私は幼少期、親・祖父母などにとてもよく遊んでもらったと思う。
色んな所に連れて行ってもらったし、いろんな経験もさせてもらった。
お小遣いをもらったりおやつを買ってもらったり。
私は純粋に家族が大好きで、自分の家族は最高で、このままずっと仲良くかかわり続けていくんだろうなと思って疑っていなかった。
しかし段々成長するにつれて、いろんなことが見えてきた。
今まで1回も見たこと無かった両親の喧嘩を目の前で見た時は本当に心底驚いたし、私がなんとかしなきゃ!!とかなり焦ったのを覚えている。
祖父母の愚痴を母から初めて聞かされた時も「だったら私が母を守ってあげなきゃいけない」と戦闘モードに入り、祖母を「何も事情を知らない無邪気な孫」の振りして説得しに行ったことも何度かあった。
他にもいろいろとあったけど、私の心にあったのは「私はどうなってもいいから、家族を守りたい」という気持ちだった。
こんな私でも少女漫画にときめいたこともあるし、異性を素敵だなと思うこともあったし、猫を撫でくり回す時に至福を感じたりしていた。
しかし、愛情という感情を「ああ、これが愛情なんだな」とはっきりと実感したことは無い。もしかして、この時感じていた気持ちが「愛情」なんだろうか?
気付けば私は、「愛情とか思いやりとかを自分以外の人に注ぎ込む為なら無限に頑張ることができるのに、人から注がれそうになったら拒絶反応を起こしてしまう」ようになっていた。
人と人との間を取り持ち、愚痴を無限に受け止め、頼られれば全力で応えて、感謝されればそれだけで心の底から大満足して「よし、もっとこの人を喜ばせるために頑張ろう」と次の計画を練った。
何か必要な物を調達する際には自腹を切って調達し、相手のためにすべて使う。
自分の部屋に戻ってふと我に返って「なんで…なんで私ばっかりこんなことを!!」となることが何度もあったけど、また何かの依頼を受けたら瞬足で駆けつけた。
物やお金を相手が渡してくれそうになったら「いやいやいやいや、全然!!全然これ家にたまたまあった物を使っただけだから大丈夫ですよ!!」と謙虚な振りして受け取り拒否をした。
たまたま家にあったとか嘘っぱちで、めちゃめちゃホームセンターで調達してきたばかりの物だったり。
そして節度ある相手とはそのままいい関係を保ち続けていけたのだが、「えっ!!?これタダでやってもらえるならめっちゃいいじゃん!!ありがとう!!!次、これもよろしく!!!」みたいなノリで来る相手には思う存分使い倒される羽目になった。
よくツイ〇ターとかで「プロとして職を持っているとそれに付け込んだ人が格安や無料で図々しく頼み込んでくることへの悩み」みたいなのがあるけど、あれがまさか「なんの分野のプロでもない、ただ普通に生息しているだけの私」にも降りかかってくるとは思わなかった。しかも、その当時は全く自分の状況に気づいておらず「こんな私でも役に立てるなら何でもやるよ!」と無償でなんでも請け負っていた。
親・兄弟・親戚・祖父母など血のつながりがある関りだけではなく、友人・知人関係にも同じようなテンションで関わっていた。
幸い、友人知人関係はお金にはきちんとしている人ばかりだったのでそっち方面は大丈夫だったのだが、うかつに車で送迎をし過ぎたため「運転ヨロシク☆」にはなってしまった。
運転は大して得意でもうまくも無い…というよりも苦手だったが、断り切れずに頑張っていた。
こうして「愛情」を良く分からない方向で様々な人に全力で振りまき続けた結果、私は幅広い人からの「都合のいい相手」になってしまった。
いつもニコニコ。何を頼んでも怒らない。なんでもやってくれる。しかも代金は発生しない。
…そりゃあ「全部頼んじゃえ!!」ってなるわな、当たり前だ。
それでも感謝してもらえて次も私に頼ろうと思ってもらえるなら私はそれだけで嬉しかったので全力で応えて、自分の部屋に戻って「なんで私ばかり…」とイライラのループ。
そんなとある日、兄弟から電話がかかってきた。どうやら実家にいるみたいで母も隣にいる模様。
兄弟「便利屋さん!すぐこっち来て!!!」
電話の向こうでは笑い声がする。
今まで一度も言われたことは無かった「便利屋」という単語。
心底びっくりしたし、電話の向こうでみんな笑っているし、誰よりも一番たくさん・めんどくさい用事を頼んできていた相手は兄弟だし、兄弟だからと思って余計に頑張っていたのに。
母も笑ってるんだ。私の事を便利屋だと思っていたんだ。自分の娘が「便利屋」と呼ばれていてもヘラヘラ笑ってられるんだなと腹が立った。
そもそも、私だって用事はあるしやりたいことも無いわけじゃない。
急に「すぐに来て!」と言われても、こちらは今自分の用事をこなしているわけで。
失礼・無礼だし、身勝手すぎるし、私への思いやりも感謝も感じられない。
でも、周りにそういう風に扱われることを許し続けてきたのは、他でもない私だった。
小さい頃は明るくて多分天真爛漫ってやつだった私。
成長するにつれ、見た目をからかわれたりしやすかったので、できる限り目立たないようにした。
それでも目を付けられやすかったので、無害なうっかり者な天然の人を演じた。
天然を演じると本気で小馬鹿にしてくる女性が現れ始めたので、そこそこ真面目な振りを始めた。
すると外見だけで「真面目過ぎる」と判断されることが多すぎたので、いつも軽く微笑むようにした。
微笑むように心がけ続けると、なにも考えてなくても顔が自動的に微笑むようになってしまって、普通の顔が分からなくなった。
今までずっと他人に任せて、他人に合わせて、他人に指示もらって、他人の目を気にして、他人のために変化して、他人のために自分を全力で使い倒してきたけど、自分はなんなんだろう?
自分の本当の性格はどんな感じで、自分は何を望んでいて、自分は何をしたくて、本当の表情はどんな表情で、心の底では何を考えていて、自分のために自分で何をしてあげたら自分は喜んでくれるんだろう?
本当にその人のためにそれをやりたいの?
自分の時間を愚痴吐き女にすべてささげて何が面白いの?
その人は本当に私と仲良くしたくて関わってきてくれていると思うの?
そんな小馬鹿にしてくる人にいろいろ言われてニコニコしてて大丈夫?
都合よく扱われてるの、本当は分かっているでしょう?
天然な振りして自分の失敗を切り売りして得られる「仲の良さ」なんて必要?
親や兄弟とか血のつながりのある人って無条件で死ぬまで尽くさなきゃいけないの?
相手は言いたい放題言ってくるのに、こっちが全部黙って受け止める必要性はある?
…自分自身にひとっつも愛情注いでないくせに。
本当は全部 自分が「欲しい」事ばかりやってる くせに。
お願いしたら笑顔で気持ちよく用事をして「欲しい。」
しんどい時・気持ちがいっぱいなときにいくらでも話を聞いて「欲しい。」
困った時にはいつでも助けて「欲しい。」
お金や物・気遣いをしないでいい関係を保って「欲しい。」
馬鹿にしたり嫌なことを言ったりしないで「欲しい。」
…欲しい。欲しい。欲しい。
私が心がけているたくさんの心がけや対応、全部「自分がして欲しい事。」
でも、心がけても返してくれる人は誰もいないどころか、要求がグレードアップされていくだけ。
今まで尽くした人みんな「マナは頼めば嫌と言わずにやってくれるからやってもらおう」になってしまっている。
頼まれたことをやんわり断ってみても「マナは頼めばやってくれる人」という思い込みのベースがあるから、必要以上に食い下がられて「なんで!?じゃあこういう風にしたらできる!!?」みたいにしつこくされたり嫌な顔をされたりする。
ああ、ショックだけどこの人は「自分の要求が簡単に通らないとこういう風になってしまう」人だったんだな。
でも、悲しいけれどもっと早く気づいておくべきだった。
今更だけど、ダメな関係は全部放り出そう。
努力はしてみたけど、変えるには今以上の体力と年月と精神が必要そう。
それ以上に、もう今更変えられそうにない。
私がやらないといけないことなんて何もない。頼んでくる本人がちょっと頑張って調べればどうにかなることだし、本気でやれば誰でもできること。
それが面倒くさいなら、然るべきサービスをお金を払って受けたらいい。
仲良くしたい人同士がつながっていけばいい。
私はそこに無理やり居させてもらわなくていい。
私がその場で頑張らなくても、フワッと抜けてもいいじゃない。
残った人が自分たちの力でどうにかしたらいいじゃない。
人に注がなくてよくなった体力や愛情やいろんなものを、今更だけど自分に注ごう。
何をしたいのか自分に聞いてみよう。
余裕があったら、今私がこうして落ち着いていられる環境を作ってくれている「今の周りの人」にもちょっと愛情を注いでみよう。
前みたいにがむしゃらに四方八方に飛び散らかさずに、適度な場面で適切な分量で気軽な感じで注いでみよう。
そうしてたら、いつか「おお、これが愛情か!」って分かるときが、来るかなあ?