ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?

リア充になる方法を模索する人間(女)のブログ(雑談大量!)

リア充じゃない自分を思い知らされた現実 ③健康

※ご注意

この記事は不妊とか治療などの内容が含まれますので、そういう話を聞くだけで苦しくなってしまう方や単語も見たくない方などは速やかに他の方のブログへ避難してくださいませ…!

 

 

では本題に移ります。

 

 

私は基本的に健康だ。

幼少期はしょっちゅう風邪をこじらせたりしていたけど、成長するにつれてほとんど風邪をひくことも・調子を崩すことも無くなった。

あまりに健康な為学校や会社を休みたいのに休める理由が無く、それでもどうしても学校に行きたくない・会社を休みたいなどと思った時には正直言って仮病を使った。

 

普段素行が真面目…に見える人間が仮病を使うと、ものすごい速度で納得・心配される。

私の嘘はいつも驚くほどあっさり通用して、毎回ものすごく心配された。

 

嘘をつくと罪悪感がものすごく湧いてきて苦しかったけど、それを超えるくらい 今日は学校に・会社に「行きたくない!!」 という気持ちがあったため嘘をつき通した。

 

休んで何をするのか。

ゲームではない。ただ転がって部屋の天井をじーっと見たり、手のひらのしわをじーっとみたりして過ごす。1人になると心から安心してホッとできるのだ。

 

自分はきっと周りからみるとそこに存在して生きているように見えるだろうけど、私からすれば自分が今ここにいるという現実味が無い。

耳鳴りがするくらい静かな部屋に寝転がって手のひらをじーっと見ていると、だんだん「あ、私の手ってこういう風な形なんだ」とか「爪ってこういう形をしてるんだ」とか落ち着いて観察ができて「ああ、私って今ここで転がって手のひらを見ているんだな」とかの「自分が今ここにちゃんと存在しているんだな」と思えるのである。

 

私という存在が今どういう状態で、全人類がノミネートされたランキングがあるとしたら一体どのあたりに居るのだろうか…とか1人で考えることが好きだった。

だけど、そういうことを考えつつも「自分自身」については良く分からなかった。

 

どうして、ただ生きているだけなのに こんなにしんどいのか。

どうして、同じように目・鼻・口が付いていて細胞やら水やらでつくられた体という形を持っているだけなのに、周りの人は楽しそうで自分の周りだけ灰色なのか。

どうして、食べたらすぐ消化されて排泄して、またすぐ食べて消化されて排泄して…を延々と繰り返して生きていかなきゃいけないんだろう。

 

どうして?どうして??どうして???

 

日々どうでもいい疑問で頭がいっぱいだった。

 

そんな中「自然系の食生活」みたいな「添加物や合成甘味料やフッ素加工のフライパンや合成洗剤などの経皮毒みたいなものを生活から排除する系」の情報を手に入れた。

さらに同時期に「1日1食で健康」やら「粗食」やらの情報を手に入れた。

全部インターネット経由で得た情報であり、火のついたように熱中して情報を次から次へと検索して読み漁った。

 

それ系の情報のひとつひとつが私の心にクリーンヒットして、できることからどんどん取り入れた。

 

ご飯は糖質の塊だから避けなきゃいけない。

パンもパスタも体へは毒だから避けなきゃいけない。

お肉は体に悪いから避けなきゃいけない。

魚は水銀が含まれるから避けなきゃいけない。

外国産は農薬がものすごいから避けなきゃいけない。

市販のシャンプーは色んな薬品が経費毒になるから避けなきゃいけない。

 

いけない。いけない。いけないだらけ。

なるべく国産の食べ物を探すが大体お値段高めになっており、量も少なめ。

しかも本当に確実に「国産」かどうかは業者の良心次第で真実は分からない。

それでも購入して「これで健康になれるんだ」とほくそ笑んだ。

 

気付けば「マテ茶はアフリカ原産だから水銀が…」「コーヒーも…」とか、調べれば調べるほどどんどん食べられるものが減ってきた。

だんだん「何も食べられないじゃねーか!!」とイライラしてきて時々避けてきたものも買ったりしたけど、そうして買った「避けてきた物」を使う時には「…ああ、これをつかってしまったら不健康になる…!」とかなり嫌々使うことになりストレスだった。

 

最終的に私一人の時には食事をせずに安心できる緑茶を飲んで過ごすことになった。

添加物・糖質・毒になるもの…食べなければ最初から体に入ることは無い。

体重があっという間に5キロ落ちた。しかし健康的に落ちた体重ではないので体調がいつもなんだか悪かった。

 

そういう生活を過ごしてきたからか、結婚しても全然妊娠しなかった。

1年経った頃は「ああ、まだこれからだよね」とのんびり思っていた。

しかし母や祖母は私が結婚したらすぐに子供を産む期待の圧力をぐいぐいとかけてきていて、「さあファーストシューズはこれをはかせろ」となにもないうちから靴をプレゼントしてきたり「生まれたらこれを着させろ、高くていいものだから!!」と古くて汚いシミだらけの新生児服を渡してきたり「早く授かるように!」と神社参拝に引っ張ってきたり、「妊娠菌をもらいに行こう!」とか訳わからない言葉を言い出して赤ちゃん用品のお店に引きずられて行ったり、お守りやお札をしょっちゅう渡してきたりガサガサガサガサしていた。

 

そうしながら2年ちょっと経ったあたりでもまだ子供は出来ず。

母親に不妊治療を進められた。

どうやら勝手に産婦人科の先生にメールを送って相談していたらしく、その病院の先生がとても腕が立ついい先生で優しくてすごくいいのよ!!と鼻息荒く教えてくれた。

 

「…なんでこんな健康なのに病院に?」

 

本音ではそう思っていたが、母の勢いに押されてしぶしぶ向かった。

初回は手続きをして診察カードを発行したり診察を受けたり相談したり。

男の先生でとても優し気に「大丈夫ですよすぐ妊娠できますよ」と言ってくれたりしたのでとりあえず通ってみることにした。

 

通うごとに待ち時間の長さがしんどくなった。

毎回次の予約時間を登録しているはずなのに、予約時間は平気で1時間・2時間と過ぎていく。

待合室の椅子には暗い顔をして座って下を向いてうつむいている人やスマートフォンをいじくっている人が大半で、照明が暗いこともありなんとも陰鬱な雰囲気だった。

 

やっと自分の診察の順番になって診察を受ける。

突然何の説明もなく注射を受けて「はい、待合室にお戻りください」と言われて速攻で戻される。この一瞬の注射のために数時間も待たないといけないのか…とビックリしつつもさらに今度は診断を受けるために待ち時間を過ごすこともあった。

 

大体毎回薬が処方される。何故か薬が嫌いな私からしたら地獄である。

健康なのに、注射・薬漬けになって頻繁な病院通い。

それも、「一体今回はいくらかかるのか…」とお会計の時までびくびくしながらの通院。心理的にも金銭的にもつらかったが「親に早く子供を見せたい」とか思いながらなんとか耐え抜いた。

 

どうやら妊娠しない原因は不明らしくて、夫にも異常はない。

2人とも元気だし、タイミングが合えば何とかなりそうとのことだったけど、結局数か月通ってもタイミングは合わなかったらしく子供は出来なかった。

1年が立つ頃には初めての人工授精にもトライしてみたけど結局ダメだった。

 

そうこうしている私と同時期に結婚した人たちは、結婚後にすぐに妊娠していた。

私より年下の人・同級生たちはどんどん子供が生まれていく。

母親は「負担に思わなくていいけど、マナちゃんも早く!マイペースでね♪」と安心させるとみせかけながらせっついてくる。

私も早く何とかしなきゃと焦った。

「どんどん周りに置いて行かれてしまう!」

「あの子は子供ができないみたいだね…とかご近所さんに笑われたくない!」

「早く母親に子供を見せなきゃいけないんだ!!」

 

苦しんでいるけど苦しんでいるのを周りに見せたくなくて平気な振りをした。

だいぶん苦しかったけど兄弟のお嫁さんの結婚・出産も祝った。

友達たちの結婚も「すぐ妊娠して私を追い越していくんじゃないか」と内心死ぬほど不安でモヤモヤしていたけど笑顔を繕ってお祝いした。案の定すぐみんな妊娠したけど。

 

周りの人の結婚報告が怖い。

妊娠・出産の報告も怖い。

年賀状だって本当は怖いし微塵も欲しくないしこんな慣習さっさと無くなれと思う。

そもそも、なんで私だけこんな目に合わなきゃいけないの?

 

だけど、そういうのをこらえてでも「周りの人の幸せを祝える人じゃないといけない」という、誰に言われたかどこで見たかもわからないルールが私をぐるぐるに縛り上げる。

 

何も悪いこともしてないしただただ周りの人のためにできることをやってきただけなのに、子供がいないだけでネットの「こなし」だのなんだのの煽り文句を見るたびに自分が罵倒されている気がして心が辛くなる。

ショッピングモールで子連れの若いお母さんを見るだけでうらやましくて心がズキズキするし、子供がいっぱいいてにぎやかなフードコートをみるだけで「ああ、私も子供がいたらこの中に入ってみたいな」とも思う。

 

少子化だからかそういう系の内容のネットニュースを見るたびに「社会貢献できなくてごめんなさい」と思うし自分から傷つくようなニュースを見に行ってしまったりもする。得体のしれない苦しさがずっと心の中に渦を巻いている。

 

今まで健康に生きてきて、月々訪れる女性のシステムも怖いくらいきちんとやってきている。

誰にも手間をかけさせないように自分でできることは自分でこなして、助けてもらった人はきちんと覚えておいてチャンスがあれば恩返しをしたり、助けを求める人にはできる限りのフォローをしてきた。

小さな嘘や些細な悪いことはしたかもしれないけど、大きな悪い事は一切していないし清く正しく嘘をつかずに精いっぱい生きてきたつもりだ。

 

それなのに子供ができないだけであっというまに「不健康でかわいそうな人だから目の前で子供の話はしないようにしなきゃね」みたいな状態まで落ちてしまった。

 

だけどどうしようもない。自分の体の事だけど自分で子供ができるように制御することもできない。お金をポンと払ってポンと解決できるような内容でもない。

ただただ黙って通院するしかなくて待ち時間を何時間も待つしかなくて薬漬けになるしかなくて注射とかも受けるしかなくて診察台でまな板の上に乗った鯉の様に診察を受けるしかなくて、それでもちゃんと妊娠できるかは確定ではない。

 

あまりに気持ちが落ち込み過ぎてイライラしたり不安定になって夫に八つ当たりする日が続く。肉体的も精神も金銭もじわじわと削られて行っているのが分かる。

 

周りの人が当たり前にできることが、私はなぜかいつまでたってもできない。

「私はダメな人間なんだ」「大丈夫と言われたけれど、きっと体のどこかが病気なんだ」と常に心の中に自分への不信感や苛立ちや不安があった。

その間にも続く「母親・祖母からの期待の重圧」には無理矢理笑顔を振り絞って答えた。

ご近所さんも「アンタの兄弟の子供、もう生まれた?」とかそういう話をどんどん聞き出そうと近寄ってくる。

何もかもがうっとおしくて放っておいてほしかったけど無碍にあしらうこともできなかった。いつの間にか顔に張り付いてしまった笑顔のせいでしんどくても断りたくても言葉を濁しても相手には拒否の意思が伝わらないどころか「こいつは話を聞きだしやすい」と周囲に思われるらしくどんどん話を聞き出そうとしてくる人間が近寄ってくる。

もう嫌だと叫びたい。だけど笑顔も顔から剥がれない。

必死に言葉にして相手に胸の内を伝えても、誰にも私の気持ちが伝わらない。

みんな、「自分の聞きたい内容を私から聞き出すことに必死」「自分の要求を私に伝えるのに必死」で私の話なんて聞いちゃいない。

 

家の中に居ても、合いかぎを使って家に付属しているガレージや玄関がひっきりなしに開いて「今家にいるのかー!!?」と叫ばれて用事を頼まれたり野菜を届けられたり家の周りで作業を延々とされたりする。

 

家の外を歩けば大体家族の誰かが居て話しかけられていろいろと言われたりご近所さんにつかまったりする。

しんどいし面倒くさいし放っておいてほしいし誰も私を知らないところへ行きたかった。みんなの「良かれと思って」や「好奇心」が心底邪魔くさかった。しかし話しかけてくれているのに逃げるのも申し訳ないという気持ちで必死に応対する。

 

そういう生活を繰り返していると次第に頻繁に同じ悪夢を見るようになったし、誰もいないはずの近所の神社から太鼓の音が聞こえてくることも増えた。

音の原因は何なのかと思って音のする神社の方へ行ってみても人の気配は一切ないしただぼろぼろの神社しかない。しかし音だけは聞こえてくる。だけど道中に周りの人の反応を見ても音は私にしか聞こえていないらしい。

 

悪夢に出てくるのもいつも同じ「人型の黒い塊」で、なぜか性別が女性なことと私の事を「殺したいくらい憎んでいる」ことは分かった。

その黒い塊はいつも玄関から入ってこようとしていて、3回目くらいで玄関のドアが壊されて「そいつ」は私へ襲い掛かってきた。

そして私は声を取られたらしく「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」と濁点のついた「ア゛」でゾンビみたいな、地を這うような声しか出せなくなった。

息も上手にできなかった。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」と叫びながら必死でもがいていたら目が覚めて、床の上に転がっていた自分に気が付いて泣くほどホッとした日もあった。

現実に戻ると、喉の奥はガラガラで痛かったけど普通に声が出た。

 

夢の中の話なのか現実の話なのか本当に分からないレベルでそんな夢を頻繁に見て、「そいつ」は毎日のように玄関からやってくる。

一度壊されてからはもう鍵もかからない夢の中の玄関。やたらと怪力な「そいつ」に抵抗するすべはなくてもうどうしようもなかったし、夢の中の「そいつ」は、出てくるたびに小さな黒い塊の集団を引き連れてきはじめて、回を追うごとにだんだんその数は増えてくる。

そして「そいつ」が来るときにはいつも同じ太鼓の音が耳元で鳴り響く。物凄い爆音で耳が割れそうなくらいの音量。

 

なんとか死ぬ気で夢から覚めても母や祖母の「心配していてアンタの為を思ってやっているんだよ」という私にはプレッシャーにしか感じられない応援の数々が飛んできて、雑用の依頼もたっぷり回ってくる。同僚からは愚痴を聞いてくれとのお誘い、夫とはギクシャクした生活+趣味に対する金遣いへの不信感、ご近所さんからは「家庭内のアレコレを聞き出したい」好奇心による事情聴取、家に上がり込もうとしてくる親戚や知り合いなどからの住居死守…などなど数々のしんどい場面が毎日至るところでやってきた。そしてそれをなんとかごまかして乗り切っていく日々が続いた。

 

そんなある日、祖母が「お寺さんで本をもらったから読め」と私に何冊も本を持ってきた。

人生を生きづらい人が読んだらいいよ!みたいなタイトルの本だったが、私の心がそこでガラガラと崩れてしまった。

 

「なぜ、自分勝手好き勝手に生きている人を「あの人は仕方ないから!そういう人間だから!!」とか言って好きなようにさせているくせに、私には好きなようにする前に「アンタはきちんとしているからできるよね!?」「この家はこういうしきたりだから!!」と勝手にいろんなものを押し付けて期待して、私が好き勝手する道をキッチリとふさいだ挙句に自分の要求に従わせてきたくせに「生きづらそうだから本を読んで勉強しろ」とか言えるのか。

 

言われなくてもそういう系統の本は嫌と言う程読み漁ったしそれに飽き足らずインターネットで検索していろんな人の色んな考え方を知って自分なりにノートに書いてまとめて自分なりの生き方をすでに模索している最中だし、むしろずっと「自分はこれじゃだめだから」といろんな研究をして自分を変えたり周りに合わせたり試行錯誤だってしている。

 

思わず口から言葉が出た。

 

「…私は、そういう本を読んで勉強しないといけないくらい、もっともっと勉強をしないといけないくらい、ダメな人生を送っているように見えるの?」

 

祖母が黙った。口やかましいくらい喋る人なので黙るのは珍しい。

もしかして怒らせた?でも怒ったとしても私はもうどうでもいい。

 

すると祖母が口を開いた。

「偉い!!あんたのそういう風に考えられるところが偉いと思う!!」

そんな感じの言葉をしきりに発しながら私をやたらとほめたたえる。

 

不思議なことに、あれだけ褒められることを望んで他人の評価を気にして生きてきた私なのに、こうして褒められても微塵も嬉しくなかった。

それどころか、なんとも言えず気持ち悪かった。

 

相手に失礼なことを言ったのに怒られなかったから?

何かで私が成果を出しても私を褒めるふりをしながら話をずらしていって、最終的にいつも自分の子の自慢話ばかりする祖母が私を素直に褒めたから?

「本を読め!」とやってきたくせに手のひらの返し様がすごかったから?

 

今でもうまく言葉にできないくらい、すごく気持ち悪かった。

それと同時に「ああ、私はこのままずっとここに居たら病気かなにかになって死んでしまうな。」という気持ちがストンと心に落ちてきた。

 

私はきっと健康で、なにも悪い事なんかしていない。

ただ胸を張って自分が思うように自分のやりたいようにすればよかっただけ。

 

それなのに「父に隠し事をして兄弟とお金をやりとりする母」をかばうために父へ本当の事をしゃべらないように隠し通すことをした。

 

祖母がいう「祖父かカラスが白いといったらみんな白というべきだ」みたいな「この家というもののルール」も盲目的に受け入れて従い祖父母を崇めた。

 

兄弟にお金をせびられたりゲーム機を壊されたり身勝手なお願いをされてもなんでも「しょうがないな」と受け入れた。

 

周りの人の「愚痴や好奇心による尋問」もうまくかわさずに真正面から答えて受け入れた。

 

父が「仕事から帰ったぞー!」と大きな声でアピールしながら帰ってきたら今やっている作業を止めてお帰りと出迎えに行ったし、「(親戚や上司)さんに頭を下げに行け」と指示を出されたらすぐに頭を下げて挨拶をしに行った。(大体「なんで挨拶にきたの?」みたいな不思議な顔をされる。)

 

他にも数えきれないくらい「今考えれば訳の分からないしきたり」に踊らされて「他人の顔色を見て気を配るように」するようになって「奴隷的にただ指示に従う」ようになって「そういうもんだから」と勝手にあきらめて「拒否」もできなくなって勝手に一人で苦しんで怒りを貯めていた。

 

 

今思えば「出て行けばいいじゃん!」である。

よく見れば、家族親戚近所同僚知人…だれも私の話なんか聞いてくれないし「自分の話を私に押し付ける」だけで精一杯の環境である。そもそも話が通用する相手が居ない。

そんな場所でどれだけ耐えてもこらえても勉強して自分の出方を変えても、結局振り回されてぼろぼろになっていくだけである。

 

こんなところで「置かれた場所で咲こう」としても、葉っぱや根っこを土足でガシガシ踏み荒らされて花芽を付ける余裕なんてありはしない。

なんとか必死に咲いたって、咲いたそばから花を摘み取られて収穫した人の家の玄関に飾られ、手入れもされずすぐにグズグズに枯れてポイッと捨てられるのがオチだということが分かり切っている。

 

事実、私が何かをすると「有難う!!」とお礼を言ってほめたたえてくれるが口先だけでほめているなあと思うことばかりだったし、すぐに次の要件を言ってきたりして「ああ、次の用事を頼むためのつなぎに褒めたんだなあ」と思うことも多かった。

そこまで感じ取れては居たけど「喜んでもらえて嬉しいよ」と嘘ばかりついていた自分を「異議あり!!!」と怒鳴りつけて正してやりたい。

 

きっと私は体も壊していたし精神も壊れていた。

虚勢を張って全力で演出していた「いい人」をうまく利用されていただけで、何の要求や目的・条件もなく本当に私に親身になって寄り添ってくれる人は誰もいなかった。

 

唯一、夫だけが「私」がどういう態度だろうが子供が出来なかろうが荒れ狂おうが切り捨てることなく一緒にいてくれて。だんだん私の気持ちを理解してくれるようになって、今の環境を与えてくれた。もしかしたら夫の存在が唯一の救いだったのかもしれないし、その存在が無かったら今どうなっていたのかも分からない。

 

私は何もかもに余裕がなかったし、自分の時間も無かったし、いつも人に気を使って振り回されに行って必死で「自分以外」を喜ばせようとしているだけだった。

健康・不健康以前に、本当はきちんと立ち止まって「今私がやろうとしていることは私がやりたいことなのか」考える必要があった。

「他人の願い」をさも「自分の願い」のように受け止めて必死に駆けずり回っていた。

料理をしている時も、お風呂に入っている時も、一息ついて紅茶を飲んでいる時も常に他人の事を心配して、次の一手を必死に考えてあげていた。

 

本当はそんな場合じゃない。

自分の人生に、自分のために。全力を出すべきだった。

他人なんて私にああだこうだいっておきながら、家に帰って私の事なんて微塵も考えてないと分かっているのに。なぜ私が人生をかけて考えてあげる必要があるのか。

 

他人が「声帯を震わせて出した音」ごときに人生を振り回されて、自分の時間や健康をないがしろにしている暇なんてなかったのに。

考えるべきは「自分はどう考えて、どうしたいのか」だけなのに。

 

私はもしかしたら健康じゃないかもしれない。

体か精神かどこかがおかしいのかもしれない。

だけどそれを判明させるためにお金をかけている余裕はない。

私がおかしいから子供ができないのかもしれない。

ただタイミングや相性の問題だけかもしれない。

ただ、子供が欲しいのか欲しくないのかに関しては本当はずっと「何も思ってない。」

ただ「周りにいい所を見せなきゃいけないな」と思っていただけ。

周りの人にあおられて流されて「何とかしなきゃ」と思っていただけ。

だけど周りの人が簡単にできることがこのままずーっと経験できないのはさみしい。

だけどあんな環境で子供が生まれたところで、より一層干渉が強まることは分かり切っている。

 

あんな「他人の人生をどうのこうの言いたい連中」は、1人子供を産んだところで「次は男(女)の子ね?」とか生まれてない方の性別を言い出すだろう。

2人目を産んだら「3人目は?」とか言い出すだろう。

3人目を産んだところで「これ以上産んだら育て切れないだろうから手術したら?」とか言い出すだろう。(実際に言った人が居る。)

子育てについてもああだこうだと口をはさんでくるだろう。

汚くて手入れされてないゴミのような「すごく高くて良いおさがり」を「ありがたくうけとれ」と言わんばかりに持ってくるだろう。

名づけだって勝手に考えた漢字を押し付けてくるだろう。

顔を合わせるたびにいろいろ詮索してくるだろうし、家にあがりこんでくるのも確実だ。

 

そーっと見守って私たちの力を信じてくれて、困った時にはサポート…みたいな奇麗な世界はあの人たちに期待できない。

 

私はあの時、あの環境で不健康で精神がおかしくなって良かったのかもしれない。

子供は手に入らなかったし色々「世間的には大切な物」を捨てる形になったけど「私というものを理解しようとしてくれる夫」と「静かに暮らせる環境」と「自分のための時間」、「他人を詮索して来ずに、自分の人生を落ち着いて生きる優しい人たち」が手に入った。

 

もしあの時にあの環境で子供が出来ていたらきっと今の場所に逃げることはできなかったし、今までの内容+子供のお世話になって、きっと夫も今みたいな協力的なスタイルじゃなく自分の趣味にあけくれたまま・喧嘩も多いままで「一体私の人生ってなんのためなんだろう」と思いながらダメになっていただろうなと思う。むしろ、それ以外の「もしかしたらこんな素敵な状態になれたかも♪」みたいな展望が一切浮かばないのが逆に悲しい。

 

今も子供は出来ていないし、これからできるかもわからない。

健康なのか不健康なのか。健康診断はいつも馬鹿みたいに何一つ引っかからない健康体なのに体重が低すぎて判定が下がるのが意味不明過ぎて信用できないけど数値的には無駄に健康らしい。今でもよくわからない。

 

一応、体的には健康だけど精神とか女性的な機能的に本当にどうなのかは分からないけど毎月来るものはきちんとくるし痛みもほぼ無いし元気だけは無駄にある。

 

いまのところそういう状況だから健康面でもリア充とは言い難いけれど、体力・筋力が無いのは凄く感じるので、まずはスクワットを1日30回ずつやっていってみようかなと思うし、精神面も一応落ち着いてきたのでそのあたりもうまく操縦できるように勉強している。

 

過去・現在こんな感じできっとリア充じゃない私。

だけど段々と体調や精神が回復しているのは実感がある。

干渉したり手をかけずに放っておく方が回復できるなんて…我ながらなんてエコな存在。

 

冒頭に書いた「気を使った食生活」も放り捨てて、適度にカップ麺やスイーツなどの嗜好品を楽しんだりしてるのに、気を使っていた頃よりもよっぽど元気になってしまった。

 

この先一体どうなるんだろう?

 

健康については今後の変化も機会があれば書いていきたいと思います。

ローソンの 春薫る桜和ぱふぇ を食べました。

最近書き始めた「リア充」を題材にした記事。

どうやら地味に長く続くことになりそうなので、お口直しを兼ねて軽めの内容の記事を間に挟んで行くことにしました。

 

ずーーーっと連日、ヘビー級な話されても疲れちゃいますよね?

 

それに、読む人が読んだら「あ、これアイツだ!!」って即バレるギリギリの内容を豊富にぶっ込み過ぎているので、違う話題を入れればちょっとは薄まる…かなあ?

 

なにより、スイーツやコーヒーはとても好きですからね。

 

 

…というわけで今回の本題です。

ローソンに行き、スイーツゾーンを覗いていると「春薫る桜和ぱふぇ」なるものを発見。

 

早速購入してみました。

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税込 285円 です。

ケーキ屋さんで400円くらいしそうな見た目なのに…コンビニって凄いですよね。

 

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上から時計回りに

「クリーム」

「桜風味の餡子っぽいやつ」

「桜餅の餡子無し・周りの餅部分だけを丸めたようなやつ」

「すっごいモッチモチの白玉団子」

が、

「抹茶のムースみたいなやつ(栗の甘露煮を細かく切ったやつが下の方に混ざってる)」

の上に乗っかってる…というスイーツです。

 

ちなみに桜の花びらみたいなやつは、たまにアンパンに乗っかってたりするような塩漬けのアレです。

 

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スプーンで抹茶のムース部分をすくってみるとこんなかんじです。

ちょっと栗もみえてるかな?

食べると抹茶の風味がフワッときて、栗の甘露煮が少し硬めの歯ざわりで、とても美味しいです。

 

こういうのは混ぜて食べるのが正解なのか、チョコチョコといろんな味を乗せ替えながら食べるのが正解なのか、それとも部分ごとに素材の味を楽しむのが正解なのか分かりませんが、私は「上に乗っかってる素材+下の抹茶ムース」で楽しみました。

白玉団子と抹茶ムース、クリームと抹茶ムース、桜風味の餡子みたいなやつと抹茶ムース…みたいな。伝わり…づらいですよね。コトバ ツカウ ムズカシイ。

 

私の説明はマズイですが、こちらのスイーツは甘さもちょうど良くてとても美味しく、素晴らしいと思います。

桜の味も程よくて、抹茶と栗でほっこり。まさしく春の味。

 

試してみようと思われる方は、ぜひお近くのローソンまで!(宣伝風。)

 

 

リア充じゃない自分を思い知らされた現実 ②愛情

私は幼少期、親・祖父母などにとてもよく遊んでもらったと思う。

色んな所に連れて行ってもらったし、いろんな経験もさせてもらった。

お小遣いをもらったりおやつを買ってもらったり。

私は純粋に家族が大好きで、自分の家族は最高で、このままずっと仲良くかかわり続けていくんだろうなと思って疑っていなかった。

 

しかし段々成長するにつれて、いろんなことが見えてきた。

今まで1回も見たこと無かった両親の喧嘩を目の前で見た時は本当に心底驚いたし、私がなんとかしなきゃ!!とかなり焦ったのを覚えている。

 

祖父母の愚痴を母から初めて聞かされた時も「だったら私が母を守ってあげなきゃいけない」と戦闘モードに入り、祖母を「何も事情を知らない無邪気な孫」の振りして説得しに行ったことも何度かあった。

 

他にもいろいろとあったけど、私の心にあったのは「私はどうなってもいいから、家族を守りたい」という気持ちだった。

 

こんな私でも少女漫画にときめいたこともあるし、異性を素敵だなと思うこともあったし、猫を撫でくり回す時に至福を感じたりしていた。

しかし、愛情という感情を「ああ、これが愛情なんだな」とはっきりと実感したことは無い。もしかして、この時感じていた気持ちが「愛情」なんだろうか?

 

 

気付けば私は、「愛情とか思いやりとかを自分以外の人に注ぎ込む為なら無限に頑張ることができるのに、人から注がれそうになったら拒絶反応を起こしてしまう」ようになっていた。

 

人と人との間を取り持ち、愚痴を無限に受け止め、頼られれば全力で応えて、感謝されればそれだけで心の底から大満足して「よし、もっとこの人を喜ばせるために頑張ろう」と次の計画を練った。

何か必要な物を調達する際には自腹を切って調達し、相手のためにすべて使う。

自分の部屋に戻ってふと我に返って「なんで…なんで私ばっかりこんなことを!!」となることが何度もあったけど、また何かの依頼を受けたら瞬足で駆けつけた。

 

物やお金を相手が渡してくれそうになったら「いやいやいやいや、全然!!全然これ家にたまたまあった物を使っただけだから大丈夫ですよ!!」と謙虚な振りして受け取り拒否をした。

たまたま家にあったとか嘘っぱちで、めちゃめちゃホームセンターで調達してきたばかりの物だったり。

 

そして節度ある相手とはそのままいい関係を保ち続けていけたのだが、「えっ!!?これタダでやってもらえるならめっちゃいいじゃん!!ありがとう!!!次、これもよろしく!!!」みたいなノリで来る相手には思う存分使い倒される羽目になった。

 

よくツイ〇ターとかで「プロとして職を持っているとそれに付け込んだ人が格安や無料で図々しく頼み込んでくることへの悩み」みたいなのがあるけど、あれがまさか「なんの分野のプロでもない、ただ普通に生息しているだけの私」にも降りかかってくるとは思わなかった。しかも、その当時は全く自分の状況に気づいておらず「こんな私でも役に立てるなら何でもやるよ!」と無償でなんでも請け負っていた。

 

親・兄弟・親戚・祖父母など血のつながりがある関りだけではなく、友人・知人関係にも同じようなテンションで関わっていた。

幸い、友人知人関係はお金にはきちんとしている人ばかりだったのでそっち方面は大丈夫だったのだが、うかつに車で送迎をし過ぎたため「運転ヨロシク☆」にはなってしまった。

運転は大して得意でもうまくも無い…というよりも苦手だったが、断り切れずに頑張っていた。

 

こうして「愛情」を良く分からない方向で様々な人に全力で振りまき続けた結果、私は幅広い人からの「都合のいい相手」になってしまった。

 

いつもニコニコ。何を頼んでも怒らない。なんでもやってくれる。しかも代金は発生しない。

 

…そりゃあ「全部頼んじゃえ!!」ってなるわな、当たり前だ。

それでも感謝してもらえて次も私に頼ろうと思ってもらえるなら私はそれだけで嬉しかったので全力で応えて、自分の部屋に戻って「なんで私ばかり…」とイライラのループ。

 

そんなとある日、兄弟から電話がかかってきた。どうやら実家にいるみたいで母も隣にいる模様。

兄弟「便利屋さん!すぐこっち来て!!!」

 

電話の向こうでは笑い声がする。

今まで一度も言われたことは無かった「便利屋」という単語。

心底びっくりしたし、電話の向こうでみんな笑っているし、誰よりも一番たくさん・めんどくさい用事を頼んできていた相手は兄弟だし、兄弟だからと思って余計に頑張っていたのに。

母も笑ってるんだ。私の事を便利屋だと思っていたんだ。自分の娘が「便利屋」と呼ばれていてもヘラヘラ笑ってられるんだなと腹が立った。

 

そもそも、私だって用事はあるしやりたいことも無いわけじゃない。

急に「すぐに来て!」と言われても、こちらは今自分の用事をこなしているわけで。

 

失礼・無礼だし、身勝手すぎるし、私への思いやりも感謝も感じられない。

でも、周りにそういう風に扱われることを許し続けてきたのは、他でもない私だった。

 

 

 

小さい頃は明るくて多分天真爛漫ってやつだった私。

成長するにつれ、見た目をからかわれたりしやすかったので、できる限り目立たないようにした。

それでも目を付けられやすかったので、無害なうっかり者な天然の人を演じた。

天然を演じると本気で小馬鹿にしてくる女性が現れ始めたので、そこそこ真面目な振りを始めた。

すると外見だけで「真面目過ぎる」と判断されることが多すぎたので、いつも軽く微笑むようにした。

微笑むように心がけ続けると、なにも考えてなくても顔が自動的に微笑むようになってしまって、普通の顔が分からなくなった。

 

今までずっと他人に任せて、他人に合わせて、他人に指示もらって、他人の目を気にして、他人のために変化して、他人のために自分を全力で使い倒してきたけど、自分はなんなんだろう?

 

自分の本当の性格はどんな感じで、自分は何を望んでいて、自分は何をしたくて、本当の表情はどんな表情で、心の底では何を考えていて、自分のために自分で何をしてあげたら自分は喜んでくれるんだろう?

 

本当にその人のためにそれをやりたいの?

自分の時間を愚痴吐き女にすべてささげて何が面白いの?

その人は本当に私と仲良くしたくて関わってきてくれていると思うの?

そんな小馬鹿にしてくる人にいろいろ言われてニコニコしてて大丈夫?

都合よく扱われてるの、本当は分かっているでしょう?

天然な振りして自分の失敗を切り売りして得られる「仲の良さ」なんて必要?

親や兄弟とか血のつながりのある人って無条件で死ぬまで尽くさなきゃいけないの?

相手は言いたい放題言ってくるのに、こっちが全部黙って受け止める必要性はある?

 

 

 

…自分自身にひとっつも愛情注いでないくせに。

本当は全部 自分が「欲しい」事ばかりやってる くせに。

 

 

 

 

お願いしたら笑顔で気持ちよく用事をして「欲しい。」

しんどい時・気持ちがいっぱいなときにいくらでも話を聞いて「欲しい。」

困った時にはいつでも助けて「欲しい。」

お金や物・気遣いをしないでいい関係を保って「欲しい。」

馬鹿にしたり嫌なことを言ったりしないで「欲しい。」

 

…欲しい。欲しい。欲しい。

私が心がけているたくさんの心がけや対応、全部「自分がして欲しい事。」

でも、心がけても返してくれる人は誰もいないどころか、要求がグレードアップされていくだけ。

 

今まで尽くした人みんな「マナは頼めば嫌と言わずにやってくれるからやってもらおう」になってしまっている。

 

頼まれたことをやんわり断ってみても「マナは頼めばやってくれる人」という思い込みのベースがあるから、必要以上に食い下がられて「なんで!?じゃあこういう風にしたらできる!!?」みたいにしつこくされたり嫌な顔をされたりする。

ああ、ショックだけどこの人は「自分の要求が簡単に通らないとこういう風になってしまう」人だったんだな。

でも、悲しいけれどもっと早く気づいておくべきだった。

 

今更だけど、ダメな関係は全部放り出そう。

努力はしてみたけど、変えるには今以上の体力と年月と精神が必要そう。

それ以上に、もう今更変えられそうにない。

 

私がやらないといけないことなんて何もない。頼んでくる本人がちょっと頑張って調べればどうにかなることだし、本気でやれば誰でもできること。

それが面倒くさいなら、然るべきサービスをお金を払って受けたらいい。

仲良くしたい人同士がつながっていけばいい。

私はそこに無理やり居させてもらわなくていい。

 

私がその場で頑張らなくても、フワッと抜けてもいいじゃない。

残った人が自分たちの力でどうにかしたらいいじゃない。

 

人に注がなくてよくなった体力や愛情やいろんなものを、今更だけど自分に注ごう。

何をしたいのか自分に聞いてみよう。

余裕があったら、今私がこうして落ち着いていられる環境を作ってくれている「今の周りの人」にもちょっと愛情を注いでみよう。

 

前みたいにがむしゃらに四方八方に飛び散らかさずに、適度な場面で適切な分量で気軽な感じで注いでみよう。

 

そうしてたら、いつか「おお、これが愛情か!」って分かるときが、来るかなあ?

 

 

リア充じゃない自分を思い知らされた現実 ①お金

お金。

それはアルミやら銅やら紙やらの色んな材質でできた身近な存在。

たんまりあればこの世のほとんどの願いや夢や希望や野望はきっと叶えられて、一円でも足りなければ色んな事が叶わない。

 

生きていくうえで一番大事なんじゃない??という位の重要さがあるはずなのに、普通の学生時代でその取扱いについて詳しく学ぶことはほぼ無い。

せいぜい小学校の自由研究で貯金箱をつくるか・親から買い与えられたお小遣い帳を数日記入してみてめんどくさくなって飽きてぶん投げて終わり…くらいだろうか?

 

お金について考え始めるのは、実際に自分が社会人になってどこかの職場へ就職してお給料をもらい始めてからではないだろうか。

 

休日以外は雨だろうが雪だろうが台風だろうが毎日職場へ出社し労働。

入社当時は新鮮だった人間関係も、一か月経ち・半年経ち・一年経ち…三年・五年とだんだん年月を重ねるにつれてだんだん嫌なところが見え始めて頭の中はぼーっとしながらでも仕事を終わらせられるほどの慣れが身についてしまい仕事自体もつまらなくなり。

 

同僚との話題はほとんど会社の「誰かの愚痴」。

そして行きたくないけど仕方なく出かける「休日の集まり」。

ホッとできるのは家に帰って一息ついている時間くらい…なのに容赦なく送られてくる「同僚やらからの携帯電話への連絡」。

 

そんな…そんな灰色の労働生活の中でテンションが上がるもの。

それは「給料日!!!!!!!」である。

 

その日だけは元気。その日だけはなにか嫌なことがあっても速攻忘れられる。

だってお金が入ってくるもん。一か月の労働の成果が入ってくるもん。

 

ぼかして言うのは簡単だけど、わざわざこのブログへ足を運んできてくださる方に適当な事は言いたくないのでその当時のお給料の内訳ざっくり言いますね。

(もう相当前の記憶になるので覚えている範囲の記載になります。)

 

●超絶田舎の工場勤務で手取りはだいたい 14万円 でした。

 

●そこから 父親に買ってもらった愛車代 が実はフルローンであり、家計が苦しいと母親に聞かされて 月々3万数千円 を母親に支払います。

(そんな私の真横で、兄弟にはお小遣いあげたのにさらにお小遣いを握らせたり毎日500円…1000円…てお金握らせてたんですけどね…またこれは別の機会に書きます。)

 

●車のガソリン代や整備費用などがあればそれも全額支払っていきます。

その当時ガソリン代とか「必要経費だからしょうがないんじゃーい!!」と思って気にしたこと無かったので計算したこともなかったのですが、そこそこ距離がある職場だったので…。興味のある方は「往復で32キロくらい・土日祝休み(時々休日出勤あり)・軽自動車」でざっくり想像してみてください。

※ちなみに 同僚との女子会遠征 も度々含まれるので実際はもう少しお金かかっています。

 

●職場での昼食代も支払っていきます。

これも計算したことは無いんですよ…今思うとアホでしょう。

その職場ではお弁当を注文できるのですが(350円くらいかな?)食が細すぎて「こんなんご飯の入ってる方食べきったら満腹になっておかずの入ってる容器までたどりつけないわ!」ってなったので、通勤ルートにあるコンビニへ毎日寄って「リプトンの500ml入りパック飲料と適当な菓子パン」を1つ購入していました。

多分1日300円くらい。

 

●細かい支払いや税金系もあれば払っていきます。

携帯電話の使用料(その当時はau加入・二つ折りの携帯電話でした。)

友人やら同僚やらとの交際費、帰宅後に食べたい毎日のお菓子費、たまにはいい顔したい母親とのランチ代などなど…。

 

…忘れている項目もあるかもしれませんが、ざっとこんな感じでしょうか。

ちなみに、女の一人暮らしは許さぬとのことだったのでしばらく実家に住んでおり家計系の出費は無かったです。

しかし「もうしわけない」という気持ちが心の奥底にあったため、時々「与えてくれる」物を相手の機嫌を損ねないように断ったりしていました。はい、人間関係下手糞ですしなんか色々間違ってますよね…ってこれもまた別の機会に書こう。じゃないとまた長くなる。

 

さあ!ここまで見てきて「確かに無駄は多いけど大したことないしうまくやればお金が残るくらいじゃないの?食費やら光熱費があるわけでもないし」って思いますよね?

その残るはずだったお金、どこに消えていったと思いますか?

 

答えは……通販!!!!!!!!!です!!!!!!!!!

 

通販で何やったか知りたい?ですよね?もったい付けずに言いますね!!

 

ニ〇センの分厚いカタログを読み漁り、気になった服に片っ端から付箋を貼って、そこから「大体ほとんどの服」を注文して買い漁りました!

ベルメ〇ンの月々いろんなデザインが届く下着やらなんやらを注文して、自分のカップサイズも正確に把握してないくせにかわいらしい下着をひたすら買いそろえてみたり、いろんなフリーズドライのスープがひと箱にまとまって届くやつとかをガッツリ購入したりしていました!!

フェリ〇モにも手を出して…んまあここのカタログがセンスが良くて読んでるだけで幸せになっちゃって何回も何回も読み漁りながら気づいたら服から雑貨まであれもこれも注文をしてました!!

 

他にもいろんな通販に手を出しましたし、数日に1個は宅配便が届いてるんじゃないかなと思うレベルで荷物が届いていました。

そして箱を開けてテンションが上がり・服や雑貨を確認してはテンションが最高潮!・そして流れるように支払伝票を握りしめて速攻でコンビニやら郵便局やらに駆け込んでほぼ即日お支払いを完了させ「これでこの商品は完全に私の物おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!ひゃっほーいい!!!!!」と謎の達成感に浸って昇天…!です。

 

怖いでしょう。だって自分の事なのに自分で怖いですもん。

それでね、その服着るのよねって思うでしょう?ほぼ着ないんですよ。

なんで???って思いますよね?服を着用すると自動的に「洗濯」が発生しますよね?

洗いたくないんですよ。今のこの手元に届いた奇麗な状態のまま置いておきたいんです。洗うと「毛玉」「型崩れ」発生しますよね?手洗いしろって?いやいや」それは面倒くさい。そして着古したらいつか捨てますよね?いやいや、そんなんならずっと奇麗なまま手元に置いておきたい。

 

…ちょっと自分でも何言ってるのか分からないくらい意味不明なんですけど、その当時は「なんだかもったいなくて着ない」で「袋に入ったままの状態でタンスに保存」して、時折「カードゲームの様に服を並べて服の可愛さやデザインの良さに恍惚とする」みたいなことを素でやっていたんですよ。

 

 さらに良くない習性がその当時ありまして、実店舗でのショッピングもこれまた大好きだったのですが、1人でショッピングする勇気はその当時まだなくていつも女友達やら同僚女性たちやらとショッピングしてたんですけど、ショッピングスタート時点で盛り上がって買い物する人がまずいなかったんです。

みんな「うーん」「これ可愛いけど…でもなあー」とか言ってお店に並んでる服の前を行ったり来たり行ったり来たり。動物園の動物みたいに行ったり来たり。下手したらかなり前に行ったお店に「やっぱりあのお店に戻っていい?」とかぬかし出して、歩いてきた道をずずいーっと戻っていってお店について、長時間悩んだ挙句に「うーん、やっぱりやめとく」みたいな。とにかくやたらと長い無駄な時間。

 

その当時買い物中毒だった私は内心イライラしながら「いるならとっとと買え!悩むなら買っとけ!いらないなら買うな!!」とか思いながら、顔だけはニコニコしながら一緒に悩む振りだけしていました。

 

でも不思議なことに、そういう奴って他人には「すごく無責任に服とか進めてきたり」するんですよ。「マナちゃんにはこれが似合うよー」とか言って勝手にコーディネート組んできて「マナちゃんの事は私、ほんと良く分かってるから似合う服とかすぐ選べるの」みたいなことを言ってくる。いやいや、こんなシャツワンピ全然好みじゃないし、おしゃれな人が着用すれば可愛い系モテコーデになるけど、私が着用したら病衣なんですけど?この前通販で購入したシャツワンピをワクワクしながら着たら本当に病衣にしか見えなくて愕然としながら、あまりのショックに半泣きで古着ショップに売り飛ばしに行ったばかりなんですけど?その時のシャツワンピと瓜二つなんですけど?

 

そもそも私自身でも「えっ、私こんな一面があったの!!?」って。

365日24時間生まれてからこのかた、ずーーーっと一緒にいる自分が自分にいまだにびっくりしてるのに、たかだた仕事でちょっと絡みがあってちょっと喋るようになったけど私の話聞くよりも自分の愚痴ばかり吐き出してるアンタが、私の何をどう理解できてんの!?思い上がんなよ?オオゥ!!?(威嚇)

 

…そんな感じで威嚇に走るほどシャツワンピは私には似合わない。

なんとか相手の機嫌を損ねないようにおすすめのシャツワンピを棚に戻したけれど相手は不服そう。

 

「あああああもう、くそめんどくせえしさっさと家かえりてえええええええ!!!」

 

イライラがピークに達し、さっさと買い物を終わらせたい一心で近くにあった服を値札も見ずに購入して「私の買い物は終わったかなー♪」と作り笑いを引きつらせながら言ってやった。

服はペラいクセに予想外に高額でレジで目玉が飛び出しかけたけどなんとか手持ちのお金で支払いできたので平静を装った。

 

すると、他の同僚女性たちもなぜか急に買い物が進みだして「あっ、これ可愛いから買うー」「ちょっと試着して、着れたら買ってくる」などと買い物が盛り上がり始めた。

 

 

そして他の日の買い物でも、初っ端は盛り上がらなかった買い物も、服を無責任に進めてくる例の女性の「マナちゃんはいつもいっぱい買い物するもんねー」みたいな言葉にイラッときてガツガツ購入したらみんな購入がすすんで大盛り上がりに。

 

…長くなってしまったのですが、そういう「私が特攻隊長的に買い物をすればみんな買い物をし始める」経験から学んでしまって。

 

赤信号、一人渡ったらみんな続け!!みたいなね。

あ、現実では絶対やっちゃダメですよ。

 

つまり、冒頭で言った「良くない習性」として「買い物に行ったらとにかく盛り上げるために買い物をする」「どこかのお店に入ったら、何も買わずに出るのがお店の人に申し訳ないから最低でも何か一品購入する」が身についてしまいました。

 

そしてそれを助長してしまったのが「親からの教育」で「いるものはいるんだから、じゃんじゃん使え」です。

 

親としては「寒い・暑いのを我慢しなくてもエアコンや扇風機をどんどん使えばいいし水道だって光熱費だって気にするな」という意味だったのでしょうが、社会人になったのに実家住まいという後ろめたさと両親にお金をかけさせたくない思いから光熱費・家計関係は極力セーブし自分の稼いだお金は「あれも必要だしこれも必要。通販も私の楽しみだから必要だし外食だって楽しみたいしコンビニも楽しいし、いるものはじゃんじゃんつかっていこー♪」という状態になっていました。

 

さらにこのあたりで人生初の彼氏らしき男性が出現。

 

小学校では「男=家にゲーム機がある」

中学校では「男=カードゲームのカードやポケ◯ンを交換してくれる相手」

高校では「男=なんでこんなオラオラしてるん怖い」

社会人(なりたて)では「男=えっ、未成年なのにタバ…えっビール??パチス…えええええ????????会話???無理無理無理無理(混乱)」

 

という、男性に免疫が無い状態だったのでどうしたらいいものかさっぱり分からなかった。

車が怖そうだったので「この人も怖い人なんだろうな」と警戒しまくっていたが、身の回りに居るどの男の人よりも穏やかで話を聞いてくれて安心できたので一緒になった。

 

結果、車を改造したりバイクを欲しがったり乗り換えたりして「乗り物関係」の費用が大幅にかかってしまった。それも本やらインターネットやらで知識を付けまくって定期的にカスタム部品を購入するのでとどまることが無い。

 

まったく上手に管理できなかった。

相手の趣味にきまりを付けることも、自分の稼いだお金も、相手の稼いだお金も。

二人での暮らしを始めたら光熱費も食費もかかるし携帯電話代だってファミリーでまとめようが2台分になる。

さらに、その住居には実家の人たちが合いかぎをもって自由自在にやってくるので気が休まらないし頻繁に出かけて外食をするようになった。

稼ぎが2人分あるはずなのに一向にたまっていかない貯金。

最初は受け入れていた相手の趣味が急に目につき始めて私が一方的にイライラして怒ることもしょっちゅうだった。

そのくせ、自分の機嫌が良い時には夫が欲しがっていた車を貯金ほぼ全部使ってドドーンと買ってみたりした。

 

自分が苦しくならないように「お金は使わないと回らないから」とか、心の中であれやこれやと理由を付けたのでテンションが普通の内は良かったけれど、時折訪れる「お金の不安」にテンションが下がった時には「あんな車を買ったからだ」「ただ車を買えばいいだけなのに後付けオプションとか付けまくるから総額が跳ね上がった」とか夫に責任をなすりつけながらイライライライラしていた。

 

不思議なことに、大枚をはたいたときに限って冠婚葬祭がやってくる。もしくは予想外の出費。

 

慌ててお金を用意して出席するも、明らかに準備不足感が漂う自分が嫌だった。

「ご祝儀…ああ、あの3万円があれば1か月の食費が…」とか思いながら、笑顔で他人を祝う。こんな邪悪な気持ちで参加して申し訳なく思いつつもなんでこんなタイミングで冠婚葬祭が…とも思うし、結婚してもイライラしている自分をよそに、みんなに囲まれてキラキラ笑う幸せそうな新婦。なんでそんなに幸せそうなの?私はこんな気持ちなのに…。

そんな「気持ちに余裕を持てない自分」に何よりも一番イライラとした。

 

唯一、自分の通販癖が「いくら服を買い漁っても私自身はなにも変わらないし進歩もしないんだな」と突然の覚醒ののち収縮。

たくさん服を買い漁ったおかげで目が肥えたのか、自分にちゃんと似合う服を選べるようになったし、よっぽどほしい服じゃないと購入しなくなっていたので服関係のお金についてはほとんどかからなくなっていた。

 

そうやって1年経ち、2年経ち…と日々を積み重ねて。

良い日も悪い日も仲良しも喧嘩も乗り越えながら親のすねをかじることも無く、お金が完全にゼロになることも無く、なぜかギリギリうまい事生き延び続ける日々が続いていた。

 

貯金は無い。旅行は行こうと思えば近場なら行けるけど行ったらそのあとヤバイ。

でも支払いの滞納は一切ないしローンもない。冷蔵庫には食べ物があるし、車やバイクも手放すことなく維持が出来ている。

夫婦仲も悪くないし、会話もそこそこしている方だと思う。

なんともギリギリだけどアウトではない、海抜0メートルみたいな状態。

 

ちょっとでも波が来ればアウトだけど何故か波が来なくて、何故か平凡には暮らしていける状態。

その間もきちんと働き続けて2人そろってお給料を稼いでいるはずなのに、バケツの底に穴でも開いているかのようにザブザブと出て行き続けるお金。

残高が増えていかない預金通帳。増え続ける車やバイクの社外部品や工具。

増えていかない心のゆとり。増え続けていく「買ったもの」。

 

なんだろうかこれは。どうなっているんだろうかこれは。

心どころか部屋にすらゆとりができない。片づけても片づけても床に物が転がされる。

だけど家にいてもつまらないからどこでもいいから出かけたい。買い物がしたいしカフェにも行きたい。でもほんとうにやりたいことはとくにない。

 

これじゃまずい。

慌てて主婦雑誌を買ってきて読む。掲載されている人の家計簿…そもそももらっている金額が違うし車ももって無さそうだし子供がいるし参考にならなかった。

前半の「トレンド商品を色々紹介してるページだけ」を見て廃品回収に出した。

 

ネットも調べた。

ふくろ分けの管理をやった。封筒間でお金の移動し過ぎて訳が分からなくなりやめた。

通帳口座が夫婦で5つくらいあったのでそれぞれ用途に分けて管理してみた。給料日にあちこち回るのが面倒くさくて続かなかった。

他にも手当たり次第色々やったけど、結局「少々いいか」からの「自己流」みたいになってきてからいろいろと崩れ出してしまうのですべてダメだった。

 

 

…そんな日々を過ごしているうちに友人が「お金がたまったから車を買う」と言い始めた。

そして「でも、車現金で買ったら貯金があと〇〇万円になってしまうんだよねぇ」と。

 

 

 

 

…な、な、な、なんですと!!!!!!!!!!!!!?????????

 

 

 

 

 

その後のことはよく覚えていないが、楽しくご飯を食べてバイバイした気がする。

「友人が…ちゃんと貯金してる…すごい…」打ちひしがれながら帰宅し、一息ついて暇つぶしにネットサーフィンをやっていた私の目に他人のお金事情の情報が飛び込んできた。

 

時間を忘れて読み漁る私。

そして驚愕。そして自分の無計画さ・勉強の足りなさを身をもって知る。

その時およそ30歳。世間的には何をするにも「遅い!」と鼻で笑われる年代である。

 

「いまさら始めたところで、どこまでいけるだろうか。」

 

資産形成の「し」の字もない家計。だけど…分からないけどやらないでこのままいるよりはずっといい。きっと。

 

そもそも自分の家計なのに詳しい金額を何も知らない。

まぁ本音を言うと「本当の事を知りたくなかった。」だけなのだけど。

 

なんかやばい事は薄々感じていたけど、実際のヤバさを突きつけられたくないし今のところ何とな〜くなんとかなってるから、本当の事を知らなくてもこのままなんとかなるんじゃないかなとか思っていて。

 

「きちんと計算」して「きちんとヤバイ」とわかってしまいたくなかった。知らないままでのほほんと過ごしていたかった。

 

ずっと逃げてきた「本当の家計簿を知ること。」

でもこのまま逃げてたら「今の状態」がずっと続くし、いつか破綻する予感はしてる。

 

軌道修正できる最後のチャンスじゃないか。

 

勇気を出して、夫・私の給料の平均を明細を見ながら割り出した。

そして1年の内にかかっているお金を片っ端から紙に書きだした。

書き終わって、こんなに色々払っていたのかと心底びっくりした。

そして夫婦が1か月必死で働いて得た給料よりも出費の方が多かったことにさらにびっくりした。

 

「…超絶…赤字…じゃん…。」

 

 

今まで何故これで生活してこられたのか?今までどうやって生きてきたのか??

まったく分からなかった。自分の事なのに。

 

頭が真っ白になった。その日は夕食の味も分からなかった。ただただ、無事に生きてこられたことに感謝の気持ちしかなかった。

 

 

 私は、およそ30歳にして初めて自分たちのお金と真正面から向き合った。

そして「リア充になれるわけがない」であろう「お金の現実」を思い知らされたのである。

 

 

 

 

 

…ここまで読んで頂きありがとうございます。

次回は ②愛情 について書いていきます。

 

では「また次回☆」です。

リア充とは?

「ねぇ、リアルってどうやって充実させるの?」というブログを開設して、真面目に更新したりパッタリ更新しなくなったりカフェ情報ブログみたいになってみたりしながらプラプラプラプラし続けて結構な時間が経過しているけど、端的に言って「今もリアルが充実している感じはしない。」です。

 

…なんてことを言ったらきっと「生きているだけでリア充」「健康に動く体があるんだからリア充」「その日食べるものにも困っている国の人に比べたらリア充」「…ていうかそうやってブログ書く時間があるだけでもリア充だろうが、文句言ってんじゃねーぞ」などと罵詈雑言・ありとあらゆる批判や反論が飛んできそうなので下手なことを口にするのも恐ろしいものですが。

 

日本の中に少しはいらっしゃるであろう「私の書く内容に微量でも共感の感情を抱いて下さる方向け」に書いていきたいと思います。

 

●特に何かに困っているわけではない気がするけどなんとなくしんどいしつまらない。

 

●誰も友達がいないわけでは無いけど本心は言えない…なんかしんどいし振り回されてしまっている気がするけど特に自分のやりたことがあるわけでもないし他に友達もいないから何となくつるみ続けている。

 

●若くして結婚して子供が居てなぜかお高めのワンボックスカーを乗り回して「ディズニー!」「ブランド!!」と無邪気に笑いながら世界を楽しんでいるように見える人たちを「馬鹿じゃないの?」と批判しつつも心の底ではうらやましく思っている。

 

●お金が無い。趣味も無い。夢とか やりたいことも無い。でも自分を変える気も無い。気力も無い。インターネットでゴシップ記事を探して人の不幸を笑って・人の挑戦を批判して・自分より大変そうな人の話を聞いて「自分はまだマシだ」と安堵してなんとか自分を保って安心を得て…気づけば一日が終わっている。

 

●もっと楽しく笑いながら日々の生活を送っている予定だったのに、気づけば特に楽しい事なんかないし、そもそも楽しむために何をしたらいいのかわからない!

 

…などなど。まあ全部私なんですけどね。なんて邪悪なイキモノ…!!

これでも外見では「真面目そう」「丁寧そう」「几帳面そう」「誠実そう」「嘘つかなさそう」「正直そう」などと称賛の嵐を頂く訳なんですけどね…?

まぁバリエーション豊かに見せかけてほぼ似たような意味の称賛ですし、こんな事言われるの絶対「真面目そうに見える形状の眼鏡」を装着しているおかげだと思うんですよ。

試しに眼鏡外してコンタクトを着用して初対面を迎えてみた相手にはそんな評価頂かなかったですし。「…にこやかな…人だね」みたいな。そこしか褒めるとこ無かったんかい!他に褒めるところなんていくらでも…いや、無いな。

 

眼鏡はスッピンやら人相やらを隠せるというのは存じておりましたが、腹黒さまで隠せるとは存じ上げておりませんでした…眼鏡is偉大!!!

 

そんな眼鏡トークは置いておいて。

タイトルにもある「リア充とは?」を考えてみたいと思います。

 

以前にも似たような考察は行ったのですが、その時の記事は一切参照しません。

人間の考えは変わっていくものなので、あくまで2019年時点の考えで記事を作成していってみようと思います。

以前の記事と似たような内容なのか、それとも違うことを言い出すのか、私の中の「リア充」の基準が今!判明する!!(衝撃的な感じで言ってみたかっただけです。)

 

 

●現時点で「私」はどういう人が「リア充」に見えている?

①「これをされたらお返ししなきゃ」とか「やってもらった分言うことを聞かなきゃ」などとゴチャゴチャ考えて結局拒否したりせず・振り回されずに、周りの援助を上手に受けられる人。そして手間暇を周囲にかけるくせになぜか愛されている人。

 

②「やりたい…けど、ううーんちょっと…」とか「嫌だけど…まあ、やってもいいっちゃいいけど…」みたいにアレコレ考えすぎずに、やりたいことは「やります!」嫌な事は「嫌です!」ときちんと伝えられる人。他人にあてにされたりこき使われない、なぜか一目置かれてる人。

 

③自分のやりたい事や趣味・特技を自分で分かっていて、それらを通じてどんどん技術が上がっていったり人脈がつながっていっている人。

特に「若くて才能がある人」

 

④若くして結婚して、奇麗な新築の家を建てて、子供も複数人いて、なぜかお高めのワンボックスカーを乗り回していつもニコニコキラキラ楽しそうな人。

 

 

●「ウッ!」「モヤッ」「見たくない!」となる場面や単語は?

 

ショッピングモールで胸元に赤ちゃんを抱いて歩く、明らかに私より年下のお母さんや子供の手を引くお父さん。

 

仲良く並んでショッピングを楽しむ夫婦。

 

保育園や幼稚園へ送り迎えするお母さん、ニコニコ笑う子供、並んで登校する小学生。

 

爽やかすぎて見てるこっちの目が潰れそうな学生カップル。

 

産婦人科の前を通る、看板を見つける。

 

芸能人の結婚・妊娠・出産ニュース。

 

コツコツ続けて成果を出している人。

 

きちんと働いている女性。

 

芸能人の来賓いっぱい・幸せそうな結婚、披露宴の中継。

 

同年代や年下で新築で家を建てた人。

 

大学を出て技能を身につけ、特殊な仕事に就職した女性。

 

才能がすごすぎる若い人のニュース。

 

ニュースのエンディングでよくある、どこかの園児をひたすら映して最後にタイトルコールみたいなことさせて終わるやつ。

 

写真付き年賀状 知人の結婚妊娠出産報告 豪邸紹介 才能 若さ 技術 年少記録 若い母親 ラブラブな夫婦 ディズニーランド 貯蓄1000万達成 年末までに100万円貯蓄 物のない暮らし 子なし専業主婦 ニート お金持ち 不妊 未妊 価値が無い人間 貯金無し 職歴 無計画 車貧乏 ラテマネー コンビニ浪費 老後 孤独死 後継がいなくて墓じまい …

 

 

現時点でパッと浮かんだものだけ書いてみたけど、文章にしてみたら意外と量が無いものだなあ…もっといっぱい「リア充めチクショー!削れてしまえ!!」と思う場面があった気がするけど。

だいたい同じような内容だし。

落ち着いた暮らしのおかげで考え方も落ち着いてきたのか?人間が丸まってきた??たいして尖っていた記憶も無いけど…。

 

ただ、単語の後半に行くにつれて暗い内容になっていくのがなんとも言えない…。

 

とはいえその他にも、顔には出さないけど心の底では指をくわえながら「いいなー!!なんでこの人ばっかり!!私もそれがほしいー!!やりたいー!!!」みたいになる場面は多々あったと思うので、思い出したらその都度日時も記載して追記していきたいと思います。

 

 

さて、次の記事からは「リア充じゃない自分を思い知らされた現実」を数回に分けて書いていきたいと思います。

過去の記事に書いた内容とめっちゃ重複してるじゃん!!という部分もあると思う…ていうより「確実にある」ので「ああ、同じ人間が書いているんだな」ということで暖かく見守っていただければ幸いです。

 

では「また次回☆」です。

 

ひな祭りソングはもうちょっとバリエーションがほしい。

アカリヲツケマショ ボンボリニー 

オハナヲアゲマショ モモノハナー…

 

 

本日はひな祭り。

食材を買いに行ったスーパーでも、ひな祭りソングが流れていました。

 

「お雛様といえばこの曲よねぇ」

 

ひな祭りソングを聴きながら出入り口付近に陳列された雛あられや甘酒を眺めつつ、しばし「ひな祭り気分」を堪能。

 

「さぁ、モードを切り替えて今週分のだいたいの食材を買いだめしなきゃ!」

 

やる気を出して頭を働かせながら肉や魚を選んでいると…

 

テン テテ テテテテ テテ テテテン…(伴奏)

アカリヲツケマショ ボンボリニー

オハナヲアゲマショ モモノハナー!

 

…耳に入ってきてしまい、どうにも集中できない。

なんとか集中力を取り戻して買い物を続けていると曲が終わった。

 

「…やっと終わった!」

 

心の中で喜びながら買い物を続けていると…

 

テン テテ テテテテ テテ テテテン…(伴奏)

 

「うおー!また始まったーーーー!!」

どうやらずっとエンドレスでこの曲が流れている模様。結構な爆音だし、なんかもう気が変になりそうだった。

 

そんな私を尻目に、笑顔で挨拶をしながら商品を手際よく陳列していく店員さん。

 

なんともないのだろうか?

それとも忙しくていちいち曲なんか聞いてないのだろうか?もしくは慣れてしまって免疫があるのだろうか?

 

私よりはるかに長い時間店内にいるはずなのに平気そうなのですごく不思議だった。

 

しかし、ひな祭りソングってコレしかないのかな?

たしかに「ひな祭りソングを3つあげろ」っていきなり問われても、私も「アカリヲツケマショ ボンボリニー」の曲しか思いつかない。

 

クリスマスも確かに同じ曲ばかり流れるから、どの曲が流れても「あーまたこの曲か」ってなるけど、それでもバリエーションはあるから気が変になるような事はない。

 

ひな祭りソングもせめてもう一曲くらいバリエーションがあれば…!

それが無理ならこの曲をいろんな人がアレンジしてたくさんのパターンの曲を流してくれたら面白いのに。

 

演歌風「ぅあかりぃを〜 つぅけぇ〜ましょぉぉぉぉ〜 ぼんっぼり にぃぃぃぃぃ〜」

 

DJ風「あっ あっ ああっ  あっ あっ ああっ あかりをつけつけつけつけつけつけ イェーーーーー!!」

 

マキシマムザホルモン風「あかりを!つけましょ!!ヴォオオオオオオオオオオオオオオーーーーー!!!!!!(デスボイス)」

 

…いや、やっぱ普通がいいな。

なんてどうでもいい事を思った本日の出来事でした。

 

 

 

 

朝っぱらからニュースに感情を振り回される。

朝起きるとなんとなくテレビをつけ、ニュースを視聴てしまう習慣があった。

 

しっかり観ているわけじゃなくて、朝ごはん食べたり着替えたりしながら聞き流しつつ合間に観ている感じ。

 

ずーっとその習慣でここまで来ていたから気づかなかったんだけど、さわやかな朝だというのになんだかモヤモヤイライラしている自分に気がついた。

 

自分に何か嫌なことがあったわけじゃない。

むしろ体調は良好だし、悪いことは何もない。

 

…じゃあ、何に対してモヤモヤしてるんだろう?

 

お茶を飲みながらよくよく考えてみると、ニュースの内容にイライラモヤモヤしていることが分かった。

 

その時、SNSで誰かが投稿した「店員さんが店内でふざけたりしている不祥事」の動画がテレビにデカデカと映し出されて、コメンテーターが神妙な面持ちでコメントをしつつ、同じ動画が何回も何回も繰り返し流されていたのだ。

 

なぜ「これをやったらどうなるのだろう」という簡単なことを考えずに、飲み会で酔っ払ったみたいなノリでふざけた動画を撮ったのか。

そしてSNSへアップロードしてしまったのか。

 

1回観ただけで最高にイライラできる動画を、気付けば何回もリピートで観せられていた。

 

おかげで動画が繰り返されるたびに何回もイライラしたし、朝の身支度する手は止まってテレビには釘付けだし、さらによく考えたら朝食を食べ始めた時からこのニュースが流れていたからイライラして味もよくわからずに食べてしまっていた。

 

…というかこの番組、(多分)ツイッタ◯にアップロードされた不祥事ニュース一本にどれだけ時間使って特集してんの?結構長い時間やってるぞ?

 

こんなもんツイッターで見ればいいし、ツイッターを知らなくてこのニュースを知らずに済んでいる層の人にまでいちいち、こんな知らなくてもいいただ不快なだけのニュースを広める必要あるのかな?

 

番組のほぼ冒頭で特集してるってことは、ほぼトップニュースの扱いっていうこと?

 

そんなしょうもないおバカ情報を脳内に送り込まれて。

私の生活や行動に役立つことはまず無いし、せいぜい「今日のニュース観た?」って話題に上がるのがいいところじゃない?何に活用しろと?

 

特集するとしても、サラッと放送して「こういう人もいるから気をつけようね」って注意を促して、もっと違う「知っておくべき情報」を流してくれたらいいのになぁ。

 

最近やたらと「SNSからの情報をもとにした」ニュースの特集コーナーが多いし、その内容も「こんな奴がいるからみんなで叩こうぜ☆」って言ってるような話題が多い気がして、なんだか疲れてしまうのです。

 

「まーた朝っぱらからこのテの話かよ!」って。

 

朝の時間は貴重だし。そもそも不必要な話な上にイライラさせられるだけの情報はいらないので、そういう情報を流すところをあまり見ないNHKのニュースを視聴するか、テレビの電源をオフにして朝を過ごす習慣に切り替えて、不要なモヤモヤを受けないようにしていきたいと思います。