ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

自分が自分でやっていると思う リア充ブロック②なんでもかんでも感謝し過ぎた。

以前書いた「自分が自分でやっていると思うリア充ブロック①」から結構間が空いてしまいましたが、本日は「その②」を書いていきたいと思います。

 

 

私は小さいころから「感謝をする」ことをゴリゴリに刷り込まれてきた。

事あるごとに「感謝、感謝」「ありがたい、本当にありがたい」などの感謝のセリフを家族の誰かが口から発射。

ちょっと私が何か役に立つようなことをしたら「お前は本当によくできる子だ、ありがたいありがたい。」と感謝をしてくれた。

 

自分のいる環境がそんな言葉にあふれていると、私も感謝するようになっていった。

 

「財布のお札を入れるところからなぜか10円が出てきた」みたいな些細な事から「出かけた先で見ず知らずの人に親切にしてもらった」ことまで様々な場面で感謝した。

 

学生時代にも、夕食時に飲酒で機嫌のよくなった父が「お前らがこうやってご飯を食べられて学校に通えるのも、(自分を指さしながら)儂が!毎日働いているからだぞ!!」と言ってくるのにも感謝し、心の中で「この恩は私にできることを全力でやって返していかなきゃ」と思った。

 

社会人になっても、同僚や先輩が「一緒にご飯を食べようよ」と誘ってくれれば「私なんかを誘ってくれるなんて、なんてありがたい!!ぜひともご一緒させてください!!」と飛んでいった。

 

結婚しても「夫は稼いできてくれるありがたい人だから」とひたすら感謝した。

その当時私も働いていて、どちらかというと私の方が仕事量が多かったのだが家に帰ったらテレビをつけてドカッと座り込み趣味の番組を見始めて何一つ手伝ってくれない夫を横目に、必死で晩御飯を作り、テレビを見ながらのながら食べで味気なく無くなった晩御飯を嘆く暇も無いまま洗い物をしてお風呂を沸かし、夫を先に入浴させたら自分が入浴して、夜のうちに洗濯物を洗って干し、まだダラダラとテレビを見ている夫を寝床へと急かす日々を送っていた。

 

気が付いたら「心から感謝をしてありがたいと思う」よりも「感謝をしなければならない」という心境になっていた。

 

どんな理不尽なことがあっても「それは自分を成長させてくれるから感謝」

ちょっと「は?」と思うようなことを言われても「どんな相手も仲良く大切に感謝」

自分がつぶれそうで誰かに助けてほしくても「神が与えてくれた試練だから感謝」

 

 

何においても「感謝。」

とにかく「感謝。」

ていうか「感謝」しないと悪い事が起きてしまう。

 

…もはや強迫観念みたいな物があって、うまく伝わり切らないかもしれないけどとにかく「感謝しなければならない」という心境になっていた。

 

感謝をすることによって、確かに物事や人付き合いはうまくいっていた。

しかし「すごく満足できてうまくいっていた」のではなく、「可もなく不可もなく」物事が収まっていたように思う。

 

理不尽なふるまいをする相手が来ても「感謝」の気持ちをもって対応していたら何となく平和にその場は収まるし、むしろ逆に気に入られて妙に仲良くなる事が多発した。

 

「は?」と思うようなことを言われても「感謝」の気持ちを優先するとなんだかだんだん「その内容にも一理あるかもしれない」と思えてきて、相手の話を素直に聞こうとすることができた。

 

自分がつぶれそうなときでも「感謝」と思って、トラブルに正面から突っ込んでいってできる限りのことをしたら不思議と丸く収まった。

 

しかしそれは「心から感謝できる物事の収まり方」ではなく、「自分の身を犠牲にすることによってなんとなく得られた平和に見えるような状況」であった。

 

結局「感謝」でごまかして耐え忍ぶ状況に自分を追い込む結果となり「相手はうまくいっていてニコニコしている」けど自分は相手に合わせてニコニコしながらも「心の奥にモヤモヤがたまり続ける状況」となっていた。

 

それでも「感謝」をし続けて生きていくうちに私は、「こいつには何を言っても怒らない」「なんでもやってくれる」「頼みやすくて聞きやすい」「便利」とただのつかいっぱしりみたいな立場に落ちていき、周りの「はっきり断れる人」「用事を頼みづらいオーラが出ている人」「自分中心の人」の人の方が重宝されていることに気づいた。

 

それでも、自分で作り上げてしまった「つかいっぱしりキャラ」はなかなか変更できない。

それどころか体の芯にそのキャラがしみ込んでしまって「私にできることある?」「なんでもするよ!」と、反射的に自らつかいっぱしられてしまう。

 

自分でも馬鹿だなと思っていたし、もちろん苦しかったし、口内炎や胃痛に毎日のように悩まされたし、最終的にはご飯が食べられなくなったし、今の自分がぬくぬくと生きていられるのは「誰か」が頑張ってくれているおかげだと思うと自分のために冷暖房なんてつけようと思わなかったし「朝食や夕食も控えたら食費の節約になるかな?」と思ってお茶だけで朝食や夕食を済ませるようになったりもした。

 

気付けば6㎏体重が落ちて、白米のにおいをかいだだけで吐きそうになった。

白米を一口だけ食べてご馳走様をする日々が続いてさすがに自分で健康状態がヤバイことを悟って、泣きながら無理やりご飯を胃袋に突っ込んでひたすら吐き気に耐える日々を続けた。

 

それでもそんな日々に感謝していた。

もはや「人のわがまま」「愚痴の相談」「褒め言葉の強要」「用事の依頼」「イライラの解消」「お金の相談」「他人のフォロー」などに振り回されて「私が1人で片づけて当たり前の家事」「私が我慢して相手に合わせる」「いい人で居ないといけない」「髪の毛が異常に抜ける」のが日常になって、食べられないご飯は一緒にいる人が「え?くれるなんてラッキー」みたいな感じで食べていた。

(私、食べてきてお腹いっぱいだからとか嘘をついて食べてもらっていた。)

 

今思えば、感謝のしようなんてひとかけらもない。ていうか状況を冷静に見て自分のふるまいを変更していくべき場面だった。

それなのに「感謝!ぜーんぶ感謝!!」で目隠ししてしまって、きちんと目の前の出来事を把握しようともせず「感謝してればうまくいくはずなのになんかくるしいなーしんどいなー」とどこかのんきだった。

 

そんなとき、相変わらず「感謝」を掲げる人たちがトラブルに巻き込まれた。

私もガッツリ巻き込まれて状況を見ていたら、口では「感謝」とかのたまいながら批判や陰口全開でそこには感謝の欠片も見えなかった。

 

さらによくよく見ていたら「感謝!」「ありがとう」と言いながら、すぐに次の用事を頼んできたり「コレ絶対本当にありがとうって思ってなくない?ありがとうって唱えて褒めておけば相手は言うこと聞いてくれると思ってないか?」と疑うような出来事も起きた。

 

そもそも、親身になって私が必死に動いたり状況を打開できる言葉を伝えても相手は「盛大に感謝するだけして」すぐに忘れて「それやったらヤバイ」と伝えたはずの行動をサラッとしてしまい状況が最悪になったり。

 

それどころか全然どうでもいいテレビのしょうもない生活情報みたいなのや他の人の言った一言はしっかり記憶していたり。

 

さんざん巻き込まれて苦しんだ末に追い詰められてしまい「感謝しなきゃ」という気持ちをぶん投げて、「感謝しなかった分、罰が当たって死ぬならもうそれでもいいや」と文字通り自分の身を投げ捨てるような行動をとってしまった。今まで気づき上げてきた「いい人キャラ」や「信頼」も全部ぶち壊すような行動もした。

 

その結果、私は死ななかった。

 

自分でもびっくりして、なんだか感動してしまって思わず「私、よくまだ生きてるなー!!」と、とある街中で大きな声で独り言を言ってしまった。

あれだけ怖かった人の目が一気にこちらを見たけど、不思議となんともなかった。

 

いままで何回も思ってきた「偽の感謝」じゃなくて、本当にこころの底からメラメラと湧き上がってくるような「感謝」だった。

 

あれだけ「感謝」「感謝」と唱えまくって生きてきたのに今までこんな感情は感じたことなかった。なんだか空も飛べそうなパワーが湧き上がってくる。

 

本当に「これまでの感謝は感謝してなかった。」と気付いた。

だけど、もうこんな自分を粗末にするようなことは二度としないし、いろいろあったけどなんだかんだで生きていられる自分とちゃんと向き合って生きていくと決意した。

 

感謝感謝と自分に嘘をついてごまかしていた「感謝フィルター」を外す努力を始めた。

自分の本音としては「仲良くなりたくない相手」との飲み会やお誘いは理由を付けて断った。

 

どうせ行ったところで「その人の職場の誰か分からない相手の愚痴を延々と聞かされて恋愛について知ったように語られて、私が頼んだ飲食物が毎回毎回一口頂戴であっちやこっちやにたらいまわしされてメンバーのだ液まみれになって自分の手元に帰ってきてそれを嫌な顔もできずに食べなきゃいけない苦行」にしかならない。

無理やり話を振られて仕方なしに私の話を始めると、とたんに静かになったり上げ足をとられたり批判されたりするからひたすら「相槌マシーン」になるしかないし。

うん、もう自分に嘘つかない。行きたくないから行かない!

 

そしていかに身近な人であっても「感謝するべき」か「しないべき」かをきちんと判断するようにした。

 

「親には感謝するべき」と思って一生懸命聞いていた「お前らがこうして生きていられるのは儂が働いているから…云々」みたいなやつもまともに聞かないようにした。

よく考えたらもう数十回は同じ話をされているし、母も「お父さんはね、嬉しいからアンタたちに言いたくなっちゃうのよ」じゃねーよ!

 

そう言うことを言われ続けたから「自分のために冷暖房」すら「両親のお金の負担になりたくない」とつけられなくなったしご飯代を浮かせようと置いてある食材も手を付けなくなったし進路も親の負担にならないところを…ってなったし。

 

そもそも数回言えばもう身に染みるような話なのに、数十回聞かされてんだぞ?

そうやって放置するからこっちは何回も何回もそういう話を聞かされて、さらに酒も入ってるもんだから昔の、これまた何十回も聞かされた苦労話に発展していって聞かされて。数時間は拘束されて大変なんだぞ?

言われる方の気持ちなんて一切考えてない。それもどうなのよ?

 

 

「全部私が勝手にやったこと」だし今更遅すぎるけど「もう昔の事だから今更言っちゃダメ」って思ってたけど、よく考えたらなんで勝手に時効???

一定の期間が過ぎたらもう「昔の事」でも吐き出しちゃだめなの???

なんなのこの「自分が勝手に決めた時効」みたいな。自分で自分の首絞めるみたいな。

 

ダメダメダメ。また変な自分の決め事みたいなのあったわ。やめようコレ。

「吐きたくなったら吐き出すし、忘れてたらそのままでいいし、思い出したら思い出したでいいし」って。さらに自分を自由にすることにしよう。

 

 

気付いたら四千文字超えてきたし内容もわけわからなくなってきたけど、何でもかんでも感謝し過ぎると自分がしんどくなってしまうし「感謝」でマヒしてしまって目の前の出来事が冷静に受け止められなくなってしまう。

 

自分がモヤモヤした気持ちになったり、本当は嫌だなと思っているのに「感謝!」って思った瞬間に感謝するべき対象になってしまうので感謝の使いどころは本当に間違っちゃいけない。

 

しんどいならしんどいなりに、嫌なら嫌なりに、楽しいなら楽しいなりに…。

 

私もまだまだ「感謝するべき」や「いい人で居るべき」が反射的に出てきて冷静な判断が出来なくなる時があるけど、自分の気持ちが今どうなのかっていうことを大切にしながら、うまくいかないなと思ったら「上手に気持ちをもっていく情報を提示してくれている人」の情報にお世話になりながらコツコツ進んで行こうと思います。