私は過去を大切に抱えて生きている人間かもしれない。
もらった手紙は捨てられない。
過去に言ってもらった事や何かしてもらった事は今だに時折思い出して嬉しくなって、その嬉しさをくれた相手を喜ばせてあげたいと思う。
プレゼントだってとっておきたい。全く好みではない物でも思い出としてとっておきたい。
逆に、我慢させられたり嫌な思いをさせられたことなんかも夕食作りの最中なんかにふと思い出して今更怒りがこみ上げて来て「ああ言ってやればよかった!こう言ってやればよかった!」と今現在怒らされているかのようにカッカと怒りに燃えたりもする。
ひとしきり過去を思い出してフィーバーしたあとに「よく考えたら学生時代のことじゃん!いつまで引きずってんだ私…。」とか気づいて自分が嫌になったりもする。
それなのに誰かに何かを説明しようと自分の経験を語るときに、だいぶん前に就職した会社とかを持ち出して説明したり、すごい昔の人間関係を例えに出したりとにかく過去ばっかり話してる自分がいる。
最近そんな「過去の思い出を現在に引っ張り出して来てその思い出の中を生きている自分」に気がついて「今をちゃんと見て生きて行かなきゃ」と反省した。
きっと、わけわかんない間に10月から11月になってたのもそれが原因のひとつかもしれない。
ちゃんと2017年の10月を見ずに違うものばっかり見てたから11月になっちゃった…とか。
今日は勢いのみでブログ書いてるからいつも以上に支離滅裂ですが、そんなわけで家に積もり積もった書類の要不要をきっちりと分けて、不要な書類は焼却しました。
田舎だしお風呂は薪で沸かすような環境なので自らの手で燃やすことができるのがありがたい。
過去に就職した職場でもらった書類。
可愛いモテ系の同僚からもらったから「私にもモテがうつるかも?」と腐った考えでお守りのように持っていた直筆の手紙。
自分とは真逆のリア充から貰った結婚式の招待状や「この人から手紙をもらえる事はもう無いから激レアで貴重」という思いで保存していた手紙など…。
過去に生きてると自分で言うだけあって、どの書類を見てもどんな理由でとってあるかが全部思い出せる悲しみ。
記憶力がいいといえば聞こえはいいけれど、ただの過去への執着心かもしれない。
だって「じゃあこの手紙達を送ってくれたたくさんの人々の中で今現在何人と連絡取ったり会って話したり交流があるのよ?」と聞かれたら…言いたくないけど片手で足りるもの。
ほとんどが学校卒業や転職でご縁切れになってるし、日々の生活はみんなそれぞれ違うから会えなくなってそこから縁が途切れて最後には切れるし。
「この人はすきだな」と思った人も「こいつキライ」と思った人も満遍なくどんどん私の横を通り過ぎていって私との縁は切れていって、そしてまた違う人とつながっていってるんだろうな。
私はそんな「通り過ぎていった人」が残してくれた「ペンで文字を書いた紙」を大切にワクワク保存してその人達と今でも繋がってる錯覚の中にいて時折思い出を思い出しては「あの人は私に手紙をくれたんだぞー!こんなものもらえる私はすごいんだぞー」とバカみたいな満足感に浸ってた。
今現在は定期的に遊ぶ友達なんてごくわずかだし、稀に連絡が来た過去にご縁があった「もう顔も思い出せないし今どうしてるのかすらわからない人」と「また会いたいなー」「うん!めっちゃ会いたいー!」とおきまりのやり取りをして結局会うこともなく日々が過ぎていくわけなのに。
そんなことを考えながら色んなものを真っ赤にゆらめく炎の中に放り込んで行ったらあっという間に全部が黒く炭になって白い灰になって時々花びらみたいにヒラヒラ舞い散って綺麗で。
なんだかやたらとスッキリできました。
断捨離とかカッコいい言葉を使えるような気持ちや行動ではないけど、今をちゃんと見ていけるようになっていかなきゃなと思います。