてしまった笑顔のせいでしんどくても断りたくても言葉を濁しても相手には拒否の意思が伝わらないどころか「こいつは話を聞きだしやすい」と周囲に思われるらしくどんどん話を聞き出そうとしてくる人間が近寄ってくる。

もう嫌だと叫びたい。だけど笑顔も顔から剥がれない。

必死に言葉にして相手に胸の内を伝えても、誰にも私の気持ちが伝わらない。

みんな、「自分の聞きたい内容を私から聞き出すことに必死」「自分の要求を私に伝えるのに必死」で私の話なんて聞いちゃいない。

 

家の中に居ても、合いかぎを使って家に付属しているガレージや玄関がひっきりなしに開いて「今家にいるのかー!!?」と叫ばれて用事を頼まれたり野菜を届けられたり家の周りで作業を延々とされたりする。

 

家の外を歩けば大体家族の誰かが居て話しかけられていろいろと言われたりご近所さんにつかまったりする。

しんどいし面倒くさいし放っておいてほしいし誰も私を知らないところへ行きたかった。みんなの「良かれと思って」や「好奇心」が心底邪魔くさかった。しかし話しかけてくれているのに逃げるのも申し訳ないという気持ちで必死に応対する。

 

そういう生活を繰り返していると次第に頻繁に同じ悪夢を見るようになったし、誰もいないはずの近所の神社から太鼓の音が聞こえてくることも増えた。

音の原因は何なのかと思って音のする神社の方へ行ってみても人の気配は一切ないしただぼろぼろの神社しかない。しかし音だけは聞こえてくる。だけど道中に周りの人の反応を見ても音は私にしか聞こえていないらしい。

 

悪夢に出てくるのもいつも同じ「人型の黒い塊」で、なぜか性別が女性なことと私の事を「殺したいくらい憎んでいる」ことは分かった。

その黒い塊はいつも玄関から入ってこようとしていて、3回目くらいで玄関のドアが壊されて「そいつ」は私へ襲い掛かってきた。

そして私は声を取られたらしく「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」と濁点のついた「ア゛」でゾンビみたいな、地を這うような声しか出せなくなった。

息も上手にできなかった。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」と叫びながら必死でもがいていたら目が覚めて、床の上に転がっていた自分に気が付いて泣くほどホッとした日もあった。

現実に戻ると、喉の奥はガラガラで痛かったけど普通に声が出た。

 

夢の中の話なのか現実の話なのか本当に分からないレベルでそんな夢を頻繁に見て、「そいつ」は毎日のように玄関からやってくる。

一度壊されてからはもう鍵もかからない夢の中の玄関。やたらと怪力な「そいつ」に抵抗するすべはなくてもうどうしようもなかったし、夢の中の「そいつ」は、出てくるたびに小さな黒い塊の集団を引き連れてきはじめて、回を追うごとにだんだんその数は増えてくる。

そして「そいつ」が来るときにはいつも同じ太鼓の音が耳元で鳴り響く。物凄い爆音で耳が割れそうなくらいの音量。

 

なんとか死ぬ気で夢から覚めても母や祖母の「心配していてアンタの為を思ってやっているんだよ」という私にはプレッシャーにしか感じられない応援の数々が飛んできて、雑用の依頼もたっぷり回ってくる。同僚からは愚痴を聞いてくれとのお誘い、夫とはギクシャクした生活+趣味に対する金遣いへの不信感、ご近所さんからは「家庭内のアレコレを聞き出したい」好奇心による事情聴取、家に上がり込もうとしてくる親戚や知り合いなどからの住居死守…などなど数々のしんどい場面が毎日至るところでやってきた。そしてそれをなんとかごまかして乗り切っていく日々が続いた。

 

そんなある日、祖母が「お寺さんで本をもらったから読め」と私に何冊も本を持ってきた。

人生を生きづらい人が読んだらいいよ!みたいなタイトルの本だったが、私の心がそこでガラガラと崩れてしまった。

 

「なぜ、自分勝手好き勝手に生きている人を「あの人は仕方ないから!そういう人間だから!!」とか言って好きなようにさせているくせに、私には好きなようにする前に「アンタはきちんとしているからできるよね!?」「この家はこういうしきたりだから!!」と勝手にいろんなものを押し付けて期待して、私が好き勝手する道をキッチリとふさいだ挙句に自分の要求に従わせてきたくせに「生きづらそうだから本を読んで勉強しろ」とか言えるのか。

 

言われなくてもそういう系統の本は嫌と言う程読み漁ったしそれに飽き足らずインターネットで検索していろんな人の色んな考え方を知って自分なりにノートに書いてまとめて自分なりの生き方をすでに模索している最中だし、むしろずっと「自分はこれじゃだめだから」といろんな研究をして自分を変えたり周りに合わせたり試行錯誤だってしている。

 

思わず口から言葉が出た。

 

「…私は、そういう本を読んで勉強しないといけないくらい、もっともっと勉強をしないといけないくらい、ダメな人生を送っているように見えるの?」

 

祖母が黙った。口やかましいくらい喋る人なので黙るのは珍しい。

もしかして怒らせた?でも怒ったとしても私はもうどうでもいい。

 

すると祖母が口を開いた。

「偉い!!あんたのそういう風に考えられるところが偉いと思う!!」

そんな感じの言葉をしきりに発しながら私をやたらとほめたたえる。

 

不思議なことに、あれだけ褒められることを望んで他人の評価を気にして生きてきた私なのに、こうして褒められても微塵も嬉しくなかった。

それどころか、なんとも言えず気持ち悪かった。

 

相手に失礼なことを言ったのに怒られなかったから?

何かで私が成果を出しても私を褒めるふりをしながら話をずらしていって、最終的にいつも自分の子の自慢話ばかりする祖母が私を素直に褒めたから?

「本を読め!」とやってきたくせに手のひらの返し様がすごかったから?

 

今でもうまく言葉にできないくらい、すごく気持ち悪かった。

それと同時に「ああ、私はこのままずっとここに居たら病気かなにかになって死んでしまうな。」という気持ちがストンと心に落ちてきた。

 

私はきっと健康で、なにも悪い事なんかしていない。

ただ胸を張って自分が思うように自分のやりたいようにすればよかっただけ。

 

それなのに「父に隠し事をして兄弟とお金をやりとりする母」をかばうために父へ本当の事をしゃべらないように隠し通すことをした。

 

祖母がいう「祖父かカラスが白いといったらみんな白というべきだ」みたいな「この家というもののルール」も盲目的に受け入れて従い祖父母を崇めた。

 

兄弟にお金をせびられたりゲーム機を壊されたり身勝手なお願いをされてもなんでも「しょうがないな」と受け入れた。

 

周りの人の「愚痴や好奇心による尋問」もうまくかわさずに真正面から答えて受け入れた。

 

父が「仕事から帰ったぞー!」と大きな声でアピールしながら帰ってきたら今やっている作業を止めてお帰りと出迎えに行ったし、「(親戚や上司)さんに頭を下げに行け」と指示を出されたらすぐに頭を下げて挨拶をしに行った。(大体「なんで挨拶にきたの?」みたいな不思議な顔をされる。)

 

他にも数えきれないくらい「今考えれば訳の分からないしきたり」に踊らされて「他人の顔色を見て気を配るように」するようになって「奴隷的にただ指示に従う」ようになって「そういうもんだから」と勝手にあきらめて「拒否」もできなくなって勝手に一人で苦しんで怒りを貯めていた。

 

 

今思えば「出て行けばいいじゃん!」である。

よく見れば、家族親戚近所同僚知人…だれも私の話なんか聞いてくれないし「自分の話を私に押し付ける」だけで精一杯の環境である。そもそも話が通用する相手が居ない。

そんな場所でどれだけ耐えてもこらえても勉強して自分の出方を変えても、結局振り回されてぼろぼろになっていくだけである。

 

こんなところで「置かれた場所で咲こう」としても、葉っぱや根っこを土足でガシガシ踏み荒らされて花芽を付ける余裕なんてありはしない。

なんとか必死に咲いたって、咲いたそばから花を摘み取られて収穫した人の家の玄関に飾られ、手入れもされずすぐにグズグズに枯れてポイッと捨てられるのがオチだということが分かり切っている。

 

事実、私が何かをすると「有難う!!」とお礼を言ってほめたたえてくれるが口先だけでほめているなあと思うことばかりだったし、すぐに次の要件を言ってきたりして「ああ、次の用事を頼むためのつなぎに褒めたんだなあ」と思うことも多かった。

そこまで感じ取れては居たけど「喜んでもらえて嬉しいよ」と嘘ばかりついていた自分を「異議あり!!!」と怒鳴りつけて正してやりたい。

 

きっと私は体も壊していたし精神も壊れていた。

虚勢を張って全力で演出していた「いい人」をうまく利用されていただけで、何の要求や目的・条件もなく本当に私に親身になって寄り添ってくれる人は誰もいなかった。

 

唯一、夫だけが「私」がどういう態度だろうが子供が出来なかろうが荒れ狂おうが切り捨てることなく一緒にいてくれて。だんだん私の気持ちを理解してくれるようになって、今の環境を与えてくれた。もしかしたら夫の存在が唯一の救いだったのかもしれないし、その存在が無かったら今どうなっていたのかも分からない。

 

私は何もかもに余裕がなかったし、自分の時間も無かったし、いつも人に気を使って振り回されに行って必死で「自分以外」を喜ばせようとしているだけだった。

健康・不健康以前に、本当はきちんと立ち止まって「今私がやろうとしていることは私がやりたいことなのか」考える必要があった。

「他人の願い」をさも「自分の願い」のように受け止めて必死に駆けずり回っていた。

料理をしている時も、お風呂に入っている時も、一息ついて紅茶を飲んでいる時も常に他人の事を心配して、次の一手を必死に考えてあげていた。

 

本当はそんな場合じゃない。

自分の人生に、自分のために。全力を出すべきだった。

他人なんて私にああだこうだいっておきながら、家に帰って私の事なんて微塵も考えてないと分かっているのに。なぜ私が人生をかけて考えてあげる必要があるのか。

 

他人が「声帯を震わせて出した音」ごときに人生を振り回されて、自分の時間や健康をないがしろにしている暇なんてなかったのに。

考えるべきは「自分はどう考えて、どうしたいのか」だけなのに。

 

私はもしかしたら健康じゃないかもしれない。

体か精神かどこかがおかしいのかもしれない。

だけどそれを判明させるためにお金をかけている余裕はない。

私がおかしいから子供ができないのかもしれない。

ただタイミングや相性の問題だけかもしれない。

ただ、子供が欲しいのか欲しくないのかに関しては本当はずっと「何も思ってない。」

ただ「周りにいい所を見せなきゃいけないな」と思っていただけ。

周りの人にあおられて流されて「何とかしなきゃ」と思っていただけ。

だけど周りの人が簡単にできることがこのままずーっと経験できないのはさみしい。

だけどあんな環境で子供が生まれたところで、より一層干渉が強まることは分かり切っている。

 

あんな「他人の人生をどうのこうの言いたい連中」は、1人子供を産んだところで「次は男(女)の子ね?」とか生まれてない方の性別を言い出すだろう。

2人目を産んだら「3人目は?」とか言い出すだろう。

3人目を産んだところで「これ以上産んだら育て切れないだろうから手術したら?」とか言い出すだろう。(実際に言った人が居る。)

子育てについてもああだこうだと口をはさんでくるだろう。

汚くて手入れされてないゴミのような「すごく高くて良いおさがり」を「ありがたくうけとれ」と言わんばかりに持ってくるだろう。

名づけだって勝手に考えた漢字を押し付けてくるだろう。

顔を合わせるたびにいろいろ詮索してくるだろうし、家にあがりこんでくるのも確実だ。

 

そーっと見守って私たちの力を信じてくれて、困った時にはサポート…みたいな奇麗な世界はあの人たちに期待できない。

 

私はあの時、あの環境で不健康で精神がおかしくなって良かったのかもしれない。

子供は手に入らなかったし色々「世間的には大切な物」を捨てる形になったけど「私というものを理解しようとしてくれる夫」と「静かに暮らせる環境」と「自分のための時間」、「他人を詮索して来ずに、自分の人生を落ち着いて生きる優しい人たち」が手に入った。

 

もしあの時にあの環境で子供が出来ていたらきっと今の場所に逃げることはできなかったし、今までの内容+子供のお世話になって、きっと夫も今みたいな協力的なスタイルじゃなく自分の趣味にあけくれたまま・喧嘩も多いままで「一体私の人生ってなんのためなんだろう」と思いながらダメになっていただろうなと思う。むしろ、それ以外の「もしかしたらこんな素敵な状態になれたかも♪」みたいな展望が一切浮かばないのが逆に悲しい。

 

今も子供は出来ていないし、これからできるかもわからない。

健康なのか不健康なのか。健康診断はいつも馬鹿みたいに何一つ引っかからない健康体なのに体重が低すぎて判定が下がるのが意味不明過ぎて信用できないけど数値的には無駄に健康らしい。今でもよくわからない。

 

一応、体的には健康だけど精神とか女性的な機能的に本当にどうなのかは分からないけど毎月来るものはきちんとくるし痛みもほぼ無いし元気だけは無駄にある。

 

いまのところそういう状況だから健康面でもリア充とは言い難いけれど、体力・筋力が無いのは凄く感じるので、まずはスクワットを1日30回ずつやっていってみようかなと思うし、精神面も一応落ち着いてきたのでそのあたりもうまく操縦できるように勉強している。

 

過去・現在こんな感じできっとリア充じゃない私。

だけど段々と体調や精神が回復しているのは実感がある。

干渉したり手をかけずに放っておく方が回復できるなんて…我ながらなんてエコな存在。

 

冒頭に書いた「気を使った食生活」も放り捨てて、適度にカップ麺やスイーツなどの嗜好品を楽しんだりしてるのに、気を使っていた頃よりもよっぽど元気になってしまった。

 

この先一体どうなるんだろう?

 

健康については今後の変化も機会があれば書いていきたいと思います。