ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

すぐに謝る癖が抜けない。

私は何かトラブルがあったらすぐに謝ってしまう。

 

自分が悪くても・悪くなくても「すみません」って言っちゃうし、終いには人がほとんどいない平日昼間の電車の隅っこの方に立っているのに(先頭車両に乗ってみたら運転席と景色が見えたので楽しくて立っていた)わざわざ遠回りして肘をぶつけてきたおじさんにも反射的に「すみません」って謝ってしまったりもする。

 

この「謝り癖」はちょっとしたことのように思えて、後々「アレ?なんで私が謝らないといけなかったんだろう?」「明らかに相手が間違ってたよね?」とかの「思い出しムカつき・モヤモヤ」につながるし、自分の精神がすり減ったり自信が喪失することにもつながるし、「すみません」の一言で解決するって思ってしまっているから、「すみません」でその場が片付かず会話イベントに発展してしまった時に何も言葉が出てこなかったりする。(「すみません」をきっかけに色々話しかけてくれるフレンドリーな人が時々いる。)

 

「私はなんでこんなにすぐ謝ってしまうんだろう…」と考えた時に「そういえば何でもかんでも私が謝ればとりあえずその場が平和に収まる経験をいっぱいつんできたな」と気が付いた。

 

その内容を書き連ねて行ったらまた愚痴っぽいブログになってしまうから省略するけれど、私が関係あろうがなかろうか(大体私は関係ない)何かあったらとにかく謝り倒して自分を「地にめり込むんじゃないか」ってくらい低く低く見せて相手のご機嫌を取ったり恩着せがましくならないようにその場をおさめようとしたり。

 

今思えば「犯罪や暴力とかでない限り、無関係な私がしゃしゃり出る場面じゃない」んだよね。

 

人と人がもめている時に「関係ない癖に出しゃばってすみません!ごめんなさい!でも…」とか言いながら割って入ったりとか。

 

余計なお世話だし自分もしんどいし、他人の行動をコントロールして「喧嘩をおさめなきゃ!!」なんて…犯罪とか暴力みたいな助けるべき場面じゃない限り本人同士にお任せしておけば良かったし、なにかするにしてもせいぜい「相談されたり助けを要請されたらお手伝いする」レベルで良かったんだよね。

 

最近この「謝り癖」はだいぶ改善されてきたし、生活しやすくなってきた。

 

他人の事は他人にお任せするようにしているし、なんでもかんでも「自分が悪かったのでは…?」って考えて1人反省会を毎夜開催することもやめて「相手がどう思うかまではコントロールできない」「嫌われたらそれはそれでしかたないし一生変わらず仲良く居続けられる相手はそうそういない」「やっちまったもんはしょうがない」って思って。

 

グズグズと悩み「自分が悪かった」って思いながらむやみやたらに自分を貶し始めたら苦しくなる前に何をどうするべきだったのかだけ究明して反省し、開き直るように心がけている。だいぶん生きやすくなってきた。

 

そして「とにかく謝る」から「謝るべき場面かそうでない場面か」をなるべく早く判断して行動や言葉に移すことも心がけるようになった。

まあ、長年積み重ねた謝り癖は気を抜いたときについつい出てしまうけど。これからきっと治っていくでしょう。

 

私はむやみやたらに謝らなくていいし、生きていれば失敗や失言もするし、後で「ああすればよかったなー」って後悔することもいっぱいあるけれど、ある程度反省して「次に同じことを繰り返さない」と思えたら、グズグズ悩んで止まらずにボチボチ前に進んでいきたいなと思います。

自分の事を俯瞰してみることができたらいいのにな。

「この人、なんでここをこういう風にしないんだろう。」

 

「あの人、私にああしろこうしろってうるさく言うくせに自分は出来てない。」

 

「ああまたこんな事をして。」

 

「なんでこんな簡単な事ができないんだろうな。」

 

「こういう風にしたら解決するのにな。」

 

…他人のやってることって本当に良く見えるし、足りないところや改善したら良さそうな点とか色々見えてくる。

 

それなのにいざ、自分の事となると見えなくなって。

 

他の人には「ああしたらいいのに・こうしたらいいのに」って色々思っているくせに、自分も似たような失敗してたりできていないところがぼろぼろ出てきたりする。

 

「人の振り見て我が振り直せ」ってマジ、コレだよなー。

何食べてどう生きてたらこんな格言生み出せるんだろ。昔の人本当に凄い。

 

思えば「我が振り」を直すのもままならないどころか、我が振りを棚に上げて他人のできていないところをサポートしたり助けを求められたところを必死にサポートする場面が多かったから、他人の事を気にして勝手に察して手出ししようとする癖がついてしまっている。

 

夫の散らかした部屋を「夫は仕事で忙しいから、家にいる私が頑張らなきゃ」なんて、急に湧いた使命感で私1人で必死に片づけたりして。そんでその後で片づけ疲れとイライラで夫に「片づけちゃんと自分でやってくれない!!?あと床に物を置かないでよ!!」って詰め寄るみたいな。

 

からしたら「えっ?いきなり1人で掃除した挙句に怒り出してどうした!???」ってなるだけですよね。そんで必要な時に必要な物を見つけられなくて私に「あれどこやった?」って度々聞いてきて私が「自分が掃除しないから私が掃除する羽目になったんだから!いちいち聞かずにちょっとは探してよ!!」ってブチ切れるみたいな。

 

あー…もう心がいたいいいたい。

 

家族の共同スペースを自室の如く散らかしっぱなしてるのはマズいにしろ、私ももうちょっとやり方&言い方があったよねと反省。

 

もし他の人が私のとった行動と同じ事をしてたら、迷いなく「本人にやらせろ」って言うくせにね。自分が相手だと急にそれが出来なくなる。

 

それに私も「他人の物」をどう片づけていいのか分からなくてしんどいですし。

捨てていいのか悪いのかもわからないから、とりあえず種類・用途で大まかに分けて全部置いておくことしかできないから結局片付かずに疲れるだけ。

 

とりあえず「自分の事じゃない内容は相手に任せよう」って決めたらすごく楽になりました。今までは「夫の服そろそろ買わなきゃ」とか他人の物や事まで手を出してたんですけどそれもやめれるものはやめて。

 

片づけに至っても「片づけの必要に迫られたら」「散らかし主と一緒に」行うようにしました。

 

まずは自分の事をちゃんとしなきゃね、と思って。

 

どんな時も落ち着いて自分の事を冷静に見て何をやるべきか判断する…なんてのはまだまだ難しいけれど「コレは自分の出る幕じゃないな」とか「なんて私ばっかり…」とか不満が出るようなことはどんどん見直して「自分の使い方」を判断していきたいなと思います。

コロナのワクチンについて私が思う事。

ついに我が家にも「新型コロナウイルスワクチン接種券」が届きました。

 

しかし内容物を良く見てみると「ワクチンが足りないし、次は基礎疾患を持っている方が優先ですのであなたたちの世代はまだワクチン打てません。あなたたちの番が来たら改めて連絡しますのでそれまで待っていてくださいね。」みたいな内容で「ひとまずワクチンを打つための書類はお届けしましたよ」っていう感じでした。

 

「…いや、そんなんだったらワクチン接種できるようになったときに書類送ってくれたらいいのに。」

 

って思いました。

私は書類とかちゃんと置いておく派なんですけど、割と「重要な書類を普通に紛失しちゃう」タイプの人とかもいますから。「大事な書類無くなった!どうしよう!!」って言ってる人ちょいちょい見てきましたからね。重要な物を先に渡しておくっていうのは割と危なくない?

 

それはそうと、テレビやネット見てると「ワクチンの温度管理ができてなくて廃棄処分になった」だの「アストラゼネカのワクチンを他の国に譲った」だの「ワクチン接種反対派が暴れてる」だの、なんか色々情報が出てきてなんかもうめちゃくちゃじゃないですか?

 

日本ってなんかこう「きっちりしててシステムもちゃんとしてて管理が行き届いてて困った時には技術で解決できる国」っていう良いイメージがうっすらあったんですけど、コロナ騒ぎで吹っ飛びますよねそんな幻想。

 

最初の豪華客船の時からずーっとドタバタ右往左往して、一般市民の私ですら「辻褄合わなくない?」って思うような事してる。

 

ワクチン接種は年配の方優先。

確かに年配の方は重症化しやすいんだろうし、そりゃあ皆健康にいてくれた方が良いと思うけれど、コロナだから自粛してねという期間ですらほぼ毎日毎日9時半~10時当たりの「人が増えてくるであろう時間帯」に不要不急の買い物に出掛けては買い物袋をガサガサさせながら食材を買って帰ってくる義母とか見ていると「貴重なワクチンを優先的に接種する人…もうちょっと考えた方がいいんじゃないかな」なんて思ってしまうのです。

 

だって。

 

シニアだろうが若い世代だろうがやっぱり一番危険なのは「基礎疾患がある人」とか「仕事で不特定多数の人に合う人」じゃないですか?

 

基礎疾患ってもうすでにコロナになる前から何か体に不調あるんですよ、辛くない?

私の居る地域だけかもしれないけど「シニアの方」が優先された後に「基礎疾患の方」なんですよ。症状によって接種の可不可があるだろうから判断に時間が必要だとしても遅くない???

 

んで、お医者さんや介護している人はもちろんなんだけど、接客業の人とか本当に危ないと思うし「本当は家にいたいけど仕事で強制的に人混みに出ざるを得ない」状況の人とか多いと思うんですよ。

 

なのにそんな人達をまとめて「若い人は体力あるから後回し」みたいな。

スマホの割引サービスとかでありがちな「一番に年配の方を優先、二番目に学生優先、現役世代はまあ放置でええやろ」みたいな「謎の優先順位」。

現役世代だって何かしらサービスあっても良いじゃん!?っていつも不思議に思ってた。

 

日本って中途半端に「海外ではこうです!」っつって海外を取り入れる癖に、肝心なところでいつも年功序列&既存のシステム活用。謎しかない。

そうこうしているうちに不要不急の外出をほぼ毎日行っている「実際は家にいることが出来るはず」の義母は2回目のワクチンを接種できるみたいだし。

ワクチン足りないから我々の世代は接種できねーんじゃなかったんかいコラ!

 

そんな「実際は家にいることが出来る人」にワクチン打つ暇があったら、本当に必要な人にまわせやー!って思ってる。

けど実際に「この人は緊急・この人は緊急じゃない」なんて1人づつ接種の急・不急を判定してたらめちゃめちゃ時間かかるから手っ取り早く年齢で区切るしかないのかもしれないけれど。

 

…なんて。

自分が実際国を動かしたりワクチンを人に打ったり必死に活動している人間じゃないのに偉そうに知ったかぶりで語りながらも。

 

私自身は「ワクチンあんまり打ちたくねえな」ってのが本音。ワクチンの順番が来なくてグズグズやってるうちにコロナがさっさと収まってくれたらいいのになって思ってる。

 

だって注射好きじゃないのよ。

 

テレビとかでワクチン打ってるとこ見てたら針が肌の割と深くまでズブッて刺さってる。

なのに皆「痛くなかった」「あっという間だった」って言う。

絵面マジヤバいけど?あんな肩の上の方に針ブッ刺されてほんとに平気なの?

 

あんなもん打たなきゃいけないなんてめっちゃ憂鬱なんだけど?

 

まあ、こんな感じ「ワクチンどうこうよりそもそも注射自体を打ちたくない」というのが本音の私。

 

だけどまあ、「お前の順番来たからな、打てよ」って言われたら打つよ。仕方ないもん。周りにコロナを広げる訳にもいかないし。

まあ、ワクチン打つにしても私より重要な「現役で働いている人たち」がある程度打ち終わってからにするわ。それまでは今まで通り人混み避けまくって大人しく生きてくー。

 

ただ、買い物に行ってると時々マスクしてない人がすごい勢いで近づいてきて「ワクチンは危険です!!」とか言いながらなんか渡そうとして来たりするのは本当に怖い。

 

んで、言ってることとか聞いてると「とにかくワクチンは危険だ」の一点張りで「自分はどこのだれで、どういう組織に属していてこういう考えからワクチンの危険さを広めて回っています」みたいなまともな説明一切無いの。

 

怖えしまず自己紹介しろや誰だアンタ。そして近寄るなソーシャルディスタンス!

 

もらった物をみるとなんかすっごいたくさん文字が書いてあるんだけど文章が恐ろしく読みづらい上に支離滅裂で本当に良く分からん。年末調整の書類よりはるかに意味が分からん。

 

えっマジこれ…誰か上手に文章かける人いなかったの?もはや怪文書なんだけど。

支離滅裂な主張をした後にこんな怪文書グッズ渡されてもただひたすらに怖いんだけど。

 

私は「ワクチン打つ・打たないも自由だと思うし、まあどちらかというと打った方が安心なのかな?でもワクチン打ってもコロナになる人もいるらしいし、ワクチンのせいで不調になったり亡くなったりしている人もいるのは凄く怖い事だな。ワクチン打ったら自分がどうなるかなんて全く分からないのに自己判断で打つ・打たないを決めなきゃいけないのは良く考えるとやべぇよな。なんで晩御飯作るの私なのに毎日毎日あなたが買い物に行って大量に食材を調達してくるんだ義母様。まだ冷蔵庫に食べなきゃ痛む食材がたっぷりはいってるから頼む買い物に行っても自分がなんか美味しい物食べてくるとか自分たちの食べる昼ご飯だけ買ってきてくれ野菜と豆腐買うのはちょっと待ってくれ野菜室に食べ物詰め込み過ぎて昨日もシイタケにカビ生えてて捨てたんやもったいないから食材減るまでちょっと買い物ストップしてくれステイホーム!そういやラルクのステイチューンすごくいい曲だったなあって思って調べたらステイアウェイだったしステイチューンってそういやポルノグラフィティだなと思って調べたらその曲はミュージックアワーだしステイチューンは曲の出だしで言ってただけっていう記憶が朦朧マジヤバい。あっ、ワクチンの話。1回目の接種より2回目の接種の方がヤバイとか言われるとなんかもう恐ろしくなるわ。だけど打たなきゃいけない時が来たらやるしかねーな。つーかワクチンを拒否することを半分強制させようとしてくる全然知らない人もやべーぞなんだコイツら怖い」とかゴチャゴチャ考えながら、ワクチンを打とうが打つまいがコロナが収まる日までひっそりと生きて行こうと思います。

 

 

 

どうでもいい事ばっかりしてる。

ほんとにやりたい事があるけれど、とりかかるのが面倒くさい。

 

時折妙にやる気が湧いていきなり取り掛かって熱中してある程度進めてみるもののすぐにそのやる気は冷める。

 

そして「この前ある程度進めたし、まあ今日はいっか」「やる気出せばまたいつでもできるし」なんて一時の成果で妙な自信をつけてはそこで中断・放置・先送りする。

 

せっかく自由時間が確保できても、よくよく考えたら今しなくても良いであろう事に精を出して体力・精神を使い果たして自由時間終了。

 

やりたい事をやらなきゃと思いながら行う「今やらなくてもいい事」はなんであんなに楽しくて捗るんだろう。

 

なんで「やりたい事」ってこんなに取り掛かるのが難しくて・めんどくさくて・怖いんだろう。

 

「やりたいやりたい言いながら、取り掛からないのは結局やりたくない事なのよ」とも聞くけれど、じゃあ「このやりたい事、結局やらないだろうから私の中から断捨離しちゃおうよ」と自分自身を説得してみると「それはさみしい」と返ってくる。

 

「じゃあ、やるの?」

 

「それは…また時間とやる気があるときに…」

 

「結局やる気無いんじゃん、レッツ断捨離」

 

「それはちょっと…。」

 

キッパリハッキリバッサリしてる私の内側に、ズルズルグズグズダラダラしてる自分が居る。

 

しかもズルズル側の私の方が比率が遥かに多い。

 

本来の私はズルズルグズグズダラダラしてる奴で、キッパリハッキリバッサリした仮面を被ってるだけなのかもしれない。

 

だから不満があってもズルズル現状維持したいしグズグズと同じこと繰り返すしダラダラとスマホやテレビで時間をつぶし、人の役に立つふりしながら他人のカウンセラーになったりして時間を潰しているのかもしれない。

 

どうでもいい、明日の・将来の・未来の役に何一つ立たないどうでも事ばっかりしてる。

 

無駄なことなんて何一つないらしいけれど、横になってスマホゲームの既にクリアしたステージをひたすら周回させながらお尻ボリボリ掻いてる時間は間違いのひとつも無い「無駄」だと思う。

 

今までと同じ事を繰り返しても同じ日々が続くだけだしなんならだんだん悪くなって歳もとって身動きが取れなくなるかもしれないから、今自由なうちに「なんだか怖くてきちんとやり通さなかったやりたい事」を気が済むまでやっていかなきゃと。

 

どうでもいい事にかける時間を減らして、後悔しないように時間を使おうと思う。

 

 

飲み物に入れる氷を減らした話。

もう7月に入ったというのに相変わらず曇り続き。

 

ちょっと晴れたと思ったら中途半端に小雨が降って。しばらく雨が降るのかと洗濯物を部屋に取り込んだら今度は晴れてみたり。

 

インターネットで天気予報をチェックしても、朝は「曇りのち雨」予報だったくせに結局雨が降らなくて昼頃にはいつのまにやらちゃっかり「曇り予報」に変更されていたり。

 

お天道様はコロコロとご機嫌を変え、それに合わせて天気予報もコロコロと予報を変えて「えっ?私晴れって予想してました?見間違いですよ、最初から雨って予報してましたけど?」みたいにしれっとした顔をして予報を変更する。

 

一般の会社だったら「間違った予報」をした人が、しれっと「予報を訂正」して「最初から正しい予報をしていましたよ」なんて顔してたら袋叩きに合いそうなものなのになぜ天気予報ならそれがまかり通るのか。

 

梅雨前線地球温暖化あれこれ、予測を立てるのはきっと難しいのだろうけど予報を変えるなら変えるでちょっとでいいから教えてほしい。

 

…いや。

 

分かってる。天気予報をしている人たちが悪いわけじゃない。

そもそも、正確な天気予報をその都度知ったところでほぼ引きこもりの私にはあまり関係が無い。

 

ただちょっと、ムシムシとした暑さと一向にカラリと乾かない洗濯物にちょっとうんざりしているだけ。

 

コインランドリーに行って洗濯物を乾燥機に突っ込めば万事解決なんだけど、それをしようにも車を走らせ最寄りのランドリーまでそこそこ走らないといけない。

 

こういう時に都会に住んでいれば、自分が希望するサービスを提供するお店まで簡単にアクセスできるんだろうなとうらやましくもなるけれど、田舎で暮らす結果を選んだのは自分なので仕方ない。

 

諦めて軒先に洗濯物をぶら下げて、時折吹いてくれる微風と稀に雲の合間から差し込んでくれる日差しがある程度洗濯物を乾かしてくれることを願うしかない。

 

そしてある程度乾いたらあとは部屋に取り込みエアコンで乾燥させる。

まあまあ完璧だ。

 

ちなみに最初から部屋干し+エアコンでも良いのだけど、それは寒いから却下。

あと洗濯物から出る湿気が凄いから部屋が余計にカビそうだし。

 

…なんてことを書きながらもじめじめねっとりとした空気にうんざり。

いっそのことさっさと夏になってカラリと晴れてくれればいいのに。

 

湿度にげんなりしながら、サーモスの保温効果があるタンブラーにガンガンに氷を入れて水を注いだ氷水を飲む。

ちょっと気分がスッキリした。

 

だけど、なんだろう。ちょっと舌というか…口の中がピリピリする。

その「口内のピリピリ」は、氷水の飲み進めれば飲み進めるほどひどくなっていく。

 

飲み物にはこれでもかと言う程氷を入れて飲む。

毎年行われる私の「夏場の飲み物の飲み方」であり、今まで口の中がピリピリするとか気にしたことも無かった。

 

なんだろうこれ。冬場に冷たい水に手を突っ込んだ時みたいなしびれるような不快感。

水から手を出した後もしばらく手が痛いのと同じような口の中の痛み。

飲み物を飲み終わっても舌がずっと冷たいような感覚。

 

…まさか口の中が霜焼けみたいになってる???

 

 

冷たい飲み物を飲み過ぎると体が冷えるというのはよく耳にするけれど、特に自覚したことは無くて毎年夏場はコップに氷を限界まで詰め込み飲み物を注いで飲んできた。

もしかしてだが、私が自覚してなかっただけで体は冷えていたのだろうか。

 

この年齢にして、もしかしたら不調の原因になるかもしれないであろう自分の行動にようやく1つ気が付いた。

自覚していないだけでもしかしたら他にも色々やらかしているのかもしれないけれど、気が付いたらその都度対処するとしよう。

 

まずは飲み物に大量の氷を突っ込むことを控えようと思う。

 

コップギリギリまで氷を突っ込まず2、3個の氷しか入れないで飲む飲み物…想像するだけでちょっと気持ちが悪かったので早速試してみた。

 

結果、ちゃんと飲み物は冷えてるしそれどころか飲み物の薄まり方が和らいで最後まで美味しく飲める。しかも製氷皿の氷の減り方が格段に遅くなって、いつも夕方には氷が足りなくなってイラついていたのに、この調子なら夕方にも氷が余っていそうな状態。

多分少しは省エネにもなっているのだと思う。

 

今まで全く自覚しておらず当たり前にジャブジャブ使っていた「氷」。

些細な事だけれど、使い方を改めて行けば健康面にもエコの面にも良い影響がありそうなので今日から気を付けて行きたい。

蜘蛛のウッシー失踪と複雑な心境。

以前、蜘蛛に関するブログを書いた。

 

そしてその夜もまた現れるであろうウッシーとの再会を、気持ち悪いと思いながらも心のどこかで期待していた。

 

結論を言うと、ウッシーは現れなかった。

それどころか、その後私の前に姿を現すことは一切無かった。

 

私の蜘蛛嫌いを知っている家族が退治してくれたのかもしれないし、もしかしたらこの家にいる「ウッシーの餌となりうる虫たち」を食べつくしたために餌を求めてどこかに旅立ったのかもしれない。

 

何を考えていて、一体どこに行ってしまったのか。

それはウッシーにしか分からない。私にはそれを知る手段も無い。

 

なんとなくだけど感じた。

 

「きっともう、私は二度とウッシーに会うことは無いだろう。」

 

そして正直な気持ちを述べよう。「マジ良かったー!」と。

 

蜘蛛に名前を付け・成長を見守ることにより、確かにほんの少しは愛着がわいた。

きっともう会えないだろうと思ったら、少し悲しい気持ちにだってなる。

 

だけどそれ以上に私は蜘蛛が苦手なのだ。

 

もしも今、ウッシーが成長する前の初期サイズくらいの蜘蛛が天井から私めがけて降ってきたとしたら、本気で飛び上がって驚き・半泣きで逃げ惑い、発狂するだろう。

 

遠目から何も攻撃を加えてこない・動かないと分かっている蜘蛛を見ているだけなら何とかギリギリ耐えられるが、こちらに向かって動いてきたりしたらもう無理マジ無理耐えられない。

 

成長を見守っていけば大きな蜘蛛にも慣れるかもしれないと思っていたが、少しずつ・でも確実にじわりじわりと大きくなっていくウッシーがだんだん恐ろしくなっていったし「コレ…マジでどうしよう???」と持て余していた。

 

つまり、私は結局蜘蛛に慣れてなどいなかったのかもしれない。

名前を付けたことによる私物感と毎晩顔を合わせることにより発生するささやかな親近感でなんとか関係を保っていただけに過ぎないのかもしれない。

 

ウッシーとの関りで私はいくつかの事を学んだ。

 

苦手な物を克服するのは簡単ではないことと、本当に無理な物は何をどう小細工したって無理な事。

 

だけどそんな苦手な物ですら、親近感等によってほんの少しは愛着がわくこともあること。

 

そしてよく考えたら当たり前のことだけど、我が家に出てくる蜘蛛はウッシーだけじゃなかったってこと。

 

 

 

なんかね…我が家の玄関周りに数匹の蜘蛛が居座っている様子なんですよ。

私と蜘蛛とのふれあいの日々はまだまだ続く予感ですウフフフ。

 

 

 

 

苦手な蜘蛛の克服に挑戦している。

私は蜘蛛が大の苦手。

 

蜘蛛の姿を見たら飛び上がって驚くし、体からは驚くほど大量の汗が出るわ・頭の中が真っ白になるわと、もう滅茶苦茶。

 

蜘蛛一匹が出現しただけで肉体・精神共に大ダメージを受けるし、サイズによってはオーバーキルを受けしまい、しばらく立ち直れない時もある。

 

とにかくひたすら蜘蛛が嫌いな私だが、住んでいる場所が超田舎なのでとにかく巨大な蜘蛛が出る。

そしてその度に驚き・テンパり・家事もままならないくらいダメージを負う。

 

「正直、もう疲れたよ…。」

 

基本的に低テンション・低燃費で生きているので、焦ったり驚いたりすること自体がしんどい。なるべくいちいち驚かないで生きていきたい。

 

とはいえ、自宅にあまりにも蜘蛛が出現するので、ミリ単位のダニみたいなサイズ~直径3センチくらいの蜘蛛くらいならば派手に驚かなくなってきた。

驚くけれど、飛び上がりはしない感じ。

 

「こりゃあ、このままいくともうちょっと大きい蜘蛛でも慣れるんじゃないか?」

 

 

というわけで、ちょっと前の夜に台所に出てきた3センチくらいの蜘蛛をあえて駆除してもらわずに野放しにすることにした。

 

きっとこの蜘蛛は大きくなっていくだろう。

その成長を目にしていれば、私もだんだんと大きな蜘蛛に慣れていくのではないか。

 

とりあえず「愛着」が必要だろう。

 

私は愛着をわかせるため、その台所に出てきた蜘蛛に「ウッシー」と名付けた。名前の由来は台所に祭られている謎の牛の置物を収めた棚からその蜘蛛が出現したからである。深い意味はない。

 

「というわけでウッシーの成長を、しばし見守っていこう。」

 

こう決意して数日が経過しているが、ウッシーは私が夜に台所へ足を運ぶたびに戸棚の扉や壁などいろんなところに張り付いて私を出迎えてくれている。

不思議な事に朝や昼などの日中はどこにいるのやら全く出てこない。

 

時間を弁える、紳士的なウッシー。

 

気がつくと、毎晩ウッシーに会う事が楽しみになっていた。

 

ウッシーの姿を見ると「うわっ出た!きもちわるい!」と思いながらも「ああ、今日も出迎えてくれた」「あら、今日はこっちにいたのね」と、気持ち悪さ半分可愛さ半分でウッシーを認識するようになっていった。

 

毎夜、ウッシーと秘密の逢瀬。

 

日に日に愛着も強くなる。

 

ウッシーのすらりと伸びた6本の脚が可愛く見える…ことは無いし、一生懸命壁に張り付いている様子がいとおしく思える…こともさすがにないけれど、ウッシーが出てきてくれない日はちょっと探したりさみしくなったりする程度には愛着がわいた。

 

そしてそんな私の気持ちをよそに、ウッシーは日に日に成長していく。

 

出会ってからそこまで多くの日数は経過していないのに、いつの間にか直径4センチを超えてきた。

 

3センチは平気だったのに4センチを超えてきたあたりから急にウッシーを気持ち悪く感じるようになってきた。

 

ピグミーマーモセットだと思って愛でてたらいつの間にかゴリラになっていたみたいな心境。

 

えっちょっともうなんか無理なんですけど…?愛着よりも恐怖が勝るんですけど…?

 

…いやでも、ここを耐えてウッシーを愛でて行けば私は蜘蛛を克服できるしウッシーも安全な室内で餌をとらえて成長し続けていくことができる。ウィンウィンの関係ってやつだ。

 

絶えろ。耐えるんだ私。

 

そう、ウッシーのすらりと伸びた足。

ぷっくりとした体。じっくりと見て。

 

 

…うーん。

 

かわいいいいいいいぃぃぃぃいいイヤアアアアアアアアアアアーーーーーー!!!!

 

 

 

無理!!!!!!!!

 

やっぱり無理!!!!!!!!!

 

なんでこんな蜘蛛克服とか始めたの私!!?

 

苦手な生物を室内で野放しにするとかよく考えたら狂気の沙汰じゃん!!!

 

いやほんとマジで馬鹿なの私!!!?

 

 

クッ…でも名前まで付けたし、でもまだかすかに愛着がある…といえばあるんだよなあ…。

 

 

野放ししておくのはもう流石に気持ち悪い。

だけど愛着がかすかにあるから倒してしまうのは無理。

こんな私の葛藤をよそに、止まらないウッシーの成長。

 

愛するのは無理だけど別れられない。

蜘蛛を克服しようとして、最悪な状態になりました。

 

ほんっっっとうにマジもうどうしよう。

 

とりあえず今日もウッシーとの秘密の逢瀬を(なるべくウッシーを見ないようにして)耐え抜きたいと思います。