ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

SNSでコメントをもらったら嬉しいよりも怖くて憂鬱な気持ちが勝ってしまうビビリな私のSNS黒歴史を遡る。

私はSNSをちまちまとやってきた。

ミクシ〇・フェイスブッ〇・ツイッタ〇・インス〇…特に何のこだわりもなく何となく始めてちまちまと写真をアップロードしたり日記を書いたりしながら過ごしてきた。

 

だけど、現在継続しているインス〇以外のSNSは全部途中で放り出してしまっている。

 

何故そういう事をしてしまったのか。

それはすべて「私に関わろうとしてくれる人が現れてしまった」からなのである。

SNSをやるからには人との関りを求めてるんでしょう?と言われればそうなのだけれど、いざ他の人と関わる場面になると反射的に逃げだしてしまうのである。

 

 

ミクシ〇は現実で初めて知り合った人とフレンドになり…そうになったのでそこでやめた。

その場で仲良くなったわけでもないしたまたまその場に居合わせてちょっとあいさつ程度の会話をしただけの関係。

正直気が進まなかったけど私の情報を教えてその場で別れた後、自分のミクシ〇に相手の名前が表示されているのを見て怖気づき放置した。相手とは2度と会うことは無い関係だし…と自分に言い聞かせて放置。そのままミクシ〇自体にログインしなくなった。

 

 

フェイスブッ〇は親族からフレンド申請されて断るに断れずしぶしぶフレンド登録したら私が投稿する度に「秒」で「いいね」をつけられて心底うっとおしかった。

また「親族特有の余計な一言ジョーク」をコメント欄に書き込まれたりしてうざさMAX。全く笑えない。

もともと親族ネットワークでこの親族の関白的な情報やマイナス面を耳にしていたので、こんな常に他人のフェイスブッ〇確認してる暇があるなら自分の家族の面倒や体調をちゃんと見て大切にしてやれよとイライラしていた。

それとほぼ同時期に学生時代のクラスメートから「苗字呼び捨て」されるのが気になった。貴様とは学生時代にたまたま同じ班になっただけで微塵も仲良くなかったし親しくした記憶も無えし我は貴様の部下でも無い。「様」をつけろ馬鹿者。

そして現実のつながりやわけわからん興味のないイベントのお誘いがいちいち届くようになってそのままフェイドアウト

 

ミクシ〇もフェイスブッ〇も楽しく使いこなせなかったので「短文でやり取りするだけなら気楽かも」と思ってツイッタ〇を始める。

私がいくら投稿しても最高で30ちょっとイイねがつくくらい。

「おはよー」とか一言書いているだけの人の方が圧倒的にイイねついてる現実にちょっと絶望する。

しかしマイペースに続けていたところ、似たような趣味を持つ人とつながり始めてコメントをもらい始める…が。

 

「なんて返信したらこの人はよろこんでくれるんだろう」

「こんな返信したらきらわれてしまうんじゃないだろうか」

「失礼にならない返事はどうしよう?」

「もしかしたら相手も忙しいかもしれないしコメント返すと迷惑かもしれない。でもスルーするのは感じ悪いし…こちらからの返事を書きつつも、相手からさらに返信が来ないように私のターンで気持ちよくにこやかにコメントのやり取りを切り上げられるコメントをしなきゃ…」

「長文になりすぎると気持ち悪いだろうから相手と同じ文字数くらいで…」

 

などなど、いろいろ考えすぎてたった一言コメント返しをするだけなのにほとんど1日費やして、家事をする時もずっと頭の中は「なんて返信しよう…どういう言葉遣いをしよう…相手に失礼にならないようにするには…」とフル回転。

 

やっと夜になって恐る恐る一言書いて返信して「どうか!!もう相手から返事がきませんように!!」と願いを込めるも5分もしないうちに相手からさらに返信が届いて、しかもさらに返信が必要な内容だから再び返信内容を必死でひねり出してあっというまに深夜…みたいなことになった。

 

しかも深夜に必死で脳をフル回転させるともうそこから寝ることができない。全く眠くなくて冴え冴えの目を一生懸命閉じて布団にこもるも布団の中が暑く感じて寝がえりゴロゴロ寝れなくてイライラ返信があったらどうしようとクラクラ…もはや地獄。

 

そんなツイッタ〇ライフを送っているとある日誰かから大量にコメントが届いていた。

何だろうと見てみると、私がツイッタ〇を見ていない時間にコメントをくれていて、最初は好意的な内容だったのに時間を追うごとに「無視ですか?」とかイライラしたような内容のコメントになっていた。

誰かも知らない始めたばかりのアカウントの人からの「褒め→罵りに変化していく」コメント。

 

私の過去のSNSライフを思い出しても、親族以外は嫌なコメントをしてくる人は誰もいなかった。むしろ良いコメントや優しさを感じるコメントばかりをもらっていた。

そうか、これはもしかしたら「善意で交流を持とうとしてくれた人たち」を蔑ろに扱ってきた私への罰なのかもしれない。

 

今までの自分の行いを反省した私は、自分を罵ってくる謎のツイッタ〇アカウントに向き合った。

誰なのか全くわからない人。始めたばかりのアカウントだしもしかしたら悪意を持って作られたものかもしれない。正直うっとおしい。だけど今の私にできることをしよう。

 

私のできる限りの知恵を集結させて、相手への文章を綴った。

当たり障りのない言葉を選んだ結果、業務用の定型文みたいな文章になった。

恐る恐る相手に送信した。相手から返信が届いた。

私の文章に対してではなく全く関係なさそうな事でキレ散らかしている。

 

「…これはどうすることもできない。」

 

無理だ。相手がAの話をしているからAに関して喋ったら、Cに関しての内容でキレてくる。こんな相手に何を言っても通じる気がしない。

 

よくツイッタ〇なんかで相手と論争していたりする人たちは本当にすごい。

知りもしない相手に罵詈雑言を浴びせられたり議論を持ちかけられたり揚げ足を取られたりしながらも、そこで投げ出すことなく冷静に切り返すことが出来る人。

私もなりたい!!…と思ったけどこんなわけも分からずイライラさせられるのは無理。

 

仕事ならひたすら低姿勢で対応させていただくけれども、これは完全にプライベートの時間だぞ。自分のSNSくらい好きにさせてくれよ!!

そもそもオメー誰だよ!よく性別も年齢も分からん相手に対してこんなにいきなり噛みつけるな!?

「無視かよ」って怒ってるけど私も24時間営業じゃないからな!?皆が皆、お前と同じ深夜活動タイプの生活サイクルじゃねえからな???

 

そして丁重に相手へ文章をしたためて返信したのちに、ツイッタ〇からもそっと足をあらったのでした…。

 

 

最後の最後にでてきた「明らかに悪意がありそうな人(もしかしたら私と相性が悪かっただけかもしれない人)」と「親族」以外は、今冷静に考えると本当に優しくて良い人ばっかりだったように思います。

 

だけど、優しいコメントや嬉しくなるようなコメントをもらうにつれて「もっと良い文章を書かないといけない」「みんなに楽しんでもらえないといけない」「つまらない奴とおもわれてはいけない」「コメントのやり取りもみんなに見られるんだから恥をかかないようにスマートに行わなければいけない」などと、プレッシャーがドスドスと私の上にのしかかっていきました。

 

そしてちょっとした出来事で心が折れて、積み上げてきた物丸ごと放り出して逃げ出してしまいます。

 

それはSNSの中だけじゃなくて現実でも同じ。

人付き合いをする際にも「私と仲良くしてよかったと思ってもらわなきゃいけない」「相手に迷惑をかけないようにしゃきゃいけない」「いつもニコニコいなきゃいけない」などと自分自身に何重にもプレッシャーをかけてしまい、いつしか相手と過ごす時間をしんどく感じるようになっていきます。

 

それは「相手を嫌いになった」とかではなく「自分と一緒にいて相手はたのしいのだろうか」「こんな私と一緒の時間を過ごすのは相手にとって無駄では無いのか」「私みたいな人間が、相手の事を友達だと思ってしまっていいのか」などと考えてしまい、私の方から相手と距離を置いてしまいます。

 

でも本当は仲良くいられる相手が欲しいし、自分が安心していられる場所だってほしい。

SNSでいっぱいコメントやり取りして楽しそうに写真をアップしている人がうらやましいし「いつもの友達と集まる」なんてのもコロナ騒動無ければやってみたい。

 

だけど自分のペースが乱されるのは疲れてしまうし人間関係充実ライフは一回やったら満足しそうだし、そもそも他人にそこまで依存したり期待する気持ちを持つことができません。裏切られたりがっかりさせられるのが怖いからです。

 

しかも現実は、そんな私の態度に増長した相手が私を「愚痴の破棄捨て場」や「無料で使える何でも屋」の様に扱ってくるばかり。

相手を思えば思う程「こいつには何を言ってもいい」「どうせこいつがやってくれるだろう」「こいつは怒らないだろう」と思われて都合よく扱われてしまいます。

 

相手との相性が悪いのかもしれないし、私の行動がまずいのかもしれない。

もしかしたら、単独で行動して好き放題に文章書いてやりたい放題やっている方が私には向いているのかもしれない。

そんな人たちから逃げ出して、今では落ち着いて暮らせているけれど。

 

 

数十年一緒にいる私自身の事、いまだに良く分からないけどとりあえず今のところ気が向いたときにブログを書いてインス〇更新しているのは続いているので、この先どうなるのかは分かりませんが実験がてらいけるところまで続けてみようと思います。

 

 

 

 

 

私が「モノ」に対してあまり興味がなくなったワケ。

20代の私はとにかく「服」を買いまくっていた。

買うけど着ない。タンスに仕舞ってまた新たな服を買い漁る。

 

「もしかしたら何かイベントがあるかもしれないからその時に着よう」

「会社の集まりがあるときに着よう」

 

なんだかんだ理由をつけて、お店や通信販売で服を買う。

理由が無くても「視界に入った服に何かがピン!と来たら」即買う。

 

失礼になるかもしれないけど、高級な物やブランド系の服では無くて「ニッセ〇」とか「ベルメ〇ン」などのリーズナブルな服を中心に大量買いした。

レースが付いたもの、ギャルっぽいもの、大人っぽい物色んなジャンルの服を買った。

タンスには入らなくても買った。そしてタンスの上に積んだ。

 

 

ある時、「服の買い取り」というシステムを知った。

年齢的に「さすがにこれ着て歩くのはキビシイな」と思うミニスカートやスケスケなギャルシャツなどゴミ袋に詰めてお店に持って行った。

 

買取の受付を済ませて番号札を受け取り、店内をブラブラ見て回る。

普段着からジャケット系・ベビー服にウエディングドレス…本当に多種多様な服がいたるところに吊るされて買ってくれる人が現れるのを待っているようだった。

よく見ると、ほつれのある服や汚れのあるスニーカー…使用感があるものが多い。

 

この服たちもきっとかつては、着てくれる人が居て色んな所に連れて行ってもらったんだろうな。

私は今服を大量に売りに来たけれど、実際に身にまとって活躍してもらった服は10分の1も無い。ほとんどの服は購入後に着られることなくそのまま売られている。

 

…ということは、私は一体何のために服をこんなに買っているのだろうか。

それによって、私に何か良い変化があっただろうか。

 

確かに服を見る目は少しだけ肥えた。

「この服は可愛いけれど自分が実際に着たら胸元がスッカスカ大解放になるからやめとこう」などの想像をして買い物をするようになった。

だけど結局「カタログに載っている写真を見て一目ぼれ」などの衝動買いが止まらなかった。

 

そして衝動買いをしてみると「カタログに載っている写真ではすごく理想的な服だった」のに、実際手元に届いて箱を開けてみたら「なんか自分の思っている理想と違う…」とがっくりすることも多かった。

 

また、理想の通りの服が来てテンションが上がりまくった状態でも、いざ試着してみると自分の体形に全然合ってなくて「着れたもんじゃない」服も多かった。

 

そういう服も「自分の衝動買いが悪い」し「手続きも面倒くさい」から返送することなく払い込み用紙を取り出し速攻で代金を支払った。もちろんその服はタンスの肥やしになった。

 

自分の行いを振り返ってみると、無駄な事ばかりしているように思えた。

 

着れるか着れないか・似合うか似合わないかをよく考えもしないままモノを購入して、お金ばかり垂れ流して結局一度たりとも使うことは無い。

 

そしてまた新しい物が欲しくなるんだけど、何着新しい服を買っても・何万円というお金をつぎ込んだとしても・どんなに好みストライクな服を購入しても、物欲は満たされてももっと違う大切な何かが満たされた事なんか一度も無かった。

 

何着服を購入しても、最新カタログに載っている服を手にして身に着けたとしても、私自身は何一つ成長もしていないし素敵にもなっていない。

 

私は「服が好きだから服を買っている」んじゃなくて「服を買うという行為」が好きだったのかもしれない。

 

服を売っている会社独自のポイントが貯まってお得意様みたいになって、定期的にカタログを送ってくれて、疲れて家に帰ってきたら綺麗な箱に入った服が届いていてまるでプレゼントをもらったような気分になってウキウキしながら箱を開ける。

 

服を見て嬉しくなってしばらく鑑賞したらタンスに仕舞って、払い込み用紙を取り出してコンビニに駆け込んでドーンと大金を払ってスッキリする。

 

そして同梱されていたカタログを開いて、また新しい服が欲しくなる…。

 

私は「ウキウキ」や「プレゼント感」、「スッキリ」が欲しかっただけかもしれない。

 

実際、タンスに仕舞った瞬間から「買った服」の存在は私の頭の中から一切消える。

タンスを開けてその服が目についたときに最初の頃はウキウキするんだけど、いつのまにか「ああ、コレそういえば買ったなあ」くらいの存在になっている。

 

だったら服って、私にとっては本当に必要な物だけでいいよなあ。

 

そんなことを考えていると私の持っている番号札に印刷されている番号が店内放送で呼び出しされた。

買取用のレジに行って番号札を返却して手続きを済ませる。

大量に服を売ったけど、買取金額は数百円だった。

 

ゴミ袋の中にはそこそこ高い服もあったしギャルブランドの有名な奴もあった。

だけどあれだけいっぱい売っても数百円。

まあ、重量で計測しているみたいだからしかたないし、タンスの中でずっと眠らされているよりは誰かが着てくれたり何らかの活用をされる方が服にとっても良いだろう。

 

何よりもなんだか気持ちがスッキリとした。

 

家に帰ってタンスを開けるとギッチギチに詰まっていて開け閉めするたびに服の一部が引き出しに挟まってうっとおしかったタンスの開閉が驚くほど楽になった。服が挟まらないのだ。

 

そしてタンスの一部には見たことのなかった余白が出来た。

 

だけど「余白が出来たから新しい服を買おう!」とか「小銭が入ったから服買おう!」みたいな気持ちにはならなかった。

 

私はお金をうまく使えていなかったし自分の本当に欲しい物を理解する気も無かったしせっかく縁があって手元に来てくれた服も上手に活用できなかったのだから。

 

たぶん、カタログをじっくり見つめる前に自分自身をじっくり見つめるべきだったのだ。

 

この服本当に欲しい?

 

自分に似合うかな?

 

こんなショッキングピンクのタンクトップ、マジで着る?

 

買った後にちゃんと着ると思う?

 

手持ちの服と組み合わせられるかな?

 

私はこの服を手にして何か良い変化あるかな?

 

 

何も考えずに「欲しい!」と思って反射的に買うのを控えて、買う前に「本当にコレいる?」と一呼吸置いて考えた後に必要なら買うようになった。

 

いつしか服だけじゃなくて雑貨や日用品・食材を買うときにもちょっと考えるようになった。

 

無駄な買い物は格段に減った。

欲しいと思ったものの大半は冷静になってみると要らないものだなぁと気づいた。

あれだけムクムク湧いて制御できなかった物欲が限りなく無くなった。

「買い物に対するワクワク」は無くなった。

 

「本当に必要なものは何だろうか」時々考えすぎてめんどくさくなって「何も要らない」気がしてくるけどそういう時は大体調子が悪いからいっそ買い物しないでゆっくり休む。

 

たしかにワクワクは無くなったけど、なんだかよくわからないけど落ち着いた気持ちと手元に浪費されるはずだったお金が少しだけ残るようになった。

 

現在は「考え無しに衝動的な買い物」を楽しむことは無くなってしまったが、必要なものを必要なだけちゃんと買えるようになってきた気がする。

時折新作スイーツやコーヒー豆をうっかり買うから完璧じゃないけど。

 

「買った物を中心に暮らす」よりも「今持っているものを活用しながら暮らす・足りなかったら買う」感じで生きているけど私には丁度いい。

持っているものでうまくやり切れた時の快感は買い物のワクワクと同じかそれ以上かもしれない。

 

欲しいものを買うために頑張るのも良いことだと思うし私みたいな暮らし方も良いと思う。

自分が満たされたい部分がちゃんと満たされる方法を一個でも見つけられたらそれで良いような気がしている。

 

 

私が買い物をスピーディーに終わらせるために気を付けている事。

何も考えずに行くと、予想外に結構な時間を消費してしまうお買い物。

楽しむために行う買い物なら無計画・思い付きで楽しむのが一番いいけれど、食材の購入や日用品の買い出しならササッと素早く済ませたい。

 

そんな私が気を付けている「お買い物ルール」っぽい内容を書いてみようと思います。

 

 

①買うべきものをメモしておく。

私は百円均一のポストイット(大きめの真四角のヤツ)にメモしています。

何でもかんでも思いついたままごちゃ混ぜに書いてしまうとお店の中で混乱する羽目になるので、「スーパー」「薬局」「その他」の三種類に分けて書きます。

 

思いついたけど「後でメモしよう…」と後回しにすると確実に忘れてしまい、必要な物だった場合二度手間の買い出しが発生してしまうのでめちゃめちゃ面倒臭いけど思いついたらその都度ポストイットに記入するようにしています。(適当なところにメモするとメモ自体がどこかにいってしまったりするので絶対ポストイットに記入する)

 

 

②買い物に行く前に「さしすせそ」の調味料や絶対に備蓄しておきたい物の残量を確認し、半分くらいになっていたら買っておく。

買い物に行く前に、調味料の「さしすせそ(砂糖・塩・酢・醤油・味噌)」や料理酒・みりんなど「無くなったらかなり困るもの」の残量をチェック。

どうせ買うものだし、半分を下回っていたらさっさと購入します。

無くなって慌てて買い物に行く面倒くささを事前に防止。

 

 

③買い物に行く前に「リストの中身をチェック」する。

思いついてポストイットに書いては見たけれど「実際コレ買ったところですぐに使わなそうだなあ…」とか「やっぱりいらなそうだなあ」という「必要かと思ってリストアップしてみたものの特に必要なさそうな物」を買わないように調整。

「これが無いと困る!」という物だけにマル印などを付けて「印が付いている物だけを購入する」ようにする。

不要な出費も減るし、余計な物を探し回る時間も減る。

ただしここで削りすぎると「後になってやっぱり必要になったから買い物に行かなきゃ」という面倒くさい自体に陥るので「確実にいらなそうな物だけ」を買わないようにする。

 

④お店をハシゴするなら「どうやって最短でお店を回るか」考えておく。

自分が済ませたい用事と知っている限りのお店を照らし合わせてできる限り「よく行くお店&1か所ですべてが終わる配置のお店」を考えておく。

そしてできる限り人の少なそうな時間で・余計なお店になるべく入らないように・必要なお店だけを最短で巡る自分をざっくりとイメージ。

まあ大体イメージ通りに行かずに余計な買い物しちゃったりするんだけど、イメージするのとしないのとじゃかなり効率に差がでるのでイメトレは本当に大切。

ここでついでに「その時に使いそうなポイントカードなど」を財布の取り出しやすい位置に移動しておけばさらに時短できる。

 

 

⑤クーラーボックスなど「冷たい状態を保持できるツール」と「エコバッグ」を装備しておく。

夏場などは特に、冷凍食品を購入しても帰宅するまでに解凍されてしまったりする。

買った棒アイスが家に帰ったころには半解凍とか悲しすぎる。

私の場合は車移動なので車の中に常にクーラーボックスを常備し、食材を購入したらなるべく「冷凍・冷蔵系」と「常温系」に分けて袋詰め。

そして速攻で車に戻って「冷凍・冷蔵系」をクーラーボックスに突っ込んでる。

家に帰って冷凍食品をそっと揉んで、冷凍されたカチカチのままでいてくれるのを見るのが密かな楽しみ。

エコバッグは「買い物袋の無料配布停止」のお店と「普通に買い物袋付けてくれるお店」と色んな流派が発生し始めてややこしいので常に携帯するようにしています。

正直ちょっとめんどくさいし汚れるし普通の買い物袋の方が便利だけど、今後のために練習しておかないと…。

 

⑥とにかく「リストにあるものだけ」購入するように心がけて買い物する。

パッと目に入って「あ!これ欲しい!!」と思って喜び勇んで購入して帰ったものは、家に帰ると大体いらない物になってる…本当になんでだろうコレ。

そんな不思議現象を幾度となく経験したので、今ではなるべくリストにかいてある物だけを購入するように心がけています…が、予想外に出てる新商品とかついほしくなっちゃうんでたまには衝動買いも許可。しかし家に帰るとやっぱり「なんでコレ買っちゃったんだろ?」って頭にハテナが浮かびます。

リストに無い物はやっぱりいらない物なのね…と思いつつも、買わずに我慢して帰宅したらその商品が頭から離れず結局翌日にまた買いに行くという事態が発生する時も稀にあるので人間とは難しいものですね。

 

⑦レジに並ぶ前に財布を出しておく。

お会計に必要な物は早めに出しておくとレジでアタフタしないで済みます。

私は常にやってる。GUなどで買い物するときはスマホの会員証も出しておくし、ローソンのポンタカードみたいなやつはバーコード面を表に向けて出す。

すぐバーコード面を読み取る店員さんがほとんどだけど、稀に裏返して「ホンマにポンタなんかコレ?」とチェックする店員さんもいるので普通にポンタ面を出した方が良い気がする。たまに、ポンタを裏返しで出そうとしている間に「ピッてするやつ」をこちらに向けてくれる店員さんもいたりするのでそういう場合はバーコード部分をそっと「ピッてするやつ」にかざす。「ピッ」ていう。なんか無言で意思疎通できた気がしてちょっと嬉しい。

カードなどの処理の仕方やお釣りの返し方も店員さん人それぞれなので「どうやったら相手がちょっとでも楽になるかなー?」と思いながら行動するようにしている。

まあ私にできることなど「迷惑・余計な手間をおかけしないようにする」くらいしかないのですがね…。

 

 

⑧買い物に出てから家に帰るまでの時間をざっくりと計測しておき、思ったより早く帰宅出来たら自分をほめる。

何かひとつ「やったー!」って思える部分があるとテンションが上がるし「次回も頑張ろう」ってなるので、買い物が早く済んだら自分をほめながらコーヒー淹れます。

ちょっと遅くなったら「ちょっと遅くなっちゃった、テヘッ♪」って思いながらコーヒー淹れます。結局どっちにしてもコーヒーを淹れます。コーヒー美味しい。

 

 

 

買い物について書いてるだけなのにいつの間にかそこそこの長文になっちゃう不思議…短く「買い物をスピーディーに完了させる最強のライフハック5つ」みたいなノリでサクッとした文章を書くのが裏目標でしたが蛇足まみれの私には無理そうです。

 

今パッと思いつくのはこれくらいです。

まあ今買い物を楽しもうと思ってもコロナの影響で色々状況が変わってしまっているし、マスク装備して買い物してたら意外と息切れしたりしますし楽しめる状況ではないように思えます。

 

しばらくの間はいつも以上に「スピード感をもって(安倍総理真似)」買い物に対処していきたいと思います。

 

 

宅配物をいつも届けてくれる宅配業者のお兄さんがコロナのせいでめちゃくちゃ距離を取ってきてちょっと寂しかった話。

コロナでいつもの日常が大きく変わってしまった。

街を歩けば皆当たり前のようにマスクを装着し、お店に入ればとにかくソーシャルディスタンス。

 

テレビでニュースなんて視聴しようものなら「今日はパチンコ屋で行列が…」「今日は政府の政策により苦労をさせられている人たちの声を報道します…」「都会の〇〇町で人々が密になっています…」などとひたすら悪い所ばかりを見せられる。

 

ああ、マスクもせずに街をうろついて平気で買い物して。

カフェで気軽にコーヒーとスイーツを買ってぼんやり休憩していた数か月前がなつかしい。

何かのきっかけで、こんなにも世界はガラリと変わってしまうんだなあ。

 

そんなことを考えながらぼんやりしていると、宅配便の車の音がした。

その車は家の前で停まった。家族の誰かがインターネットでショッピングでもしたのだろうか。

 

我が家は玄関がちょっと奥まったところにあるので、忙しい宅配便の人に歩いてきてもらうのも申し訳が無いと思い、私が在宅している時は荷物を受け取りに行くようにしている。

この日も印鑑を持って宅配便の人のところへ荷物を取りに出てみると、いつも荷物を持ってきてくれる宅配のお兄さんがちょっと困った顔をしていた。

そして腕をめいいっぱい伸ばして荷物をこちらに差し出してくれたので私が受け取り印を押した。

 

お兄さんは私が受け取り印を押したラベルを剥がしながら、「あの…コロナ対策の関係なんですけど、出てこなくて大丈夫ですよ」と言った。

 

いつものお兄さんと違って、すごくぎこちなくてよそよそしい。もしかしたらお兄さん自身もどうしたらいいのか戸惑っているのかもしれないが、すごく距離を取られている感じがして「私の事を汚いっておもってるのかな?」と被害妄想してしまった。正直言うと少し寂しかった。

 

しかしなるほど。いつもだったら普通に荷物を受け渡してくれるはずが、コロナに感染する危険がある今となってはその「いつもの行為」は逆に迷惑らしい。

だけど「出てこなくて大丈夫」ということはどうやって荷物を受け取るのだ?

都会でやってるやつみたいに、玄関先に荷物を置いて帰ってくれるってこと?

 

ちょっと混乱したが、私は宅配のお兄さんを困らせてしまったことが申し訳なかった。

こんなコロナで危険な時にも荷物を運んでくれている人に、なんてことをしてしまったんだろう。よく考えたら、とっさに宅配を受け取りに出てしまったから私はマスクすらつけていなかった。そりゃあ、宅配便を届ける立場の人から見たらめちゃめちゃ怖いだろう。「いやいや!マスクくらいしてくれよ!!」だろう。

 

私自身は今自分が健康でなんともないと思っていても、もしかしたらよく耳にする「無症状」ってやつで実際にはコロナに感染しているのかもしれない。私は100%健康であると証明する術は無い。仮にPCR検査とやらを受けたとしてもそれはきっと「その時点で」の体の状態を証明するものでしかないだろう。PCR検査で陰性の結果をもらった後にコロナにかかっている人とどこかで触れ合えば陽性になるんだろうから。

 

宅配便のお兄さんを見送りながら「次に宅配便の人に対応するときにはきちんとマスクを付けられるように家の中でも油断しないようにしよう」と思った。

そして部屋に戻って「どうやって宅配便の荷物を受け取れば配達員さんの負担にならないのか」をネット検索した。

 

その結果「インターフォン越しに 玄関に荷物を置いてくれ と要望すれば玄関先に荷物を置いてもらえる」とのこと。

 

…インター…フォン?インターフォンってなんだ???

 

一瞬分からなくて動揺したけどアレか。玄関チャイムの横に音が出るところがあって部屋にいる人と玄関に居る人で会話できるアレか。なるほど!そんなもんはねえぞ!?

 

なにを当たり前に「皆、インターフォンあるやろ」のテンションで会話進めてんの???

私が過去に住んだ家も今住んでる家もそんなもんは無いぞ???え???なに皆家にそんなエエもんついてんの???あれ、ちょっと新しめの家やお金持ちの家しかついて無くない???えっ?今時普通に皆、家にインターフォンついてんの??マジで???

 

私、押したら「ピンポーン!」ってクイズ番組の回答ボタンみたいな音が出る家にしか住んだことないけど?友達の家で初めてインターフォン見た時にはマジビックリだったんだけど???

 

じゃあお前、玄関先での来客の対応はどうすんのかって?

そらあもちろん、玄関先まで行って玄関開けて対応よ!たまに宗教系で「ウッ!」てなるけどそこは気合で勝負よ!気を強く持て・配布物は決してもらうな・押し負けず話を聞かずにとにかく爽やかに感じよくその場を切り上げてお帰り頂け!がスローガンよ!!

 

でもできれば玄関先でワイワイやりたくないの。ピンポン押されるのもなるべく避けたいの。だって夜勤で寝てる家族がいたりするんだもん。

 

…ちょっと話がずれたけど、マジかーインターフォン…。

自分の持ち家ならどうにでもするけど、私の持ち物じゃないから何一つ決定権ないわ。

ごめんね宅配のお兄さん…私にはもう打つ手がない…

 

…うん?そういえば最近「宅配ボックス」とかいうのがあったな???

これならいけるんじゃね???

 

 

早速ネットで「宅配ボックス」を検索すると、あるわあるわ。

色んなデザインの宅配ボックスが検索結果で出てくる。

出来ればコンボとかイイヤツをキッチリ設置したいんだけど、嫁の分際で勝手に設置するわけにはいかんなあ。かといって「宅配ボックスつけていいですか」って相談するのも気が引ける…。かといって布みたいな奴は玄関先に置きっぱなしにしといたらすごく痛みそうだなあ…。ワイヤーとかも細いから、普通にぶった切られそうだし。どうしよう。

 

調べていくうちに「宅配ボックスを自作した」という人のサイトを発見。

なるほど!これなら万が一宅配ボックス設置を反対されても普通に小物入れとかに使えるし予算的にも激安!強そうなワイヤー使って作ればいいかも。持ち去られたら音がするように大きな鈴とか付けて。

 

しかしその後に「宅配業者の人に聞いたけど、本当は簡易的な宅配ボックスへの配達はNGなんだよ」という情報があったり「宅配ボックスを設置したけど使ってくれないことがある」というのも発見したりと「もう!!どないせえっちゅーねん!!?」状態に。

 

私はただ単に、宅配に来てくれる人の負担を減らしたいだけなのにー!!

コロナはやってる中で家のモンと関わるの怖いだろうなと思うから、できる限り対面しないで荷物を置いて帰れる状態にしてあげたいだけなのにー!!

優しい黒猫のお兄さんや気さくな郵便局のおじさまや、なぜかいつも小走りで来てくれる佐川の人達に迷惑かけたくないんだよー!!マジで!!

 

もう、良く分からないけどとりあえずダメもとで宅配ボックスを自作してみようと思います。使ってくれなかったら分解して小物入れにすればいいし!!

 

今までは「私が荷物を取りに行けばいいや」と思って家の環境を整えようとか微塵も思わなかったけど「家にはそんなシステム無いからやらなくていい・できない」「古い家だから仕方ない」と思い込んで「できない」決めつけてしまうよりは、「これはダメだな」と感じたところはうまく対応できるように整えたり変更したり・現代のシステムを取り入れるように、変わっていくべきタイミングが来たんだなと思いました。あくまで「私にできる範囲で」だけど。

 

あと、テレビ局は「〇〇に行列ができている」とか「〇〇さんが悪い」とかそういう「誰かの悪い所や揚げ足取り」ばかりを報道するんじゃなくて、「新しい生活様式」とかいうんだったらこういう「コロナの時の宅配便の受け取り方」とか「人々の生活の中でコロナによって急に変わってしまったものへの対応方法」とか。

 

「誰かの悪口」や「良く分からないコメンテーターの口論」じゃなくて「生活のタメになる情報」や「かゆい所に手か届くような価値のある情報」を教えてくれたらいいのになあと思います。

自分の姿をスマートフォンで撮影して客観的に見てみると地獄。

スマートフォン・GoPro・デジカメなどなど。

今の時代はとても気軽に・何枚でも、綺麗な写真を撮影することが可能。

その気になれば、今すぐにでも自分の姿だって撮影できる。

 

それなのに。

 

スマートフォンのカメラロールを見ても、過去に撮影した写真を保存したパソコンのフォルダを見ても、家族や飼い猫・食べ物の写真ばかりで自分の姿をキッチリと撮影したものは1枚も無かった。

 

最後に自分の姿を収めた写真はいつのものだろうか。

遡って探してみると、なんと10数年以上前の自分の結婚式の写真が最後だった。

 

きっと子供が居れば集合写真などで自分もついでに写真に写りこむ機会に恵まれたのだろうが、あいにく私は子供がいない。

 

きっとこのままだと誰も私の姿を残してくれることは無いだろう。

夫は自分が撮影されるのは好きだけど私を撮影してくれることは無い。

他の家族も、改まった行事などが無い限り私を撮影することはまず無いだろう。

 

このままだと私の姿はどこにも残らない。

ならば自分で撮影するしかないでしょう!!

 

どうせ撮影するなら写真よりも動画の方が自分の動きなどを確認出来て楽しいだろう。

どうせなら、私の愛車も動画に残したいな。

 

だけど、カメラに向かって1人でポーズを決めるのは…誰も見てないけどめちゃめちゃ恥ずかしい!

万が一撮影中に誰かが通りかかったら…私は恥ずかしすぎて家から外に出られなくなるかもしれない。

 

素早く最短で!でも私と愛車をきっちり撮影する!

私は誰も通りそうにない・家族も出払ったタイミングを狙ってスマートフォンを片手に持って外へ出た。

 

そして大急ぎで撮影したいポイントへ向けてビデオ撮影モードを起動。

スマートフォンをイイ感じに立てかけた。

 

続いて大急ぎで車に乗り込んでエンジンを始動。

カメラを向けている前で車を運転してグルーッと向きを変えて停車。

そして車から降りてスマートフォンを回収して、ビデオ撮影モードを停止。

 

たったこれだけの、一瞬とも思える撮影だったけど物凄く緊張したし恥ずかしかったし車をもとの位置に戻しながら「何やってんだろう自分」ってなった。

 

しかも意外と、自分一人で自分を撮影するのは面倒くさい。

ユーチューバーの人たちはいつもこんなことを1人でやってるのか…すごいなと思った。

自分を撮影するだけでも恥ずかしくて顔が赤くなっているのに、さらに一人でカメラに向かって何かをしゃべるなんてできる気がしない。私にユーチューバーは向いて無さそう。

 

さあ、こんな思いをしながら撮影した動画。

部屋に戻って落ち着いて再生してみる。

 

カメラを設置してからエンジンをかけるまでが案外長かったけど、車が発進して向きを変えて停車するところから、車を降りてスマートフォンを回収するために走ってくる私の姿まで鮮明にバッチリと撮影されていた。

 

「グアアアアアアーーーー!!!今すぐカメラをとめろォォォォォーーーーーー!!!!!!!!!」

 

思わずスマートフォンを地面に向かって叩きつけそうになった。

なんだこの尋常じゃない恥ずかしさ!なんだこの自分の姿!!誰コレ!!???

 

スマートフォンの動画のクオリティの凄さもさることながら「私ってこんな姿なの!!!?」という衝撃が物凄かった。

 

私という存在は私にとって誰より身近な存在。

どこの誰よりも一番自分の事を自分が分かっている…はずなのに。

 

私が思っている「私自身の姿」とスマートフォンを通して客観的に見た「私自身の姿」があまりにかけ離れ過ぎていてすごくショックだった。

 

きっと私が「ふふ、今の私イケてるわ」なんて調子に乗って動いている姿は、他の人から見ると微塵もイケてなかったんだろうな。

正直途中からもう動画をほとんど直視できなかった。車がほぼメインの短時間撮影で済ませて良かった…。

こんな自分の姿を延々と映し出されたら自分で自分の首を絞めたい衝動に駆られる事必至。動画を確認している今でもすでに雄たけびを上げたい衝動に駆られている。

 

…ま、まあ一応当初の目的である「自分の姿を残す」というのは達成されたわけで。

 

なんとかポジティブに考えようと思っているけれど、イメージとリアルの落差が半端じゃ無さ過ぎて…ツライ、ツライよ…誰かこの心の傷をフォローしてください…助けて。

 

 

しばらく立ち直れそうに無いし、もうこの動画を2度と再生することは無いだろうけど客観的に見た自分はこんな感じというのを直視することができて、良かったといえばよかったです。知らないまま一生を過ごすよりは…良かったのよね??

 

とりあえずこの動画を見て「うわあ」って思った部分を少しずつ改善しようと思います。まずは恐ろしくダサかった服装から。

 

いつか「オホホホホホ、ワタクシを360度好きな角度からどこからでも撮影するがいいわ」と自信をもってふんぞり返ることができる自分になりたいです。

 

…というわけで、自分の姿をスマートフォンで撮影して客観的に見てみると地獄だった私。

 

「自分の写真、そういえば全然撮ってないな」「自分って周りからどう見えてるんだろう?」

 

そんな風に思った貴方!ぜひ自分の姿を撮影してみて!私と一緒に「恥ずかし地獄」を味わいましょう!

 

 

 

 

気が向いたときにやったらいいやと先延ばしにした事はいつまでたっても達成されない。

私は「他人に頼まれた事」とかならすぐに行動できるけど、「自分がやりたいと思ったこと」についてはなかなか行動できない。

 

いつも「また明日やればいいや」「気が向いたときにやればいいや」「途切れながらでも細く長く続けられればいいや」くらいの感覚でいる。

 

高校を卒業後に単純作業を一日淡々とこなす職業に就職して「ああ私は一体何のためにここにいるんだろう」「このまま20歳、30歳とこの場所で年を重ねて定年までここで機械の一部として頑張り続けなきゃいけないのかな」と絶望しながらそこそこ長い月日を過ごし、ある日人間トラブルに巻き込まれ続けながらふと開眼。

 

「私はやりたいことをやろう!絵を描こう!そしてそれを仕事にしよう!!」

 

体調不良を理由に仕事を辞め、声をかけていただいたところに就職して。

それから色々とあって今がある。

 

長い月日を経て。さあ一体何枚、全力で絵を描いたのか?

応えはゼロである。一枚も描けていない。

 

いつも頭の端には「絵を描いて仕事にしたい」「自分にしかできない何かをやってみたい」という思いだけはあった。

 

ゴロゴロしながらスマートフォンをいじる時間はものすごくあった。

どうでもいい言い争いでイライラして時間を無駄にしてしまうこともたくさんあった。

特に見たかったわけじゃないテレビを見ながらヘラへラ笑っている時間もすごくあった。

自分以外の人のために、私がやらなくてもいいことで首を突っ込んで休日をまるまる消費してしまうことも多々あった。

 

今日このブログを書いている今の私になるまでに、ものすごくたくさんの時間があった。

それなのに「いつか絵を描こう」「今日は気分が乗らないからまた明日描こう」「なんかだるいからまた元気があるときに絵を描こう」「スマホで忙しいから・テレビが面白いから・頼まれた用事で忙しいから…また今度やろう」

 

そうやっていつも、肝心な自分のやりたかったことを先送りにしてきた。

そしていつも結局やらなかった。

 

たまに思い出したかのようにこのブログに使っているイラストみたいな簡単な絵をかいてみるも、いつも自分の思っている絵は描けなかった。

 

絵を描こうと思い立って張り切って新調したクロッキー帳には、中途半端に終わってしまっている汚い下書きがいっぱいだ。

 

また今度描こう・今度やろうと先送りにしているうちに、どんどん「絵を描く感覚」は鈍っていて、今となっては自分が納得できるものを作れる自信は全くない。

ただ今でも頭の片隅に「私はこんなもんじゃないんだ、本気を出したら絵だって描けるしきっと仕事にだってできるはず」なんて考えがこびりついている。

 

このままじゃきっとこの先も、40歳・50歳と年齢を重ねるだけ重ねて、1枚たりとも絵を描くことはないだろう。

 

今の私を、50歳になった私が見たらなんていうだろうか。

いや、今の私が20代の私を見ることが出来たら、アドバイスをすることが出来たら何て言うだろうか。

 

頭の中に出てきたことは「自分の足しになることをちゃんと実行してほしい」だった。

 

ゲームのレベルをどれだけ上げても、本を読まなきゃと読むだけ読んで内容を全然覚えてなくても、他人自身が解決するべき問題にどれだけ首を突っ込んでアドバイス・手助けしても、全部自分の為にはなっていなかったし私の何かが変わることは無かったし、私の足しなんてなりもしなかった。余計に依存されて謎の時間を過ごすことの方が多かった。

 

今の環境は本当に自由な時間がいっぱいで、むやみやたらに口を出したり干渉したり用事を押し付けてくる人は誰もいない。無駄に過ごす時間も時には必要だけど、頑張ろうと思えばいくらでも頑張れる今この時間を全て無駄にするのはもったいない。

 

楽しむべき時と頑張るべき時を見極めながら、めんどくさく感じても少しでいいから「今すぐ」とりかかる。

50歳の私が「こんなはずじゃなかった」と。

40歳の私が「私の人生はもう輝くことはないのね」と。

明日の私が「昨日も私は何も成し遂げてない」と。

毎日毎日小さな絶望を抱えないように。

 

ふと気が向く時なんて、一年365日の内に10日もありはしなかった。

一発逆転で大きなことをドーンと成し遂げるなんて都合のいいシンデレラストーリーはきっと私には訪れない。

 

日々、自分のやりたかったことを面倒くさがらずに。

やるべきことやこの気持ちを忘れないように、できることをコツコツとこなしていこうと思います。

 

 

 

 

マスクを買うためにドラックストア前で早朝スタンバイしてる人。

私はスーパーへ行かなければならぬ。

なぜなら米が無くなりそうだから。

 

しかしこの殺伐とした状況。

人が多い時間にスーパーへ行き、10キロの米を一袋担いで店内をうろついていたら「あ!あいつ米買い占めてる!」なんて言われるかもしれない。

 

「違う!これは買い占めじゃなくて普通に米が無くなりそうだから買ってるだけなんです!!」

 

普通に弁解して我が家の台所の白米在庫を伝えたところで、相手が悪かったら理解してもらえないかもしれない。想像するだけで恐ろしい。

 

ウイルスが流行ってからと言うもの、お店の棚からマスクが消え・トイレットペーパー類が消え・除菌グッズが消え・地域によっては米パスタ冷凍食品などが消えた。

 

そして現在、私の住む田舎はマスクと除菌グッズ以外は大体の物流が復活した。米も一瞬消えたけど今はどのお店にもしっかりと在庫がある。

 

…でも、なんだか買いづらーーーい!!

米がなくなるから買わなきゃと思ったその当日に、全国への緊急事態宣言でちゃったんだものー!

他のお客さんや店員さんに「あ、こいつ米買ってる…買い占めかな?」なんて思われたくないよー!

 

 

ぜったい「コイツ、緊急事態宣言見て慌てて買い出し来たな?」としか思われないよきっとー!

 

…と言うわけで悩みに悩んだ結果、24時間営業のご近所スーパーへ朝早くにダッシュで行って・素早く米買って・超速で帰宅することに決定。

 

急いで支度を整え、朝の8時前にスーパーへ行って車を降りると、スーパーに隣接するドラックストアの前に人が2人ほどいました。

 

その人達は、通路に綺麗に1列に並び・どちらもゆったりとした椅子を持参で優雅に座り、必死で米を買って帰ろうと目を血走らせている私を「朝から何をそんなに焦っているのだ愚民め。」とでも言わんばかりの目で蔑むように見てきます。

 

彼らの目線が一瞬気にはなったものの、それどころではない私は急いでスーパーへ入ってお米をゲット。

慌ててたのがアホらしくなるくらい、いろんな種類・重量の米達が大量に積み上げてありました。

 

ついでに在庫がなくなりかけてる物たちをチョイチョイと調達。

女性のアイテムもついでに購入してレジへ。

 

まだ早朝なだけあってレジにはほぼ人がおらず開いてるレジは2つだけ。

どちらも会計中の人が1人ずついるだけだったので、早く終わりそうなお客さんの後ろに並ぶ。

 

あっという間に私の番になってお会計をしていると…私の後ろに若い男の人が並ぶ。

 

「ギィヤァァァァァー!なんでこんな、女性のアイテム購入したときに限って若いメンズーーー!?」

 

内心大慌てだし思わず女性のアイテムを隠したくなった。しかしアタフタすると逆にやましい気がしたので堂々としておいた。

 

「私はスーパーで生活用品を買ってるだけですので。」というオーラを全力で醸し出した。

 

やましいことは何も無い。私も人間であり女であるのだから。

 

そう、必要なものは必要なのだ。

 

 

…ぐああアアアーーーーーやっぱりイヤぁぁぁぁーーーーーーーーー横着してスーパーでこんなもん買うんじゃなかったぁぁぁぁーーーちゃんとドラックストアいけばよかったぁぁぁぁーーーーー!!!

 

 

後悔しても遅い。

私は内心グルグルクラクラしながらお会計を済ませたが何をどうしたのかあまり記憶がない。

しかしレジの人に止められたりはしてないので、無事にお会計を済ませたのだろう。

 

ちなみに私の後ろに並んだ若いメンズは飲み物を買っただけのようで、私がレジを後にして大急ぎで女性のアイテムを黒いビニールにおさめようとしている真横を颯爽と通っていった。

 

…やっぱりこういうものを調達するならドラックストアへ行くべきだったなあ。

米も買ってるし、買い占めに見られたりしてたらイヤだなあ。

 

1人被害妄想でクラクラしながら買ったものを袋詰めしつつ「…ま、まぁ店員さんも若いメンズさんもそんないちいち私のことなんて見てないよ!」と自分で自分を説得してスーパーを出た。

 

「…なんかすごい疲れたなあ。」

 

ゲッソリしながらスーパーを出て、ふととなりのドラッグストアを見ると、優雅に開店待ちをする人が5人に増えていた。

もちろん全員椅子を持っていて綺麗に一列に並んでいた。椅子用意当たり前とか、どんだけ開店待ちに手慣れてるんだよ。ドラッグストアの開店までまだ30分以上あるというのにすごいな。

 

そして5人全員がこっちをチラリと見た。相変わらずの蔑むような目線…しかし若いメンズに恥ずかしいところを見られた私はもう何も恐れるものは無かった。

 

米を担ぎ、黒いビニール袋を携えて彼らの前を堂々と歩いた。

 

「これが私の生き様じゃあオラァ!!」

 

堂々と車に戻り荷物を積み、運転席に乗ってミラーを見る。

顔は汗でテカテカになり・耳は真っ赤だった。

全然堂々とできてなかった。

多分、ゆっくりと挙動不審だっただけなんだろうな私。

 

少しのことで挙動不審になったり冷や汗かいたり周りが気になったり被害妄想が恐ろしく広がる私。

 

どれだけ周りの人に見られようと・人通りの多い通路に椅子を広げて座り、堂々とまるで王様のように我が道を貫くドラッグストアの開店待ちの人達。

 

 

あぁ、私に彼らのような強いメンタルがあったらこんなどうでも良いことでいちいちアタフタしなくて済むんだろうな。

 

行動の良し悪しは別として、彼らのように強いメンタルがかなり羨ましく思えた私なのでした。