ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

私が「モノ」に対してあまり興味がなくなったワケ。

20代の私はとにかく「服」を買いまくっていた。

買うけど着ない。タンスに仕舞ってまた新たな服を買い漁る。

 

「もしかしたら何かイベントがあるかもしれないからその時に着よう」

「会社の集まりがあるときに着よう」

 

なんだかんだ理由をつけて、お店や通信販売で服を買う。

理由が無くても「視界に入った服に何かがピン!と来たら」即買う。

 

失礼になるかもしれないけど、高級な物やブランド系の服では無くて「ニッセ〇」とか「ベルメ〇ン」などのリーズナブルな服を中心に大量買いした。

レースが付いたもの、ギャルっぽいもの、大人っぽい物色んなジャンルの服を買った。

タンスには入らなくても買った。そしてタンスの上に積んだ。

 

 

ある時、「服の買い取り」というシステムを知った。

年齢的に「さすがにこれ着て歩くのはキビシイな」と思うミニスカートやスケスケなギャルシャツなどゴミ袋に詰めてお店に持って行った。

 

買取の受付を済ませて番号札を受け取り、店内をブラブラ見て回る。

普段着からジャケット系・ベビー服にウエディングドレス…本当に多種多様な服がいたるところに吊るされて買ってくれる人が現れるのを待っているようだった。

よく見ると、ほつれのある服や汚れのあるスニーカー…使用感があるものが多い。

 

この服たちもきっとかつては、着てくれる人が居て色んな所に連れて行ってもらったんだろうな。

私は今服を大量に売りに来たけれど、実際に身にまとって活躍してもらった服は10分の1も無い。ほとんどの服は購入後に着られることなくそのまま売られている。

 

…ということは、私は一体何のために服をこんなに買っているのだろうか。

それによって、私に何か良い変化があっただろうか。

 

確かに服を見る目は少しだけ肥えた。

「この服は可愛いけれど自分が実際に着たら胸元がスッカスカ大解放になるからやめとこう」などの想像をして買い物をするようになった。

だけど結局「カタログに載っている写真を見て一目ぼれ」などの衝動買いが止まらなかった。

 

そして衝動買いをしてみると「カタログに載っている写真ではすごく理想的な服だった」のに、実際手元に届いて箱を開けてみたら「なんか自分の思っている理想と違う…」とがっくりすることも多かった。

 

また、理想の通りの服が来てテンションが上がりまくった状態でも、いざ試着してみると自分の体形に全然合ってなくて「着れたもんじゃない」服も多かった。

 

そういう服も「自分の衝動買いが悪い」し「手続きも面倒くさい」から返送することなく払い込み用紙を取り出し速攻で代金を支払った。もちろんその服はタンスの肥やしになった。

 

自分の行いを振り返ってみると、無駄な事ばかりしているように思えた。

 

着れるか着れないか・似合うか似合わないかをよく考えもしないままモノを購入して、お金ばかり垂れ流して結局一度たりとも使うことは無い。

 

そしてまた新しい物が欲しくなるんだけど、何着新しい服を買っても・何万円というお金をつぎ込んだとしても・どんなに好みストライクな服を購入しても、物欲は満たされてももっと違う大切な何かが満たされた事なんか一度も無かった。

 

何着服を購入しても、最新カタログに載っている服を手にして身に着けたとしても、私自身は何一つ成長もしていないし素敵にもなっていない。

 

私は「服が好きだから服を買っている」んじゃなくて「服を買うという行為」が好きだったのかもしれない。

 

服を売っている会社独自のポイントが貯まってお得意様みたいになって、定期的にカタログを送ってくれて、疲れて家に帰ってきたら綺麗な箱に入った服が届いていてまるでプレゼントをもらったような気分になってウキウキしながら箱を開ける。

 

服を見て嬉しくなってしばらく鑑賞したらタンスに仕舞って、払い込み用紙を取り出してコンビニに駆け込んでドーンと大金を払ってスッキリする。

 

そして同梱されていたカタログを開いて、また新しい服が欲しくなる…。

 

私は「ウキウキ」や「プレゼント感」、「スッキリ」が欲しかっただけかもしれない。

 

実際、タンスに仕舞った瞬間から「買った服」の存在は私の頭の中から一切消える。

タンスを開けてその服が目についたときに最初の頃はウキウキするんだけど、いつのまにか「ああ、コレそういえば買ったなあ」くらいの存在になっている。

 

だったら服って、私にとっては本当に必要な物だけでいいよなあ。

 

そんなことを考えていると私の持っている番号札に印刷されている番号が店内放送で呼び出しされた。

買取用のレジに行って番号札を返却して手続きを済ませる。

大量に服を売ったけど、買取金額は数百円だった。

 

ゴミ袋の中にはそこそこ高い服もあったしギャルブランドの有名な奴もあった。

だけどあれだけいっぱい売っても数百円。

まあ、重量で計測しているみたいだからしかたないし、タンスの中でずっと眠らされているよりは誰かが着てくれたり何らかの活用をされる方が服にとっても良いだろう。

 

何よりもなんだか気持ちがスッキリとした。

 

家に帰ってタンスを開けるとギッチギチに詰まっていて開け閉めするたびに服の一部が引き出しに挟まってうっとおしかったタンスの開閉が驚くほど楽になった。服が挟まらないのだ。

 

そしてタンスの一部には見たことのなかった余白が出来た。

 

だけど「余白が出来たから新しい服を買おう!」とか「小銭が入ったから服買おう!」みたいな気持ちにはならなかった。

 

私はお金をうまく使えていなかったし自分の本当に欲しい物を理解する気も無かったしせっかく縁があって手元に来てくれた服も上手に活用できなかったのだから。

 

たぶん、カタログをじっくり見つめる前に自分自身をじっくり見つめるべきだったのだ。

 

この服本当に欲しい?

 

自分に似合うかな?

 

こんなショッキングピンクのタンクトップ、マジで着る?

 

買った後にちゃんと着ると思う?

 

手持ちの服と組み合わせられるかな?

 

私はこの服を手にして何か良い変化あるかな?

 

 

何も考えずに「欲しい!」と思って反射的に買うのを控えて、買う前に「本当にコレいる?」と一呼吸置いて考えた後に必要なら買うようになった。

 

いつしか服だけじゃなくて雑貨や日用品・食材を買うときにもちょっと考えるようになった。

 

無駄な買い物は格段に減った。

欲しいと思ったものの大半は冷静になってみると要らないものだなぁと気づいた。

あれだけムクムク湧いて制御できなかった物欲が限りなく無くなった。

「買い物に対するワクワク」は無くなった。

 

「本当に必要なものは何だろうか」時々考えすぎてめんどくさくなって「何も要らない」気がしてくるけどそういう時は大体調子が悪いからいっそ買い物しないでゆっくり休む。

 

たしかにワクワクは無くなったけど、なんだかよくわからないけど落ち着いた気持ちと手元に浪費されるはずだったお金が少しだけ残るようになった。

 

現在は「考え無しに衝動的な買い物」を楽しむことは無くなってしまったが、必要なものを必要なだけちゃんと買えるようになってきた気がする。

時折新作スイーツやコーヒー豆をうっかり買うから完璧じゃないけど。

 

「買った物を中心に暮らす」よりも「今持っているものを活用しながら暮らす・足りなかったら買う」感じで生きているけど私には丁度いい。

持っているものでうまくやり切れた時の快感は買い物のワクワクと同じかそれ以上かもしれない。

 

欲しいものを買うために頑張るのも良いことだと思うし私みたいな暮らし方も良いと思う。

自分が満たされたい部分がちゃんと満たされる方法を一個でも見つけられたらそれで良いような気がしている。