ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

アオハタの瓶入りジャムについに手を染めてしまった話。

瓶に入ったジャム。

 

ジャムをたっぷり塗り付けたスコーン大好き人間の私は、スーパーに行った際にはいつもジャムコーナーを見に行ってしまう。ジャムを無意識に欲しているのかもしれない。

 

だけど、いつだって買い物かごに入れるのは紙容器にパックされて激安価格で売られているジャム。瓶入りのジャムは見て楽しむだけにしている。

 

瓶入りのジャムはトロッとしてジューシーで、めちゃめちゃ美味しい事は分かっている。

しかし、瓶入りのジャムは私にとって「面倒くさいもの」なのだ。

 

 

なにが面倒くさいかっていうと、まず「食べ終わった後に洗うのが面倒くさい」

紙のパックに入ったジャムなら食べ終わったらそのまま捨てることができるけれど、瓶はそうはいかない。洗わなければならない。

 

とはいえ、ジャムは「油もの」では無い為、水ですすげばすぐにキレイになる。

しかしその「水ですすぐひと手間」が面倒くさい。

 

 

次に「瓶に張り付いたラベルを剥がすのがめんどうくさい」

資源回収に出すためには、瓶をキレイにしなくてはいけないらしい。

だから私はラベルを剥がす…のだが、このラベルがなかなか曲者多し。

 

乾いた状態でキレイにはがれるタイプ・濡らしてふやかしたらキレイにはがれるタイプ・何をどう頑張ってもキレイにはがれることは無く糊がのこりまくるタイプと様々なタイプのラベルが居て、親切なメーカーは「こうやったらキレイにはがれますよ」と記載してくれているけれど大半のメーカーはそんなことまで記載していない。

 

とにかく「乾燥状態→濡れた状態→力づくで剥がす」という手順で、とにかくやってみないと分からないのだ。

ちなみにうまく剥がれない奴は最終的に水でラベルをふやかした後でスチールたわしでゴリゴリ削ると大体なんとかなる。めっちゃ面倒くさいけど。

 

そして最後に「瓶自体を捨てるのが面倒くさい」

地域の資源ごみ回収日まで家のどこか一角にずっと貯めておかないといけないし、うっかり回収日を忘れようものならさらにその先の回収日まで家の一角に瓶が居座ることになる。

 

今ではかなり減ってしまったがスーパーの店頭で「瓶・缶回収」をやってくれているところもあるので買い物ついでに回収へ出しに行くこともあるが基本的に「瓶」まで回収しているスーパーは大手のスーパーばかりになってしまい、しかも我が家からはどのお店もすこぶる遠い。

 

ちょっと前までは近所の小さいスーパーも瓶の回収やってくれていたのに…どこかのだれかが処分にこまったのか「ガラスのバカでかいジョッキ」とか「ガラスの皿」とか突っ込まれているのを度々目撃していて「えー、これここに捨てたらダメじゃない???」とか思っている矢先にスーパー自体が瓶の回収をやめてしまった。

「ちょっとくらいいいでしょ」ってこういうの捨てていく人が居るから、せっかくみんながきちんと利用していてもサービスが停止になっていく。

 

ちょっと前にも「地域の小さな和菓子屋さん」っぽいおじさんが社用車でスーパーにきて回収ボックスを利用していたんだけど(私の前に居たから嫌でも目についた)、白い食品トレー入れるところに「透明の食品容器」とか「どん兵衛の容器」とか突っ込んでいっていて…「いやいやダメだろ!!しかもお前もお店を運営してるならそういうことされる側の気持ちとか分かるやろ!!?」って心底ビックリして。

 

その時はビックリ&色々考えすぎて何もできなかったけど次に見たらお店の人に報告くらいはしたいなと。

そしてそういうことする人間が作るお菓子は買いたくないななんて思ったり。

やっぱり、悪い事すると誰かが見てるのよ…ってやっぱり今回も話が脱線していったので元に戻します。

 

というわけで。

「洗浄が面倒」「ラベル剥がしが面倒」「瓶捨てるまでが面倒」の三重苦を避けたくて手を出すことが無かった瓶入りジャム…。

家に「捨てなきゃいけない瓶が貯まってしまったから、いまさら一個増えたところで大したことは無い」状況に置かれてしまいましたのでついに手を出してしまいました。

 

手に取ったのは「アオハタのブルーベリージャム」。

ああ…ついに買ってしまった。しかも奇跡的にスコーンもある。

コレは「私史上最高至福のティータイム」が始まる予感。

 

そしてスコーンを焼く。

紅茶を淹れる。

焼けたスコーンにジャムを塗る。

「美味しい!!!!!!!」

 

ブルーベリーが爽やかに甘くてジューシーでほど良くトロっとしてて…ふおーーー至福!!

 

んで、気が付いたらジャムそのまま食べてましたよね。

 

 

そんなこんなでだいぶん減ったジャム。

もうあと一回「ティータイム」やったらなくなる…ていうか我慢せずに全部食べようとおもえば余裕でぺろりといける残量なのですがさすがに糖分とりすぎかなあとグッと我慢。残ったジャムは手持ちのガラスタッパーに移しました。

 

そして残った瓶…うおお、これから「私史上そこそこめんどくさダルいタイム」が始まるよはああー…だから瓶入りは嫌なんだよ。このラベルがどうやったら剥がれるタイプなのかもこれから調査しないといけないし…はあダルイ。中身は最高に美味しかったのに。

 

ウダウダ考えながらガラス瓶を水で洗浄します。

もともととろみのあるジャムだったからか、瓶にジャムがこびりつくことも無く水を当てた瞬間に容器はつるりとキレイになりました。

 

「えっ!?嘘、もうきれいになった!!?すげえ!!」

 

「…とはいえ、ここからラベルと格闘タイムなんだよなあ…」

 

秒速でキレイになったガラス瓶にちょっと感動しつつも、めんどくさい「ラベル剥がし」を思い出して沈む気持ち。

 

しかし気持ちを奮い立たせてラベルの角を爪で少し剥がす。

そして剥がれたラベルの角を爪で摘まんで引っ張る。

 

「さあ!!どうせキレイに剥がれちゃくれねえんだろ!!?」

 

「お前はどうやったらキレイにはがれるタイプなんだ!!?」

 

 

 

「…ってええええ!!!?」

 

あっという間にキレイにはがれるラベル。

どこか一部が破れたりすることも無く奇麗にペロリと剥がれて、普通にまだどこかに貼って使えそうな状態で私の指に張り付いていました。

 

「…マジか!!!」

 

一番面倒くさいと覚悟していた「ラベル剥がし」がまさかの秒殺。

後は乾燥させて瓶を貯めている場所に移動させるだけなのでこれにて「瓶洗浄ミッション・コンプリート!!!」

 

今まで数多く取り扱ってきた「瓶洗浄ミッション」の中で1位確定の簡単洗浄。

しかもジャムはめちゃめちゃ美味しいし。

もしかしてアオハタってすごくね???ていうか神じゃね???

 

ずーっと「面倒くさいもの」として避けて通ってきた「瓶入りジャム」。

今度からアオハタのジャムは買っていこうと思います。

 

 

 

 

物事にとりかかるまでが一番時間を食う。

あああー!

アレやっておかないといけないって分かっているのに…スマホでどうでもいいネットサーフィンする手がとまらなーーーーい!!

 

うおおおー!

恐ろしく簡単な事を1個処理すればその後のんびりスマホゲームできるのに…その恐ろしく簡単な事にとりかかれないー!!スマホゲームを進める指がとまらなあああい!!!

 

あと…すこし!!

あとすこし!!

 

きりが良い所までスマホいじったらちゃんと取り掛かるから!!

今ホントちょっと微妙、マジでキリ悪いから!!

もうちょっとスマホいじって、ひと段落つけてから取り掛かろう…

 

だってアレやるのちょっと面倒くさいし。

特に急ぎや締め切りがあるわけでもないし。

なんならやってもやらなくても自由だしねえ。

 

 

スッ…スス一…ススススイ

 

スススイ ススイのスイ(スマホいじくる指)

 

 

…そろそろひと段落ついたなー。そろそろ取り掛かる…ってええええええ!!!?

もうこんなに時間経った!!?マジか!!もう遅いじゃん!!!!

やばい私今日ほとんどスマホいじりながら横になってただけじゃん!!

 

…はああ、マジかー。

 

仕方ない。本当は今日終わらせたかった内容だったけど、また明日やろう。

うん、明日こそはちゃんとやろう。

 

(翌日、また同じ内容を繰り返す)

 

 

…ほんとにコレ!

いくら「やるべきことをきちんと終わらせよう」「色々チャレンジしてみよう」とかいろんな目標立てても、気合が抜けた日はほんとに動けない!!

動けないっつーか動きたくない。面倒くさいが勝ってしまう。

 

そんでなんだかんだ脳内で言い訳を作り上げまくって結局その日のうちにその物事を処理しなくて翌日に先送りして、そんでまた翌日に先送りした内容をその翌日に先送りして…(以下エンドレス)

 

やると決めたことをキチンとこなしてしまえば後が楽だし気分も良いし不思議とやる気も出てくるんだけど、それは分かっているんだけど横になってスマホいじくってゴロゴロしながらネットサーフィンしたりスマホゲームしたりする方が楽で楽しいっていう。

 

横になって指を動かしているだけなのにいろんな人の意見を知ることが出来たり刺激をもらえたり新しい発見があったり…現実よりスマホの方が楽しいと思える時もあるくらい。

 

 

こうやってなんだかんだ人生の時間をたっぷりとスマホに注ぎ込んで、現実の簡単な事すら取り掛かることが出来ない。

 

「あれも未達成」「これもやるやる言いながらやってない」「そういえばこれもできてないな」…現実の自分のダメダメ加減に自信喪失。やる気も出ない。

 

でも「めんどくさいなー」「だいぶん前に投げ出して以降完全放置だったからどこまでやったかもうよく分からないなー」っていうような内容に「えいやっ!!」て手を出してみたら。

 

再びやり始めて見たらなんだか楽しくなってきて、不思議とやる気も湧いてきて「ついでにこれもやっちゃおっかー」みたいに他の事もサクサク取り掛かることができたりしてとっても不思議。

 

投げ出せば投げ出すほど、放置すれば放置するほど、言い訳を頭の中で繰り広げれば繰り広げるほどどんどんやる気もなくなるし面倒くささもアップするし先送りしてしまう。

 

今日も「本当はずっと前から相手に交渉してみればいい内容だと分かっていたけれど、相手が何て返してくるのか分からない怖さと交渉の面倒くささが勝っていてずーっと現状維持しながらも陰で【もう少し何とかならないかなあ。困るなあ】とか思っていた内容」を勇気出して相手に交渉してみた。

 

そしたらあっさりオッケーで。

 

「えええっ!?そんなんだったらもっと早く相談したらよかった!!」って逆に愕然としたというか。もう膝から崩れ落ちる感じ。「今までの不満を抱えた数年間は何だったの?」みたいな。

 

何事も1人で深く考えず、言い訳する暇を自分に与えないで「パッ」と取り掛かっちゃうのが一番いいのかもしれないなあ…なんて1人でしみじみ考えている私なのでした。

お葬式ってやること多すぎじゃね?

ちょっと前に身内がなくなったので親族の1人としていろいろ見ていた。

私は喪主ではないので本当に見てるだけだし、ちょこちょことした雑用を手伝うだけだったけれど。

 

まず身内が亡くなった日。

細かい手続きとかは良く分からないけれどどうも色々あったみたい。

連絡を受けて駆けつけた時には〇〇ホールの一室に祭壇が用意されて棺桶の中に家族が眠っていた。

 

そしてどうやら、なくなった日から親族が個人の隣にずっと付き添って一晩中お線香を絶やさずに上げ続けなければならないらしい。

しかもコロナやら熱中症やらの影響のせいで葬儀が立て込んでいるわ・亡くなってから24時間以内に火葬をしちゃいけないわで結局2晩お線香を絶やさずに上げ続けなければならなくなっていた。

 

私は夫の激務を支える&猫の世話とかあるからなのかお線香をあげ続ける担当からは外れていたんだけど、ただでさえも人が亡くなってドタバタして皆疲れている中で1本あたり20分程度で燃え尽きてしまうお線香を「絶やさずあげ続けろ」って…?

 

確かに「故人とのお別れの時間」「成仏してもらうための手順」…私が知らないだけで色々と理由はあるのかもしれないけれど「残された家族はいつやすめるんだろう?」って。気になって気になって仕方なかった。

 

落ち着いて眠ることもできないで、鍵もかけられない・セキュリティーもゆるゆるの夜中従業員も誰もいない〇〇ホール。

布団は3組までなら無料だけどそれ以上使うなら1組3500円と有料。

シャワー使ってもいいけどタオルも有料。(今治タオルなら1500円)

何かをすればとにかくお金がかかるシステム。(仕方ないけれど何もかも高い!)

 

 

そして葬儀当日はかけつけてきてくれた親族たちを休む暇無くおもてなしし、香典を管理し・挨拶などをこなし、香典返し(?)を手渡していく。

「〇〇さんから預かってきた香典」なんかも、間違いの無いようにメモしたり香典返しを渡したり…終始忙しい。

 

そしてコロナの影響の為限られた人数で式を執り行い、斎場にて火葬を行いお骨を拾う。

(今回の場合、斎場に行く人数は10名程度までと決められており、体温を計測して規定値以下の体温である人のみ斎場に向かうことが出来る)

 

なんだかんだでお葬式も終わってひと段落。

 

「やっと家族もやすめるのかな?」と思っていたら、間髪入れずに「役所で書類を取りに行ったり色んな手続きに駆けずり回る」+「(老人ホーム的な施設を利用していたため)荷物の片づけ」+「お経をあげてくれたお寺さんに挨拶と戒名をつけていただいたお代とお気持ち(お金)を渡しに行く&四十九日の相談」+「家に手を合わせに来てくれた人への対応」+「家の中に用意された祭壇にお骨と遺影を置いて、花や果物を傷まないように供え続ける」+「故人用と仏様用のお膳を2名分毎日用意して供え続ける」+「毎日1つずつお餅を供え続ける」

 

…………。

 

やること多すぎだろ!!残された家族はいつ休めるんだコレ!!

 

 

そりゃあ人が亡くなっていますからね、手続きややることも多いでしょうしそれは仕方ない。親族の1人として私も、できることは全部してあげたいとも思いますよ?

 

だけど、今回は見ているだけが多かった私もさすがに「自分がコレを全部やるとなったらやりきれるのかな???」ってなりました。

 

結婚式もそうだったんだけど「なんだかんだで良く分からないけどやらないといけないっぽいからやる事」とか「当たり前のようにやらないといけないらしいから自分もやって支払うお金」とか多すぎると思ってしまいます。

 

大枚をはたいて「誰かが考えた手順の儀式」がグイグイ進んでいて、自分たちは来客をもてなしたり言われた事をこなしたりして必死にやって、気が付いたらすべてが終わっている…みたいな。

 

今、私は毎日お餅を用意して時々買い物ついでに買ってきた果物を古い果物と入れ替えてローテーションさせたり2名分のお膳を用意していますが…地味に大変。

お餅と果物はまあ何とかなっていますが…お膳、貴様だよ。

 

なんせ「故人様は家族みんなと同じものを食べたいのです」とか言いながら同じものはダメ。

 

「精進料理じゃないといけない」らしく晩御飯を普通に使うのはダメ。

 

肉・魚・卵、玉ねぎ・ニンニク・ネギなんかもダメ。

 

カツオって何にでもダシとして入ってるけどそれもダメ。

 

ご飯は丸くボールのような形によそわないといけないし。

ネットで調べれば調べるほどタブーだらけ。

全然「同じもの」じゃねーだろコレ。

 

しかも夏場にお供えするもんだから花は速攻で痛むしお餅は速攻でカビが生える。

 

祭壇を設置している部屋は、花と線香と御膳の酢の物の匂いが入り混じってすごい匂いになっている。私的にはなかなかキツい。

 

「お餅は四十九日まで一日1個ずつ増やしながら供える」らしいけど、カビて捨てて(ウチは堆肥作ってるから捨てずに堆肥にしてるけど)それまでの個数のお餅を供えなおして…そして1個ずつ足していくの地味に大変なんだけど。夏場無理じゃね???四十九日まで餅がカビないとでも思ってるの?

 

しかも〇〇ホールの人やお寺の人も「そういうのはちゃんとわかってるだろう」というテンションで来るから細かな事は何も教えてくれない。

お膳の並べる順番くらいしか教えてくれないから最初は「じゃあケンタッキ〇とか買ったときはご馳走だからお供えしてあげようかな」とか思っていましたよ。あぶないあぶない。

 

たしかにお膳自体は小さいしミニチュアみたいでちょっと楽しいけど、そんなの私が家にこもって時間がある人間だからそんな風に思えるだけでもしも自分が働いていたらとてもそんな呑気な事考えていられないと思うのです。

 

しかも四十九日の日は四十九餅とかお膳2名分を自力で用意してタッパーに入れて行かないといけないとのこと。

しかもお寺さんか◯◯ホールの人(どっちか忘れた)曰く「市販のお餅はダメ!ちゃんと上新粉使って自力で作れ!」+「お膳もちゃんと作るように!」って…そりゃあそうだよなとはおもうけれど!

ちょっと負担が重すぎませんか!?

煮物とかは前日に昆布だしで作っておくからいいとして…お餅!当日の朝に作れと!?

そりゃやればできますけど!早起きもしますけど!!

 

調べたところ四十九餅って色々終わった後みんなで分けるとか書いてあったりしますし、私の手作り餅食べてお腹壊されたらやばくない!?

そして素人の作ったお餅がそんな奇麗にできるわけなくない!?

お経唱えてる最中にデロデロ崩れる可能性だってあるわけじゃない!!?

市販の四十九餅専用お餅の方が色んな意味で安心なのに何でそんなに市販を目の敵にするの???気持ちが入ってないからとか???

市販だとしても機械生産だとしても、供えて手を合わせて冥福を祈ってる時点で気持ちはいっぱい入っていると思うんだけどそれは甘いのかな???

 

 

こんな大変だったら「簡素な葬儀」に乗り換えるひともそりゃあ出てき始めますよ!!

結婚式離れ・葬式離れ…そりゃあそうでしょ!!?

私も義父に「(私たちに)引継ぎの時期だな」って言われましたけど、正直「無理」って思いますもん。やることは多すぎるし戒名にウン十万円だし「お気持ち代」っていうのもめちゃめちゃ高いし。

 

コレを全部キチンとこなせる人は「ちゃんとした信仰心がある家系」なのか「やらなきゃいけないことを疑問とか持たずにキチンとこなせる性質の人」なのか「時間&経済的に余裕がある人」くらいじゃない???

 

大半の人は「なんかよくわからんけど引き継がされた宗教&習慣だからとりあえずやらなきゃいけない」し「詳しい事は分からないから業者の人が言うとおりにするしかない」し「故人に成仏してもらわないといけないからとりあえずやらなきゃ」っていう状態じゃない???

 

「家の宗教は〇〇教」で「亡くなったあとの人はどういうルートをたどってどうなって」「お葬式の手順や意味をきちんと理解している」人…少なくなってきてるんじゃないかなあ。

 

少なくとも私は、情けないことに自分の実家が何教なのかも覚えてないし人が亡くなってお墓に入った後もお盆やお彼岸で手を合わせに行くたびに「成仏してとっくに生まれ変わってこのお墓の中に誰もいないかもしれないのに何で毎年手を合わせるんだろう」「輪廻転生とか言う割にはお盆のたびに家に帰ってくるとか言うし一体何が本当で実際はどうなっているんだろう?」と疑問しか湧かない。だけどそれを詳しく調べるほどの好奇心や知識欲・信仰心や興味は無いから調べていない。

 

自分が死んで棺に入ったとしたら、家族が寝ることもできずにお線香供え続けてたら「そんなのいいからさっさと家帰って風呂入って寝ろ」って言いたくなるしお寺さんがお経をあげてくれても「???」ってなるし戒名つけてくれても「うわ何て読むん?」ってなると思う。お膳を供えてくれても「えーケンタッキ〇にしてー!!」ってなる。

亡くなったら急にお経の意味が分かって精進料理に目覚めるのかな?わからない。

 

 

今回お葬式を間近で見ていて色々思ったことを書いて行ったらなんか色々グチャグチャした内容になっちゃった…でも本当にこんな感じで私の頭の中がグチャグチャ。

ただ一つ「お葬式ってやること多すぎるしお金もかかりすぎるし、理解のある会社や環境・協力してくれる人に恵まれていないと本当に大変だなあ」って思います。

 

宗教自体を悪く言うつもりも無いし葬儀をしなくていいと言いたいわけでも無い。ただもうちょっとなんとかならないのかなという気持ちがあるだけ。

 

「やっている本人も良く分からないしんどい儀式」や「なんでこんなに高いのか分からないお金」が多いように思えて。

 

香典返しとかホント何のためなの?私も返してもらったけどできればそのお金そのまま使って!?ていうかほんとに皆香典返しとか欲しい??「お返し不要」とかそろそろ選択できても良くないかマジで。

 

もうちょっと現代の忙しい生活に寄り添った宗教ができたら、できることならそっちに改宗したいなと思うくらい。

 

今は「できることならこの宗教受け継ぎたくないな(ていうか最後まで落ち着いてこなしきれる自信がない…)」と身勝手な感情でいる私なのでした。

 

 

嫌な時にはなるべくその場で嫌って言わないとマジで何にも伝わらない。

基本的に人と自分の間に波風を作りたくない私。

波風を立てるくらいなら、多少不本意でも相手の言い分を飲んだり媚びるふりをしたり、自分の本音を押さえてニコニコしたりしていた。

 

それを繰り返せば繰り返すほど、相手は私のことを「何を言ってもいい相手」「従順で都合がいい相手」みたいに認識する。

 

そして自分の言い分や雑用などを私に押し付けてくるようになる。

 

それは血の繋がった家族も同じ。

私のことを「いい子」と信じて疑わず、私が勇気を出して『変に思ったことを』家族にぶつけても「そんな事ないよ」と話を半分も聞かずに適当にあしらったり「そんなふうに言うなんて酷い」なんて被害者ヅラしはじめたりした。

 

下手したら「お前はいい子だから、そんなことを言いながらも本当はちゃんと分かってくれてるだろう?(家族の言うことを聞いてくれるよな?)」とポジティブに見せかけた謎の圧力をゴリゴリにかけてくる。

 

「誰も私の話なんてまともに聞いてくれない。」

 

人生の序盤にして早々に悟ってしまった私は、人と仲良くなったりしながらもどこかに「どうせこの人も分かってくれないんだろうな」「いい人に見えても結局みんな自分の都合ばっかりなんだろうな」とどこか暗くて寂しい気持ちをずっと抱えて生きてきた。

 

私の気持ちを全て受け止めてくれる人がいるわけないのは分かってる。

 

だけど私が話してる内容を遮って「それはお前が悪い」とか「そう言う場面ではこうするべき」なんて言い出したり「あなたはいい子だから大丈夫!それより私の方が大変でね…(以下相手の話)」みたいにならず、私の話をちゃんと聞こうとしてくれる人が私の周りに誰一人いないのはどういうことなんだろう?

 

そのくせ、どいつもこいつも私にありったけの愚痴や自分の近況やどうでもいい話を私の都合完全無視で自分が気が済むまで喋り倒してくる。

 

なんで私の話を5分も聞いてくれないお前の話をいつでも何時間でも聞かされなきゃいけないんだよ。

 

そんな圧倒的に私ばかり不利な状態で過ごし続けて、いつしか自発的に発言する事も減っていって少しずつ人が嫌いになって全部めんどくさくて、自分の気持ちにも鈍感になっていった。

 

だけどアラフォーになったせいか環境が変わったせいか、最近めんどくさいことがだんだんどうでも良くなってきた。

 

繊細に人の気持ちをキャッチしようとウザいくらい自動的に働いていた私のセンサーを「…よく考えたらそんなに相手ばかり尊重しなくて良くない?」と一時停止させる事ができるようになってきた。

 

さらに「嫌だな」と感じたらその場から離脱したり、嫌な人を相手にしないように立ち回る事も少しずつできるようになってきた。

 

仕事なら仕方ないけどプライベートでやたら気を使ったり言いたい事も言えない相手と過ごす必要なんて一切ない。

 

たとえそれが家族や友達などの近しい間柄であったとしても。

 

私は好きなように生きていいんだから。

 

ていうか、嫌だなと思ってもニコニコしてたらホントに「ああ、この人はこういうの問題ないのね。大丈夫なのね。」としか受け止めてもらえないから。

 

下手したら『ここまで大丈夫ならこれも大丈夫だろ」みたいにさらに悪化していくから。

 

一瞬の表情の曇りなんかを察知して「あら?大丈夫って言ってくれてるけどほんとは無理なんじゃない?しんどいんじゃない?」なんて気づいてくれるような人間ほんっっとにいないから!

 

そういうの気づいてくれる人が万が一身の回りにいるなら超幸運だよ!崇め奉って大切にするべき!!

 

 

…あら?また話がそれちゃった。

 

まぁなにはともあれ、嫌な時は嫌って伝えたり自分が少しでも楽になるように立ち回ることはすごく大切だなあと思います。

私流の家計簿アプリ活用法!

私は家計簿アプリを活用している。

 

以前は入力したりしなかったり、その日の気分によって気まぐれに使っていたのだが、最近は使った金額をその日のうちに入力する癖がついた。

 

だけどしみじみ思う。

これは「お金版の日記帳ではないか?」

 

こまめに見返し反省などすれば役に立つこともあるかも知れないが、私の場合はこまめに見返すことなんてほぼ無い。ただただ使った金額を入力するのみ。

 

後になって「あー、この日は◯◯円使ったんだなー」とかチョロチョロっと見る程度。

これってあんまり意味ないし、もうちょっと活用できないかな?

 

 

…というわけで、給料日が来たらアプリを開いて給料を全て入力。

 

そして先取り貯金や給料を使って購入した食品や日用品の金額も入力。

 

最後にこれから支払うであろう「今月に請求される水道光熱費やカード払いの金額、保険料など」をざっくりの金額で入力。

 

水道光熱費なんて請求されるまで金額わかんないじゃん」と思って毎月請求が来た後に入力していたけど、よく考えたら大体このくらい請求が来るなぁという金額は分かるので、その金額を前倒しで入力してしまう。

 

カード払いとかも正確な金額がわからなかったら「大体このくらいの金額かなー」を入力してしまう。

 

正式な金額が分かり次第修正すればいいし、もしも予想よりも請求額が少なかったら差額は浮くことになって「ちょっとラッキー」な気分になれる。

 

ちなみに私はやや多めに予想して金額を入力しているので、今のところ「予想よりも請求額が多すぎて愕然!」という事態に陥ったことがない。

 

むしろ、いろんな項目で「浮いた!ラッキー!!」が発生しててハッピーである。

 

 

このように前倒しで「収入とその月に使うであろう金額」を入力するとあら不思議、アプリの力で自由に使える金額があっという間に浮き彫りになるのである。

これが私流の家計簿アプリ活用法。

 

この活用法を編み出してからというもの、ただただ使った金額を入力するだけのつまらない作業だった家計簿アプリの入力が私にとっては「その月のお金の流れをザックリ見通せる武器」となり「浮いたお金でウヒウヒ⭐︎ヘソクリ」を楽しむこともできるようになった。

 

その月にどうお金が流れていくのかを事前にザックリと見通しておくと不思議と無駄遣いや浪費も減っていく。

 

「家計簿アプリ使ってるけど楽しくない!」とか「行き当たりばったりでお金を使ってしまう」、「大きな出費がいざ目の前に迫ってきて青ざめる」という方はぜひ「その月に使うであろうお金を事前入力」してみてはいかがだろうか。

 

 

あなたの将来の夢は何?

 

小さなころには頻繁に聞かれた「将来の夢」。

大人になると全く聞かれることは無い。

 

そりゃあそうだ。

だって「今」が、あのころ想像していた「将来」なんだから。

 

私には「将来の夢」は何もなかった。

一応大人ウケするような回答だけはしていたけれど。

将来よりも今、目の前のゲームやアニメの方がよっぽど興味があった。

 

確かに私には将来の夢は無かった。

だけどもうちょっと、多少は、カッコイイ大人になっていると思っていた。

 

実際「大人」と言われる20歳になった時も「大人になったわー」という実感は無かったし、30歳を超えたらもうちょっとカッコイイ大人になっているかなあなんて甘く考えていたけど実際30歳になってみても容姿が多少輝きを失って全力ダッシュが多少しんどくなって筋肉痛になりやすくなった以外、特に頭の中は20代から大して変化した感じがしない。

 

外側だけはだんだんと老いに向かってアップデートされているのに、内側だけはアップデートほとんど無しでそのまんま。

未だに口からは「ヤバい」とか「マジで」とか自然に出てくるのマジヤバイ。

 

女子高校生は「JK」じゃなくて「ギャル」で「ルーズソックス」のイメージだし、平成が終わって令和になってから結構経つのに、いまだに年号書くときに平成って書きそうになるし、中古車販売の広告に「R1年式」って書かれているのを見て一瞬「R!!?アールって何!?」なんて驚いたりする。そうだ、令和だった。

 

大して格好良い大人になっているわけでもない。

貯金だって、最近浪費がやっとおさまってきたくらいで大してたまってはいない。

色々新調したい物はあるのに、お金がかかるのが怖くて手を付けられていない。

やりたいと思うことがあるのに、ダラダラ先送りしてしまって達成できていない。

 

ああ、将来の夢を聞かれたときに未来の自分を想像していた私よ…。

あなたは将来、こんな可もなく不可もない・平和なようで不完全燃焼でもある人生を過ごすんだよ。しなくてもいい失敗も思い出してジタバタしちゃうような後悔もいっぱいするよ。

 

…なんて思っていてふと気づいたんだけど。

将来の夢って小学生あたりの年齢でしか持っちゃいけない物じゃなくない?

大人になってから持ったって良くない?

だって「将来」ってよく考えるとなんかめっちゃフワっとしてるし。

 

今の年齢の私から、一年後も三年後も十年後も「将来」じゃない?

なんなら5分後も「将来」じゃない?

だとしたら「今現在のこの状況」からもうちょっとどうにか変化出来たらそれも「将来」じゃない?

 

…だとしたらもうちょっとカッコイイ自分になったり、自分の思っていることもいくらかは叶えられるんじゃない?

 

今この年齢で「将来の夢」なんて言ってると「馬鹿」だと思われるの確定だから周囲には絶対言わないけど、心の中にそっと将来の夢を隠し持ってみよう。

適当に立てた目的とかって、日常の忙しさであっという間に忘れてしまうから。

だけど「将来の夢」って忘れにくそうだし、思い出せそう。

 

アラフォーな私ですが、将来の夢に向かって少しずつ進んでいこうと思います。

 

 

 

「私がやっておくわ!」をやめてみた。自分の探し物なら自分で探してもらおう。

家族が探し物をしていた。

 

「○○はどこに行ったのかなー?」

 

私も一緒に探すがどこにもない。

時間も迫っているので家族は仕事へ出かけていった。

 

 

こういう時、だいたいこの後私が1人で必死に家探ししまくって探し物を発掘し、仕事から帰宅した家族に何気なく差し出して「ありがとー!」って言われるまでがいつものパターン。

 

だけど、私は気づいてしまった。

 

相手をびっくりさせたくて必死で探す為に、私の時間を大量に浪費してしまっていることに。

 

それに探し物をする労力だって半端じゃない。

 

そしてその「大量にかけた時間と労力」の割に相手のリアクションは薄い。

 

さらに「アイツに言っておけば探しておいてくれる」という「アテにされる」状態に陥り、相手は本気で探そうとしない上に、自分のものをきちんと片付けようとしなくなってしまう。

 

 

そもそも、自分の物なんだから自分がキチンと収納すべき場所へしまっておけばいいだけの話。

 

それをキチンとしなかった故の探し物なんて、本来私には関係が無い。

 

それを今まで探し出してきてあげたのは、私がしょうもないところで「私がやらなきゃ!」という責任感や「探し物を差し出して驚かせよう!」などとサービス精神を発揮してしまったからであり、決して探し物をするのが好きなわけじゃないし本音を言うなら「知らんがな」である。

 

「探し出しておいてくれるのが当たり前」なんて思われてしまっては たまったもんじゃねえ。

 

ていうかお前の持ち物までいちいち把握なんかしちゃいねえ。

 

わざとらしく手近なところにある棚を開けて「あれぇ〜?無いなあ。」なんて言うけどソレ、マジで探し物探す気がある人間の行動に全く見えねぇ。

 

 

…て言うわけで、今回私は「代わりに探し物を探す行為をしませんでしたー♪」

 

最初は「ほったらかす事」に ちょっと罪悪感あったけど、よく考えたら散らかす相手が良くないですからね!ハハッ!!

 

とはいえ、はじめての「探し物イベント放置」。

一体どうなるんだろう?と思って様子を見てたら、会社から帰ってきた相手が「会社にも置いてなかったー」と言いながら帰宅後にのんびりと探し物を始めました。

 

私はこういう時に「ガッ!」と動いてしまう人間なので探し物とかも全力でやってしまうのですが、相手は性格が落ち着いているから故か、まぁのんびりと落ち着いて探す。

 

見ていてイライラして「そんなペースじゃ夜が明けても探し物出てこねーぞ!」とヤジを飛ばしたくなるくらいのまったりとした探し物。

 

思わず「私も手伝ってさっさと終わらせるか?」とかでしゃばりそうになる自分を抑えながら、私ものんびり自分のやりたいことやって過ごす。

 

だけど…マジ無理、相手の動きを見てるとなんか言っちゃいそう。

 

とにかく相手の動きにあまり振り回されないようにいちいち見ないようにする。考えないようにする。

 

 

私は無に…無になるんだ…!!

 

 

 

そうして過ごしてたら、相手が「やっぱり無いなあ」とか話しかけてくる。

やめろ話しかけんな、私を巻き込むな。頼むから探し物なら1人で黙々と探してくれ。マジ頼む。

 

いっそのこと、一時期ネットに書かれてたダイソ○の店員さんの言葉をお借りして「そこになかったら無いですねー。」で全てをサクッと片付けたろうかとか思ったけど、仕事で頑張ってきた人にその対応も冷たすぎるかな?と思ったので、とりあえず1番怪しそうなカゴを指差して「その中にあんじゃね?」と適当なことを言った。そしたら探し物があった。マジかよ、嘘だろ???

 

 

…と言うわけで無事に解決した探し物イベント。

他人のことまで「私がやらなきゃ!」とカリカリしなくても「探し出さなきゃヤバい」などと謎の責任を1人で背負い込まなくても、「相手のためにサービス!」なんて変なサービス精神を発揮しなくても大丈夫なんだなぁっていう事が分かってちょっとホッとしました。

 

今までなんであんなに、なんでもかんでも他人のことまで1人で頑張ろうとしてたんだろうな?って。

 

自分をわけもわからず頑張らせすぎてきたなぁと、ちょっぴり反省もできました。