ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

他人の事を悪く言うのは「タブー」であるという思い込み。

「人の悪口は言うもんじゃない。」

 

私は親にそう言われながら育ってきた。

 

「みんなと仲良く」

 

小学校の先生から聞いたこの言葉を忠実に守ってきた。

 

 

学生時代から社会人・主婦と、移り変わる自分の人生の中でいろんな人に出会ってきた。

 

「なんやねんこいつ」と思うような相手が現れた時には親から言われたこの言葉を思い出してグッとこらえて、なるべく文句を言わないようにした。

 

そして「こいつなんなん」という人にも、その気持ちを押し殺しながら自分からすり寄っていって仲良くなれるように努力した。

気難しい人ほど・最初にムカついた相手ほど深く仲良く親しくなれた。

 

他人の「それはダメだろ」と思うような行動も見て見ぬふりをした。

見て見ぬふりをし続けていくうちに慣れてきて「あぁ、またやってるわ」と大して気にも留めずに受け流すことができるようになった。

 

そうしていくうちに、私の中には「人の悪口を言う=悪い事」という強固なマイルールが出来上がってしまった。

 

それどころか「悪口を言わない私=正義・偉い」というルールも生まれた。

 

友人・知人や職場の同僚など様々な集まりで出る「人の愚痴話」なども、きちんと聞いているふりをしながら「あーぁ、この人たちは他人の悪口言って盛り上がって最低だなー!私なんて悪口全然言わないし、アンタたちよりよっぽど人間デキてますからー」なんて身勝手かつ一方的なマウンティングをしていた。

 

今考えると「悪口を言う人の悪口を(心の中で)言っている」のだから、私も結局同じなのであるが、そこは新規マイルール作成。

 

「口に出していなければセーフ」である。

 

そんな身勝手なルールを心の中で振りかざしながら

 

「私は悪口を言わない正しい道を生きている人間」

 

「みんな悪口を言っているから間違っている人間」

 

「悪口を言っている人は不幸せになる」

 

「私の親も悪口を言わないし我が家の家族はやっぱり最高!こんな素晴らしい家庭はなかなか無いぞ」

 

と謎の自信と幻想の中に生きていた。

 

しかし、紆余曲折あってなにもかも間違っていたことに30歳過ぎて気付く。

…いや、もっと早く気づいていたのに見えてないふりをしていただけだ。

 

親は私に「悪口は言うもんじゃない」と諭しながら、自分たちはめちゃめちゃ自由に悪口を言っていた。

一見仲が良さそうだった兄弟夫婦と親。

目の前ではニコニコと会話をしているのに、兄弟夫婦が帰宅した途端に「疲れたー」とか言いながら私に愚痴話をこぼしてきたりした。

 

自分たちの理想と違う行動をしたら怒りの形相で「あの裏切り者が!」と言っていた。

でもまた兄弟夫婦が来たらニコニコ。帰宅する際には「またいつでも来てねー!」と送り出す。

 

それは祖父母や親戚に対してもそうで、目の前ニコニコ・去ったらグチグチ。

 

その事実をずっと気にも留めず、それどころか「そんな家族・親族に悩まされているなら私がなんでも聞いてあげる!喋ったら楽になるでしょ???」と頻繁に親の元へ駆けつけて愚痴を聞き続けていた私。

 

…いや、嘘だ。本当は親を助けたい気持ちじゃなくて「私は親に何も言われないどころか やっぱりマナは出来がいい と褒めちぎられている。しかし私以外の人は全員悪口を言われている。やっぱり私が一番なのねフフフフフ」というめちゃめちゃ汚い気持ちだった。

 

自分が親に一番認められている状態を何度も確認したかっただけ。

兄弟夫婦よりも親族よりも私が一番上にいると思いたかっただけ。

自分は悪口を言われないけどみんなは言われてるんだぞという優越感に浸りたかっただけ。

 

自分の中で「他人の事を悪く言うのはタブー」というルールは生きていたが「これは悪口じゃない。単なる指摘だしこんな指摘をされるような行動をする奴らが悪い。」とルールをねじりにねじって曲げ、両親とともにいろんな人間をこき下ろしていた。

 

 

そうして両親と家族・親族・隣近所までいろんな人間をこき下ろして笑っていたある日、ふと気づいた。

 

 

「身の回りにいる私以外のほとんど全員の悪口を言ってきたけど、私だけ絶対になにも言われていない確証は無くないか?」

 

「ていうか、こんな身の回り全員の悪口を言えるってことは…この人たちの味方って…誰だ???」

 

「私は今色々役に立っているし目の前にいるから何も言われていないけど、役に立つことをしなくなって目の前から消えたらどうなるんだろう?」

 

「そもそも、私に 他人の悪口を言うもんじゃない って諭してきたくせにあんたらめっちゃ言うてるやんけ」

 

 

心の奥か頭の奥か、良く分からないけどどこかで何かが割れるような感じがした。

「…何をやっていたんだ私は。」

 

いろんなことを夫に愚痴った。ぶつけた。

「こんなことを口に出したらダメだ」と抑えてきた言葉もなりふり構わずに口から放り出した。

 

不思議なことに、言えば言う程冷静になれた。

おかしい所や問題点もどんどん見えてきた。

他人の事を悪く言うのは「タブー」だと思って心の中に封印してきたものが心の奥底で一気に爆発してあふれてきた。

自分の行動の生産性の無さや間違っていた点もたくさん見えてきた。

 

そうこうしている内に、いろんな出来事が重なって私は環境を変えた。

 

 

天気やグルメ・ペットなどの当たり障りのない話は正義で、愚痴とか悪口は悪だと勝手に決めつけていたけれど結局どちらも自分が頭や心で感じたことであり正義も悪も無いんだということ。

 

「皆と仲良く」なんて無理であり幻想であり理想論である。「オカシイ」と感じる人間と仲良くなったところで「オカシイ」歪な関係が構築されるだけであるから、合う人とのんびり無理なく関係を深め、オカシイと思った相手とはほどほどの距離を保っておけばいいしこちらから努力して気に入られようとしなくて大丈夫だということ。

(それは他人だけでなく親・兄弟親族相手でも同じ。)

 

他人の悪口を言えば言う程不幸せになっていくと思い込んでいたけれど、実際「ブワーッ」とあふれる気持ちを口に出して悪口もさんざん言ったけど何も不幸なことは起こらず、今日も普通の一日が送れていること。

 

結局、自分の中で勝手に生み出したタブーで自分自身をがんじがらめにしてさらに自分の首をぎゅうぎゅうと締め上げていただけだったんだなって。

 

もちろん誰かを必要以上に傷つけたりするような行為はしてはいけないと思うけれど「これは良い」「これは悪い」を決めつけ過ぎずに、もっと自由に発言しても良いような気がしている。

 

変な人に嫌な気持ちにさせされて、以前だったら「でもこの人にだっていい所があるし…」とか無理のありすぎるポジティブで悪口言わない方向にごまかしていたけれど。

 

今は「頭の中に著名人を住ませる」というネットで見たライフハックを参考にデヴィ夫人デーモン閣下に脳内在住していただいて、

 

「アータ、このワタクシにそーんな理不尽な暴言をお吐きになられるのなら…お前をブログの一部にしてやろうかああああフハハハハハハハハー!!!!!!」

 

容赦なくブログの一部になっていただこうと思っています。